【ビジョン&使命・天職】で<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>に導く【神の愛=主イエス】!!

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【神愛福音道】【聖書価値観:神愛世界観・神愛歴史観・神愛人生観> 【神助道:神助精神・神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】 【<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>創世道】

【ビジョン・パートナー】との共同事業(その2)

◇◇ビジョン・パートナーとの共同事業(その2)◇◇【2002年4月5日に作成した<第236号>より】
2002年4月1日(月)NHK・BS「BSまるごと大全集:鉄腕アトム誕生」
     4月3日(水)NHK(再)「プロジェクトX:耳を澄ませ、赤ちゃんの声に」を観て

★★【その1】のつづき★★

同じように、たった一人の熱き思いである【ビジョン:理想・夢・志】が
支援者や同志を呼び起こさせて、見事に実現させた感動的な話があります。

いつも感動させてくれるプロジェクトXで紹介された「パルモア病院」の
伝説です。「パルモア病院」の誕生も多くの人々の【愛の結晶】です。

現在の日本では常識である「新生児医療」に最初にチャレンジしたのは
「パルモア病院」です。「新生児医療」が実現される以前は産婦人科
母親を、小児科は生後1ヶ月後の生き延びられた赤ちゃんの専門であり、
未熟児や難産で障害を受けた生後まもなく危険な子供を専門に診療する
「新生児医療」は不毛地帯だったのです。

今では出産の1000人中998人の新生児の生命を守れる世界トップレベルの
新生児医療ですが、年間200万人が生まれたベビー・ブーム時期であった
1951(昭和26)年当時の日本では、10人中1人が未熟児・仮死状態による
出産であり難産で傷つき後遺症を残す赤ちゃんが生まれる悲劇でした。

その当時、京都府立医科大学に、へき地医療を経験して着任したばかりの
子供心をつかめる不思議な医者として47歳の三宅医師がいました。

子供が大好きな彼には大きな【ビジョン:理想・夢・志】がありました。

「難産から赤ちゃんを救いたい!」

彼は病院長に理由を言って「お産」に立合わせてくれるようお願いしても
拒絶されます。他の病院を巡りながら出産に立会うことで発見するのです。
未熟児や難産の赤ちゃんは診療されず見捨てられるのも同然だったのです。
「また産めばよい」というあきらめの言葉がささやかれるほどでした。

現状を知って失望している三宅さんのところに、義理の兄である石井さんが
時にかなってやって来ます。三宅さんは石井さんに訴えたそうです。
「大学病院では赤ちゃんは救えない!」

すると、石井さんは三宅さんの予想もしなかった言葉をかけてくれたのです。
「それならば、私の専門学校の敷地内に君の望む病院を造りなさい!」

石井さんはパルモア学院の院長でした。理解者として支援協力したからこそ
「パルモア病院」は誕生したのです。

三宅さんの【ビジョン:理想・夢・志】が神の望む【使命・天職】であった
証拠だと私は信じます。三宅さんの理想であり「祈り」は神に通じたのです。

●理想を語るは夢を語るにあらず、未来の事実を語るなり(内村鑑三
●神のなされることは全てその時にかなって美しい(伝道の書3‐11)

三宅さんは直ぐに【この世の富・権威・名声】である教授のポストを捨てて
神戸の町医者になる決意をするのです。

病院の理念は「新生児から診療する。産婦人科と力を合わせて生命を守る」

そのためには三宅さんの理念に共感する産婦人科医と助産婦さんの協力が
必要不可欠でした。

しかし、木造2階建ての町の病院にやって来る産婦人科医などいません。
そんな落ち込んだ時に、三宅さんは大阪市立病院で、子供を失ったために
静かに泣き悲しむ母親と共に泣いている椿医師に出会うのでした。

三宅さんは椿医師の自宅の玄関前で頭を下げてお願いしたそうです。
「私の病院で働いて下さい!あなたが母親を私が子供を、力を合わせて
 二人が救えるのです」

まだ36歳で年下の椿医師は三宅さんの熱意と信念に動かされます。
「未熟者ですが、お世話になります」

そして、助産婦は当時「アネゴ」として評判の小西さんに声をかけます。
「病院ができた。直ぐ来てくれるか?」
「明日から行かせてもらいます!」

小西さんもまた日々の助産婦の仕事で、未熟児や難産・仮死にある子供を
救えないことへの悲嘆と悔しさにあったからです。

「もっと勉強したい」が病院に勤める理由だったそうです。

こうして1956(昭和31)年に三宅医師と11名のスタッフで開業するのです。
三宅さんだけが不安を抱えた52歳の前人未到の新生児医療の新人でした。

「赤ちゃんを救おう」という理想に燃えて結集した【愛の結晶】です。
長い間、見捨てられてきた赤ちゃんの医療に一歩を踏み出したのです。

神は【ビジョン:理想・夢・志】の実現において必ず苦味を伴わせます。
何故なら【ビジョン】実現は神との愛の共同事業であり、自己の無力を
自覚しなくては、いつのまにか【神の愛:隣人愛】を見失い報恩感謝の
心をも忘れてしまうからです。

開業しても直ぐには妊婦はやってきませんでした。あせり不安だったのは
初めての分野を扱う三宅医師だけだったようです。小西さんは毎朝早くに
廊下を磨き続けて万全の準備をしています。三宅医師は準備している中で
赤ちゃんの表情や泣き声や肌の色を観察し続けられたおかげで症状を掴む
方法を発見できたのです。

そして、初めての妊婦石野さんが開業3週間目にしてやって来ました。
彼女は20歳の時に結核で療養した経験があり、医者からは出産は母子共に
危険だと宣告されていました。しかし、27歳に結婚して28歳の時に出産に
チャレンジしようとして来たのです。

「安心してください。私が責任もって面倒を見ますから」

ところが、入院1周間後に1ヶ月も早く陣痛が始まり、危険な未熟児による
出産は10時間の難産となるのです。新人の三宅医師にとっては試練でした。
しかし、赤ちゃんの症状をしっかりと観察してきた経験を活用して見事に
危機を克服して生命を救うことができました。夢がかなった瞬間です!

初めての患者の成功から半年間は順調でしたが、パルモア病院にとっての
最大の試練がやって来ました。それは30時間もの難産であり、赤ちゃんは
三宅医師が丸2日間寝ずの治療にもかかわらず、後遺症として脳の障害を
起してしまうのです。

「自分たちがいたのに救えなった」」

赤ちゃんを救う使命にあった「パルモア病院」の皆が無力感に陥りました。

しかし、この苦難の【試練:神のはからい】こそが、その後の三宅医師と
「パルモア病院」とさらには日本の「新生児医療」に大きな恩恵となったと
私は信じます。自己の限界と無力を悟る【十字架】を背負わされたからこそ
常に初志を忘れる事無く謙虚に感謝の心でいられるからです。

●あなた方をキリストにある永遠の栄光に招き入れて下さったあふるる
 恵みの神は、しばらくの苦しみの後、あなた方をいやし、強め、力づけ
 不動のものとしてくださる(ペテロ第1書5‐10)
●目標に近づくほどに困難は増大する(ゲーテ
●いたずらにあなたを苦しめるために
 苦難が与えられたのではない
 信じなさい、まことの生命は
 悲しみの日に植えられることを(ヒルティ)

その苦難から一年半後のことです。小西さんは一年前に救えなかったことを
負い目を感じるままに。毎日早朝から働きすぎて盲腸をこじらせた腹膜炎に
なって手術後1ヶ月の絶対安静の入院を余儀なくされてしまいます。

小西さんが入院して1ヶ月が経つ頃に、産婦人科医にとっては生涯において
一度出会うか出会わないような「顔面位」という難産の妊婦がやって来ます。

小西さんは病床で話を聞いて、術後の危険な体を押して、赤ちゃんの手術に
立ち会います。

赤ちゃんをとりあげた時は仮死状態でした。三宅医師と小西さんにとっては
一年前の苦難が脳裏をかすめます。彼等は必死に心臓マッサージを行なって
今度は無事に危機を乗り越えるのでした。小西さんは術後の腹を抑えながら
倒れ込んだそうです。痛みよりも大きな喜びに包まれていました。
「いい子だ!いい子だ!」三宅医師は叫んだそうです。

三宅医師は、よく生き抜いてくれた赤ちゃんへの感謝の気持ちを込めながら
自ら赤ちゃんの写真を撮って、記念証を発行しました。その後、三宅医師は
53歳から87歳まで現役で活躍する間ずっと写真を撮り続け記念証を発行して
赤ちゃんの努力を賞賛し祝福したそうです。

さらに、病院で誕生した子供たちが15歳になった時には、病院に招待して
祝福するそうです。小児科を卒業して大人として扱われる年齢だからです。

テレビ出演した小西さんは当時を振返って語ってくれます。
「助かったことも忘れられないし、救えなかったことも忘れられない。
 うれしいことがあるから辞められないのです。
 私でも役に立つことがあるから、どんな形でも頑張れるのです。」

赤ちゃんが世界で一番大事であり、どんな小さく弱き者でも生命としては
変わらないという【愛の信念】にあった、三宅医師の「鉄の燃える志」に
小西さんは励まされながら、45年間で36000人の赤ちゃんが誕生して行った
そうです。そして、「パルモア病院」で多くの医者が新生児医療の心得を
学んで全国の病院に普及されて現在の新生児医療が築かれていったのです。

●成功の秘訣は目的に対する不動の心である(ディスレリー)
●大切なのは偉大な意欲をもち、それを貫くだけの技量と堅忍力とを
 もつことだ(エッケルマン)
●大いなる事業が完成されるためには一つの精神があれば足りる。
 千の手を動かすために(ファウスト

初めての患者の石野さんから、赤ちゃんの名付け親を頼まれた三宅医師は
三日間をかけて名前を贈ったそうです。「汝は世の光となれ」の気持ちを
こめて「光子」さんと名づけられた光子さんは、現在はリハビリの世界で
音楽療法士として、名前の通りに活躍しています。

●あなた方は世の光である(マタイ伝5‐13)
●光の子らしく歩きなさい。光はあらゆる善意と正義と真実との実を
 結ばせるものである(エペソ書5‐8~9)

三宅医師は1994年に90歳で亡くなりましたが、その【ビジョン】は今でも
大切に継承され続けています。小西さんは8年前に助産婦を引退しました。
7000人の生命をこの世に送り出す使命を無事終えた後、マタニティ教室で
妊婦への指導で活躍しています。三宅医師の心を伝え続けるているのです。

私たちも独りの力だけでは【ビジョン:理想・夢・志】を実現することは
困難であり、神も望まれないと思います。決して最後まであきらめる事無く
思いつづけ準備しているならば、必ず時にかなって【試練:神の導き】が
与えられることを信じましょう。

●我等に必要なものは必ず与えらるべし。しかも前もって与えられず
 必要な時に与えられるべし。ゆえに我等は要なき物を要なき時に
 祈求めて主たる我等の神を試むべからず
 (内村鑑三:マタイ伝4‐7、詩篇46‐1)
●愛する兄弟たちよ、確(カタ)くして動かされず、常に励みて全力を注いで
 主の事(ワザ)に務めよ。主にあってあなた方の労苦が無駄になる事はない
(コリント前書15―58)
●すべて彼(主イエス)を信じる者は失望に終わることがない(ロマ書10―11)

たとえ世間的に孤立無援になっても、【ビジョン・パートナー】としての
理解者や支援・協力者が時にかなって必ずやって来ることを信じましょう。

●我々は神の命じ給う道を歩いていれば日々その務めと力とがおのずから
 与えられる。特にそれを得ようと思いわずらうことはいらない。ただ、
 それを受け入れて実行すればよい(ヒルティ)

そして、私たちも同志を発見すれば喜んで助