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勇気と謙遜

◇◇ 勇気と謙遜 ◇◇【2001年7月4日に作成した<第156回>より】

●勇気と謙遜はつねにあわせ持たねばならない(ヒルティ)
●あなた方はこの世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。
 私は既にこの世で勝っている(ヨハネ伝16‐33)

神に大事にされ大切なる皆さんこんにちは、ご愛読に感謝します。

【キリスト精神】における謙遜とは自己の【善意・良心・可能性】へのチャレンジです。
「自分がしなくて誰がする」の心意気で孤立や失敗を恐れない自主独立精神です。

三浦綾子さんも謙遜とごう慢の違いについて語っていた事があります。
「『私には出来ません。』というのは謙遜ではなくごう慢なのです。」

せっかく自分の心に抱く夢・理想・大志があっても、自分の現在の境遇だけで勝手に
断念したりあきらめることは、多くの場合は謙遜ではなく勇気がないだけなのです。
富・権威・名声など何かしら条件が不足している為とか、経験・知識が無いので時期尚早で
あるとか全て現状に満足せず不足を感じるのは言い訳にすぎないのです。

それは神の立場から見るならば、せっかくのチャンスを放棄するごう慢さとも言えるでしょう。

●ノーブル(noble)は高貴、高尚、壮大では一つとしてその意を通ずるに足らず。
 ノーブルとは理想を抱擁してこれを実行せんとする勇気をいうなり。
 ノーブルなることは、平凡なることすなわち俗なることの反対にして
 理想を信じて大胆にこれを事実ならしむることをいう(内村鑑三

●人は天命をわきまえ天命に安んじ、我を去りて一心決定して動かざる尊しとす(二宮尊徳
●ためしてみること、着手してみることによってのみ最も偉大な事柄も
 成就するものだ(ヒルティ)

20世紀までの日本社会では将来の安定性を考えてか、官僚、大企業サラリーマンを目指した
学歴競争社会であったと言えます。独立自営業は休日が無く不安定で社会的地位も高くないと
みなされてきました。

一方で、米国では大学教育や特にMBAにおいて、自己の才能を最大発揮させる為には先ずは
将来計画として独立自営を目指す事が前提だそうです。独立できない者が企業人になり企業に
行けない者が官僚になるという順番だとも言われています。日本と全く逆の発想です。

しかし、21世紀の日本もいよいよ自己の【タレント:個性・才能・可能性】を最大発揮する
【独立自営の時代】が到来していると私は信じています。もはや後戻りはできないのです。

●満足の人とは独立の人である、不平の人とは依頼の人である(内村鑑三

そこで、私たち日本人として学ぶべきは欧米に根ざす【自主独立精神】といえるでしょう。
明治維新の時にも、多くの西欧使節団が派遣されました。

そのなかで伊藤博文は西欧に根ざす【自主独立精神】の危険性すら感じたともいわれています。
新政府樹立の段階において【自主独立精神】が民衆の心に根付く事は政府の安定を損なうもの
とみなしたからでしょう。そして、明治政府以来ずっと見事に封じこめてきたとも言えるで
しょう。

日本に【自主独立精神】が根付かないのは、キリスト教会が正しい福音伝道をしてこなかった
からとも言えるでしょう。しかし、既成のカトリックプロテスタント・オーソドックス教会
ではなくて純国産の【キリスト精神】が根付かなくては成功しないことは全世界の民族の歴史を
見ても自明なことです。

新渡戸稲造内村鑑三は【武士道】から派生する精神こそ日本的な【キリスト精神】であると
唱えています。

●武士道(内村鑑三
 -正直なること
 -高潔なること
 -寛大なること
 -約束を守る事
 -借金をせざること
 -逃げる敵を逐(オ)わざること
 -人の窮境に陥るを見て喜ばざること

21世紀には日本的な【キリスト精神】が生まれて、全世界のキリスト教精神を本来の姿へと
立ち戻らせるような【大宗教改革】がこの日本から発生する事を私は望み信じています。

【キリスト精神】に根ざす【自主独立】はどんなに世間的には無名で無力で意気地なしでも、
神の喜ぶ善意と良心にかなった信念さえあれば不可能と思われる事にもチャレンジできるのです。
どんなに過酷であっても勇気と励ましと希望は世間からでなく神様から直接与えられるからです。

欧米では困難だからこそ、個人があえてチャレンジするという気質が自然と根ざしているのは
キリスト精神が根ざしているためです。

同じように日本でも【武士道】に根ざす献身・忠誠・公徳心などが、その役割を果たした時代も
あったかもしれません。しかし【武士道】よりももっと大いなる力が【キリスト精神】なのです。
何故なら【武士道】が正義を重んじるのに対して【キリスト精神】は隣人愛を重んじるからです。

正義を完全成就するのは私にも多くの人にも困難です。しかし、隣人愛を実践することは全てに
喜びであり感動です。隣人愛の実践こそが最大の正義に通じることを【キリスト精神】は目指す
のです。

●何をするにしても、人に対してではなく、主に対してするように心から働きなさい
 (コロサイ書3-23)
●私は新しい戒めをあなた方に与える。互いに愛し合いなさい。私があなた方を愛したように
 あなた方も互いに愛し合いなさい(ヨハネ伝13‐34・黄金律:マタイ伝7-12))

そして、【隣人愛】の実践とは、各自に託された【タレント:個性・才能・可能性】を最大発揮
できる【使命・天職】へのチャレンジを促すはずです。各自の青年の心に抱いた夢・理想・大志に
こそ進むべき道が示されているはずです。「青い鳥」を外に求めることなく内に発見させてくれ
る導き手が【キリスト精神】なのです。

●私のこの命令は清い心と正しい良心と偽りのない信仰とから出てくる愛を目標としている
 (テモテ前書1-5)
●神は御心を成さんために汝らの内にはたらき、汝らをして志望をたて、
 業を行わしたまえばなり(ピリピ書2-13)

また、私たちは自身のチャレンジだけでなく、既に孤軍奮闘している不可能にチャレンジする
同志を支援し励ます事もできるはずです。

21世紀には各自の夢にチャレンジする者がお互いに助け励まし合える新たなコミュニティが
続々と創出されることを私は楽しみに期待しています。

●真個の聖徒の交際は独立人の交際なり(内村鑑三
●この世において真実の善良な生活をしようという勇気を彼等に取り戻してやらねばならない
ヒルティ)
●私たち一人びとりは、隣り人の徳を高めるために、その益を図って彼らを喜ばすべきである
(ロマ書15-2)
●私たちは真理のための同労者となるように、こういう人々を助けねばならない
ヨハネ第3書8)

ハレルヤ!栄光を主に帰します。
主の恵みに感謝します!アーメン

それでは今日も明日も素晴らしい人生をお過ごし下さい。
May grace and peace be with your spirit.
Good luck & God bless you!

メイル歓迎します!
cforum@tanaka.name
田中 聡(さとし)

皆さんこんにちは!
私は東京の中野に【チャレンジ・フォーラム】という【キリスト精神】啓蒙施設を運営しながら、個人的【福音伝道】事業を行っています。
ここに紹介する記事は、基本的にはメルマが(e-magazine)で2000年11月から2006年6月までに不定期発行してきた
約400号から抜粋して掲載しています。(http://www.emaga.com/info/cforum.html
もし、皆さんの中で、過去のメルマガにも興味があるならば、まとめてメイル送信しますので御気軽に御連絡ください!
★ウェブを参照ください!http://www.geocities.jp/cforum2000/
★★★皆さんの【ビジョン】【願い事】のために【礼拝:祈りと感謝】致します!★★★
 あなたの【ビジョン:理想・夢・志】・【願い事】を御気軽に御連絡下さい!
<心を一つ思いを一つ>の【チーム・スピリット&チーム・ワーク】に私が協力します!
あなたと共に【主の御名】によって【神の愛=主イエス】に【礼拝:祈りと感謝】いたします!
●あなた方のうちの二人が、どんな願い事についても地上で心を合わせるなら、
 天にいます私の父はそれをかなえて下さるであろう。
 二人、三人が私の名によって集まっているところには私(主イエス)もその中にいる(マタイ伝18-19~20)