【ビジョン&使命・天職】で<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>に導く【神の愛=主イエス】!!

AMEN!HALLELUJAH!THANKS JESUS KINGDOM! Good luck & God bless you!

【神愛福音道】【聖書価値観】<神愛価値観:神愛世界観・神愛歴史観・神愛人生観> 【神助道:神助精神・神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】

【神愛の摂理:神助・導き】【1】

◇◇Providence(神の摂理:神助・導き)(その1)◇◇
【2002年7月25日に作成した<第264回>より】 
2002年7月23日(火)21:15NHK「プロジェクトX救急救命ER誕生」を観て

●【神助】(内村鑑三
◆神を信ぜよ、さらば神は汝の必要に応じてすべての善き物をもって
  汝を恵まん。
⇔ ★天来の思想
★外来の友人
★意(オモ)わほざる汝に臨む全ての恩恵の手段(テダテ)
◆汝の目下の境遇をもって汝の力を量るなかれ。汝は信仰を
もって神の力を汝の力となすをうべし。
●我に糧あり、聖書なり。我に力あり、祈祷に存在す。
 我は単独にして世界を相手に戦いを得るなり(内村鑑三

神に大事にされ大切なる皆さんこんにちは、ご愛読に感謝します。

この世に【Providence:神の摂理】があることは常に実感させられます。
特に、先駆的なチャレンジとは常に独りの【霊性:魂[勇気]・善意・良心】が
目覚めることから始まり、少数精鋭が多くの【試練】を【隣人愛】の力によって
克服して行くことで花を咲かせ実を結び後世への道を切り拓くのだと思います。

それは植物の成長にしても同じです。私の育てていた観葉植物が環境を変えた為に
全ての枝葉を落として幹だけになってしまいました。長い間生活を共にしてたので
気の毒で可哀想なことをしたと後悔しました。しかし、根さえ生きていれば必ず
復活できることを信じて、毎日幹にも手で水をしませてあげました。

そのまま3ヵ月すると、それまで何の変化も無い様に思われていたのに何と幹から
新しい枝が伸び始めたではありませんか。そして、そこから二つの葉が現われます。
彼らはまさに先駆者でした。安全な環境であるかを確認するために勇気ある行動に
出たのです。そして、常に二手に分かれて、やがて一方が自ら犠牲となるかの様に
枯れて行きます。その二人の先駆者のおかげで、それから3年もたった現在では、
何十倍もの葉を繁らせてくれています。二人の先駆者のチャレンジと犠牲のおかげ
といえるでしょう。

同じような事が3メートル近くあった近所のモチノキの木でも起きました。
近所の都合で突然わずか数センチの切り株だけが残された無残な姿になっていて
私はショックを受けました。

事前に知って何か助ける方法がなかったかと無力感と罪悪感があるだけでした。

ところが、【神の愛】は【神の愛の奇蹟】を起こしてくれたのです!!

1年後の今年5月になると、わずか数センチの切り株から二つのかわいい新芽が
生えているではありませんか!

人間の都合で片づけようとしても、神の定めた《死すべき時》ではなかったのです。
それから2ヶ月たった現在では切り株の端に20僂旅發気砲泙農長しています。
しかし、初めに2本で登場したものの、2ヶ月後には1本だけが残り、一方は自ら
枝を落としたのです。

★注釈:あれから4年後の2006年12月現在では以前にもまして3メートル以上にまで
    発育しています!

それは先駆者として初めは安全のために二手に分かれて登場し、安全確認できると
限られた栄養を一点集中させるためにと、丈夫な方が生き残ったように思われます。

この感動的な《奇蹟の復活劇》も一見すると弱肉強食の苛酷な生存競争のようにも
映るかもしれません。

しかし、私はそこに【愛の摂理】を感じずにはいられません。
神の摂理】では【無駄な死:完全な敗北】はないからです。何故なら、この世の
万物は神の被造物であり、創造された愛なる神が決して望むはずがないからです。

●これらの小さい者にひとりが滅びることは、天にいますあなたがたの父の
 御心ではない(マタイ伝18-14)

植物の復活にしても、もし二手に分かれて生まれなくては【神愛の奇蹟】は絶対に
起こらなかったといえます。そして、生き残れなかった方は単なる不運で不幸なる
【無駄な死:完全敗者】ではなく、その《殉教》が未来の繁栄を保証させるという
崇高な【ミッション:使命・天職】に選ばれていると思うのです。

人間の世界でも、同じように社会の仕組みの犠牲となって不条理な悲劇の犠牲者が
たくさん生まれています。彼らは単なる不運で不幸な人生だったのでしょうか?

私は彼らこそ神に特別に選ばれた恵まれた人々だと信じます。彼らの生命によって
後の多くの生命を救うことができたなら、それは神が最も望み愛される道だから
です。

●人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない(ヨハネ伝15-13)

例えば、医療現場にも絶えず犠牲者が生まれ続けています。現在の日本ではERは
テレビのトレンディ・ドラマにも扱われるほどに救急救命の最前線として社会的にも
不可欠の存在として認知されていますが、35年前の日本では救急救命の体制すら
存在していなかったことをテレビ番組で初めて知りました。

昭和41(1966)年万国博覧会を4年後に控えた活況の大阪では交通戦争と呼ばれるほど
交通事故が7万件まで多発して、多くの重体者は病院の「たらい回し」で止む無く
死亡してしまう悲劇に住民からの非難が殺到したそうです。

そこで、大阪大学付属病院にもちかけたところ、病院側は救急救命医療については
消極的な反応を示します。大学病院側にもそれなりの言い分があったからです。

「我々の病院は研究の場所であり、数百万人を救う仕事をしているのだ!」

まさに、目の前の一匹の「さまよえる子羊(重傷者)」を救うよりも、残り99匹の
羊(一般市民)を守る事の方が有意義で重要なのだという論理といえるでしょう。

この一見すると【神の愛】に対極にある反論にも【神の摂理】は逆説的に示されて
います。私たちは人類救済のために、たった独りの【神の子イエス】を犠牲にした
からです。

そして、【神(主イエス)の愛=隣人愛】を実現するためには、時には貴重な命の
犠牲を伴わなくてはならないことも【神の摂理】であると思います。

「目の前の命を救いたい!あきらめるのは恥だ!」と大阪大学病院の34歳の若き
杉本医師は独り起ち上がったのです。彼が日本で初めて具体的に行動した先駆者と
いえるでしょう。全ての始まりは、独りの【魂:善意・良心】の目覚めといえます。

●大いなる事業が完成されるためには一つの精神があれば足りる。
 千の手を動かすために(ゲーテ
●偉大なことを成し遂げるのは、それ以外になすことの出来ない人のみである
 (ヒルティ)

杉本医師が救急救命(ER)の必要性を主張したのには訳がありました。彼が神戸の
病院を手伝っていた時、港湾労働者が作業中の事故で瀕死の状態で運ばれた来ます。
しかし、既に手遅れで助ける手だてがなく見守るしかなかった杉本医師に、患者が
最後に「子供を頼む」という言葉を残して逝った事が「心の傷」になったからです。

彼の捨て身の申し出で、大阪大学付属病院に日本初の24時間体制の救急救命部が
できたのです。リーダーの杉本医師とわずか3名のスタッフの少数精鋭部隊です。
しかし、杉本医師の心には確信に満ちた【ビジョン:理想・夢・志】がありました。

「目の前の命を守る砦となって、1パーセントでも助かる可能性があれば最後まで
 チャレンジする」という信念の実現です。この崇高な決意こそが、その後全国に
ERが普及して行った根本精神となり原動力となったのだと思います。

●人数が少ないからといって世界を変える力はないと侮るなかれ。
世界を変えてきたのはまさしく少数の力なのである(マーガレット・ミード)
●自分がそうであって欲しいと思う世界に向かう変化を自ら後押ししなさい
 (ガンジー
●すべて偉大なことは、小規模で少人数から始まるものだ。あなたはそれを
 覚悟しなければならない。そして、子供たちを教育するにも、彼等が少数派に
 属する事を平気なように導かねばならない(ヒルティ)

そして、【神(主イエス)の愛=隣人愛】の実現を目指す【先駆者】には神からの
《神愛の訓練》である【試練】が与えられるのです。

●我が子よ、
 主の訓練を軽んじてはならない
 主の叱責をいとうな
 父がかわいがる子をしかるように
 主は愛する者をしかる(箴言3‐11~12、ヘブル書12‐5~6)
●あなた方は訓練として耐え忍びなさい。神はあなた方を、子として扱って
 おられるのである。いったい父に訓練されない子があろうか(ヘブル書12‐7)

彼らが最初に救った患者は暴力団員でした。「人殺しを助けるのか?」と周囲は
冷ややかな反応を示して来ました。杉本医師はそのような周囲に対して応えます。

「我々は《猟犬》のようなものだ。そこに救うべき命があれば誰でも構わない!」

その後の2ヶ月間は軽傷者ばかりでした。そしてようやく運ばれてきた重傷者は
何と第一号患者の暴力団員の再来でした。今回は相手を殺していました。

せっかく捨て身で起ち上がって開設できたERなのに、杉本医師にとって虚しさの
連続でした。さらに杉本医師に【試練】は続きました。

★★【その2】につづく★★