◇◇ 荒野の中で【主の恵み】を得る(その1)◇◇【2003年3月29日に作成した<第296回>より】
2003年3月10日(月)CSスカパー19:00「ハーベストタイム」
3月16日(日)テレビ朝日23:00「地球号」を観て
●見よ、私は新しいことをする。今もうそれが起ころうとしている。
あなた方はそれを知らないのか。確かに私は荒野に道を、荒地に
川を設ける(イザヤ書43‐9)
【主イエス】は人間の体験するあるとあらゆる【苦難】を【試練】として
受けとめて【最悪の十字架の死】を【最善の栄光の復活】に大転換させる
【導き手】であり【助け手】であり完成者として人類の【先駆者】です。
●主ご自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練の中にある者たちを
助けることができるのである(ヘブル書2‐18)
●この大祭司(主イエス)は、私たちの弱さを思いやる事のできないような
方ではない。罪は犯さなかったが、すべてのことについて、私たちと
同じように試練にあわれたのである(へブル書4‐15)
【主イエス】は【神】の導きによって人類救済のために「荒野の40日間」を
耐え忍んでくれました。
●御霊はイエスを荒野に送り出し引き回された。イエスは40日間そこに留まり
サタンから誘惑をうけられた。その間、野獣と一緒におられたが、天使たちも
仕えていた(マルコ伝1‐12~13、ルカ伝4‐1)
【荒野】とは、いつも【神の愛】に見守られているのに、勝手に【神の愛】に
背を向けて遠ざけている私たちの【現実世界】そのものだと思います。
【荒野】は【この世の君:サタン】の独裁支配地域で、私を含め【野獣】化した
人間がうろつき【神の愛=隣人愛】が閉じ込めら冷めきった砂漠地帯です。
しかし、【主イエス】だけは【神の愛】と共にいたので【天使】にも守られて
この世で私たちがが経験するあらゆる【悪魔の誘惑】に打ち勝つ方法を教示され
しかも【荒野】のどんな【野獣】も見放すことなく一緒に過ごしてみせました。
つまり、【主イエス】は私たちがどんなに地獄の真暗闇の【どん底】にあっても
たとえ【神の愛】の望む自分の進むべき【道:使命・天職】を見失って荒れ果て
【野獣】のように欲望に溺れていようとも、いつもそばで見守っている証拠です。
●私はあなた(主)の御霊から離れてどこへ行けましょう。
私はあなたの御霊を離れてどこへ逃れましょう
たとい、私が天に昇っても、そこにあなたはおられ
私が黄泉(ヨミ)に床を設けても、そこにあなたはおられます(詩篇139‐7~8)
●我は逃れんと欲して、我が神の恩恵の手より逃るるあたわず。
彼は奈落の底まで、彼の手を拡げて我を支え、我を救い給う(内村鑑三)
●私は確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、
力ある者も、高い者も深い者も、その他どんな被造物も、私たちの主キリスト・
イエスにおける神の愛から私たちを引き離すことはできないのである
(ロマ書8‐38~39)
人間の肉親にできないことでも、私たちを創造され全てをご存知で、深く愛される
【天の父】にとって【乳飲み子】である私たちが忘れ去られることはないのです。
●女がその乳飲み子を忘れて、その腹の子を憐れまないようなことがあろうか。
たとい彼等が忘れるようなことがあっても、私(主)はあなたを忘れることは
ない(イザヤ書49‐15)
●私に目にはあなたは高価で尊い。私はあなたを愛している
「Very Important Person in God' Eye」(イザヤ書43‐4:V.I.P.の語源)
●これらの小さい者の一人が滅びることは、天に在ますあなた方の父の
御心ではない(マタイ伝18‐14)
【神の愛】を誤解し遠ざかっていた私のような【放蕩息子(ルカ伝15‐11~32)】ほど
【神の愛】に帰る決意をした時に、【神の愛】である【主の恵み】は溢れるばかりの
身に余る光栄な【アメージング・グレース(Amazing Grace)】となってくれます。
●(放蕩息子は)死んでいたのに生きかえり、いなくなっていたのに見つかったのだから
喜び祝うのは当たり前である(ルカ伝15‐32)
過去の私は過ぎ去って、未来の【ビジョン:理想・夢・志】に真っ直ぐに前進できる
勇気と希望と励ましと慰めが与えられる【愛の奇蹟】です!
●人もしキリストに在らば、新たに造られる者なり。古きは既に過ぎ去り、見よ、
新しくなりたり(コリント後書5‐17~18)
●なおも神の御手と御心にさからわず
勇気と希望を少しも捨てぬ。
私は静かに耐え真っ直ぐに前進する(ミルトン)
【主イエス】は【聖霊】となって、たとえ醜悪なる【泥だらけの人生】であろうと、
心清く身ぎれいにして日々善行を積めない私であっても、惨めで不完全そのままの
姿で受けとめて救い出してくれる【助け手・導き手】です。
●【キリストの福音】(内村鑑三)
「汝、己を潔くせよ、さらば我は汝を救わん」と言わず、
「我すでに汝を救いたれば、汝、我が救拯(キュウジョウ)を受けよ」と言うなり。
道徳の結果の救拯(キュウジョウ)にあらず、救拯の結果の道徳なり。
皆さんはオーストラリアで起こった「メルボルン事件」をご存知ですか?
92年にマニラ経由でオーストラリアに旅行するはずだった日本人観光客が
オーストラリアの空港で麻薬所持の現行犯逮捕となって15年の実刑となり
服役から11年目の今年になって早期釈放となって帰国できた話です。
女性1人と男性4人の内、男性1人だけが現在もまだ服役中だそうです。
彼等は犯罪グループに巻き込まれた被害者であり全くの冤罪だったのに
まともな弁護士もつけられずに疑惑の捜査のままに悲惨な刑務所生活を
送る事になったのです。
英語を全く話せなかった女性は、たった独りで異国の地での15年間の無実の
刑務所生活を耐えなければならない【苦難】を目の前にして絶望し孤立感から
自殺未遂を二度も経験したそうです。
リーダー格の男性は日本では肉体的にも精神的にも健康そのものだったのに
刑務所で15度の心臓発作を起こし刑務所で心臓手術をするまでの苛酷な苦難を
経験したのです。彼がそれほどまでの心労となったのは日本の家族を巻込んで
しまった悲惨からでした。
たとえ冤罪でも世間の厳しさを知る息子は、15年の実刑を受けた父親のために
勤め先を辞職して家庭内暴力と閉じこもりの毎日となったそうです。
本人だけでなく家族までも巻き込まれた救いようのない不条理な悲劇ですが、
彼等に与えられた【苦難】は日本を救い出すための【主の恵み】であったと
私は確信できます。彼等は間違いなく【神の愛】に選ばれた【先駆者】です。
●諸民族を、その間違った道から神への信仰へ連れ戻すために、苦難の時代が
やって来なければならない場合に、普通、神は先ず幾人かの個人に苦難を
なめさせ、そのあとで、これらの人たちがその他の人々に向かって、自分
たちの経験に基づくゆえに、確信をもって教え説くことができるように導き
給う。そうすれば、この先駆者たちは、一般の人々の苦難の時にも勇気を
失うことなく、なお救われる見込みのある者を励ますに違いない(ヒルティ)
彼等は身に覚えも無い罪を受け、不条理な思いのままで世間的には最も厳しい
【荒野(牢獄)】に追いやられます。そして、周囲には言葉も通じない恐るべき
【野獣(囚人)】が待っているだけです。そこに15年間も閉じ込められたままで
どうやって苛酷な【苦難】の中で希望も棄てずに生き延びられたのでしょうか?
彼等が自殺や病魔から救われ、人生【どん底】の境遇にあって、なおも明るく
希望と勇気を棄てずに無事帰国できたのは、【キリストの愛】のおかげでした。
現在40代から70代になる彼等は日常生活において「キリスト教」に無縁でした。
しかし、神に背を向けていた彼等でも、神様はあらかじめ【助け手・導き手】を
準備していたのです。
●神は誠実であり、なんびとをもその人の力以上の試練にあわせる事はない
(ヒルティ)
●あなた方の会った試練で、世の常でないものはない。神は真実である。
あなた方を耐えられないような試練に会わせる事はないばかりが、試練と同時に、
それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである
(コリント前書10-13)
●私たちは四方から患難を受けても、窮しない
途方にくれても、行き詰まらない
迫害にあっても、見捨てられない
倒されても、滅びない(コリント後書4-8~9)
彼等が服役した92年の同じ時期に、日本で生まれ育ち日本語が話せるヤング牧師が
米国から宣教師としてオーストラリアに来ていました。【使命】はオーストラリアに
日本語教会を設立することでした。
ヤング牧師は刑務所に閉じ込められた無実の日本人のことを知ると、彼等のために
毎週のように訪問して【聖書・福音】を伝えながら、心から励まし慰め続けます。
やがて、彼等全員が【神の愛】を受入れて本物の「クリスチャン」となったのです。
彼等は帰国報告のために日本で釈放を祈り願い続けてくれた支援者を前に語ります。
11年間は無駄でなくそれどころか神を知るために人生の素晴らしい一時であったと。
彼等は栄光を主に帰しながら【神の愛】を知らない人々にも【愛のメッセージ゛】を
伝える本物の【伝道者】でした。
●困難は我をして神に接近せしめ、また人に鍛接せしむ。困難は我の単独を破り
我をして人類の一員たらしむ(内村鑑三)
彼等が恐るべき苛酷な【荒野】から【神の愛】に救われて無事に生還できた経験は、
これからも多くの人々の【救い手】となることを楽しみにしています。
●人を信じさせるものは経験である。自分も経験してみたいと言う願望と
気分とを起こさせるものは、その経験をした人たちの証明である(ヒルティ)
●神からあなたを遠ざける喜びよりも、あなたを神へと駆りたてる苦難の方を
好むようになるならば、あなたは正しい道にいるのである(ヒルティ)
●神への信頼を失わずに、その試練を切り抜けるならば、他のいかなる道でも
達せられないほど、神に近づく事ができる(ヒルティ)
無実で投獄された日本人と、日本語の分かるヤング牧師が出会えたことは単なる
偶然な幸運に過ぎない出来事ではなく、日本が救われるための必然にして必要で
不可欠なことだったと私は信じます。
●喜んで必然に従う者、彼こそは賢者にして、神を知る人である(ヒルティ)
●天の下では、何事にも定まった時期あり、すべての営みには時がある。
生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。
植えるのに時があり、植えたものを抜くのに時がある。
殺すのに時があり、癒すのに時がある。
崩すのに時があり、建てるのに時がある。
泣くのに時があり、微笑むのに時がある。
嘆くのに時があり、躍るのに時がある。(伝道の書3-1~5)
●神のなされることは全てその時にかなって美しい(伝道の書3-11)
★★【その2】につづく★★