◇◇【日本国憲法の前文】⇔【預言:宗教改革宣言】!(その2)◇◇
【2005年4月21日に作成した<第371回>より】
★★【その1】のつづき★★
国家主義の政治家は、特に以下の部分を例に出して、現実離れしていると「憲法の前文」を軽視しているように感じます。
「日本国民は(、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、)
平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」
最近の隣国の脅威に対しては、信頼できない国家の公正と信義に頼り切るのは危険過ぎて愚かだと主張しています。
多くの場合は、【聖書】の有名な言葉を借りて、敵に降参屈服する無抵抗の「愚かさの象徴」として都合よく解釈して
保守派の政治家は「右の頬を打たれて、左の頬を進んで提供して平和など実現するだろうか!?」とあざけります。
●わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい
(マタイ伝5-39)
果たして右の頬を打たれて、左の頬を向けるのは、無条件に相手のい言いなりになって屈する態度を示すのでしょうか?
私自身は「右の頬を打たれて、左の頬を向けよ!」という<無抵抗主義>とは、単純な屈服・服従ではないと理解します。
想像してみてください。一般的に「右利き」の人が多いので、暴力的に殴られるとしたら先に打たれるのは「左頬」では
ないでしょうか?
先に「右の頬」を打たれると言う状況は、<握りこぶし>の暴力行為というよりも、<手の平>で軽くはたかれるような、
侮辱された時の<最悪の屈辱的行為>と言えるのだと思います。つまり、肉体的暴力だけでなく精神的な誹謗中傷までも
含められています。
さらに、どんなに肉体的・精神的な屈辱・恥辱を受けても、単純に無抵抗に降伏したり、笑って相手を赦せというのでは
ありません。
何故なら、右の頬を打たれて、「左の頬」を相手に向けよ!というのは、相手に背を向けてその場を逃げろとか、
相手に謝れとか、下を向いて防御しろではなく、堂々と雄々しく前方に顔を向けよ!というメッセージだと理解します。
つまり、どんなに、精神的にあざけられても、批判攻撃されても、無理解による孤立無援の状況にあろうとも、真っ直ぐに
「わが道を進め!」という強いメッセージであると信じます。
【神の愛=主イエス】が命じている【無抵抗主義】と言うのは、自分の【ビジョン:理想・夢・志】や
【ミッション:使命・天職】といった<我が道>を歩む時に、<死線>を越える覚悟の<生き様>であり、
単に人生を浪費している時の<処世術>ではないのだと思います。
自分の信じる【ビジョン:理想・夢・志】に向かって前進する時、【霊性:魂〈勇気〉・善意・良心】に従って行動する時に、
たとえ不条理で不当に妨害されても、後ろを向いて退散することなく、顔を真っ直ぐに前方(未来)に向けて前進するぞ!
という【パッション:受難覚悟の情熱・熱意・専念】の姿勢です!
●汝の道を進め、人々をしてその言うにまかせよ(ダンテ)
●あなたに委ねられていることを守りなさい。そして、俗悪な無駄話と偽りの「知識」による反対論を避けなさい
(テモテ前書6‐20)
●あなた方はこの世に妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、
何が善であって神に喜ばれ、かつ全きことであるか、わきまえなさい(ロマ書12‐2)
【キリスト精神】の示す【無抵抗主義&無心配(無頓着)主義】とは他を敵視するのでなく最大の敵は【自己の弱さ】だと
自覚して、自分の【ビジョン:理想・夢・志】実現のためには【神の愛】に信頼して【神の愛】と共に前進し続ける態度です。
★【無抵抗主義】 ⇔ 十字架=恥辱・圧服・虐遇の表彰(しるし)十字架を負うとは負けることである。全然敵に譲り、
敵の善を思うこと、彼に愚弄されること、そして神によって勝利を得る!
★【無心配主義(無頓着主義)】 ⇔ 生活問題(重荷)に関しては【神の愛】に託して一切の心配ご無用!
ご存知のように、歴史的に偉大なキリスト者は、たとえ強大な権力に妨害されても屈することなく、【神の愛】に励まされて
【神の愛】と共に恐れることなく、前進し続けたことが証明しています。
●【十字架の教え】
悪に抗せざることなり
敵の罪を赦すことなり
死に至る最後まで愛することなり(内村鑑三)
●【愛の十戒(ロマ書12章9~21節)】
◆愛は偽りがあってはならない。悪を憎み退け、善には親しみ結び、兄弟の愛を持って互いにいつくしみ、進んで互いに
尊敬し合いなさい。
◆熱心でうむことなく、霊に燃え、主に仕え、望みを抱いて喜び、患難に耐え、常に祈りなさい。
◆貧しい聖徒を助け、努めて旅人をもてなしなさい。
◆あなた方を迫害する者を祝福しなさい。祝福して呪ってはいけない。
◆喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい。
◆互いに思うことを一つにし、高ぶった思いを抱かず、かえって低い者たちと交わるがよい。自分が知者だと
思いあがってはならない。
◆誰に対しても悪をもって悪に報いず、全ての人に対して善を図りなさい。
◆あなた方はできる限り全ての人と平和に過ごしなさい。
◆愛する者たちよ、自分で復讐しないで、むしろ神の怒りに任せなさい。何故なら、「主が言われる;復讐するは我に
あり。私自身が報復する」と書いてあるからである。むしろ「もしあなたの敵が飢えるなら、彼に食わせ、かわくなら、
彼に飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃え盛る炭を積む事になるのである」
◆悪に負けてはいけない。かえって善をもって悪に勝ちなさい。
政治家が弱腰と曲解して軽視する「憲法の前文」の抜粋に続けて次のように明記していることを私たちは知るべきです。
まさに、この世の平和実現のためには不義・不正に降伏せず根絶するまでの完全対決を宣言しているではありませんか!
「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、
名誉ある地位を占めたいと思う。
われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」
つまり、「日本国憲法の前文」とは【キリスト精神】を受容する、隠された「宗教改革宣言」であると私は理解しています。
単なるマッカサーやGHQの意思でなく、【神の愛の意志と計画】によって記され、60年後の私たちに託された【預言】だと
私は受け止めています!
●理想を語るは夢を語るにあらず、未来の事実を語るなり(内村鑑三)
保守派政治家が憲法に合わせて改正を検討している「教育基本法」にも【キリスト精神】育成宣言が明記されています。
「われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性ゆたかな
文化の創造を目指す教育を普及徹底しなければならない」(教育基本法の前文から抜粋)
「【真理】と平和を希求する人間」「【普遍的な文化】の創造」は【主イエス・キリスト精神】そのものを目指していると理解します。
1549年に宣教師ザビエルが訪日してから、【キリスト精神】に根ざした文化・文明・風習、思想、政治・経済・法制度などを
時の応じて受け入れてきた日本が、いよいよ【キリスト精神】を受け入れる【絶好のチャンス】が到来したことを信じます!
世界の中心であったローマ帝国でも宗教改革に300年を要したのですから日本が400年以上を要しても不思議ありません。
世界最古と言われる日本の天皇制に次ぐカトリック教会も保守的になった現在、今だからこそ日本の活躍すべき時代です!
現在の私たち個人個人に【神の愛】からの恵み深き【無償の恩恵】に対して【報恩感謝・恩返し】できる誇りと名誉ある立場が
与えられたことに感謝します!
日本民族やアジア民族の【自主独立】と世界平和実現のために、私たちに託された【神の愛の意志と計画】に参加しましょう!
●天の下では、何事にも定まった時期あり、すべての営みには時がある。
生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。
植えるのに時があり、植えたものを抜くのに時がある。
殺すのに時があり、癒すのに時がある。
崩すのに時があり、建てるのに時がある。
泣くのに時があり、微笑むのに時がある。
嘆くのに時があり、躍るのに時がある。(伝道の書3-1~5)
●神のなされることは全てその時にかなって美しい(伝道の書3-11)
●我(主)が為すことを汝今は知らず、後に悟るべし(ヨハネ伝13-7)
国内外の混迷混乱の時代において【神の愛】に信頼する私たちは【人類普遍の原理・法則:キリスト精神】をしっかり身につけて
自分の心に抱く【ビジョン:理想・夢・志】実現を目指して【フリーダム・ファイター】となって前進し続けようではありませんか!
●この動揺する時代に自分までぐらつくのは、ただ災いを増すばかり、おのれの志を守ってゆずらぬ者だけが世の中を
つくりあげて行くのだ(ゲーテ)
●もうあなたは泣くことはない。あなたの叫び声に応じて、主は必ずあなたに恵み、それを聞かれるとすぐ、あなたに答えてくださる
(イザヤ書30‐19)
●大きな内的進歩がなされる前には、つねに絶望への誘惑が先立ち、大きな苦難が訪れる前には、非常な内的喜びと力の
感じが与えられるものだ(ヒルティ)
●神の恵みと助けとが示されているのは、とくに困難な時期に、いつも我々の暗い運命のどこかある一点が
明るくされることによってである(ヒルティ)
●沈黙せよ、苦しめ、耐えよ、おまえの苦しみは誰にも訴えるな、決して神に絶望するな、おまえの助けは日毎に来るのだ(ルター)
●自分がそうであって欲しいと思う世界に向かう変化を自ら後押ししなさい(ガンジー)
皆さんが心に抱く【ビジョン:理想・夢・志】実現を目指しての勇気あるチャレンジによって活躍されることを心より応援しています!
●キリスト信者たる栄誉の一つは、よわき取るに足らざるこの身をもって、なおも大望を抱いて、その一部分を遂行しうるにあり
(内村鑑三)
●あなた方はこの世に妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、何が神の御旨であるか、
何が善であって神に喜ばれ、かつ全きことであるか、わきまえなさい(ロマ書12‐2)
●すべてのことを、人々の言葉や評価によってではなく、あるがままに認める者はまことの賢者であって、人間よりむしろ神から
教えを受けた者である(トインビー:イザヤ書54-13)
ハレルヤ!栄光を主に帰します。
主に感謝します!アーメン
それでは今日も明日も素晴らしい人生をお過ごし下さい。
May grace and peace be with your spirit.
Good luck & God bless you!
メイル歓迎します!
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田中 聡(さとし)