【ビジョン&使命・天職】で<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>に導く【神の愛=主イエス】!!

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種まく者と刈取る者【1】

◇◇ 種まく者と刈取る者(その1)◇◇
【2002年6月27日に作成した<第256回>より】
2002年6月24日(月)NTV「今日は何の日:日本のエジソン
     6月26日(水)NHK「プロジェクトX:決戦・人類最強の敵」を観て
●一人が蒔き、一人が刈る(ヨハネ伝4‐37)
●収穫は多いが、働き人が少ない。収穫の主に願って、その収穫の
 ために働き人を送り出すようにしてもらいなさい(マタイ伝9‐37~38、ルカ伝10‐2)

神に大事にされ大切なる皆さんこんにちは、ご愛読に感謝します。

【イエスの生涯と教え・聖書】には「種まき」のたとえ話があります。
【種】とは福音である【神(主イエス)の愛・隣人愛】であり、理想である
【キリスト精神:自由・平等・寛容・博愛】であると思います。

【種】は各自の心に【ビジョン:理想・夢・志】の「発芽」を起こさせて、
神が望み託した【使命・天職】を「花」として咲かせて、チャレンジは
「実」としての結果を生み出すのだといえるでしょう。

そして、「種まく」者と「刈り取る」者とは異なることも教えています。

たとえば、総合電気メーカーのシャープの創設者である早川さんの生涯が
テレビで紹介されていました。

ご存知のように、早川さんは「日本のエジソン」と呼ばれる程の発明家です。
しかし、彼を世界的実績を生み出す【ビジョン:理想・夢・志】に導くのは
名も無き独りの盲目の婦人による【愛】の「種まき」だったのです。

早川さんは2歳の時に両親を亡くして、5歳の時に商家に養子に出されます。
ところが、商家の養父が再婚した後妻が実の子供と早川さんを差別して扱い
学校も途中で止めさせて、彼には毎日マッチ箱の内職をさせたそうです。
そして、いつも仕事の出来の悪いことを責められる日々を送る事になります。

最悪に見える後妻もまた「日本のエジソン」である早川さんを産み出すには
【神の愛】から観れば必要不可欠な存在でした。

●主はすべてのものを、おのおのその用のために造り、悪者をも悪しき日の
 ために造られた(箴言16-4)

そんな苛酷な境遇にあっても、彼がくじけなかったのは、近所にいた独りの
盲目の婦人の優しさでした。

彼女は早川さんを可哀想に思って、母親のように励ましてくれたそうです。
「私は目が見えないけれども、あなたは目が見えるのだ゛から、私の分まで
 しっかり学び生きて下さいね」

そう言って、自分の手を握ってくれた婦人の「暖かい手(心)」を生涯ずっと
忘れることがなかったそうです。

たった独りの【愛】の「種まき」のおかげで、早川さんは自分の仕事に励み
能率アップのためにどうしたら良いか工夫する事を考えるようになります。

マッチ箱の「のりつけ台」をのりがつきにくい金属板に変えると、仕事が
はかどる事に気づきます。早川少年が発明家の精神に目覚めた瞬間です。

その後、かんざし職人のところで修業して、18歳の時に、穴をあけなくても
ベルトを締めることのできるバックルの「徳尾錠」を発明したことにより、
19歳で金属加工業として独立できます。

そして、世界初の手回し式のシャープ・ペンシルを発明して欧米でヒットし
大成功します。大正4年(1915年)の事です。

しかし、大正12年(1923年)に関東大震災によって、工場は全焼して妻子も
失い、盲目の婦人も行方不明になってしまい、残った物は借金だけでした。
彼はシャープ・ペンシルの特許を売却して借金返済のためにあてたそうです。

彼は全てを失ったように見えましたが、彼は見事に再起するのです。それは
幼い頃の「種まき」で芽生えた「発明家精神」があったからだと思います。

早川さんはラジオの時代が到来することをいち早く見抜くことができました。
早速、彼には未知の分野であった電気技術を取得して研究所を設立します。
大正14年(1925年)に日本初の鉱石ラジオを発明して大ヒットさせるのです。

終戦直後には、「日本にも一家に一台のTV時代がやって来る!」といち早く
テレビの時代を読み取って、日本初のテレビを完成させます。

その後も日本初の電子レンジや電卓など常に時代の先駆者としてシャープが
今でも尚活躍し続けているのはご存知の通りです。

早川さんは「刈取る」者として戦後成功した後も、盲目の婦人の恩を忘れずに
障害者支援の活動を積極的にし続けたそうです。

私たちも盲目の婦人のように身近な人を勇気付け励ますことはできるはずです。
そして、その【神の愛・隣人愛】の「種まき」によって、気づかない、後の日に
多大なる収穫(成果)となることを信じましょう。

●悪い言葉をいっさい、あなた方の口から出してはならない。
 必要があれば、人の徳を高めるのに役立つような言葉を語って
 聞いている者の益になるようにしなさい(エペソ書4‐29)

今までにも世界中で無数の献身によって、多くの「種まき」が行なわてきました。
私たちが「刈取る者」として活躍するチャンスは世界中に無数にあるはずです。

例えば、今世紀に天然痘を根絶したプロジェクト・チームのリーダーが日本人の
蟻田さんであった事実を「プロジェクトX」で初めて知り感動しました。

蟻田さんは医学部を卒業しましたが、医者だと救えるのは目の前に一人だけであり
多くの人を救える道として役人になる道を選びます。24歳の昭和25年(1950年)当時、
まだ下水道も整備していなかった為に不衛生な俗悪な環境にあった日本には赤痢
ポリオなど様々な感染症が流行し、GHQに頼るしか手がない状況だったからです。

彼は望みとおリに厚生省の役人として走りまわって感染症予防のために活躍します。
やがて、日本も再建して高度経済成長時代に突入した昭和37年(1962年)頃になると、
課長補佐の蟻田さんの新たな感染症予防対策の提案も受け付けられなくなります。
「わざわざ仕事を作るな」という上司からの回答が返ってくるだけでした。

蟻田さんは完全にやる気をなくし、ふさぎ込み、日の目を見ない毎日を過ごします。
しかし、【神の愛】だけは彼の「やる気」を見捨てる事はありませんでした。

●人は表面のことを見るが、神は心中を見られる。
 人は行いを考察するが、神は意図をおもんばかられる(内村鑑三

数週間後のことです。机の上にあったWHOからの報告書を何気なく目にします。
それは、期間2年間で、リベリア感染症対策の為の人員募集という内容でした。
「自分を必要としている場所がある!」蟻田さんは喜び家族に相談し決断します。

1962年に現地を訪れると、そこは日本の戦後と同じ不衛生だらけの光景でした。
やがて、「謎の病気」が流行している村落があることを知ります。出かけてみて
それが恐るべき「天然痘」であることを発見します。たった二日で230名もの
感染者がみつかったのです。

聖書にも登場する「天然痘」は6000年間も人類の最悪の敵として存在しており
8世紀の日本でも猛威をふるったので「奈良の大仏」を建立して祈願したそうです。
11世紀にはヨーロッパで3分の1の人命を失ない、16世紀にはアステカ文明
滅亡するきっかけとなったそうです。

天然痘」対策は事前予防のワクチン接種しかないので、WHOに早速緊急援助の
報告をしました。ところが、すでに世界中から同じような報告が届けられており、
世界で3000万人以上の感染爆発の危機状況にあったのです。

蟻田さんの所にWHOから天然痘対策でWHOに勤めないかとの打診があります。
蟻田さんは即断即決して直ぐに厚生省に辞表を出して、WHO本部に出向きます。

しかし、本部に行って見ると、メンバーは彼一人だけで予算ゼロの状態でした。
天然痘根絶などできるはずがない。日本へ帰った方が良いのではないか?」
歓迎されるどころか、バカな事はやめた方が良いと周囲に助言されるほどでした。

天然痘を根絶するためには世界中の人々全員にワクチンを接種しなくてはならず、
それは一般常識では不可能に思われることだからでした。

しかし、蟻田さんは「やる気」を示し決してあきらめることはありませんでした。
1965年、先ずは世界中にワクチンの無料提供を求める行動に出ます。

やがて、「日本からサムライが来た!」と彼の勇気ある行動が話題になり始めます。
たった独りから始めた「種まき」によって、ブラジルの新婚夫婦がやって来ます。
アマラル夫妻は夫は医者で妻は教師でした。彼等の故郷でも天然痘で多くの犠牲が
あったので、彼等は根絶できるまでは子供を作らない決意でやって来たのです。
その後、世界各地で天然痘と戦ってきた勇気ある医者たちが続々とやって来ます。

1966年、40人のチームが結成されて、年間予算2億4千万円によって、10年間で
根絶するという闘争宣言がWHO会議にて発表されます。

当時既に33カ国3000万人の感染状況にありました。先ずは1500万人が
感染している最悪のインドから着手します。しかし、増加し続ける6億人人口の
全員にワクチンを接種することなどいくらワクチンがあっても足りず、不可能な
ことでした。1ヶ月後にはスタッフの緊急会議で蟻田さんの能力が問われます。
「あなたは作戦がないのですか?」
「日本人に国際的プロジェクトを率いられるのですか?」

蟻田さんは閉じこもって過去の対策について研究します。そして、発見します。
それは、ナイジェリアで行なわれた方法で、感染者と過去1ヶ月接触した人を
追跡調査して彼等から優先してワクチン接種する手法でした。

スタッフは再び疑います。果たして6億人全ての調査が可能なのかと。そこで、
蟻田さんは感染が一番多い最悪な土地であった西ベンガル州に自ら入り込んで
実証して見せると発言します。

最も困難な場所に身を投じてみせる彼の熱意と勇気にスタッフは団結するのです。

そして、一年半後には不可能と思われていたインドから天然痘が根絶されます。
その後、世界各地で同じ手法によってどんどん根絶されて行きました。

●どんな大きな仕事であっても、それを細かに分けて、いつも手近なものだけを
 眼中に置くならば、それは小さな仕事をするのと同じになる(ヒルティ)
●大事業の端緒はまず目前の義務を果たすことなり(内村鑑三
●一切の仕事が神をはなれては困難であり、神とともにあれば一切が可能である
 (ヒルティ)

★★【その2】につづく★★