◇◇『我れ【福音】を恥とせず!』の【信仰】の恵みに感謝!(その2)◇◇
【2004年6月7日に作成した<第334回>より】
★★【その1】のつづき★★
最近の話題で「ユビキタス社会」構想があります。以前メルマガにも紹介したように
「どこでもコンピュータ!」をコンセプトとした情報化社会の実現を目指す考えです。
実現に活用されるのは携帯電話を中心とした携帯端末(リモコン)と極小ICチップです。
ICチップは日常の家電製品や生活必需の製品説明や品質表示や機能・操作情報などが
書き込まれていて、あらゆる製品にあらかじめ埋めこんでおき、携帯端末さえあれば、
身の回りの製品・商品・サービスに関する情報を手軽に自由に取り出して活用できる
「便利な情報化社会(?)」を目指す考えです。
人体にICチップを埋め込むなら、世界のどこにいてもGPS衛星によって監視できる
SF映画でよく観られる究極の「人間管理システム」にもなり得ます。
元来ラテン語の「ユビキタス(Ubiquitous)」は宗教的用語として使われた概念であり
「神は同時に至る所に偏在する!」という意味合いで使われていたようです。
●インヌマエル:神われらと共にいます (マタイ伝1‐23、イザヤ7‐14、8‐8)
●見よ、私は世の終わりまで、いつもあなた方と共にいる
<Always,with you> (マタイ伝28‐20)
【この世の君】や【この世の富・権威・名声】が【この世の子】を管理し守るために
「コンピュータ技術」を駆使し築こうとしている「情報化世界」と似て非なるものを
【神の愛】は【主イエス】の出現によって2000年前から着手していた!という事実を
私は「ユビキタス社会」という概念の復活のおかげで気づかされました!
それは、【天の父・創造主】の【神の愛】で【光の子(神の子)】としての人類全体を
霊的に救済するために【信仰精神】を駆使した【聖霊化世界】の実現を目指す事です!
私たちに用意された【聖書】は【神の愛】を実感する【霊的】な「解読手引書」であり
この世の被造物には生まれながらにしてICチップとしてDNAが組み込まれています。
この世の全ての被造物も私たち各自も生まれつき【端末=神の器・神の道具】であり
この世で【神の愛の奇蹟】を実現させる最善発揮のために設計された【端末】です。
●我等は神に造られたる者にして、神のあらかじめ備え給いし善き業に
歩むべくキリスト・イエスの中に造られたるなり(エペソ書2‐10)
●私たちはこの宝を土の器の中に持っている。その測り知れない力は
神のものであって、私たちから出たものでないことが、あらわれる
ためである(コリント後書4‐7)
●人間の力の秘密は、神の道具であるという性質にある。何故なら、
全ての永続的な真実の力は神のものであって、人間のものではない
からである(ヒルティ)
●神がひとたび人間の意志を所有されるならば、神はその人の中で
みずから全てのことを行ない、彼を完全へと導き給う
(聖女カタリナ)
私たち【端末】の【霊源=聖所】とは【霊性:魂[勇気]・善意・良心】だと
私は理解しています。
●【良心】とは人間の行いの善悪を判断し、善を命じ、悪を禁じ、善をほめ、
悪を戒める神よりの心の声である。
人間は心の中に刻まれた法を持っており、それに従うことが人間の尊厳であり、
また、人間はそれによってさばかれる
【良心】は人間の最奥であり、聖所であって、そこでは、人間はただひとり神と
共にあり、神の声が人間の深奥で響く(カトリック要理:ロマ書2-15~16)
●彼等自身、自分の心にきざまれているこの法の存在を示している。
それを証明するのは彼等の良心である。また、彼等同士が相手に対して持つ、
非難や賞賛の内部的な判断も、それを証明する(ロマ書2-15~16)
●神が命じ人が神に応える所に【良心】がある。【良心】は人の神覚である、
人を離れて人が独り神と相対して立つ時に【良心】がある。(内村鑑三)
●道徳は人の道であり、【良心】は神の生命である。(内村鑑三)
人間や動植物・微生物など生命全体は機能・効能説明・商品説明・品質表示といえる
【タレント:個性・才能・可能性】と【ミッション:使命・天職】が個々に刻まれて
【神の愛】の【絶対不変の最善法則】である【天然の摂理】で休みなく働いています。
【神の愛】の【天然の摂理】は人間の創った「コンピュータ・システム」とは異なり
ダウン故障することはなく保守点検する事もなく24時間365日年中無休のフル稼働で
不正・情報漏洩もなく、完全完備の豪華で荘厳な【万全システム】と言えるでしょう。
コンピュターに電源・電波が必要なのと同じで【神の愛】との個人的直接的交流には
【霊性:魂[勇気]・善意・良心】を稼動させるための【霊源オン】をする必要があります。
私たちが【神の愛】と交流するための【霊源オン】している状態とは何でしょうか?
教会に行くことでしょうか?洗礼を受けること?慈善や寄付行為をすることですか?
【霊性:魂[勇気]・善意・良心】を【霊源オン=最善発揮】させている交流交信に
最適な状態とは自分の心の中に【ビジョン:理想・夢・志】を抱き守り育てる事だと
実感しています。
【ビジョン:理想・夢・志】は、いわばパソコンのインターフェイス初期画面であり
【霊的画面】である【ビジョン】を通じて【霊的交信】が可能だと確信するのです。
【ビジョン】を最前面(最優先)である限りは、無限の【霊的パワー・聖霊】が注がれ
いつでもパワフルで日々新たな【生活力】が【充霊】されて【霊的機能全開】です!
私たちが【神の愛・神の力】の【天然の摂理】から【聖霊の賜物】を享受するための
手続き条件は【神の愛】を仰ぎ見る【信仰精神】を与えられるだけで充分といえます。
【信仰精神】は自力取得ではなく【神の愛】から選ばれ与えられる事だと実感します。
ですから、先ずは【神の愛】に求めましょう!祈りましょう!感謝しましょう!
【礼拝:祈りと感謝】は私たちから【神の愛・主イエス】への「メイル送信」であり
【聖霊=主イエス】からの「受信」とは【霊感:インスピレーション・ひらめき】や
【セレンディピティ:幸運な思いがけない発見をする能力】として心に出現してくれ
【アメージング・グレイス】で【神の愛の奇蹟】の望み得ない不可能も実現します!
●神は神の聖霊を役立てたいと思う人々にだけ、それを授け給うのであって、
ただそれを所有して楽しむためには与えられない (ヒルティ)
●【神助】(内村鑑三)
◆神を信ぜよ、さらば神は汝の必要に応じてすべての善き物をもって
汝を恵まん。
⇔ ★天来の思想
★外来の友人
★意(オモ)わほざる汝に臨む全ての恩恵の手段(テダテ)
◆汝の目下の境遇をもって汝の力を量るなかれ。汝は信仰をもって
神の力を汝の力となすをうべし。
●賢さで人生を乗りきるのは困難だが、導きによって生きるのは容易である
(ヒルティ)
たとえ【聖書】や宗教・教会制度・神学など【キリストの福音】に無縁であろうとも
各自の【魂:善意・良心】は【聖霊=主イエス】から注がれる【神の愛・隣人愛】を
交換できる【聖所】であり、【魂:善意・良心】に従った【ビジョン】を大切にして
守り育て生きている限りは【光の子】として活躍することもまた可能だと思います。
実際に当メルマガで紹介してきた多くの人々も【キリストの福音】と無縁とえいます。
しかし、弱き私などは【ビジョン】を見失い【魂】を粗末にして【霊源オフ】となり
自分の本来の【機能】を最善発揮せず【悪循環】に陥りやく不安定な【端末】でした。
私には【聖書】に宿る霊的な力と真理の知恵は不可欠であり、この霊的解読手引書で
常に保守点検して軌道修正でき悪を遠ざけて、見えなかったものが見えるようになり
【神の愛】を実現する【端末】としての【バージョン・アップ】も可能となりました!
●信仰によって、私たちは、この世界が神の言葉によって創造されたのであり、
従って見えるものは、目に見えているものからで成されたのではないことを
悟るためである(ヘブル書11-3)
●見えるものは暫時(ザンジ)にして、見えざるものは永遠(トコシエ)に至る
(コリント後書4-18)
●自分の仕事を知り、それをなせ。我々に大事な務めは遠くのほうにおぼろげに
あるものを眺めているのではなくて手元にあって、はっきりしていることを
行うことである(カーライル)
●驚くべき導きの、神の側からみた目的と直接の狙いは我々を普通の卑近な
意味で幸福にすることではない。むしろ、恐れを知らず、あらゆる良き行いを
すすんでしようとする人、一言でいえば、英雄的な人にするためである
(ヒルティ)
【キリストの福音・聖書】は舶来の産物で日本人には役に立たない恥ずべきものでなく、
実際に救われている私にとっては、日々報恩感謝の気持から皆さんに【歓びの熱情】で
伝えたい【貴重な存在】です!これからも自信と誇りを持って紹介させて頂きます!
●恐れるな、語りつづけよ、黙っているな。
あなたには私が共にいるからだ。
誰もあなたを襲って危害を加えるようなことはない。
この町には私の民が大勢いるからだ(使徒行伝18-9~10)
●我はただ語る。人が聴いても語る。聴かないでも語る。
我は我が歓喜を語らずにはいられない。我はヒバリがさえずるごとく
人が聴く聴かざるに関せず語る。我は黙するにはあまりに嬉しくある。
それであるから語るのである(内村鑑三)
●神に試みられ福音を託ねらるるに足る資格(内村鑑三)
‐信頼の心
‐罪に泣くの心
‐自己の無力を認むるの心
‐神意のままに自己を使用せられんと欲する心
‐自説なるものは全く絶えて、自己を通じて神の福音を
世に鳴り渉らしめんとする心
●イエスによって与えられしもの(内村鑑三)
-罪をあがなわれしの感謝
-神の子たるを得しの歓喜
-自己に死して神に生けるの快楽
-復活の希望
-永世の約束
★★【その3】につづく★★