◇◇『我れ【福音】を恥とせず!』の【信仰】の恵みに感謝!(その1)◇◇
【2004年6月7日に作成した<第334回>より】
●我は福音を恥じとせず。この福音はユダヤ人を始めギリシャ人にも
全て信じる者に救いを得さする神の力なればなり。
神の義は、その福音のうちに顕れ、信仰より出でて信仰に進ましむ。
記して『義人は信仰によりて生くべし(ハバクク書2-4)』とある如し
(ロマ書1-16~17)
●十字架の言葉は滅び行く者には愚かであるが、救いに預かる私たちには
神の力である(コリント前書1-18)
神に大事にされ大切なる皆さんこんにちは。ご愛読に感謝します。
【聖書】全体の記述や【イエスの生涯と教え】や人格的【創造主】の存在に
懐疑的な人が多い事実、教会的信仰や宗教学・神学や宗教組織団体の活動に
偽善不義があるからといって【キリスト教/キリスト精神】や【神の愛】が
特に日本では無力であるとは思えません。
●真理は教会より大なり(内村鑑三)
●キリスト教は解するに最も難き宗教なり、余はこの世においていまだかつて
真正のキリスト信者を見たることなし。
しかれども解するの難きはその誤びゅうなるの証拠にあらず、
一人のキリスト信者なきは余が信者たりえざるの理由となすに足らず。
余は全世界に一人の信者なきもひとり確実なるキリスト教の信仰に
達せんと欲す(キルゲゴール)
教えられるままに中途半端に理解したつもりになるよりも、徹底的に疑って
あらゆる批判が尽きるまで【神の愛】と【聖書の真理】を追い求めましょう!
●【懐疑と破壊(内村鑑三)】
信ずるは疑うよりも善し、しかれども疑わずして深く信ずることはできない。
懐疑は信仰のために必要なり。
建てるは壊すよりも善し、しかれども壊さずして堅く建てることはできない。
破壊は建設のために必要なり。
さらば、恐れずして疑わんかな、大胆に壊さんかな、しかして深遠に信じ、
永久に築かんかな。
●私(主)は私を求めない者に見出させ、私を尋ねない者に、自分を現した
(イザヤ書65‐1、ロマ書10‐20)
●多くの先な者は後に、後なる者は先になるべし
(マタイ伝19-30、20‐16、マルコ伝10‐31)
私たち人間の【懐疑的批判精神】に駆逐され敗退するどころか真剣勝負には
誰にでも分け隔てなく真っ向から各自の能力レベルに応じて、いつどこても
何度でも私たち一人一人に合わせて救いに導いて下さることを信じましょう!
●求めよ、さらば与えられん、捜せ、さらば見出さん、門を叩け、さらば開かれん。
(ルカ11-9~10)
●求めよさらば与えられん、そしてあなた方の喜びが満ち溢れるであろう
(ヨハネ伝16-24)
●あなたの口を広くあけよ、私(神)はそれを満たそう(詩篇81-10)
●我が父の愛は無限なり、彼は我の滅びることを欲(ねが)い給わず、
彼は我につきて永久に絶望し給わず、
ゆえに我もまた自己につきて絶望することなく、
彼の無限の愛を信じてはばからずして今日起ちて彼に往かん
(内村鑑三:ルカ伝15‐18・放蕩息子の帰郷)
●見よ、私は戸口の外に立って、たたいている。
誰でも私の声を聞いて戸を開けるなら私はその中に入って彼と共にし、
彼も私と食を共にするであろう(黙示録3‐20)
●神は何らかの教会制度や、さらにある一定の学問の中に限られてはいない。
そのようなものがなくとも、神は自らを知らしめ給う(ヒルティ)
●教理を知らないでもクリスチャンである者が少なくない。キリスト教は
証明せらるべき教義ではなくて、生活さるべき一つの生命である
(ヘンリー・ドラモンド)
●イエス・キリストは昨日も今日もいつまでも永遠に変わることがない(ヘブル書13‐8)
寛容な「シンクレティズム(神仏混合)」や自然の至る所にそれぞれの神が宿るという
汎神論的な「自然崇拝」といった「多神教的精神」の考え方は「近代的欧米精神」や
ユダヤ・キリスト・イスラムの「一神教的精神」よりも平和的で今こそ誇るべきだ!
という考え方を日本の有識者の発言でよく見聞きします。
世界の歴史的事実から観察して一神教的な【唯一絶対的存在】は排他的で危険なので
明確な【唯一絶対的存在=真理】は個人個人が求め続ける方が安全なのでしょうか?
私個人は絶対安心できる【絶対不変の存在=真理】を強く求める【心】があります。
私自身の人生で【神の愛】に導かれるまでは、自己が「絶対的存在者=神」となるか、
自己都合で自分以外の対象を「偶像崇拝」して安心するかを繰返す不安定な人生でした。
現代の青少年の悲惨な事件の背景に【絶対的存在・真理】を教え学ぶ【チャンス】が
あまりに乏しい家庭環境、教育現場や社会環境があるのではないかと私は感じています。
孤独感、疎外感、日常の悩みにある時に、アニメのスーパー・ヒーローに憧れるように
世間を知らず「子供心」があって、社会や家族、自己の【闇】に悩み多き青少年ほどに
不動不変で絶対的信頼感を抱ける【光】なる【絶対的存在=真・善・美】に魅力を感じ
家庭、教育、社会に対して的確な答え・助言・指導を青少年は捜し求め続けている事を
世間で鍛えられ社会を知っている大人の私たちは、忘れているのではないでしょうか。
●すべて真実なこと、すべて尊ぶべきこと、すべて正しいこと
すべて純真なこと、すべて愛すべきこと、すべて誉れあること
また徳といわれるもの、称賛に値するものがあれば
それらのものを心にとめなさい(聞き捨てにおかず思想の材料とせよ)
(ピリピ書4-8)
★すべて真実なこと、すべて敬う(尊ぶ)べきこと ⇔【宗教的真理】
★すべて正しき(公義)なこと、すべて純真(清潔)なこと ⇔【道徳的善行】
★すべて愛すべき(人の心を引き付ける)こと、
すべて称賛すべき(耳に善き響きある)こと ⇔【審美的美事】
報道によれば、事件を起こす彼らの多くは【神・真理】を強く求めても答えを得られず
見つからず、結局は自分自身が「神」のように自己絶対化してしまったように感じます。
★感謝の心を持とう!★命を大切にしよう!★人として社会的ルールを守りましょう!
事件が起こる度に他人事に感じる上述の使い古された社会的発言が繰返されています。
【神の愛】に導かれて【真理】への飢え渇きから救われた私の実体験者によるならば
★君を最愛し完全理解し保護する【天の父・創造主】の【神の愛】に感謝しよう!
★【神の愛】から特別な【使命・天職】が託されている君の【生命】を大切にしよう!
★【天の父】が定める【神の愛=隣人愛】を君の【ビジョン】で実現しようではないか!
と【迷える青少年】には伝え続けます!ハレルヤ!主の祝福に感謝します!
家庭があって、物質的に豊かで、知識学力があろうとも、【絶対的存在・神・真理】を
捜し求める【魂:善意・良心】の飢え渇きは解消できないという【神の愛の啓示】だと
私は受け留めています。
マザー・テレサが来日した当時の豊かな日本の若者を観ての「発言」が思い出されます。
「物質的に貧困飢餓にある者よりも、精神的飢餓にある人を救う方が難しい」
そして何よりも知るべきは、一旦【神の愛】を経験すれば、こんな私にでも、誰にでも
つまずきの【どん底】からでも、精神的に救われる【セカンド・チャンス】はあります!
お互いに【神の愛】を仰ぎ【ビジョン:理想・夢・志】を抱き救いに導かれましょう!
●眠れる者よ起きよ!死人(罪)の中より立ち上がれ!
しからば、キリストは汝を照らし給わん(エペソ書5‐14)
●神を経験をする事の証し(ヒルティ)
-精神の安らぎ
-満ち足りる事
-真理への渇きが鎮まること
-精神と内的生命との一種の強化
●恐れてはならない、私はあなたと共にいる
驚いてはならない、私はあなたの神である
私はあなたを強くし、あなたを助け
我が勝利の右の手をもって、あなたを支える(イザヤ書41‐10~14)
★★【その2】につづく★★