第884回
【2025年6月5日に作成した<第789回>に加筆】
◇◇【ビジョン】で<神愛真理認知脳>に導く【神の愛=主イエス】!◇◇
【神の愛=主イエス】に大事にされ大切なる皆様こんにちは!ご愛読感謝します!
世界各国で愛読されている皆様、お元気ですか?ご活躍を心より応援しています!
精神苦・病苦・経済苦・社会苦など大小様々な<患難辛苦>に直面し立ち向かう
<対戦・応戦・抗戦>意欲に導く<最高!最善!最美!>の<無限の源泉>が
【神愛福音道】【聖書価値観】<神愛価値観:神愛世界観・神愛歴史観・神愛人生観>の
【神の愛=主イエス&聖霊】が与えてくれる【神愛力=隣人愛&神愛奇蹟】です!
<御国の福音>を受け入れて<現代版ノアの方舟:携挙>がいつ来ても大満足人生の為に
<最愛の我が子・我が分身>【ビジョン:理想・夢望・念志】を<人生の旗印>に掲げて
<不屈の楽観・楽天能力>【パッション:患難善転力・感受感化力・霊性活気力】で
【<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>創世道】の<生き様・死に様>である
【神愛責務】<事を為せ!Do Business!>【ミッション:大義・使命・天職】に生きて
【主イエス】再臨で地上誕生する<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>にて
栄化復活の心体で四苦八苦から解放され千年間のエデンの園復活事業で活躍しましょう!
現代のデジタル情報化社会は便利で、今では懐かしい昭和のアナログ時代に戻ることは
私も誰でも望まないと思いますがスマホ依存症で情報過多ストレスのうつ病イライラなど
精神疾患や脳酷使で若年層の「デジタル認知症」が社会問題になっているようです。
まさに日々新たな世界規模の膨大な情報処理で認知脳を過剰労働させ霊的認知から遠ざけ
私たちの認知脳を反<真理>・反【福音:聖書観・真理の御言葉】的仮想領域に誘導する
<闇の勢力:悪魔・反キリスト・悪霊>世界支配勢力の認知奴隷化洗脳工作と感じます。
この場で何度か紹介した「ビッグ・ロックの法則」のたとえ話を思い出します。
先生が教室で学生の前で空の壺に「ビッグ・ロック(大きな石)」を詰め込みます。
そして、先生は学生に尋ねます。
先生:「このツボは一杯か?」、生徒は口をそろえ「一杯です!」と答えます。
すると先生はバケツ一杯の砂利を持ち出して、そのツボの中に入れてみせました。
先生:「このツボは、もう一杯か?」 生徒は皆黙ってしまいます。
先生は答えます。「そうだ。まだ一杯ではない。」
今度は、バケツ一杯の砂を持ち出して、ツボの中に入れてしまいます。
先生:「このツボは、もう一杯か?」生徒は口をそろえて「いいえ!」と答えます。
先生は答えます「そうだ、まだ一杯ではない」
最後に、水さし一杯の水を取り出して、壺の入口に溢れる程、入れてみせます。
先生:「これはどういう意味か?」
ある生徒が答えます。
「それは、『どんなにスケジュールが詰まっていても、詰め込めば何とかなる』
ということだと思います。」
「違う!」と先生は答えます。
先生:「最初に一番大切なものから入れていかないで
先に日常の些細なことを優先したら
もう二度と入れることはできない。
先ずは大事なこと<ビッグ・ロック>から始めなさいということだ!」
私たち人生にとって頭に詰め込む「ビッグ・ロック:最も大事な事」とは何でしょうか?
私には<真理>の【神の愛=主イエス】【神愛摂理】【聖書観・真理の御言葉】です!
●真理(主イエス)はあなた方を自由にさせる(ヨハネ伝8‐32)
●主は霊である、主の霊のあるところに自由がある(コリント後書3‐17)
●いかなる世界の歴史におけるよりも、聖書の中には、より確かな真理が存在する。
(ニュートン)
●人はみな、神の真理とは何かについて判断できるようになるためにこそ、
各人のもてる力を鍛えかつ教育されなければならないのである(ナイチンゲール)
●日本に欠乏しているものは何か。それは富ではない。知識ではない。
才知ある計略でもない。愛国心でもない。道徳でもないだろう。
日本に欠けているのは「生きた確信」である。真理そのものを愛する「情熱」である。
この確信、この情熱からくる無限の歓喜と満足である(内村鑑三)
●人は一人もこれを信ぜざるも、我が福音は真理なり。
人はことごとくこれを棄却するも、我が福音は真理なり。
人はこぞってそのために我を排斥するも、我が福音は真理なり。
我が福音は人の福音にあらず、神の福音なり。
ゆえに我れは神に拠(ヨ)り、独り終わりまでこれを保持せんと欲す(内村鑑三)
●御言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます(詩篇119-130)
●願わくは、あなたの僕への御言葉を思い出し給え。
あなたは私がその御言葉を待ち望むようになさいました。
これこそ悩みのときの私の慰め、まことに御言葉は私を生かします。
(詩篇119-49~50)
■<最後の勝利>(内村鑑三)
戦いに勝って勝つのではない、
真理に従って勝つのである。
戦いに負けて負けるのではない、
真理に反(そむ)いて負けるのである。
真理を究むるは剣を磨くよりも大切である。
真理は永久に勝つための武器であって、
剣はわずかに一時の利を制するための機械にすぎない。
われらは最後に王たらんがために、
剣をもってよりは、
むしろペンをもって戦わんと欲す。
●あなたの顔を光に向けていなさい。
そうすれば影は見えません。
いつも真理に目を向けていなさい。
そうすれば、あなたの心から不安、心配は消えるでしょう(ヘレン・ケラー)
●聖書はすべて真理によって作られた、その精神でもって読まれるべきである。
(トマス・ア・ケンピス)
●主よ、進むべき、あなたの道を私に知らせ、
あなたに従う歩むべき小道を教えてください。
あなたの真理のうちに、私を導き、私を教えてください。
あなたこそ、私の救いの神、一日中絶えることなく、あなたを待ち望みます。
(詩篇25-4~5)
●私たちは真理にさからっては何をする力もなく、真理に従えば力がある。
(コリント後書13-8)
【福音:聖書観・真理の御言葉】で認知できる【神の愛=主イエス】は<絶対的真理>で
<全知・全能・全愛>【聖義・聖徳・聖善】で<万事・万物>の<創造主>にも係わらず
私がどんなに<不義・不正・不実>でも私の【霊性:魂[勇気]・善意・良心】が喜ぶ
【神愛力=隣人愛】で輝く【ビジョン:理想・夢望・念志】と天然世界の森羅万象と共に
【神の愛=聖霊・真理の御霊】として<いつも一緒!>です!
●インヌマエル:神われらと共にいます。
(マタイ伝1‐23、イザヤ7‐14、8‐8)
●見よ、私は世の終わりまで、いつもあなた方と共にいる。
Always,with you (マタイ伝28‐20)
●私は必ずあなたと共にいる(出エジプト記3−12)
●万軍の主は我等と共におられる(詩篇46−7)
●もしもあなたがあらゆるものにイエスを求めるならば、
必ず(そこに)イエスを見出し得よう(トマス・ア・ケンピス)
●真理を証するもの三つあり、すなわち天然と人と聖書(内村鑑三)
●神は愛なり、宇宙は愛の機関なり(内村鑑三)
●愛は神の霊としてこの世界に満ち満ちている(ヒルティ)
●世界が造られた天地創造の時から、目に見えない神の性質、即ち神の永遠の力と
神性とは、被造物に現われており、これを通して神を知ることができる
(ロマ書1-20)
●万物は、神より出で、神によって成り、神に帰する
<別訳>すべては、神から、神によって、神のために存在する
<別訳>すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっている
栄光がとこしえに神にあるように。アーメン(ロマ書11-36)
<いつも一緒!>【神の愛=主イエス&聖霊】は私たち各自を<最高!最善!最美!>に
愛してくれて此の世は【神愛特訓】【試練&召命:オーディション&リハーサル】会場で
【ビジョン:理想・夢望・念志】に【ミッション:大義・使命・天職】を発見体得させ
【主イエス】再臨で地上誕生する<御国:千年王国・メシア的王国>を本番会場にして
【ビジョン:理想・夢望・念志】【ミッション:大義・使命・天職】を具現化するために
死んでも<永遠の命>に栄化復活させ四苦八苦ない千年間で戦争・貧困飢餓のない平和な
肉食根絶で動植物共生の<エデンの園復活大事業>に参画活躍できる<神愛特権>に導く
<神愛道:神の国・神の義>の<真理>【神愛方程式=神愛摂理】です!
●私は道であり、真理であり、命である。
誰でも私によらないでは父のみもとに 行くことはできない(ヨハネ伝14-6)
●私に目にはあなたは高価で尊い。私はあなたを愛している。
「Very Important Person in God' Eye」
(イザヤ書43‐4:V.I.P.の語源)
●神はあなた方をかえりみて下さるのであるから、
自分の思い煩いをいっさい神にゆだねるがよい(ペテロ前書5‐7)
●一体に計画を立てるということは、何の役にも立たないことが多いものだ。
待つこと、そして神の授けたまう機会に注意を怠らず与えられたその機会を
素早く、すすんで十分の心構えをもってつかむこと、
これが成功をおさめる道である(ヒルティ)
●私はあなた方のために立てている計画を知っているからだ。
ー主の御告げーそれは災いではなくて、平安を与える計画であり
あなた方に将来と希望を与えるためのものである (エレミヤ書29‐11)
<全知・全能・全愛>【聖義・聖徳・聖善】<いつも一緒!>の【神の愛=主イエス】が
いるのに、この世は【神の愛=隣人愛】欠乏で戦争・貧困飢餓‣<不義・不正・不実>が
絶えないのは、【神の愛=主イエス】<真理>【神愛方程式=神愛摂理】を知らされずに
以前の私を含め<仮想現実:砂利・砂・水>認知脳の<罪人:的外れ人生・忘恩背信>が
多数派で<闇の勢力:悪魔・反キリスト・悪霊>に【霊性:魂[勇気]・善意・良心】を
<邪魔症候群:邪意・邪心・邪気><邪魔勢力:つまずきの石・妨げの岩・仕掛け罠>に
洗脳されているからだと実感します。
●<神の子たる特徴>(内村鑑三)
キリスト教の神は是(yes)である、否(nay)ではない(コリント後書一章十九節)。
かれは建つる者であって壊す者ではない。
奨励するものであって非難するものではない。
悪魔を称して「大いなる否定者」とsatokennいうは、
彼が神と正反対の者であるからである。
すべて否定する者は悪魔である。
冷笑する者、嘲罵する者、人の堕落を聞いて喜ぶ者は
すべて悪魔の霊によって働く者である。
われら創造しうる者となるまでは、いまだ自ら神の子なりと称することはできない。
●悪魔は最初から入殺しであって、真理をよりどころとしていない (ヨハネ伝8-44)
しかし、私たちには<ビッグ・ロック:【福音:聖書観・真理の御言葉】>があります!
<全知・全能・全愛>【聖義・聖徳・聖善】<いつも一緒!>の【神の愛=主イエス】を
認知するなら<邪意・邪心・邪気>から【霊性:魂[勇気]・善意・良心】が解放され
【神の愛=隣人愛】に輝く【ビジョン:理想・夢望・念志】を<人生の旗印>に掲げる
<ビジョニスト:光の子・世の光・地の塩><福音の戦士>【福音の勢力】になれるまで
【神愛特訓】【試練&召命:オーディション&リハーサル】してくれます!
●肉親の父は、しばらくの間、自分の考えに従って訓練を与えるが
魂の父は、私たちの益のために、そのきよさに預からせるために
そうされるのである (ヘブル書12‐10)
●全ての訓練は、当座は喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと
思われる。しかし、後になれば、それによって鍛えられる者に平安な義の
実を結ばせるようになる(ヘブル書12‐11)
●「我が子よ、主の鍛錬を軽んじてはいけない。
主から責められ懲らしめられても、
弱り果て力を落としてはいけない。
なぜなら、主は愛する者を鍛え、
子として受け入れる者を皆、
鞭打たれるからである。」
あなた方は、これを鍛錬(訓練)として忍耐しなさい。
神は、あなた方を子として取り扱っておられるのである(ヘブル書12-5~7)
●我が子よ、
主の訓練を軽んじてはならない
主の叱責をいとうな
父がかわいがる子をしかるように
主は愛する者を戒める(箴言3‐11~12、ヘブル書12‐5~6)
●あなた方は訓練として耐え忍びなさい。
神はあなた方を、子として扱っておられるのである。
いったい父に訓練されない子があろうか(ヘブル書12‐7)
●神への信頼を失わずに、その試練を切り抜けるならば、
他のいかなる道でも達せられないほど、神に近づく事ができる (ヒルティ)
●夜は更け、日は近づいた。だから闇の行いを脱ぎ捨てて光の武具を身に着けましょう。
(ロマ書13-12)
●悪魔の策略に対抗して立つことができるように、神の武具を身に着けなさい。
(エペソ書6-11)
●だから、邪悪な日によく抵抗し、すべてを成し遂げて、
しっかりと立つことができるように、神の武具を身に着けなさい(エペソ書6-13)
●この世は不完全きわまる世なりという。
しかり、身の快楽を得んがためには実に不完全きわまる世なり。
しかれども、神を知らんがためには、
しかして愛を完(マットウ)うせんがためには、
余輩はこれより完全なる世につきて思考することはできない (内村鑑三)
●忍耐を練らんとして、寛容を増さんとして、
愛をその極致において味わわんとして、
この世は最も完全なる鍛錬場なり。
(内村鑑三)
●高尚なる勇ましい生涯とはなんであるかというと、
この世の中はけっして悪魔が支配する世の中にあらずして、
神が支配する世の中であるということを信ずることである。
失望の世の中にあらずして、
希望の世の中であることを信ずることである。
この世の中は悲嘆の世の中でなくして、
歓喜の世の中であるという考えをわれわれの生涯に実行して、
その生涯を世の中への贈物としてこの世を去るということであります(内村鑑三)
日々の報道では悲惨・不条理な神も仏もいないような事件・事故が多発しているようでも
【神愛福音道】【聖書価値観】<神愛価値観:神愛世界観・神愛歴史観・神愛人生観>の
<神愛真理認知脳>で観察するなら【神の愛=隣人愛】の本源なる【主イエス】ならば
無意味・無慈悲な出来事は存在しないと確信できるので私たちが今すぐできる事とは
被害加害関係者や【隣人・社会】に向け【福音:聖書観・真理の御言葉】宣教活動です!
一人でも多くの人を<反真理認知>洗脳から<神愛真理認知脳>へと回帰させましょう!
●事実、この世は自分の知恵で神を知ることができませんでした。
それは神の知恵にかなっています。それゆえ、神はみこころによって、
宣教という愚かな手段を通して、信じる者を救おうと定められたのです。
(コリント前書1-21)
●御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。
とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです。
(テモテ後書4-2)
●あなたは熟練した者、適格者と認められて神の前に立つ者、
すなわち、真理の御言葉をまっすぐに説き明かす、
恥じることのない働き人として、
自分を神にささげるよう、
努め励みなさい(テモテ後書2-15)
●愛は神より出づ(ヨハネ第一書4‐7)●神は愛なり(ヨハネ第一書4‐8)
●You are good and do good!
あなたは善なる方、いつくしみ深くあられ、
すべてを善とする方で慈しみを施されます(詩篇119-68)
●神は善なり(マタイ伝19-16)
●神はその独り子を賜うほどに、この世を愛して下さった。
それは御子を信じる者が一人も滅びないで永遠の命を得るためである。
(ヨハネ伝3-16)
●神が私たちを救い、聖なる招きによって呼び出してくださったのは、
私たちの行いによるのではなく、御自身の計画と恵みによるのです。
この恵みは、永遠の昔にキリスト・イエスにおいて私たちのために与えられ、
今や、私たちの救い主キリスト・イエスの出現によって明らかにされたものです。
キリストは死を滅ぼし、福音を通して不滅の命を現して下さいました
(テモテ後書1-9~10)
●子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、
これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、
悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて
奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。
(ヘブル書2-14~15)
●我(主)が為すことを汝今は知らず、後に悟るべし(ヨハネ伝13-7)
●私(神)の思いは、あなた方の思いと異なり
私の道は、あなた方の道と異なる
主の御告げ
天が地よりも高いように
私の道は、あなた方の道よりも高い
私の思いは、あなた方の思いよりも高い(イザヤ書55-8~9)
最後に<反真理認知脳>洗脳から<神愛真理認知脳>に回帰できた実話を紹介します。
以前にも紹介した二人部屋の病室で起こった実話について異次元の2つの記事内容です。
一つは日本の大学入試の英語問題で出題された記事です。以下は要約の和訳です。
<大学入試に出た内容>
ある二人だけが入院する小さな病室での話。窓が片方の壁にひとつしかない。
二人の会話以外には何の音もしないような静かな部屋で、窓側に寝る男は、
肺に水がたまる病気で一日に2度くらい看護婦の助けで水抜きをする以外は
寝たままでいる。
もう一人の男は仰向けのままベッドから起き上がることもできない寝たきり。
そんな重症の二人の唯一の楽しみは、窓側の男が窓の外の景色について
季節を感じさせる自然の移り変わりや街を歩く人々の日常をおもしろおかしく
話してくれることだけだった。
ある日のこと、外の華やかで美しいパレードの話を聞かされた時に、
窓から離れている男の心にねたみと憎悪が沸いてきた。
「何故、彼だけが窓側で楽しい思いをしているんだ?
私だってたまには窓の方に寝かせてくれてもいいものなのに、
彼は楽しみを一人占めしているんじゃないか。」
その夜のこと、窓側の男がいつも以上に苦しそうに、せき込みはじめた。
すぐに看護婦が来てあげないと危険なのだが、彼は呼び鈴に手が届かないのか、
もがいているようだ。やがて、彼の動きが静かになった。
窓から離れている男は、じっと黙ったままでいた。
翌日、看護婦が訪れた時には、窓側の男はもう既に亡くなっていた。
窓側のベッドが空いたので、窓から離れていた男は、さっそく看護婦に頼んで、
窓側のベッドに移してもらった。楽しみにわくわくしながら、彼は体をねじって
窓の外をのぞいて見た。何とそこには壁しかなかった…。
一方で日系アメリカ人のオザワ牧師の愛に満ちた実話を集めた本の名前でもあり、
ある預言者によって【天職・使命】を言い当てられた時にオザワ牧師に
与えられた命名が「カバの郵便配達人」で、その実話集の中の記事内容です。
<「カバの郵便配達人」に示されている話>
小さな病室に二人の重病人がいて、二人の会話以外には何もない静かな空間。
いつも窓側の男は窓から離れている男に向かって、窓の外の景色について、
楽しいことや美しいことを毎日聞かせてくれた。
そのことだけが、二人にとっては、唯一の楽しみであり、特に窓から離れている
男には生きる希望であり支えであった。窓際の男はかなり重症のようであって
いつ死んでもおかしくないような状態であった。
そんな状態でも彼は毎日外の風景をいつも楽しそうに話してくれ、特に華やかな
パレードの話は何日も楽しい思い出となりました。
しかし、ある朝、看護婦が訪れた時には、窓側の男は既に亡くなっていた。
彼が死んでしまって毎日の楽しみがなくなり絶望したが、あれだけ聞かされていた
窓の外の美しさを見てやろうとする気持ちだけが、生きる希望となり支えとして、
彼は日々体調が善くなっていく。
そして遂に、窓側のベッドに移された。いつも楽しみにしていた
あの窓の外をいよいよ観られる瞬間だ。しかし、そこには巨大な壁だけがあった…。
どんなひどい状況にあっても、愛がある人なら、人に幸せを届ける事ができるのです。
★★★
悲惨で不条理に思える内容で終わっている入試問題ですが闇深き事実に思えることでも
実は【神の愛=主イエス】の<真理>【神愛方程式=神愛摂理】が働いていることが
「カバの郵便配達人」に紹介された後日談とも思われる記事内容で実感できます。
●二人の囚人が鉄格子の窓から外を眺めた。
ひとりは泥を見た。 ひとりは星を見た(フレデリック・ラングブリッジ)
一番目の「悲惨な事実」と二番目の【神愛福音】との間に病室の生存者に起こった事は
私自身にも起こった【罪責感:自己不信・自己否定・自己嫌悪】からの解放と感じます。
生存できた彼は、自分の為に退院に向けて夢・希望を語り続けてくれた隣人を誤解して
取り返しのつかない程の仕打ちをして、どれだけ後悔し自分のことを恥じたでしょう。
そして、【神の愛=主イエス】に出遭い霊的救済されて生まれ変わったと確信できます。
何故なら、生存できた本人が自己の闇を公に語ってくれなければ、この【神愛福音】は
私や今日の皆さんにも届けられることも知られることもなかったからです。ハレルヤ!
私は病室の生存者以上の<7つの大罪:傲慢・嫉妬・憤怒・怠惰・強欲・暴食・色欲>の
<不義・不正・不実>不純・不潔だらけですが、極悪の奈落の底体験者だからこそ
此の世的価値観や世間的に闇深き不条理・悲惨・不義不正の事実に思われることでも
背後に働く【神の愛=主イエス】の<真理>【神愛方程式=神愛摂理】を見い出せる
【タレント:個性・才能・可能性】【ミッション:大義・使命・天職】が託されていると
体感できます!
●この人が多くの罪を赦されたことは、私に示した愛の大きさで分かる。
赦されることの少ない者は、愛することも少ない(ルカ伝7-47)
●我は逃れんと欲して、我が神の恩恵の手より逃れることはできない。
神は奈落の底にまで、神の手を拡げて我を支え我を救い給う。
(内村鑑三:詩篇139‐7~8)
●私はあなた(主)の御霊から離れてどこへ行けましょう。
私はあなたの御霊を離れてどこへ逃れましょう
たとい、私が天に昇っても、そこにあなたはおられ
私が黄泉(ヨミ)に床を設けても、そこにあなたはおられます(詩篇139‐7~8)
【神愛福音道】【聖書価値観】<神愛価値観:神愛世界観・神愛歴史観・神愛人生観>の
【神助道:神助精神・神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】のお任せ人生で
日々直面する患難辛苦を【神愛特訓:オーディション!リハーサル!】と受け止め
【主イエス】再臨で地上誕生される<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>の
本番舞台でエデンの楽園復活事業に【ビジョン:理想・夢望・念志】で参加する為に
<アーメン!ハレルヤ!主に感謝!>GLORY JESUS KINGDOM!先取神愛感謝で
【<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>創世道】の<生き様・死に様>で
いよいよ迫り来る【主イエス】空中再臨の<現代版ノアの方舟:携挙>を待望しながら
AI機能利活用が強化され言論統制も徐々に進められて<反真理認知>洗脳加速に対抗し
【善いものは善い!】<Universal Absorbing Power:どこに至るも真理を吸収する力>で
【神の愛=隣人愛】に輝く【ビジョン:理想・夢望・念志】を<人生の旗印>に掲げる
【福音:聖書観・真理の御言葉】<神愛真理認知脳><神愛弟子精神>を体得して
<ビジョニスト:光の子・世の光・地の塩><福音の戦士>【福音の勢力】に決起し
【救国:民族精神復興&国体再建】【世界平和:神愛自由&神愛正義<隣人愛>結実】に
皆さんが世界を舞台にチャレンジし続ける大活躍を心より応援しています!
●【どこに至るも真理を吸収する力:Universal Absorbing Power】
(内村鑑三)
★全て真実な事、全て敬い尊ぶべき事、全て正しき(公義な)事
⇔【宗教的真理】<真>
★全て純真で清く潔い事、全て愛すべき事、全て誉れある事
⇔【道徳的善行】<善>
★全て愛すべき(人の心を引き付ける)事、また徳といわれるもの、
称賛に値する(耳に善き響きある)もの
⇔【審美的美事】<美>
それらのものを心にとめなさい(聞き捨てにおかず思想の材料とせよ)
(ピリピ書4-8)
●全て真実なこと、全て尊ぶべき気高いこと、全て正しきこと
全て純粋な清くいさぎよいこと、全て愛すべきこと、
全て誉れあること、全て徳といわれるもの、称賛に値するものあれば
それらのものを心にとめなさい(ピリピ書4‐8)
●律法はモーゼによりて与えられ、恩恵と真理とはイエス・キリストを通して来た。
(ヨハネ伝1-17)
●神のなされることは皆その時にかなって美しい(伝道の書3‐11)
●まちがいなく最も手近な義務だと認められることを常に行ない、
それから先のことは静かに待っていること。
そのような人に宿っている真理な霊は必要に応じて
何でもその人に思い起こさせてくれる。
だから、その人は前もっていろいろのことを
熟考したり、心にとめておくことはいらない(ヒルティ)
●主は待っていて、あなた方に恩恵を施される(イザヤ書30‐18)
●神の恩寵によって高められる時には、いつもまちがいなく、
人間による屈辱か侮辱がそれに先立つ。このことは、全く確かな前兆である。
われわれは自分の持っている価値が、人間の善意か悪意かによって
与えられるものではなくて、神の摂理によって授けられるものだということを、
はっきり悟り、これに従って行動すべきである。
だから、そのように神によって高められることは、
われわれを謙遜にするが、傲慢にはしない。
また、そのような侮辱はかえってわれわれの心を堅固にし、確信を強めるものである。
世の常の成りゆきとは正反対である(ヒルティ)
●試練と祝福は密接に関連している(ヒルティ)
●患難のための恩恵にあらず、恩恵のための患難なり。
患難は手段にして恩恵は目的なり(内村鑑三)
●真理は大木のごときもので、それを養えば養うほど、多くの実を結ぶ(ガンジー)
●まず第一に勧めます。
願いと祈りと執り成しと感謝とを全ての人々のためにささげなさい。
王たちやすべての高官のためにもささげなさい。
私たちが常に信心と品位を保ち、平穏で落ち着いた生活を送るためです。
これは、私たちの救い主である神の御前に良いことであり、喜ばれることです。
神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。
(テモテ前書2-1~4)
●イエスは言われた、
『心を尽くし、精神を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして
主なるあなたの神を愛せよ(申命記6-5)』
これが一番大切な、第一の戒めである。第二もこれと同様である。
『自分を愛するように、あなたの隣人を愛せよ(レビ記19-18)』
これらの二つの戒めに、律法全体と預言者とが、
かかっているこの二つの戒めに優る掟はない
(マタイ伝22‐37~40、マルコ伝12‐29‐31、ルカ伝10‐26~28)
●草は枯れ、花はしぼむが、私たちの神の言葉はとこしえに立つ(イザヤ書40-8)
●天地は滅びるが、私(主)の言葉は決して滅びない(マルコ伝13-31)
●祈りと思索とは決して対立するものではない。
この2つともが真理を完全に把握するのに必要なものである。
思索は自ら真理を探求するために、そして祈りは神の啓示にあずかるために(ヒルティ)
●御言葉はあなたの近くにあり、あなたの口、あなたの心にある(ロマ書10‐8)
●全体が神様の霊感によって書かれた聖書は、何が真理であり、
何が悪であるかをよく教えてくれます。
また、私たちの生活をまっすぐにし、
正しいことを行なう力を与えてくれます(テモテ後書3-16)
●言葉(道)は肉体となり、私たちの間に宿った。私たちはその栄光を見た。
それは父の独り子としての栄光であって、恵みと真理に満ちていた(ヨハネ伝1-14)
●あなた方が心の霊において心の底から新たにされて、真理に基づく義と聖をもって
神にかたどって造り出された新しき人を着るべきである(エペソ書4-23~24)
●<文明の解>(内村鑑三)
文明は蒸気にあらず、電気にあらず、憲法にあらず、
科学にあらず、哲学にあらず、文学にあらず、
演劇にあらず、美術にあらず、人の心の状態なり。
人を尊むか、真理を愛するか、主義に忠なるか、
正義に勇なるか、責任を重んずるか、義務に服するか
文明の秩序はこれらの諸問題によって決定せらる。
●兄弟たちよ。あなた方が召された時のことを思い起こし考えてみるがよい。
人間的には、知恵のある者が多くはなく、能力や権力のある者も多くはなく、
家柄のよい者、身分の高い者も多くはいない。
それだのに、神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、
力ある者に恥をかかせるため、世の無力な者を選ばれた。
神は、知者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、
強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選び、
有力な者を無力な者にするために、この世で取るに足りない者や見下されている者、
身分の低い者や軽んじられている者、すなわち、有るものをない者のようにするため、
無に等しい者をあえて選ばれたのである。
それは、どんな人間でも、誰一人、神の御前に誇ることがないためである。
神によってあなた方はキリスト・イエスに結ばれ、このキリストは神に立てられて、
私たちの知恵となり、義と聖と贖いとなられたのである。
あなた方がキリスト・イエスにあるのは、神によるのである。
キリストは、私たちの知恵となり、義と聖とあがないとになられたのである。
まさしく、「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりである。
(コリント前書1-26~31)
●その方、すなわち、真理の御霊が来ると、
あなた方を導いて真理をことごとく悟らせる。
その方は、自分から語るのではなく、
聞いたことを語り、また、これから起こることをあなた方に告げる。
(ヨハネ伝16-13)
●私(主)は真理について証しをするために生まれ、
また、そのためにこの世に来たのである。
誰でも真理につく者は、私の声に耳を傾ける(ヨハネ伝18-37)
ハレルヤ!栄光を主に帰します。
主の恵みに感謝します!アーメン
■【福音の三要素(信条)=救霊<【御霊】内住>の証し】
●キリストは、私たちの罪のために死なれた<十字架>
●死んで墓に葬られた<埋葬>
●三日目によみがえられ今も生きておられる<復活>(コリント前書15ー3〜5)
それでは今日も明日も素晴らしい人生をお過ごし下さい。
May grace and peace be with your spirit.
Good luck & God bless you!
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田中 聡(さとし)