【ビジョン&使命・天職】で<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>に導く【神の愛=主イエス】!!

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【キリスト精神】⇔究極のエゴイストで進化論主義

◇◇【キリスト精神】⇔究極のエゴイストで進化論主義◇◇【2005年1月29日に作成した<第361号>より】
●キリストの愛神主義は利他・利己両主義の上に超越し、最も多く他を利して最も多く己を利する道を我に教えたり(内村鑑三
●心をつくして神を愛せよ、それからあなたの欲することを為すが良い(ヒルティ)
一般的に、【自己愛:エゴ・自己中心】と【隣人愛】とは、「進化論」と「天地創造説」とは対極にあると理解されているのではないでしょうか。私自身も当初はそのように理解していました。
しかし、「私個人の【罪】の身代わりとなって、【主イエス】は【十字架の贖罪】を受けてくださったのだ!」と確信できるということは、エゴイストの独り善がりで自分本位だからこそ受け入れられるのだと実感できます。
私個人が【神の愛】を受け入れないで好き勝手に犯している【罪:自己本位】のために、無関係で潔白の
【神の子】が私の身代わりに犠牲になってくれたから、私は救われて【天国】に行ける!と信じられることは、これほど【自己愛:自己保身】にあふれる身勝手な解釈ができることは、私自身が「究極のエゴイスト」だと(「キリスト教」に反感を抱き敬遠する人から)思われても当然でしょう。
日本人の多くが「キリスト教」を受け入れない理由は、大半の人々が「エゴイスト」ではない証明だと思います。世間体を気にしたり、周囲に配慮できる控えめだからこそ、キリスト教など恐れ多くて理解できないはずです。
私自身にも叩き込まれている伝統的な日本的倫理観の特徴は「孔子の教え」にも示されていると思います。「己の欲せざることは、他人に為すなかれ」          
さらに「恥」を重んじることから派生して、家族のためには「(恥をかかせないように)世間様に迷惑をかけるな!」この「~するな!~するな!」という教訓は、知らず知らずのうちに、私たちを否定的・消極的に追い込みます。だからこそ、「ガンバレ(我を張れ)!」と励ますのも納得できます。日本人には積極的で明るい「エゴイスト」が育ちにくいのかもしれません。
一方で、【主イエス】の【ゴールデン・ルール(黄金律)】は肯定的・積極的・実践的でいつもどこでも明快です!
●自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい(マタイ伝22‐39、マルコ伝12‐31、ルカ伝10‐27)
●全て人に為(セ)られんと欲することは、汝等神が汝等に為し給う如くに汝等また人にもその如くせよ
 (黄金律:マタイ伝7‐12)
「他人にされたくないことは、他人するな」という「他人本位」ではなくて、自分がされたいと思うことは他人にも施しなさいという「自己本位」であるから、先ず自分の【魂:善意・良心】が納得することを考えればよいのです。世間体や【この世の勢力:富・権威・名声】や他人の意見よりも自分の【魂:善意・良心】を信じ愛することが大切となります。
欧米の若者に「あなたのもので何が一番大切ですか?」と質問アンケートすると、「自分の良心!」と応える人が多いということを聞いたことがありますが、なるほど納得できます。
これほどに「私自身の良心」に信頼できるのは、自己都合の「我欲・肉欲」だけでなく、同時に【神の愛】から発する【聖欲:隣人愛】もまた私の【魂:善意・良心】には共存していることを信じているからだと私は理解します。
さらに欧米は【個人主義】だと嫌悪する人もいますが、それは「個人主義=利己主義」で自分勝手で我欲を通すから伝統的な「他人本位」の日本では否定的公式となっているのだ感じます。日本人は「社会主義」が大好きです。
最近の日本の政治家も行政も、「自己本位」を否定して、愛国心・公共心を育成強化させる教育改革を目指してさらなる「他人本位」を推進しているように思われます。そうすれば、社会が改善されると思っているのでしょう。
しかし、自分勝手な私から言わせれば、私が一番!という「自己本位」でなく、私自身以外を愛しなさいというならば、無理やりに好きでもない「他人本位」ではなくて、私よりも崇高で絶対的な【天の父・創造主】を愛して、【神の愛】を受け入れる方が私の【魂:善意・良心】を納得させてくれるのです。
つまり、「エゴイスト」は一度の大切な人生を華々しく輝かせたい!と思い、常に自分を磨く【理想主義】であるからです。だからこそ【主イエス】は【罪人:エゴイスト】に向かって、国・隣人を愛するよりも、先ずは神を愛せ!と教えたのです。
●イエスは言われた、
 『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、主なるあなたの神を愛せよ』
 これが一番大切な、第一の戒めである。第二もこれと同様である。
 『自分を愛するように、あなたの隣人を愛せよ』
 これらの二つの戒めに、律法全体と預言者とが、かかっているこの二つの戒めに優る掟はない
 (マタイ伝22‐37~40、マルコ伝12‐29‐31、ルカ伝10‐26~28)
●心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くし、主なる汝の神を愛せよ(申命記6‐5)
●【愛の順序(内村鑑三)】
 第一に神を愛すべし、第二に世界と人類を愛すべし、第三に国と国人を愛すべし、第四に自己と家族を愛すべし
【神の愛】を素直に受け入れられないのは、自分が「エゴイスト」でも「自己本位」でもない証明といえるでしょう。
織田信長は日本の代表的な「エゴイスト」だといえるでしょう。だからこそ、彼は素直にキリスト教を受け入れ、宣教師を大切にしたのだと思います。さらに楽市楽座など「自由主義思想」を実現させた先駆者だったと私は理解しています。一方で徳川家康や現代世界にも台頭する独裁者ほど、「キリスト教思想」を警戒し嫌悪しますが、彼らが自分勝手な「エゴイスト」「自己本位」などではなく、常に世間の評価や周囲を気にする「他人本位」である証明だと私には思えます。
幼い頃を思い返せば、本来私たちは誰でも自分勝手な「エゴイスト・自己本位」であったと思います。社会で生きるために「他人本位」になるように教育され矯正されて、日本では「子供から大人になった」とみなされるのではないでしょうか。
面白いことに、【主イエス】は【幼な子・幼な心】こそ大切にしなさいと言われました。それは「自己本位」からこそ生まれる素直さ、率直さ、世間・他人でなく自分の【魂:善意・良心】に導かれる衝動だと私は理解します。
●有限の我等が無限の神に対して幼な心を懐くにいたって救われる。すなわち、幼な子となりて救われる(内村鑑三
●知恵のある者や賢い者に隠して、幼な子のような者にあらわした(マタイ伝11-25、ルカ伝10-21)
●幼な子をそのままにしておきなさい。わたしのところに来るのを止めてはならない。天国はこのような者の国である(マタイ伝19~14)
●私たちは幼な子であった時には、幼な子らしく語り、幼な子らしく感じ、幼な子らしく考えていた。
しかし、おとなになった今は、 幼な子らしい事を捨て去った(コリント前書13-11)
●天国とはそのような者(幼な子)の国である。幼な子のように神の国を受入れる人でなければ、
 決してそこに入いることはできない (マタイ伝19-14、マルコ伝10-13~16、ルカ伝18-15~17)
私たちは自己の【魂:善意・良心】の【内なる声】を守るために、「自己本位」「エゴイスト」であることを目指し誇りましょう!「他人本位」で世間的に「立派な大人」を目指すよりも、先ずは【神の愛】こそを受け入れる「自己本位」を目指しましょう!そうすれば、私たちは【神の愛】が命じる【ミッション:使命・天職】に導かれて【隣人・社会】でも役立つことができるからです!
●あらゆる奥義と知識に通じていても、山をも移す強い信仰があっても、もし、愛がなければ無に等しい。自分の全財産を人に施しても、自分の体を焼かれるために渡しても、もし、愛がなければ、一切は無益である(コリント前書13-1~2)
最近、米国のペンシルバニアで「進化論」はあくまでも一つの仮説として位置づけて教育指導するようにと州政府が命じても現場教師が反対し「進化論」を仮説とする教育指導に抵抗しているというような報道を観ました。
何度も述べたことですが、「キリスト教」が「進化論」を完全否定するのはあまりにも教条主義に陥っていると思えてしまいます。【神の愛】を信愛する私個人は「アメーバ」が私の祖先だとは思いません。アメーバは単細胞として十分に万全であるからです。
空を自由自在に飛べる鳥は素晴らしく魅力的な生き物であって私は大好きです。しかし、彼らは自由の利く両腕がありません。もし、鳥に人間のような両手があったら、世界は鳥に支配されていたでしょう。つまり、進化論の進化には限界があります。それが【神の愛の摂理】だと私は信じるのです。
もし、最初にアメーバが奮闘努力して、数十億年のを経て現在の人間になれたという過去の功績を「我が功績」として観るのでは魅力ありません。「進化論」は私たちが未来に描く【ビジョン:理想・夢・志】にこそ魅力的で有効な価値観といえるでしょう。
本当に進化論が存在するならば、現在の私たちもアメーバのように、「現実的不可能」を【ビジョン:理想・夢・志】として抱き信じて後世に継承しなくてはなりません。共産主義者が「ユートピア」の実現を目指したのも、進化論を信じたからだといえるでしょう。
【キリスト精神】こそは究極の「進化論主義者」です!常に【来世・天国】を信じ求め、【主イエス】の再臨を信じ望み続けながら、この世に【天国再建】を実現させよう!という「現実的不可能」を【ビジョン:理想・夢・志】として前進しようと目指すからです!
アメーバも動物も弱者こそ少数派こそが新天地を目指してチャレンジしたという「進化論」には、私のような世間的に弱小者には勇気と励ましが与えられるのです。
●キリストは少数である。福音は少数の意見である(内村鑑三
●人数が少ないからといって世界を変える力はないと侮るなかれ。 世界を変えてきたのはまさしく少数の力なのである(マーガレット・ミード)
●大いなる事業が完成されるためには、ひとつの精神があれば足りる。千の手を動かすために(ゲーテ
●すべて偉大なことは、小規模に少人数から始まるものだ。あなたはそれを覚悟しなければならない。
 そして、子供たちを教育するにも彼等が少数派に属することを平気なように導かねばならない(ヒルティ)
現在の私たちに世間的な能力も実績もなくても心配ご無用です!【ビジョン:理想・夢・志】さえあれば世界を変えられるからです!
●この動揺する時代に自分までぐらつくのはわだ災いを増すばかり、
 おのれの志を守ってゆずらぬ者だけが世の中をつくりあげて行くのだ(ゲーテ) 
●大切なのは偉大な意欲をもち、それを貫くだけの技量と堅忍力とをもつことだ(ゲーテ
●あなた方は自分の持っている確信を放棄してはいけない。その確信は大きな報いが伴っているのである。神の御旨を行なって約束のものを受けるため、あなた方に必要なものは忍耐である(ヘブル書10‐35~36)
私たちには【ビジョン:理想・夢・志】を抱き守り育てるための【最善・最強の味方】である【神の愛・聖霊】があるから安心です!【神の愛】に信頼して、【ビジョン:理想・夢・志】に向かって【自己本位】に前進し続けましょう!
●恐れるな、私はあなたと共にいる。たじろぐな、私があなたの神だから。
 私はあなたを強め、あなたを助け私の義の右の手であなたを守る(イザヤ書33‐15、41‐10)
●希望は時々刻々この世に臨みつつあり、腐敗の累積はあえて恐るるに足らざるなり(内村鑑三)
●The Best is yet to come!<最善の時はこれからだ!>(ロングフェロー
それでは今日も明日も素晴らしい人生をお過ごし下さい。
May grace and peace be