【ビジョン&使命・天職】で<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>に導く【神の愛=主イエス】!!

★AMEN!HALLELUJAH!THANKS JESUS LOVE!★AMEN!HALLELUJAH!GLORY JESUS KINGDOM!★Good luck & God bless you!

【神愛福音道】【聖書価値観:神愛世界観・神愛歴史観・神愛人生観> 【神助道:神助精神・神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】 【<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>創世道】

【大航海・大冒険・新発見】の時代!

◇◇ 【聖書の世界】に【大航海・大冒険・新発見】の大転換時代が始まる!◇◇【2004年11月12日に作成した<第350回>より】
●人々が熱心に追い求めて捜しさえすれば、神を見出せるようにして下さった。
 事実、神は我々一人一人から遠く離れておいでになるのではない。我々は神の内に生き、働き、存在しているからである(使徒行伝17‐27~28)

【聖書】は難解な世界だといわれがちです。確かに簡単明瞭ではありません。霊的なパワーに満ちているからです。【聖書】は【神の愛】からの【息吹・霊感】で選ばれた人間が記した書物であり、完全無欠ではないと思います。それでも、【真理=神の愛】は明確に感動的に示されていると私は実感します!ハレルヤ!栄光を主に帰します!
●聖書は全て神の霊感を受け導かれ書かれたものであり、人に教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である(テモテ後書3-16)
●聖書の預言はすべて、自分勝手に解釈するべきではないことを、まず第一に知るべきである。なぜなら、預言は、決して人間の意志から出たものではなく、人々が聖霊に感じ導かれて神によって語ったものだからである(ペテロ後書1-20~21)
【聖書】は特別な【この世の勢力:富・権威・名声】には無縁な人間によって記述され、私のような不完全な者でも受け入れ理解できるようにと、【神の愛】は当初から「完全無欠」には描かれなかったのだと私は理解しています。【聖書】の啓示は【神の愛】の強さや正義を誇るものではなく、人間の弱さ愚かさを自覚させて、にもかかっわらず、【神の愛】に背を向けている【罪人】の私のために、優しくて、いつでも迎えてくれることを伝えている【福音】であり、【神の愛】からの素敵な【アメージング・グレイス】の【無償ギフト】といえます。
【神の愛】の結晶である【聖書】の特徴は、【神の愛】で創られた【天然世界】と同じ【摂理】にあると私は理解します。だからこそ【第二の聖書】である【天然】のように、【聖書の世界】には無味乾燥な砂漠もあり、険しい山岳地帯もあり、殺伐残忍な流血の光景も記されているのです。そして、マグマのごとく熱く燃え続けている【霊的生き物】です!
2000年前の少数民族の古い過去の歴史物語ではなく、今でもなお新鮮で革新的で日々新たに成長し続けている【神の愛】から注がれる【ダイナミック・パワー:信じる力・望む力・愛する力】の源泉であり、常に前進させチャレンジに導く実践的・挑戦的・革新的精神そのものといえるでしょう!
キリスト教は特に青年の宗教であり、日々新たにして、又日々に新たなり(内村鑑三
神の国は言葉でなく力である(コリント前書4‐20)
●これまでに書かれた事柄は、すべて私たちの教えのために書かれたのであって、それは聖書の与える忍耐と慰め・勇気が、望みを抱かせるためである(ロマ書15‐4)
●あなた方が私から学んだこと、受けたこと、聞いたこと、見たことは、これを実行しなさい。
 そうすれば、平和の神があなた方と共にいますであろう(ピリピ書4‐9)
●後のものを忘れ、前のものに向かって体を伸ばしつつ、目標を目指して走りキリスト・イエスにおいて上に召して下さる神の賞与(栄光)を得ようと努めている(ピリピ書3-13~14)
●罪を忘れ、疾病を忘れ、失敗を忘れ、怨恨を忘れ、神と生命と成功と愛とに向かって進まんのみ(内村鑑三
●汝ら前に進まんのみ(内村鑑三出エジプト記14-15)
 前に進まんのみ、餓死を恐れず、単独を恐れず、失敗を恐れず、破滅を恐れず、前に進まんのみ
【人間業】をはるかに超えた【神業】ゆえに、簡単には理解不能で不思議に満ちているからこそ魅力だと思います。
●聖書の一点一画も遂げ尽さずして廃ることなし。聖書の好き嫌いに、不信・疑惑によりて避ける(処女降誕・復活・再臨)は穀類の食し方と同じ(内村鑑三
●玄米は完全なる滋養あるも白米にして人体を養う力失うゆえに、有害無益なる人工料理を要求する
 玄米をそのままに用いるがよい、然らば、他の美食を欲せざるに至るであろう
  ⇔聖書もまた聖書の中、おのれの好みより選べば、副食物(哲学・社会学政治学・経済学)を求めんと欲するが、霊魂を養うに不足であり衰弱するのみである
●私(神)の思いはあなた方の思いと異なり、私の道はあなた方の道と異なる。天の地よりも高いように、私の道はあなた方の道より高く、私の思いはあなた方の思いよりも高い(イザヤ書55-8~9)
不思議と優美と荘厳なる【この世】万物を創られた【天の父・創造主】【主イエス】の【神の愛】には全てが可能です!
●あなた(神)には、全てができること、あなたは、どんな計画も成し遂げられることを私は知りました(ヨブ記42‐2)
●イエスは彼らを見つめて言われた「人にはできないが、神にはできる、神には何でもできないことはない」(マタイ伝19‐26、マルコ伝10‐27、14‐36、ルカ伝18‐27、創世記18‐14)
●ああ、主権者なる神よ!主よ!まことに、あなたは大いなる力と伸ばされた御手とによって天と地を造られました。あなたには何一つできないことはありません(エレミヤ書32‐17)
●主は御心にかなう望むところを御旨のままに喜びとなるように、ことごとく行なわれる。
  天で、地で、海で、また全ての淵で(詩篇135‐6)
●神は人でないゆえに偽りを語ることがなく、人の子ではないゆえに悔いる事もない。
自ら述べてそれを行なわず、自ら語って約束されたことを成し遂げないことがあろうか(民数記23‐19)
重要なことは私たち人類にとって、【天然:地球・生命・宇宙・物質】について、いまだに未解明で未知だらけであって、完全理解できない存在であるように、【聖書の世界】も不思議が一杯!(ワンダフル!)な世界であると思います。
【天然の摂理】は【神の愛の摂理】であり、常に【個性】【少数派】重視の「不変の法則」があると私は理解しています。
●神と天然とはついに欺くべからず。威をもってするも、術をもってするも神は遂にその意志を曲げず、
 天然は遂にその法則を更(アラタ)めず(内村鑑三
●咲く花は多し、実となるは少なし。実となるは多し、熟するは少なし。天然の法則は神の聖旨なり(内村鑑三
●狭き門より入れ!滅びに至る門は大きく、その道は広い。そして、そこから入って行く者は多い。
 命に至る門は狭く、その道は狭い。そして、それを見出す者は少ない(マタイ伝7-13~14、ルカ伝13-24)
現代世界はまさに【聖書】がユダヤ・キリスト・イスラムの多数勢力・教会権威に支配されている状態になっています。以前にも紹介したように、世界の多くがが同時に目撃した「9・11同時多発テロ」の光景は【聖書】に示されている「折られた枝」だったと私は感じます。
巨大なタワー(大木)が折られて、私たち少数派である異邦人(異教徒)の「野生のオリブ」に【神の愛】が注がれます。
●ある枝が折り取られ、野生のオリブであるあなたが、その代りに接ぎ木され、根から豊かな養分を受けるようになった(ロマ書11‐17)
●折り取られた枝に対して誇ってはなりません。誇ったところで、あなたが根を支えているのではなく、
  根があなたを支えているのです(ロマ書11‐18)
●私(主)は私を求めない者に見出させ、私を尋ねない者に自分を現した(イザヤ書65‐1、ロマ書10‐20)
現代世界は【聖書】の身勝手な解釈によって分裂対立が激化していますが、それは【聖書】に無縁な私たちのために与えられた【絶好のチャンス】が到来したと感謝します!ハレルヤ!栄光を主に帰します!
イスラエルは、その追い求めているものを得ないで、ただ選ばれた者がそれを得た。他の者はかたくなになった(ロマ書11‐7)
●一部のイスラエル人がかたくなになったのは、異邦人が全部救われるに至る時までのことである(ロマ書11‐25)
●福音について言えば、彼等(ユダヤ人)は、あなた方ゆえに、神の敵とされているが、選びについて言えば、父祖たちのゆえに、神に愛せられる者である(ロマ書11‐28)
●あなた方が、かつては神に不従順であったが、今は彼等(ユダヤ)の不従順によってあわれみを受けたように、彼等も今は不従順になっているが、それは、あなた方の受けたあわれみによって、彼等自身も今あわれみを受けるためなのである(ロマ書11‐31)
●神は全ての人をあわれむために、全ての人を不従順の中に閉じ込めたのである(ロマ書11‐32)
●神の賜物と召しは変わる(取り消される)ことがない(ロマ書11‐29)
●多くの先な者は後に、後なる者は先になるべし(マタイ伝19-30、20‐16、マルコ伝10‐31)
●神の賜物と召しは変わる(取り消される)ことがない(ロマ書11‐29)
●ああ深いかな、神の知恵と知識との富は、そのさばきは窮め難く、その道は測り難い(ロマ書11‐33)
世界の無謀や愚かさに従属するのでも、軽蔑し無関心でいるのでもなく、少数派の私たちの【ミッション:使命・天職】は【新しい人:主イエス】を復活させる【新たな視点・新思想】を抱いて世界の和解のために活躍しようではありませんか!
●キリストは私たちの平和であって2つのものを一つにして敵意という隔ての中垣を取り除き、ご自分の肉によって数々の規定から成立する規律と戒律ずくめの律法を廃棄したのである。それは、彼にあって二つのものを一人の新しい人に造りかえて平和を来らせ、十字架によって二つのものを一つの体として神と和解させ、敵意を十字架にかけて滅ぼしてしまったのである(エペソ書2-14~16)
●信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。
 彼は自分の前におかれている喜びのゆえに、恥をいとわないで十字架を忍び、神の御座の右に座するに至ったのである(ヘブル書12‐12)
【聖書の世界】の中に「既成宗教・教会権威主義」を超えた【新思想】を発見する為に大冒険・大航海に出かけましょう!
●新思想とは;★新鮮なる思想★人に新希望を供する思想★人に新生命を供する思想★人に新計画を供する思想★羽翼を張りて中天に翔(アガ}らんとする意欲を興す思想(内村鑑三
【来世信仰】が根本精神にあり、【青年の精神】である【聖書】には限界がありません
●★人は止まらんとし、神は動かんとし給う★人は固執せんとし、神は溶解せんとし給う★人は制定せんとし、神は産出せんとし給う(内村鑑三
【天然の世界】に摂理や法則を新発見する科学者のように、【聖書の世界】に【神の愛の啓示】を再発見しましょう!霊的に発見できた【聖書の啓示】は私たちの心に抱く【ビジョン:理想・夢・志】の実現を一気に前進させてくれます。なぜなら、私たちが創造した【ビジョン:理想・夢・志】もまた素敵な【神の愛の結晶】であることを確信できるからです!
●独創とは起源に帰ることである。
 神は人間を通して創造し続ける。
 創造は神のものであり、人間はコピーしているにすぎない。
 人間は創造しない、神の創造した自然界から発見するのである(ガウディ)
●信仰と哲学は矛盾しない(ライプニッツ) 
●科学は天然界における事実の観察なり。宗教は心霊界における事実の観察なり。
 二者同じく事実の観察なり。科学と宗教は善き兄弟なり(内村鑑三
●私は思いをこらしつつ愛の息吹に耳をすまし、そのささやきをまことと知り、
 それを書き写すのみ、我が内より創るものはない(神曲・煉獄篇第24歌52節)
●クリスチャンは思想の人ではない。さらばとて、また実行の人でない。クリスチャンは聖霊の人である。聖霊によりて神の知恵と大能とを実得するを得し人である(内村鑑三