◇◇【真の自由】侵害・争奪戦!⇔【聖戦】の時代(その1)◇◇
【2006年11月21日に作成した<第419回>より】
「いじめ問題」について考える
日本の学校現場で騒がれている「いじめ問題」は、日本社会だけでなく、欧米先進諸国でも同様に
起きていることがTV報道で話題となっています。
単に学校と子供社会だけでなく、大人社会でも、職場でも、家庭でも、人が集まる所なら、どこでも
起こっている、世界中を取り巻いている社会現象であると思います。
もし、【神の愛=主イエス】の視点から観るなら、「いじめ(Bullying)」の本質とは何なのでしょうか?
私は【霊性:魂[勇気]・善意・良心】の【自由】の侵害・争奪戦であり、霊的な【聖戦】だと思います。
「いじめ」に遭うことで、死にたいほどに悔しいのは、プライド(自尊心・誇り)を傷つけられた屈辱からというよりも、
私たちにとって最も大切な【霊性:魂[勇気]・善意・良心】の【自由】を侵害・争奪されるからだと思います。
●個人は分かつべからざる者である。個人は人そのままである。
神の子、永久の存在者、自由独立不滅の固有性を有し、全世界を代価に払うても
あがなうことのできないほど、貴いものである(内村鑑三)
●たとい全世界をもうけても、自分の命(魂)を損じたら、何の益になろうか(マタイ伝16-26)
日本の政治家が政治の目的とは「国民の生命と財産を守ること!」と叫びますが、一方で欧米の政治家は
「国民の自由と生命と財産とを守る!」と先ずは【自由】こそを強調することを聞いたことがあります。
欧米の若者に「何が一番大切ですか?」と質問すれば、「良心の【自由】」と応えることも聞いたことがあります。
私たちが日常使っている【自由】には色々あるようですが、私が考える【自由】は内村鑑三氏の唱えるものです。
自分の【霊性:魂[勇気]・善意・良心】を納得させ、最善発揮できる、決断と実行する<能力>といえます。
●【真の自由(内村鑑三)】
◆真の自由は発意である ⇔ Unconditional(無境遇)
◆真の自由は正しき選択である ⇔ 霊性本来の標準に従う~霊的生命達成の道
◆真の自由は善き意志を行う能力である
●真の自由は消極的状態でなく積極的状態である
何事をも為しうる状態又能力でなく,ある事を為さずしてある他のことを為す能力
⇔善悪を判別して悪を避けて善を行う能力
●自由とは理想にあらず、境遇にあらず、能力である
●I can do that which is right.(我は正しき事を為し能う)
そして、この【真の自由】は生きるために最も大切で不可欠な存在だからこそ、侵害・争奪されることは致命的です。
ゆえに<【自由】侵害・争奪戦>は、霊的な【聖戦】であり、単なる人間関係の争いでないと私は理解しています。
まさに【ヨブ記】にあるように、【この世】の支配者の<悪魔・この世の君>と【神の愛=主イエス】との霊的争奪戦です。
<霊的>問題だからこそ米国なら「CNNラリー・キング・ショー」などが、宗教諸派の代表者・有識者を招くことによって
<宗教>の必要を世論に訴えます。
一方で日本では、メディアでも政治でも、<宗教>が表に出ることも、介入することも避けるかのような動きがあります。
<宗教>が嫌悪・軽視されるのは残念ですが、だから私たち個人が活躍できる<絶好のチャンス>ともいえるでしょう。
「いじめ」の本質を<霊的>問題であると考える私は【霊性:魂[勇気]・善意・良心】の【自由】が侵害・争奪されて、
そのために【霊性:魂[勇気]・善意・良心】が息苦しく<窒息状態>になることを社会全体で防ぐことこそが大切だと
認識しています。
ブッシュ大統領が「【自由と民主主義の価値観を守ろう!」と叫ぶのも、【霊性:魂[勇気]・善意・良心】の自由解放が
示されていると思います。
【自由】と民主主義の価値観こそ、米国の建国精神であり、【霊性:魂[勇気]・善意・良心】の自由解放だったからです。
米国建国の祖たちであるメイ・フラワー号の乗組員は、ご存知のようにピューリタン(清教徒)でしたが、彼等は新大陸である
【約束の地・神の国】へ上陸するにあたって、船中においてあらかじめ、宣誓書に全員が署名したそうです。
宣誓書には100年後の米国の独立宣言の根本精神が既に明確に唱えられていたのです。
「神の名において、正義と公正(機会の平等)と個人の【自由】を守るべし!」
彼等の抱いた【ビジョン:理想・夢・志】が、まさに米国精神の土台となり、やがて世界中に民主主義や自由主義思想として
広がっていったことは周知の事です。
確かに米国は政治的には好戦的で横暴な面もありますが、一方で【自由】と公正を守るために懸命に努力し続けていることも
事実です。そして、この【精神風土】はメイ・フラワー号の何も持たざるような百数十名の移民たちが将来への希望を抱きながら
崇高なる【ビジョン:理想・夢・志】を神の名の下に高らかに宣言したからこそ、【自由・平等・寛容・博愛】の理想の国へと常に
前進し続けているのだと思います。
大橋巨泉氏は新聞のコラムで「欧米の民主主義」を解りやすく説明してくれました。
「俺はお前の意見を100パーセント受入れることはできない。
しかし、もしその意見を言いたいならば、お前が意見を言えるようにするためには、命をかけて守ってやるよ。」
●本当の自由な心とは「認める」と言う事である(ゲーテ)
●自由人にふさわしく行動しなさい。ただし、自由をば悪を行う口実として用いず神の僕にふさわしく行動しなさい
(ペテロ第1書2‐16)
●自由は己を治むるの意なり。自由は己を神に委ね、しかれども強いられて委ねるにあらず、自ら求めて委ねるなり
(内村鑑三)
欧米の<【自由】と民主主義>とは、少数派の【霊性:魂[勇気]・善意・良心】の【自由】を大切に守ることといえます。
この根本精神の原点・源流は、常に<少数派>である【イエスの生涯と教え】に通じることは言うまでもありません。
●神の声は常に世論に反対す〈内村鑑三)
●投票箱より正義は生まれず(カーライル)
●キリストは少数である。福音は少数の意見である(内村鑑三)
「【神の愛=主イエス】ならどうするだろうか?」と考えることは、常に【霊性:魂[勇気]・善意・良心】の【自由】に通じることを
私たちは様々な人生経験で知っているのではないでしょうか。
●W.W.J.D.(What Would Jesus Do?)<【主イエス】ならどうするだろうか?>
●キリストが心にかけた事は民衆自身の事と一致する(クロムウエル)
●善の勝利への絶望は常に個人的勇気の欠乏である(ヒルティ)
●あなた方はこの世に妥協してはならない。むしろ、心を新たにすることによって造りかえられ何が神の御旨であるか、
何が善であって、神に喜ばれ、かつ全きことであるか、わきまえ知るべきである(ロマ書12‐2)
●この世において、真実の善良な生活をしようという勇気を彼等に取り戻してやらねばならない(ヒルティ)
●善良で温厚な人物は、すべてを善に転じさせる(トマス・ア・ケンピス)
★★【その2】につづく★★