【2021年1月1日に作成した<第734回>に加筆】
◇◇【ビジョン】で<毎日参拝・毎日詣>に導く【神の愛=主イエス】!◇◇
★★【ハレルヤ動画】を御鑑賞下さい!★★
http://www.youtube.com/watch?v=lKdFip1MhO0&feature=share&list=PLGAtWMx6RQJ7WZ4p9LDUBhTC5kbNqx3RM
★★A Happy New Year!新年2021年を<善き年>としてお迎えください!★★
【神の愛=主イエス】に大事にされ大切なる皆様こんにちは!ご愛読感謝します!
世界各国で愛読されている皆様、お元気ですか?ご活躍を心より応援しています!
精神苦・病苦・経済苦・社会苦など大小様々な<患難辛苦>に直面し立ち向かう
<対戦・応戦・抗戦>意欲に導びく<最高!最善!最美!>の<無限の源泉>が
【神愛福音道】【聖書価値観】<神愛価値観:神愛世界観・神愛歴史観・神愛人生観>の
【神の愛=主イエス&聖霊】が与えてくれる【神愛力=隣人愛&神愛奇蹟】です!
年末年始の<ソーシャル・ディスタンス>規制によって恒例の神社仏閣への初詣や参拝を
正月三が日は極力控えるよう声明発表しています。【この世の勢力:富・権威・名声】が
神仏崇拝への【祈祷:霊的呼吸・霊的栄養源】から遠ざけさせ不都合にすればするほどに
【神愛福音道】【聖書価値観】<神愛価値観:神愛世界観・神愛歴史観・神愛人生観>の
【神の愛=主イエス・聖霊・真理の御霊】との<神愛密接関係>は神愛密着強化します!
●人に捨てらるるは神に拾わるるなりき、
人に憎まるるは神に愛せらるるなりき、
人に絶たるるは神に結ばるるなりき(内村鑑三)
●私は確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力ある者も、
高い者も深い者も、その他どんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにおける
神の愛から私たちを引き離すことはできないのである(ロマ書8‐38~39)
●山々が動いて場所を変え、丘が消えてなくなっても、
わたしの愛はあなたから離れない。 平安を与えるという約束を、
どんなことがあっても破らない。」 あなたをあわれむ主は告げます。
(イザヤ書54ー10)
●神は我々のひとり一人から遠く離れておいでになるのではない
我々は神の内に生き、働き、存在しているからである(使徒行伝17-2)
●我は逃れんと欲して、我が神の恩恵の手より逃れることはできない。
神は奈落の底にまで、神の手を拡げて我を支え我を救い給う
(内村鑑三:詩篇139‐7~8)
●私はあなた(主)の御霊から離れてどこへ行けましょう。
私はあなたの御霊を離れてどこへ逃れましょう
たとい、私が天に昇っても、そこにあなたはおられ
私が黄泉(ヨミ)に床を設けても、そこにあなたはおられます
(詩篇139‐7~8)
●金銭に執着しない生活をし、今自分の持っているもので満足しなさい。
主は「私は決してあなたから離れず、決してあなたを捨てず置き去りにはしない」と
言われました。だから、私たちは、はばからず確信に満ちて言おう。
「主は私の助け主。私は恐れない。人は私に何ができようか。」(ヘブル書13-5~6)
【神愛福音道】【聖書価値観】<神愛価値観:神愛世界観・神愛歴史観・神愛人生観>では
私たち各自が【神の愛=主イエス&聖霊】を迎えれば<神愛の宮><神愛礼拝堂>です!
わざわざ外出せずとも、いつどこでも自由に<毎日詣・毎日参拝・毎日礼拝>できます!
●我らは活ける神の宮なり!(コリント後書6-16)
●私たちは神の同労者である。あなた方は神の畑であり、神の建物である
(コリント前書3-9)
●あなた方は神の宮であって、神の御霊が自分の内に宿っている(コリント前書3‐16)
●我々は神の内に生き、働き、存在している(使徒行伝17‐28)
●神が私たちの内に住まわせた御霊は、ねたむほどの愛をもって私たちを見守っておられる
(ヤコブ書4‐5)
●神の家とは、生ける神の教会のことであって、それは真理の柱、
真理の基礎(土台)なのである(テモテ前書3-15)
●神の神殿と偶像にどんな一致があるか。
私たちは生ける神の神殿である。
神がこう言われているとおりです。
「私は彼らの間に住み、巡り歩く。
そして、私は彼らの神となり、彼らは私の民となる(レビ記26-12)」
(コリント後書6-16)
●自分の身体は、神から受けて自分の内に宿っている聖霊の宮であって、
あなた方はもはや自分自身のものではない(コリント前書6‐19)
●<われらの礼拝>(内村鑑三)
われらは、僧衣を着けて高壇に上がり、
聖書を朗読し、聖歌を吟唱し、手をひろげて天を仰いで祈り、
手を按(お)いて人に儀式を施し、もってわれらの神を礼拝せんとしない。
われらの礼拝は教会堂においておこなわれずして、
あるいは工場において、あるいは田畑において、
あるいは店頭において、あるいは書斎において、
その他われらが日々の事業に従事する所において、おこなわるるのである。
「仕事はすなわち祈祷(礼拝)なり」である。
われらはわれらの日常の仕事をもって神を礼拝せんと欲するのである。
礼拝の簡単または欠乏のゆえをもってわれらを責むる者に、
われらはこの事をもって答うるのである。
【神の愛=主イエス&聖霊】への<神愛礼拝>は【神愛祈祷:霊的呼吸・霊的栄養源】で
【霊性:魂[勇気]・善意・良心】が<パワー・アップ&アップ・グレード>されて
<おみくじ>の替わりに【神の愛=主イエス&聖霊】は【御言葉】<ラブレター>を
<内なる声>として<言霊>【ビジョン:理想・夢望・念志】となって届けてくれます!
●<キリストの手紙>(コリント後書3-3)
▲口語訳:あなた方は自分自身が私たちから送られたキリストの手紙であって、
墨によらず生ける神の霊によって書かれ、
石の板にではなく人の心の板に書かれたものである事をはっきり現している。
▲文語訳:汝らは我らの職(ツトメ)により書かれたるキリストの書(フミ)なり、
しかも墨にあらで活ける神の御霊に記され、
石碑にあらで心の肉碑に記されたるなり
●心に植えつけられた御言葉を素直に受け入れなさい。
御言葉にはあなた方の魂を救う力がある(ヤコブ書1‐21)
●御言葉を行う者となりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけで終わってはならない
(ヤコブ書1‐22)
●あなた方の内に働きかけて、御心のままに志望(願い)を起こさせ、
かつ実現に至らせるのは神であって、それは神が善しとされるところだからである。
何事も、つぶやかず疑わないで(不平や理屈を言わずに)行いなさい
(ピリピ書2-13~14)
●主をおのれの喜びとせよ。主はあなたの心の願いをかなえてくださる。
あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。
(詩篇37-4~5)
●まことに、御言葉は、あなたのごく身近くにあり、あなたの口にあり、
あなたの心にあって、あなたはこれを行なう事ができる(申命記30‐14)
●御言葉はあなたの近くにあり、あなたの口、あなたの心にある(ロマ書10‐8)
●私はすべての人にわが霊を注ぐ。あなた方の息子や娘は預言し、
年寄りは夢を見、若者は幻を見る(ヨエル書2-28~29)
●主なる神よ、あなたは神、あなたの御言葉は真実です。
あなたは僕にこのような恵みの御言葉を賜りました(サムエル後書7-28)
●こうして預言の言葉は、私たちにいっそう確実なものとなった。
あなた方も、夜が明け、明星がのぼってあなた方の心の中を照らすまで、
この預言の言葉を暗闇に輝くともしびとして、それに目を留めているがよい
(ペテロ第ニ書1‐19)
【神の愛=主イエス】が心に届けてくれる【御言葉】【ビジョン:理想・夢望・念志】は
<最善の最後!><神愛ハッピーエンド>を約束している<神愛大吉>だけです!
●Best is not yet come.<お楽しみはこれからだ!>(ブラウニング)
●<最善の最後>(内村鑑三)
信者の生涯は始めは悪くして、終わりは善くある。
終わりに近づくほど、ますます善くある。
最後(ラスト)が最善(ベスト)である。
●聖徒たちよ、主をほめたたえよ
その聖なる御名に感謝せよ
まことに、御怒りはつかの間
いのちは恩寵の内にある
夕暮れには涙が宿っても
朝明けには喜びの叫びがある(詩篇30‐4~5)
<いつも一緒!>【神の愛=主イエス】へは<成就祈願・願掛け>も賽銭も一切不要です。
【神の愛=主イエス】は私たち各自の【霊性:魂[勇気]・善意・良心】が大満足できる
【神愛力=隣人愛】に光り輝く<願望>【ビジョン:理想・夢望・念志】を抱き続ければ
<神愛神助:祝福・恩恵><神愛の御手:導き手・助け手・癒し手>で守り育ててくれて
遅くなっても<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>で実現は保証されています!
●求め続けよ、さらば与えられん。
捜し続けよ、さらば見出さん。
叩き続けよ門を、さらば開かれん(マタイ伝7‐7、ルカ伝11‐9)
●私たちが何事でも神の御旨に従って願い求めるならば、神はそれを聞き入れて下さる。
私たちが願い求めることは、何でも聞き入れて下さるとわかれば、
神に願い求めたことは既にかなえられたことを知るのである(ヨハネ第一書5‐14~15)
●祈りの時、信じて求めるものは、みな与えられるであろう(マタイ伝21‐22)
●何でも祈り求めることは既にかなえられたと信じなさい。
そうすれば、そのとおりになるであろう(マルコ伝11‐24)
●(この幻はなお定められた時を待ち、終りをさして急いでいる。
それは偽りではない。)もしおそくなっても、それを待て。
それは必ず来る。遅れることはない。(ハバクク書2-3)
●主は御心にかなう望むところを御旨のままに喜びとなるように、
ことごとく行なわれる。天で、地で、海で、また全ての淵で(詩篇135‐6)
●真の祈りはただの祈りではない。一種の預言である。即ち必ず成就すべき事を
前もって語に表することである(内村鑑三)
●わが祈祷が聴かれないと言う時に、祈祷以上が聴かるるのである。
祈祷が聴かれないのではない。我等が祈求むるところ、
思惟うところよりもいたく過(まさ)りて聴かるるのである(内村鑑三)
●<信者の祈祷>(内村鑑三)
わが祈祷が聞かるるのではない。
神がわれをもって祈りたもう祈祷が聞かるるのである。
信者にありて祈祷は祈願(ねがい)ではない。預言である。
神が神に求めたもう祈祷であれば、必ず遂行せらるるべきものである。
信者の祈祷は必ず聞かるというはこの事である。
神がなさんと欲したもう事を、あらかじめ、
われをして彼に求めしめたもう、その事が祈祷である。
ゆえに言う、
「われらは祈るべきところを知らず、されども聖霊みずから言いがたきの嘆き
(熱心)をもて、われらのために祈る(ロマ書8-26)」と。
ですから【神の愛=主イエス】への<供え物>は<先回りの神愛>に応答するために
<アーメン!ハレルヤ!主に感謝!>GLORY JESUS KINGDOM!先取神愛感謝の
<感謝のいけにえ><最愛の我が子・我が分身>【ビジョン:理想・夢望・念志】です!
●わたしはいつくしみを喜び、犠牲を喜ばない。
燔祭よりもむしろ神を知ることを喜ぶ(ホセア書6-6)
●わたしが喜ぶのは愛であって、いけにえではなく、
神を知ることであって、焼き尽くす献げ物ではない(ホセア書6-6)
●感謝のいけにえを神にささげよ。あなたの誓いをいと高き方に果たせ
(詩篇50-14)
●感謝のいけにえをささげ、御業を語り伝え、喜び歌え(詩篇107-22)
●あなたに感謝のいけにえをささげ、主の御名を呼び求めます(詩篇116-17)
●わがたましいよ。主をほめたたえよ。
私のうちにあるすべてのものよ。こぞって聖なる御名をほめたたえよ。
わがたましいよ。主をほめたたえよ。
主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
主は、あなたのすべての病をいやし、
あなたのいのちを穴から贖い、
あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、
あなたの一生を良いもので満たされる。
あなたの若さは、鷲のように、新しくなる(詩篇103-2~5)
皆さんが【霊性:魂[勇気]・善意・良心】に抱く【ビジョン:理想・夢望・念志】に
【神愛福音道】【聖書価値観】<神愛価値観:神愛世界観・神愛歴史観・神愛人生観>の
【福音:真理の御言葉・聖書・聖句】を通じて<いつも一緒!><全智・全能・全愛>で
私たちが忘恩・背信でも最後の最後まで見守る【神の愛=主イエス&聖霊】を体感して
【ビジョン:理想・夢望・念志】を【神の愛=聖霊】と<一体化・連帯化・協働化>させ
【ミッション:大義・使命・天職】を体得されることを楽しみにしています!
●光、暖かさ、健康、力はすでにもう存在しているのですから、
スイッチを入れさえすればよいのです。
電線そのものは別に何でもありません。
絶縁された二、三本の銅線にすぎないのです。
しかし、その線の中をプラスとマイナス二つの電流が流れると、
すべてが変わってきます。
暗黒は失せ、冷気はなくなり、仕事もたやすくできるようになります。
聖書は単なる本にすぎませんが、
神の御霊によって霊感されている聖書の各ページを、
神の義と愛とが、プラス・マイナス二つの電流のように流れ、
キリストの十字架で合流しています。
聖書だけが、私たちに救い主を示してくれます。
そのことによって聖書は、
私たちの全生涯を造り変えることができる力の泉となるのです。
あなたは誘惑にあい、
疑惑と敗北と弱さに満ちたご自分の生活に倦み疲れてはいませんか。
また、不安や心配にあきあきしてはいませんか。
スイッチを入れなさい。聖書を読みなさい(エジソン)
●聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証です(エペソ書1-14)
●激しく攻められて倒れそうになった私を、主は助けてくださった。
主は我が力、我が砦、我が歌。主は私の救いとなられた。
聞け、御救いの勝利の喜ばしい歌が主に従う者の天幕に響く。
主の右の手は勇ましい働きをなし、
主の右の手は高く上がり、主の右の手は御力を示す。
私は 死ぬことなく、かえって生き長らえて、主の御業を語り伝えよう
(詩篇118-13~17)
●我に糧あり、聖書なり。我に力あり、祈祷に存在す。
我は単独にして世界を相手に戦いを得るなり(内村鑑三)
●手を目にかざすと高い山が隠れるように、
毎日の生活が、世界のいたるところにある美しい光と
秘密を隠してしまう。目の前の邪魔ものを打ち払えば、心の中の光が見える
(レナート・グリーン)
●自分の決められた道を走りとおし、
また、主イエスからいただいた、
神の恵みの福音を力強く証しするという任務を
果たすことができさえすれば、
この命すら決して惜しいとは思いません。
<最も大切なことは、自分の使命、すなわち主イエスが私にお与えになった
働きを全うすることです>(使徒行伝20-24)
●私は苦しみを受けているのですが、それを恥じていません。
というのは、私は自分が信頼している方をよく知っており、
私に委ねられているものを、
その方がかの日まで守る事がおできになると確信しているからです
(テモテ後書1-12)
●聖なる方の命令で、星は定められた場所につき、
見張りの務めを決して怠ることはない(シラ書〔集会の書〕43-10)
●皆が同時に見張りをするな。めいめいが自分のところで眠り、
順に見張りをするがよい(エズラ記〔ラテン語ギリシャ語〕11-8)
●わが主は私にこう言われた。「さあ、見張りを立てよ。見るところを報告させよ」
(イザヤ書21-6)
●エルサレムよ、あなたの城壁の上に私は見張りを置く。
昼も夜も決して黙してはならない。
主に思い起こしていただく役目の者よ、決して沈黙してはならない
(イザヤ書62-6)
● 「人の子よ、あなたの同胞に語りかけ、彼らに言いなさい。
わたしがある国に向かって剣を送るとき、その国の民は彼らの中から一人の人を
選んで見張りとする(エゼキエル書33-2)
●あなた方はこの世に妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって
造りかえられ何が神の御旨であるか、何が善であって、神に喜ばれ、
かつ全きことであるか、わきまえ知るべきである(ロマ書12‐2)
●神はかれを愛する者にかれ自身を与えたまう。
彼に世界とその富を与えたまわず、
世とその名誉を与えたまわず、
聖霊を与え給う(内村鑑三)
●あなたに委ねられている尊いものを私たちの内に宿っている
聖霊によって守りなさい(テモテ後書1‐14)
●私たちは、キリストによってこのような確信を神の前で抱いている。
もちろん独りで事を定める力や何かできるなどと思う資格が
自分にあるという事ではない。
私たちの資格は神から与えられたものである。
神は私たちに力を与えて、新しい契約に仕える者とされた。
そして、文字【十戒】ではなく霊【聖霊】に仕える資格を与えてくださった。
文字【十戒】は殺すが、霊【聖霊】は生かす(コリント後書3-4~6)
●<わが唯一の武器>(内村鑑三)
「万軍のエホバ宣べ給う、権勢によらず、能力によらず、我が霊によるなり
(セカリヤ書4-6)」と。
政権によらず、武力によらず、ただ神の霊による。
教会によらず、神学によらず、ただ神の聖霊による。
我が武器はただこれのみ。
我はこれによりて己に勝ち、世に勝ち、ついに死に勝たんと欲す。
●真理のみよく人を救うをうべし、聖霊のみよく人を神の子となすをうべし。
聖書の深き研究と聖霊の親しき交際(まじわり)とをおいて
他に人を救う道は存ぜざるなり(内村鑑三)
●聖書は全て神の霊感を受け導かれ書かれたものであり、
人に教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である(テモテ後書3-16)
●仕うる道 我は学び 力の足らぬを 身に覚えぬ
御霊の風 吹かせたまえ 御旗ははためき 火は燃え立たん
(聖歌257番)
●それから彼は、こられた上で、遠く離れているあなたがたに平和を宣べ伝え、
また近くにいる者たちにも平和を宣べ伝えられたのである。
というのは、彼によって、わたしたち両方の者が一つの御霊の中にあって、
父のみもとに近づくことができるからである。
そこであなたがたは、もはや異国人でも宿り人でもなく、
聖徒たちと同じ国籍の者であり、神の家族なのである(エペソ書2‐17~19)
●御霊もまた同じように、弱い私たちを助けてくださる。
なぜなら、私たちはどう祈ったらよいかわからないが、
御霊自ら言葉にあらわせない切なるうめきをもって、
私たちのためにとりなし祈ってくださる(ロマ書8-26)
●イエスは立ち上がって大声で言われた。
「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。
私を信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内(心の奥底)から
生きた水が川となって流れ出るようになる。」
イエスは、御自分を信じる人々が受けようとしている
御霊について言われたのである(ヨハネ伝7-37~39
●しかし、私たちクリスチャンには、顔の覆いがありません。
鏡のように、主の栄光をはっきり映すことができます。
そして、主の御霊がうちで働いてくださるにつれて、
私たちはますます主に似た者となるのです(コリント後書3-18)
●御霊の結ぶ実は愛であり、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、忠実、柔和、
節制である。これらを禁じる掟(律法)はない(ガラテヤ書5-22~23)
●主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由がある(コリント後書3‐17)
●その方、すなわち、真理の御霊が来ると、
あなた方を導いて真理をことごとく悟らせる。
その方は、自分から語るのではなく、
聞いたことを語り、また、これから起こることをあなた方に告げる
(ヨハネ伝16-13)
●神はこれを、御霊によって私たちに啓示されたのです。
御霊はすべてのことを探り、神の深みにまで及ばれるからです。
いったい、人の心のことは、その人のうちにある霊のほかに、
だれが知っているでしょう。同じように、神のみこころのことは、
神の御霊のほかにはだれも知りません
ところで、私たちは、この世の霊を受けたのではなく、神の御霊を受けました。
それは、恵みによって神から私たちに賜わったものを、私たちが知るためです。
(コリント前書2-10)
【神助道:神助精神・神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】のお任せ人生で
日々直面する患難辛苦を【神愛特訓:オーディション!リハーサル!】と受け止め
【主イエス】再臨で地上誕生する<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>の
本番舞台でエデン楽園復活事業に【ビジョン:理想・夢望・念志】で参加する為に
<アーメン!ハレルヤ!主に感謝!>GLORY JESUS KINGDOM!先取神愛感謝の
【神愛福音道】【聖書価値観】<神愛価値観:神愛世界観・神愛歴史観・神愛人生観>で
皆さん全員が新年2021年に【神の愛=主イエス&聖霊】を心に迎え入れることで
【霊性:魂[勇気]・善意・良心】を<パワー・アップ&アップ・グレード>させて
【御言葉】<最愛の我が子・我が分身>【ビジョン:理想・夢望・念志】を守り育てて
【神愛力=隣人愛&奇蹟】に光輝く<神愛宮:神愛大聖堂・神愛礼拝堂>に仕上げて
いつどこでも<毎日参拝・毎日詣・毎日礼拝>【神愛祈祷:霊的呼吸・霊的栄養源】し
【神の愛=主イエス&聖霊】と共に<闇の勢力:悪魔・悪霊・反キリスト>に打ち勝つ
<ビジョニスト:光の子・世の光・地の塩><福音の戦士>【福音の勢力】に決起して
【救国:民族精神復興&国体再建】【世界平和:神愛自由&神愛正義<隣人愛>の結実】に
チャレンジし続ける活躍を心より応援しています!
●あなたは絶えず、そしてできるだけ多く、愛の種をまかねばならない。
あなたが学校教育を終えた後は、それが、あなたの生涯の仕事である。
全ての種が芽を出すとは限らない。といって全ての種が石ばかりの
地面に落ちて無駄になるわけではない。何故なら、この世は切実に愛を求めており、
世の中自身には愛がない場合でも、常に愛を尊ぶであろうから(ヒルティ)
■<讃美歌387番>
御神のことばを かざして進まん、
さからう悪魔は 手段(てだて)を尽くし、
いかに猛(たけ)く 攻めおどすとも。
力のもとなる 主ともに在(い)ませば、
悪魔のたくみも などかはおそれじ、
勝利(かち)は常に 主の御手にあり。
先立(さきだ)ち行きたる 聖徒の群れも、
御旗のもとにて 戦いぬきぬ、
勝利をめざし 我等も進まん。
さかえに輝く 御座(みくら)をめぐり、
はえある勝ち歌 高らかに歌わん、
きよき御名に みさかえあれや。
●<われらの希望>(内村鑑三)
もし幹より根に及ぶものならんか、
われらの事業は失敗なるべし。
されども、もし根より幹に及ぶものならんか、
われらの事業にもまた多少の希望あり。
われらは根を涵養しつつあり。
細根を涵養しつつあり。
しかして
「時期(とき)いたりて春水のうるおいの臨むあれば、
木は芽を吹き枝を出ださん(ヨブ記14-7~9)」
われらは今は地下に働く者なり。
しかして繁栄を将来に期する者なり。
●あなた方の上に聖霊が臨まれるとき、あなた方は力を受ける(使徒行伝1-8)
●希望は私たちを欺くことがなく失望に終わらせない。
私たちに与えられた聖霊によって、
神の愛が私たちの心に注がれているからである(ロマ書5-5)
●常に神は内に在る、この意識がなければ、
いかなる偉大な達成も、なされないだろう(エドガーケイシー)
●魂には眼がある。その眼だけが真理を認める(プラトン)
●救いの道は右にも左にも通じていない。それは自分自身の心に通じる道である。
そこにのみ神があり、そこにのみ平和がある(ヘッセ)
●【独立の確信】
知らざりし 外に求むるいろいろの力 我が身の内にありとは(中江藤樹)
●神の無限の力に頼りて我等は我等の信ずるがごとくに全ての事を為すを得るなり。
何事も思いわずらってはならない。
ただ、事ごとに、感謝をもって、祈りと願いをささげ、
あなた方の求めるところを神に申し上げるがよい
(内村鑑三:ピリピ書4-13より)
●人間が生まれつき持っているところの良心の命令、
道理上かくせねばならぬという当為当然の道、
それはすべて実行するのである(吉田松陰)
●私はあなたを選んで、捨てなかった。
恐れるな。私はあなたとともにいる。たじろぐな。
私があなたの神だから。私はあなたを強め、あなたを助け、
私の義の右の手で、あなたを守る(イザヤ書41-9~10)
●我等もし主と共に苦しみを受けば、彼と共に栄光を受くべし(ロマ書8‐17)
●神に頼るにあらざれば何事をもなしえざる者はクリスチャンなり、
神に頼れば何事もなしうる者もまたクリスチャンなり。
世にクリスチャンの如く弱きものあるなく、
またかれのごとく強き者もまたあるなし(内村鑑三)
●信仰の道はなんとたやすいことか、ただお任せすれば足りる。
そうすれば光明が私に臨み、能力が私に加わり、汚穢は私を去り、
聖霊は私に宿る。信仰は完全に達するための近道である(内村鑑三)
●<救済の瞻望(せんぼう)>(内村鑑三)
神は必ずわが国を救い給うべし、
しかもその政府をもってにあらず、
その役人をもってにあらず、
その教師または宗教家をもってにあらず。
かれが択み給いし人をもってして、
かれが定め給いし方法によってこれを救い給うべし。
かれはかくのごとくにして他の国を救えり、
かれはまたかくのごくにしてわが国を救い給わん。
周囲の腐敗日々にはなはだしくして、
余輩は下を瞰(み)ずして上を望み、
人に頼まずして神を仰ぐ。
●<敬天愛人>(西郷隆盛)
道は天の道であり、地の道である。
人の分はそれに従うことである。
したがって、天を敬うことをもって人生の目的とすべし。
天は我をも人をも等しき愛をもって愛する。
したがっておのれ自身を愛する愛をもって、他人を愛すべし。
人ではなくして、天を友とせよ。
しかして天を友としつつ最善を尽くすべし。
決して他人を責むるなかれ。
ただ、自分が及ばぬ身である事を顧みるべし。
●<私の力>(内村鑑三)
私の力は私の健康より来ない。私の意志の力より来ない。
私の生まれつきの、また私が遺伝によって譲り受けし性格より来ない。
私が神の生けるひとり子を信ずるより来たる。
彼は私の内に働きて、私の弱きにかかわらず私を強くしたもう。
かくて兄弟パウロの場合におけるがごとくに、
「私の力は私の弱き時に完成(まっとう)せらる(コリント後書12‐9)」
私は弱きにありて彼を仰ぎ見る。その時、私に力が加えらる。
それは肉の力でなく、また地の力でない。
そしてこの力をもって私は働く。
いかにも私は自分を離れて働くようであるが、
しかし私は充分の自覚をもって、自分として働くのである。
ふしぎである。しかし事実である。
神は御自身を私の内に没したもう。
否、むしろ彼は私と成りて、私を通して働きたもう。
まことに彼にありては最大の謙遜であり、私にありては最大の光栄である。
これが信仰のアルケミー(錬金術)である。
すなわち、銅を化して金と成すの術を人生の実際に適用したるものである。
★★★2021年が飛躍の<善き年>になるよう祈念いたします!★★★
ハレルヤ!栄光を主に帰します。
主の恵みに感謝します!アーメン
それでは今日も明日も素晴らしい人生をお過ごし下さい。
May grace and peace be with your spirit.
Good luck & God bless you!
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田中 聡(さとし)