【ビジョン&使命・天職】で<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>に導く【神の愛=主イエス】!!

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預言者の覚悟【2】

◇◇ 預言者の覚悟(その2) ◇◇
【2001年6月8日に作成した<第145号>より】
2001年6月3日(日)「知っているつもり」を観て

★★【その1】のつづき★★

ところで、周囲にはあまり理解されなくても、遠く大阪の毎日新聞社の社長だけは理解し
新聞社で論説委員として働いてもらえないかと彼に相談してきました。西村さんにとって
絶好のチャンスでした。科学技術偏重や経済発展重視による弊害・危機への警鐘を鳴らす
ためには、新聞社は好都合だからです。しかし、家族は最初は反対します。せっかくの
大学教授という将来も安定が見込める職にようやく落ち着いたかと思われた矢先だった
からです。常に預言者の家族というものは、初めの内は犠牲を払わなくてはなりません。

結局、家族は彼の堅い信念に説得させられて、大阪の新聞社に勤め直すことになります。
1927年、彼が42歳の頃です。彼は新聞社のコラムを書くだけで生涯を終ってしまうような
器ではありませんでした。とにかく、彼は当時の日本国民全体が富国強兵の経済発展と
科学技術偏重により自然破戒・弱者差別に暴走する危機を警告するメッセージを伝えたい
気持ちで一杯でした。愛が冷めて【自由・平等・寛容・博愛】の精神が失われせてはなら
ないと常に考えていたのです。

そこで、彼は1928年の昭和天皇即位の博覧会に東洋初の【ロボット】を出展する計画を
立てるのです。【ロボット】とはチェコ語の「ロボター(労働)」を語源としていて、
人間の単純労働の代わりになる奴隷的存在として西洋で考案され出したのが8年前のこと
でした。

彼はいち早くこの【ロボット】の構想自体に疑問を抱いていました。人間の奴隷として、
発明するという人間の傲慢さに将来への【バベルの塔】に通じる危機感を感じたのです。

彼の考案する【ロボット】は科学技術に暴走する人間への問いかけとしての象徴です。
映画「帝都大戦」で少し登場したあの【学天則】こそが西村博士による【ロボット】です。
学天則】は照明が当たると微笑み、右手のペンで字を書くそぶりをするだけで人間の
都合で動く奴隷用の【ロボット】ではありません。

「ひたい」から目まではヨーロッパ、唇から鼻まではアフリカ、「ほお」と耳はアジア、
髪はインディアの特徴を現し、胸には宇宙と世界を象徴する「コスモス」の花をデザイン
した【自由・平等】の象徴である【ロボット】です。そして【学天則】という名前には
「天地の法則に従い学ぶ」という精神が込められていました。

しかし、せっかく【自由・平等・寛容・博愛】の重要さと将来への警鐘メッセージとして
研究開発した東洋初の【ロボット:学天則】は、彼の目論見とは全く反して見世物として
人気の的になるのです。そして、いつのまにかドイツに買い取られて行方不明となります。

彼の預言者としての活動は困難の連続です。どうにかして、科学技術の暴走を食い止めて
自然破戒や弱者差別を防ぎ【自由・平等・寛容・博愛】の世の中を築くことにチャレンジ
します。彼はネバー・ギブ・アップの強靭なる精神の持ち主でした。

そんな彼に最大の【試練】が訪れます。彼の長男が結核を患い、あっという間に目の前で
この世を去って行ったのです。いかなる叡智も経験も人生の根本には役に立たない事を
改めて知らされます。科学者としての戒めとなります。

●知識は人を誇らせ、愛は人の徳を高める(コリント前書8-1)
●人間の偉大さが偉大であるのは、人間が自らのみじめさを知っていることである
 (パスカル

そんな彼が決断し実行したのは、戦火の中国に医療奉仕団を自ら結成して、現地の子供を
救出に向う事でした。1938年、新聞社を説得して中国にいる親を亡くした孤児や病人など
子供たちを救出するチャレンジを開始します。

当時の政府は反対します。しかし、彼は反論します。「子供たちには罪はない!」
軍もまた強行に敵国の中国を助けることに反対してきました。しかし、彼は抵抗します。
「五族共和というなら、中国人民を助けるのは日本として当然ではないか!!」

彼の英断により1939年に大阪に68名の中国難民を率いて来ました。しかし、子供たちは
戦火での恐怖のために疑い深くおびえていました。そこで、彼は彼等と寝食を共にして
次第に心を通わせて行くのです。この経験で共に生きて学び合うことを深く実感できた
のです。やがて41年の太平洋戦争勃発により、遂に彼等は45年に中国に送り帰されます。
しかし、彼の救出によって、孤児たちの多くは死を免れて21世紀の現在、彼等の孫たちが
日本にやってきて、西村さんの墓前にお参りに来るそうです。素晴らしいことですね。

●汝のパンを水の上に投げよ、多くの日ののちに汝再びこれを得ん(伝道の書11-1)
●汝の真理を社会の中に投ぜよ、年を経て汝はその偉大な結果を見るを得ん(内村鑑三

彼は戦後も前進しチャレンジし続けます。彼が生物学者として考案した【保育曼荼羅】は
次のような確信により創られています。
「天地は生けるもの一切のためにあり、保育は最大至高の天業なり」
結局、次世代を育てるということは、社会を維持するために最も重要な事であるからです。

彼は常に自分が信じる道を自らチャレンジし実行する革新的な実践者でありました。
1949年、彼が69歳の頃には神戸の短大で保母志望の学生向けに生物学を教えながら、
保育という【使命・天職】の偉大さもまた伝えたのです。

「子供をしっかり育てるには、親もまた強く育てなくてはいけない。子供だけ取り出して
 教育しては駄目だ」

彼は外国留学生を我が家に受け入れるホスト・ファミリーも行っていたそうです。近所の
住人はさぞ大変でしょうと話し掛けると、西村さん夫婦は楽しそうに応えるそうです。

「いろんな人たちが、いるからいいんですよ。私は違いを楽しんでいるんです。」

そんな西村博士の積極的な実践を可能にして、いつも支えていてくれたのは、妻の信頼と
協力であったことを忘れては行けません。私たちは常に同志を必要とします。良き同志が
いないときには間違った道に行く危険があるとも言えます。そして、同志が時には犠牲を
払うから、また厳しい批判者となってくれるから、そして励まし勇気付けてくれるから、
そして、苦境にあっては心を一つにして信頼と隣人愛によって結ばれているからこそ、
【ビジョン:理想・大志・夢】に向って真っ直ぐにチャレンジできるのではないでしょうか。

●もし、あなた方のうちの二人が、どんな願い事についても地上で心を合わせるなら、
 天にいます私の父はそれをかなえてくださるあろう。
 二人又は三人が我が名によりて集うところには、我もまたその中にいる
(マタイ伝18-19~20)

西村真琴博士は1956年享年71歳の生涯でした。彼の次男は水戸黄門で活躍した有名な役者の
西村晃さんだそうです。

西村博士は世間的に大成功しなくても決してあきらめることなく信じる道を自ら実践して
みせた見事な人生を通じて次のように語っています。
「物を持つ人は多いが、信念を持つ人は、むしろ、稀有(ケウ)である」

私たちも世間的には少数であり変人扱いされようとも【コーナー・ストーン】である事に
誇りを持ち、そして【オンリー・ワン】である自分しかできない事を目指しましょう。
私は皆さんのチャレンジを応援しています。

●あなたにゆだねられている尊いものを私たちの内に宿っている聖霊によって守りなさい
 (テモテ後書1-14)

それでは今日も明日も素晴らしい人生をお過ごし下さい。
May grace and peace be with your spirit.
Good luck & God bless you!

メイル歓迎します!
cforum@tanaka.name
田中 聡(さとし)

★★★皆さんの【願い事】のために【礼拝:祈りと感謝】致します!★★★
 あなたの【ビジョン:理想・夢・志】・【願い事】を御気軽に御連絡下さい!
<心を一つ思いを一つ>の【チーム・スピリット&チーム・ワーク】に私が協力します!
 
あなたと共に【主の御名】によって【神の愛=主イエス】に【礼拝:祈りと感謝】いたします!

●あなた方のうちの二人が、どんな願い事についても地上で心を合わせるなら、
 天にいます私の父はそれをかなえて下さるであろう。
 二人、三人が私の名によって集まっているところには私(主イエス)もその中にいる
 (マタイ伝18-19~20)

皆さんからの御連絡お待ちしています!