◇◇【知識の霊=聖霊】によって【ビジョン】を抱け!(その1)◇◇
【2004年6月20日に作成した<第335回>より】
【知識の霊】(内村鑑三)
聖霊、一名これを知恵聡明の霊、才能の霊、知識の霊と称す。
あなたは聖霊によりて、あなたの罪悪を認め、心を潔め、救いを全うするに
留まらず、あなたは、またこれによりて万事を究ね知り、また神の深事を究め知るなり
【主イエス】は私たち全員を救霊し導くために昇天して、再臨までの【穴埋め】に
【神の愛】そのものである【聖霊】として【主イエス】と全く同質でも別の存在で
私たちと【いつも一緒】にいて下さる最善最強で絶対信頼の【助け主】であります。
●私(主)が去って行くことは、あなた方の益になるのだ。私が去って行かなければ
あなた方のところに助け主は来ないであろう。もし、(私が)行けば、それ(助け主)を
あなた方につかわそう(ヨハネ伝16‐7)
●イエスは神の右に上げられ、父から約束の聖霊を受けて、それを私たちに
注がれたのである。このことはあなた方が見聞きしている通りである(使徒行伝2‐33)
【主イエス】昇天し穴埋めに【ダイナミック・パワー】を発揮してくれる【助け主】は
【聖霊(の神)】であり、当時ギリシャ語で【アロス・パラクレイトス】と現されました。
★アロス =(主イエスと)別で全く同質な
★パラ =かたわらにいる
★クレイトス=助言者、慰め主、支援者、激励者、とりなし、弁護者
【主イエス】と同等である【助け主】なる【聖霊】はいつも一緒の【ユビキタス】です。
そして、私たちが一旦心に受けいれるならば、私たちの内に宿り【魂:善意・良心】と
なって【神の愛⇔隣人愛】を発揮させて光り輝いてくれます。
●あなた方は神の宮であって、神の御霊が自分の内に宿っている(コリント前書3‐16)
●自分の身体は、神から受けて自分の内に宿っている聖霊の宮であって、あなた方は
もはや自分自身のものではない(コリント前書6‐19)
【神の愛】といつも一緒で【一心同体】の【ふたりぼっち】の人生が始まるのです!
●私は父にお願いしよう。そうすれば、父は別の助け主を送って、いつまでもあなた方と
共におらせて下さるであろう(ヨハネ伝14‐16)
●それは真理の御霊である。この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、
それを受けることができない。あなた方はそれを知っている。何故なら、それは
あなた方と共におり、また、あなた方の内にいるからである(ヨハネ伝14‐17)
【聖霊】は【知識の霊】として、私たち各自の【タレント:個性・才能・可能性】を
自覚させ最善発揮させる【自主独立】の知恵と実行力をも与えてくれる【恵み】です。
●我等は神に造られたる者にして、神のあらかじめ備え給いし善き業に
歩むべくキリスト・イエスの中に造られたるなり(エペソ書2‐10)
●私たちはこの宝を土の器の中に持っている。その測り知れない力は
神のものであって、私たちから出たものでないことが、あらわれる
ためである(コリント後書4‐7)
●人間の力の秘密は、神の道具であるという性質にある。何故なら、
全ての永続的な真実の力は神のものであって、人間のものではない
からである(ヒルティ)
●神がひとたび人間の意志を所有されるならば、神はその人の中で
みずから全てのことを行ない、彼を完全へと導き給う
(聖女カタリナ)
【神の器・神の道具】として活躍するには、【知識の霊】を受入れ、いつも感謝して
【神の愛実現】と【自己実現】のために、【神の愛】から、さらなる知恵と実行力を
得ようではありませんか!
●神のすでに下し給いにし恩恵につきて感謝せよ、
さらば神はさらに新たなる恩恵を下し給わん。
旧恩につきて感謝せずして新恩にあずかる難し(内村鑑三)
●「神は、神を愛する者たちと共に働いて、万事を益とするようにして下さる。
(ロマ書8-28)」これこそ、正当なしかも長持ちする楽観主義である。
このようなことを我々は生涯においてそれが単なる「偶然」とのみは思われないほど、
たびたび経験するものである(ヒルティ)
●嘆くのはやめて旅をし続けるがよい。すでに与えられたものをしっかり守れ
この午後をなお歩み続けるならば、夕べには平和がさし招くであろう(ヒルティ)
そして、私自身では【真・善・美】を思いつくことも創り出すことも不可能であり、
全ては【神の愛】の【聖霊】から与えられていると確信できるようになります!
★すべて真実なこと、すべて敬う(尊ぶ)べきこと ⇔【宗教的真理】
★すべて正しき(公義)なこと、すべて純真(清潔)なこと ⇔【道徳的善行】
★すべて愛すべき(人の心を引き付ける)こと、
すべて称賛すべき(耳に善き響きある)こと ⇔【審美的美事】
「神を恐れる」とは忘恩・傲慢・高慢を常に自己を戒め謙虚の態度を保つ消極的な
意味合いだけでなく、もっと積極的で挑戦的な意味合いも含まれていると感じます。
こんな私にでも大いなる【ビジョン:理想・夢・志】も【真・善・美】も抱ける!
人間から出たものでなく【神の愛】から与えられているからこそ、一切のことに
絶望も不可能もない!奇蹟が起こるのです。ハレルヤ!栄光を主に帰します!
●エッサイの株から一つの芽が出、その根から一つの若枝が生えて実を結ぶ
その上に主の霊がとどまる。これは知恵と悟りの霊、深慮と才能の霊、
主を知る知識と主を恐れる霊である(イザヤ書11‐1~2)
●「目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、人の心に思い浮かびもしなかったことを
神は御自身を愛する者たちの為に備えられた(イザヤ書64‐4)」
そして、それを神は御霊によって私たちに啓示して下さったのである。
御霊は全てのものを、神の深みさえも究める(コリント前書2‐10)
●神を恐れることは知識の始めである(箴言1‐7)
先日の奥山牧師TV伝道(スカイパーフェクTV・216ch毎週金19:00~19:30)で
驚くべき事実を知り【聖霊=知識の霊】からの【霊感・インスピレーション】によって
私の【将来ビジョン】に感動的な希望を抱ける【新たな平和構想】が与えられました!
有名な旧約聖書の「天地創造」によれば、混沌の【闇】から【光】を産み出した翌日の
「第2日目」の神の創造の記録で奥山牧師は驚くべき【気づき】を与えてくれたのです。
●「大空よ、水の間にあれ。水と水の間に区別があるように」と神は言われた。
こうして神は大空を造って、大空の下にある水と、大空の上にある水とを区別した
(創世記1‐6~7)
【神の愛】の最高の【真・善・美】として創造された【原初の天然:エデンの園】では
地上の水が存在していただけではなく、天空も【天上の水】で覆われていたのです!
美しき【原初の世界】では空を仰ぎみると、太陽も月も星も、ゆらゆら、きらきらと
水底から見上げた時に経験したことのある【美しき光景】であったに違いありません。
無神論的な科学者でも進化論でも、現代の一般常識では、当初は混沌の闇の世界から
から光が生まれたという「ビッグ・バン」が宇宙誕生の常識であり、生命の誕生には
原初の水から全てが生まれたことを認め、それらは聖書の記述と一致しています。
一方で、具体的に宇宙探検に挑む20世紀までは、天空に大量の水が浮いているという
聖書の記述だけは科学的考察ではあり得ない愚かなことと考えられていたそうです。
しかし、宇宙は無重力状態であり、成層圏に【水の幕】が覆われることも現実的には
完全に不可能ではないことが立証されたのです!
原初の地球全体は【天上の水】で覆われていたので、まさに「温室効果」となって、
南極も北極も地の果てまでが「緑と水」で覆われて砂漠も荒地も存在しない快適な
温暖な大地で地球全域が【エデンの園】であったことが創造できるはずです。
【原初の天然・エデンの園】では、各自の生命の食物としての【果実】が豊かであり
生命同志が殺し合う「肉食」など一切不用だったことは明確に理解できるはずです。
●神である主は、東の方エデンの園を設け、そこに主の形造った人を造られた。
神である主は、その土地から、見るからに好ましく食べるのに良い全ての木を
生えさせた。園の中央に命の木と、それから善悪の知識の木とを生えさせた
(創世記2-8~9)
●私(主)は全地のおもてにある種をもつ全ての草と種のある実を結ぶ全ての木とを
あなた方に与える。これはあなた方の食物となるであろう(創世記1‐39)
●命ある者には、食物として全ての青草を与える(創世記1‐30)
●川のほとり、その両岸にはあらゆる果樹が生長し、その葉も枯れず、
実も絶えることもなく、毎月、新しい実をつける。その水が聖所から
流れ出ているからである。その実は植物となり、その葉は薬となる
(エゼキエル書47‐12)
★★【その2】につづく★★