【ビジョン&使命・天職】で<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>に導く【神の愛=主イエス】!!

AMEN!HALLELUJAH!THANKS JESUS KINGDOM! Good luck & God bless you!

【神愛福音道】【聖書価値観】<神愛価値観:神愛世界観・神愛歴史観・神愛人生観> 【神助道:神助精神・神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】

【ビジョン】を祈求しよう【1】

◇◇現実の【闇:悪・不完全】があるからこそ、理想の【光:善・完全性】を祈り求めよう!(その1)◇◇
【2005年12月7日に作成した<第392回>より】

●神は暗黒の深い底をあらわにし、闇の中から秘密をあらわし、死の闇を光に引き出される(ヨブ記12-22)

日々のTV報道だけを観ていれば、特に日本社会の現実は【闇:悪・不完全】に満ち溢れているように映ります。
さらに私自身の心は、世間の【闇・悪・不完全】などよりも、比べようも無い程の【暗黒の深淵】に覆われています。

自己や社会の【闇:悪・不完全】が濃く鮮明になっているように思われるのは【神の愛】による【光:善・完全性】が
真昼の太陽のように、いよいよ近づいている証明です!

自己も【隣人・社会】でも、【光】が増し加われば、薄明かりの中では不鮮明な【闇】もまたクッキリするからです!

●起きよ、汝の光を放て、主の光が臨み、主の栄光が汝の上に輝いているからだ
 見よ、闇が地をおおい、暗闇が諸国の民をおおっている。
 しかし、汝の上には主が輝き、主の栄光の臨在が汝と共にある
 国々は汝の光の内に歩み、王たちは汝の輝きに照らされて歩む(イザヤ書60-1~3)
●私は言う。「闇の中でも主は私を見ておられる。夜も光が私を照らし出す。」
 あなたには、闇も暗くなく、夜も昼も共に光を放ち、夜は昼のように明るく輝く。
 あなたには、闇も光も同じで異なることはない(詩篇139-11~12)

世間の【闇:悪・不完全】を憎み怒り裁くことは容易でも、私自身の中にある【闇:悪・不完全】から逃れることは困難です。
そして、自分の【闇:悪・不完全】を打破できないことから、自己嫌悪・自己不信に陥ることこそが【最悪の罪】であることを
私は実感するのです。

世間一般のクリスチャンやキリスト教会制度では、【自己愛:エゴ・自己本位】こそが全ての【闇】の根源となっている【罪】と
定めているのではないでしょうか。

従って一般的に「教会」の説く「悔い改め」とは【自己愛】を捨て去って【神の愛=隣人愛】に立ち帰ることだと教わります。
「悔い改め」の語源であるギリシャ語の「メタノイア」は「回れ右!」であると聞いたことがありますが、つまり、【自己愛】とは
【神の愛=隣人愛】と正反対方向にあることになるのでしょうか?

私の実感では自分が大好き!という【自己愛】もまた【神の愛】から生まれている素敵な【賜物=愛】であると思うのです。
【自己愛】が諸悪の根源なのではなく、実は自分自身を見限ってしまう【自己嫌悪・自己不信】こそが【罪】だと感じます。

たとえば、「悔い改め」で有名な「クリスマス・キャロル」の主人公スクルージは、【エゴの象徴】のような代表的人物ですが、
彼は幼い頃の苦い経験によって、「自分が一番嫌い」でした。その結果として彼の心は【自己嫌悪・自己不信】だけが
膨らんで、【自己愛】は消え失せて、自分を好きになれない代償に【この世の勢力:富・権威・名声】への【偶像崇拝】が
生まれたのだと理解します。

つまり、「悔い改め」とは、【この世の君・サタン】が支配する【偶像崇拝】から【神の愛】崇拝への「回れ右!」であるのだと
私は自分の体験から実感します。

●彼らの目を開いて、闇から光に、サタンの支配から神の御もとに立ち帰らせ、こうして彼らが私(主)への信仰によって、
 罪の赦しを得、聖なる者とされた人々と共に恵みの分け前にあずかるようになるためである。(使徒行伝26-18)

自分の【闇:悪・不完全】を知れば知るほどに、自分が嫌いになり自信がなくなり、自分以外の何者かに愛されたい!とか
誰かに認められて大切にされたい1と思うから、【偶像崇拝】に陥ってしまうのだと思うのです。

教会権威・宗教団体に信頼する「教会的信仰」もまた、時と場合によっては【偶像崇拝】の対象になりかねないと思います。
「常に相手の立場・神を考えよう!」「自分を目立たせるな!」「自己愛もエゴを棄てろ!」「自己実現を考えるな!」などと
教会的な【戒律】に縛られてはいませんか?

私たちが対決すべき【敵】とは【戒律】に従おうとする【自己規制・自粛】による【自己嫌悪・自己不信】であると私は思います。
つまり、私たちの心の【闇:悪・不完全】であり、【最大の宿敵】とは、【自己愛】ではなく、【自己嫌悪・自己不信】なのです!

そこで、【自己嫌悪・自己不信】をどんな時でも打ち負かすための【最大の防御】であり、同時に【最善の実践】があります。
それは【主イエス】自身が直接に教えてくださった【主の祈り】という【礼拝:祈りと感謝】です!

●主の祈り (マタイ6-9~13、ルカ11-2~4)

天に在(マ)します我等の父よ
願わくは聖名(ミナ)を崇(アガ)めさせ給(タマ)え
聖国(ミクニ)を臨(キタ)らせ給え
聖旨(ミココロ)の天に成るごとく地にも成させ給え
我等の日用の糧を今日も与え給え
我等に負債(オイメ)ある者を我等が赦(ユル)すごとく我等の負債をも赦し給え
我等を試探(ココロミ)に遭(ア)わせ給うなかれ
悪より救い出し給え
国と権(チカラ)と栄えは窮(カギリ)なく汝の有(モノ)なればなり
アーメン

以前にも何度か紹介したと思いますが、そして、皆さんもご存知とは思いますが、この短くて覚えやすい簡潔な【主の祈り】ほどに
いついかなる状況においても、【自己嫌悪・自己不信】を打ち負かして【神の愛】の栄光を讃美し勝利する【実践】はありません!

たとえば、孤立無縁な牢獄に閉じ込められても、最悪の死を目前にしても、または【この世】の成功で誘惑に陥ろうとした時でも、
【主の祈り】を心に唱えるならば、私たちは必ず、自分を取り戻し、【神の愛】に立ち帰り、守られることを信じましょう!

【主の祈り】の初句「願わくは聖名を崇めさせたまえ」とは【神の愛】が【この世の万物】によって讃美されることへの共感・賛同であり、
【未来の預言】であり、【この世】の万物が、【悪魔】の支配から自由解放されて、【神の愛】に立ち帰られた【勝利宣言】です。
こんな醜悪で惨めな「ちっぽけな私」でも、【神の愛=主イエス】が高められることには大賛同します!という【信仰証明】といえます。

【聖国・御国】が来臨し、聖旨が地に成るとは、まさに【この世】に【主イエス】が再臨して、【エデンの園】が復活することを信じ望み
現在起きている弱肉強食の【肉食文明】が完全終結した【恒久平和】の実現に共鳴する【信仰告白】です。

その後に続く句は、今日現在の【天然万物】である【我等:人類・動植物・地球環境・宇宙など】の救済への【霊的協力】です。
ユネスコに寄付することや、ボランティアに参加することも結構でしょう。しかし、こんな無力で怠慢で守銭奴の【私自身】であっても
今日現在、アフリカの飢餓難民やパキスタンインドネシアの被災者のそばに行けなくても、【自己嫌悪・自己不信】になることなく
こんな【私】にでも、世界中で今日現在苦しみ悩む人類兄弟姉妹・動植物の救済のために、できることはあるのです!

それこそが、【神の愛の奇蹟】を呼び起こさせる「我等の日用の糧を与えたまえ」と【神の愛】に【礼拝:祈りと感謝】することです!

自分自身だけでなく、互いの【負債】が原因で家族・民族で起きている紛争・分裂・戦争の解決のための【世界平和】を祈ることも
今日現在、自分だけでなく、なるべく多くの人類兄弟姉妹・動植物が過酷な【試練:神の訓練】に直面しないように陳情することも
【この世の勢力:富・権威・名声】に近づきすぎて、危険なる【この世の君・悪魔】の誘惑に、惑わされずに救い助け出されるようにと
心で口で、【礼拝:感謝と祈り】を実践しさえすれば、私たちはいつでもどこにていても【神の愛の意志と計画】に参画しているのです!

●キリスト信者たる栄誉の一つは、弱き取るに足らざるこの身をもってして、なお大望を抱いてその一部分を遂行し得るにあり
 (内村鑑三

【主の祈り】こそが、天の定めた貴重な労働であり、簡単で身近でいつでも、身体一つさえあれば、実践可能なる【賜物】そのものです!

●天の定めたる労働を求め、衣食のこれに伴うのを知って感謝する。(これキリストによってその霊魂の救われた者のすることであります)
 衣食は天職の遂行に伴う必然の附随物であります(内村鑑三
●あなた方は、さらに大いなる賜物を得ようと熱心に努めなさい。そこで、私は最もすぐれた道をあなた方に示そう
 (コリント前書12-31)

★★【その2】につづく★★