【ビジョン&使命・天職】で<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>に導く【神の愛=主イエス】!!

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【神の愛】とは離れざりき

◇◇ 二人は生きるも死ぬるも離れざりき
  (ゴッホとテオの墓碑銘:旧約聖書より) ◇◇
【2001年5月7日に作成した<第123回>より】
2001年5月6日深夜NHKBS再放送「地球に乾杯・ゴッホの遺言」を観て

皆さんの中にも既にご覧になられたり、ご存知の方もいるとは思いますが、
ゴッホの生涯を新たな視点から描いてくれた番組を見て改めて人間各自に
与えられた【使命・天職】が避けらない運命であることを確信できました。

今回のTV番組進行役の小林さんは自らも画家であるゴッホの研究家です。
私は彼のゴッホへの敬愛に基づいた「ゴッホの謎の解明」にとても共感
できました。

ゴッホは心底日本に憧れていたことは有名な話です。そして、彼の本当の
姿を見出せたのは世界の誰でもなく、日本人の小林さんでした。小林さんは
彼の推理的解明は「ゴッホの遺言」として本にもあらわしてベストセラーと
なったと聞きます。

ゴッホは晩年に自殺未遂を起こします。それが原因で病死しますが、その直前まで
描いていた作品とは、従来の見解では、弟テオの妻であったヨハンナの主張する
陰鬱な夕闇せまる風景画である「カラスの群れ飛ぶ麦畑」とされてきました。

この見解が世界的に認められてきたのは、ゴッホの晩年は精神的に病んでおり、
しかも経済的にも芸術的にも絶望し孤独と不安があって、死の予感があったのだと
思われたからでしょう。だから自殺三日前の心境を絵画に表現したのだと…。

しかし、この常識的見解を見事にくつがえしてみせたのが日本の小林さんです。
小林さんは全く異なる絵画を選び、それこそが最後まで手がけた作品であり、
ゴッホ自身の遺作でありテオ家族への遺言であったに違いないと結論づけます。

小林さんが遺作と考えるその作品は日本の広島の「ひろしま美術館」に所蔵される
「ドービニーの庭」という森と花と芝草に満ちた楽園の薗のように美しい風景です。
この庭はドービニーがかつて住んでいた場所で、ドービニーとはゴッホが伝道師を
目指していた頃からずっと敬愛していた風景画家だったのです。彼が晩年過ごした
オヴェール時代に出会えたことは【神の導き】であったとも言えるでしょう。

さて、小林さんはさらにこの絵画には、ゴッホ自身の遺言が示されている事を発見
します。同じ場所を同じアングルで描いたもう一枚の絵画がテキサスに所蔵されて
いて、その作品と合わせて考えてみるとゴッホの自殺前の心境が良く理解できます。

彼はこの美しい庭の風景を何枚も描いていますが、テキサスにある作品には「黒猫」
が手前に小さく描かれています。それはそっとその場を申し訳なさそうに立ち去る
姿に見えます。そして庭の中に、絵の中心近くにテーブルと椅子が三脚だけが描かれ
ています。そこに腰掛けるのはゴッホが愛した弟とその妻と息子の三人なのでしょう。
自分は金銭的に迷惑ばかりかけて済まないといわんばかりの表現です。

しかし、ゴッホはその後、ドービニーの庭の風景画に確実な構成を見出したとテオへの
手紙にも書き残していますが、そこに新たなタッチと色彩が付け加えられるのです。
それが、広島に現存する作品であると小林さんは発見します。
テキサスの作品と比べると、全ての色彩が鮮やかで描かれる線は強くはっきりとして
います。さらに、あの自分を表したかのような「黒猫」の姿は消されています。

そうです、その庭には愛する弟家族に穏やかに過ごしてもらいたいと言う願いが込めら
れているようにも見えます。まさにそれは遺言そのもです。
「最愛なる弟テオよ、もうお金の心配はしなくていいからね。これからは君の家族で
 楽しく過ごしておくれ。」

ゴッホは牧師の家に生まれ、はじめは牧師を目指しますが途中で挫折したと聞きます。
その後画家を目指しますが、芸術家仲間にもあまり理解されず、またゴーギャンとの
共同生活では「耳切断事件」などを起こして、その後精神病院に療養のため入院します。
しかし、彼の心は全く正常であったと思います。たまたま周囲の人間関係とうまくいか
なかっただけなのです。その証拠に彼のテオや友人との書簡には明晰で穏やかな芸術を
愛する人ゴッホが存在しているからです。

今でもそうですが、周囲の無理解が引き金となって自暴自棄に走る行為が生まれただけ
なのでしょう。

ゴッホの人間そのものに美しき思いやりと優しさを感じさせるエピソードはたくさん
あります。だから、世界中でも特に日本では、生誕150年後の現代でもなお人気がある
のではないでしょうか。

彼が自殺行為をしてしまった事は残念です。しかし、彼が神を恐れずに神を捨てたためで
なかったと私は信じます。何故なら、神が見捨てなかった証拠があるからです。
それは、自殺未遂で済みその場では死ぬ事無く、自室のベッドで弟テオがかけつけた時に
間に合って最後を遂げられたからです。彼は弟にそっとつぶやいたそうです。
「また僕はしくじってしまったよ…」
弟テオはその半年後に亡くなります。

さて、ゴッホの生涯はわずか37歳のはかない人生であり、彼を最後まで信頼し経済的な
支援をし続けた弟テオもまた34歳くらいの若さでこの世を去って行きます。

しかし、この二人の残した事業は未来に通じて21世紀にも光輝ききらめいています。
例えば、世界の歴史的画家の巨匠を紹介する「週刊美術館(小学館)」の第1号はゴッホ
でした。ミケランジェロでもピカソでもありません。

生存中にたった一枚しか売れなかった画家が何故このように有名になれたのでしょうか。
ゴッホは生活苦の為に飲食代の代わりにも絵を書いていますが、もらった店主は処分して
おり、また宿屋の大家さんなども、もらった絵を壁紙などに使ってもはや現存しません。

誰がゴッホの作品を回収してまとめあげ、また書簡集を発行したのでしょうか。
それは弟テオの妻ヨハンナの【使命・天職】となりました。彼女にとって幸福な結婚生活は
わずかであり、夫亡き後は独りで息子を育てなければならず、大変苦労したそうです。
その彼女には毎日の生活は義務であると実感しながら25年間であのゴッホと弟との書簡集を
まとめあげたそうです。

彼女が【目前の義務】を放棄していれば、現在の【世界のゴッホ】は存在しなかったのです。
彼女はゴッホの天性と大志を見抜けたのでしょうか。いいえ、おそらく彼女には何も見抜け
なかったと思います。だから、彼女には晩年の作品を見誤ってしまったのだと思います。

彼女には「絵を描く才能」も「絵画を見極める才能」も必要なかったのです。神様から見て
彼女にどうしても必要だった【天賦の才能:タレント】は「愛の記録を残し伝える才能」で
あったのだと思います。それによって、はじめて【ゴッホの世界】は永遠に至りました。

ゴッホ自身が魂に感じ映る愛と情熱の姿を形に記録したかったために【絵画】を描いたこと、
弟テオはそのゴッホの熱意を支援して守り続けたこと、そして彼等の信頼と兄弟愛の記録が
【書簡集】であることだけは、妻ヨハンナには真実であることを見極められ確信できたから
辛い生活の中でも希望を抱いて、25年もかけて記録をまとめあげられたのだと思います。

彼女もまた間違いなくゴッホと弟テオの世界的平和事業に参加した特に立派な功績者です。
肉体でも巨大プロジェクトでも【目立たない部分・縁の下】ほどに重要だからです。
そこに、愛と希望と信頼が存在しなければ実現しなかったからこそ偉大な平和事業なのです。

彼女はゴッホとテオの墓を並べて造り植物で二つの墓を結びつけたそうです。
永遠の信頼と希望と愛の証明です。

ゴッホは自分自身の生き様を次のように預言しています。そして、それは実現しました。

「画家の生涯はその時で終わるが、その作品は永遠に残る」

ゴッホは日本にあこがれ続けながらも一生で一度も日本を訪れることはできませんでした。
しかし、21世紀の現代でもゴッホは日本人が最も敬愛する画家であります。
しかも彼の本当の遺作は日本の広島に存在するのです!!

彼が聖職者でなく画家の道を選び、富と名声を求めずに修行僧のように、絵画に打ちこんだ
姿勢が神を喜ばせるほどの【使命・天職】であった証拠です。全ては神の計画だったのです。

私たちは自分独りの力と知恵で、なんとか生きている内に、なるべく早く結果を出そうとして、
自己実現を目指そうしがちです。だから多くの場合は夢も理想も実現しないように思えます。

現在にも、生涯認められず、家族にも迷惑をかけるだけのゴッホやバッハは存在します。
彼等こそ存在しなくてはいけないのです。何故なら、それは【神の意志と計画】だからです。
もし、彼等のような人々とその犠牲となった家族が存在してくれなかったら、現在の私たちの
自由と繁栄も全てなかったでしょう。

はじめて王様を処刑し市民革命の先駆者クロムウエルは没後200年以上、自国では悪人の
単なる暴君に扱われていましたが、カーライルが初めて彼の書簡集を発行して彼と妻との
交流に信仰深い謙虚な心の持ち主であったことを見事に証明したことで功績が見直されます。
もし、あのピューリタン革命がなければ現代の議会制民主政治は実現されなかったでしょう。

ソ連を自由解放させた立役者のゴルバチョフは、今でもロシア国内では人気がないそうです。
何故なら、彼は【国益】よりも【世界平和】を選んだソ連共産党最初の政治家だったからです。

日本でもよく【国益】を論じる政治家とジャーナリストが存在しますが【国益】だけを守ろう
とすれば国家的改革などは実現できないのでしょう。
国家的改革とは現在の【国益既得権益】をも放棄し犠牲にしてでも【世界平和】を目指す
覚悟が必要であり【自由・平等・寛容・博愛】を目指そうとするチャレンジだと思います。

ゴルバチョフは断言します。「本当の改革者は死後に評価される」

●神の声は常に世論に反対す(内村鑑三
●信仰とは望んでいる事柄を確信し、まだ見ていない事実を確認する事である
 (へブル書11-1)
●神のなされる事は皆その時にかなって美しい(伝道の書3-11)
●悪人の成功はかれを滅亡に導き、善人の失敗はかれを救済に導く(内村鑑三

それでは今日も明日も素晴らしい人生をお過ごし下さい。
May grace and peace be with your spirit.
Good luck & God bless you!

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田中 聡(さとし)