【ビジョン&使命・天職】で<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>に導く【神の愛=主イエス】!!

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【神の愛本位】に至れ!【1】

◇◇【自己本位】で【神の愛本位】に至れ!(その1)◇◇
【2005年5月15日に作成した<第374回>より】 

●エゴを他人の為に使え!(曽野綾子

神に大事にされ大切なる皆さんこんにちは。ご愛読に感謝します!

キリスト教】の教える【罪】とは【自己本位:自己愛・エゴ自己中心】であると一般的に解釈されていると思います。
従って「悔い改める」とは【自己本位】を一切棄てて【神の愛=隣人愛】に立ち帰り、【自己犠牲】の善行・善人こ
なることとだと思っている人が多いのではないでしょうか。私自身も初めはそのように理解していました。

しかし、【自己本位】は【神の愛本位】と対立する関係ではなくて、【自己本位】を突き抜けてこそ【神の愛本位】に
至るのではないかと実感しています。

●キリストの愛神主義は利他・利己両主義の上に、超越して最も多く他を利して、最も多く己を利するの道を
 我に教えたり(内村鑑三
●イエスに対する【貴い愛】は人を促して大きな仕事をなしとげさせ、人を励まし、いつもいっそう完全な徳を
 望むように仕向けさせる。愛は常に向上を欲して、いかなる、いと低い事物によっても引き停められることを
 望まない(トマス・ア・ケンピス)

確かに【神の愛】に支えられていない【自己本位】の暴走は自分勝手で社会にとって危険であると十分想像できます。
そこで、【他人(社会)本位】を尊重するのが日本精神ではないでしょうか。世間体・恥の文化・儒教的価値観に加え
社会主義思想まで、個人よりも社会を優先する価値観であり、先ず社会制度・憲法・法律を改善健全にすることで
個人の精神も健全になるという考え方が最近の政治・学識者の基本方針のように感じられます。

戦後の米国占領政策の「民主主義」が【自己本位】の若者を育てたために公共心や愛国心のような【他人本位】が
失われているから、現代の悲惨な事件が多発し教育現場の混乱が起きていると一般的には理解しているようです。

日本精神は本来が【他人本位】だからこそ、内村鑑三が説くように「宗教性民族」であるともいえるでしょう。一方では
今まで【キリスト精神】が受容されにくいのは【罪人:自己本位】のためにこそ最善発揮される精神だからといえるでしょう。

●『わたしが求めるのは憐れみであって、いけにえではない』とはどういう意味か、行って学びなさい。
 わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」(マタイ伝9-13)
●イエスはこれを聞いて言われた。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは正しい人を
 招くためではなく、罪人を招くためである。」(マルコ伝2-17)
●わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである。」(ルカ伝5-32)
●言っておくが、このように、悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも
 大きな喜びが天にある。」(ルカ伝15-7)
●言っておくが、このように、一人の罪人が悔い改めれば、神の天使たちの間に喜びがある。」(ルカ伝15-10)
●わたしたちがまだ罪人であったとき、キリストがわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を
 示されました(ロマ書5-8)
●「キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた」という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します。わたしは、
 その罪人の中で罪人の頭(カシラ)の最たる者です(テモテ前書1-15)
●神に近づきなさい。そうすれば、神は近づいてくださいます。罪人たち、手を清めなさい。心の定まらない者たち、
 心を清めなさい(ヤコブ書4-8)
●罪人を迷いの道から連れ戻す人は、その罪人の魂を死から救い出し、多くの罪を覆うことになると、知るべきです。
ヤコブ書5-20)

私自身を含め【自己本位:自己中心・エゴ・自己愛】を尊重する人間が多くなったことは、【神の愛】に立ち帰るチャンスです!

【他人本位】が多数の健全な社会ならば、【キリスト精神】がなくても安全であったかもしれません。しかし、社会が豊かになって
各自が自分の可能性を捜し求める【自己本位】【個人主義】が尊重されるようになれば、そこには歯止めなる新たな価値観が
不可欠でしょう。

多くの有識者・政治家は「武士道・大和魂」「修身・道徳教育」の復興や「憲法教育基本法改正」「法律強化・厳罰化」とか
何とか法律・戒律遵守によって【他人本位】に立ち返らせようと懸命のようです。

【自己本位】の暴走を止めるには、自己の外(他人・社会・戒律)に羅針盤を定めることよりも、【内なる声】に従わせることこそが
本人のためにも隣人・社会のために【神の愛】のために最善発揮される道だと信じます!

自己の【霊性:魂〈勇気〉・善意・良心】からの【内なる声】には【聖霊】からの【神の愛のメッセージ】が明確に示されているからです。

●【良心】とは人間の行いの善悪を判断し、善を命じ、悪を禁じ、善をほめ、悪を戒める神よりの心の声である。
 人間は心の中に刻まれた法を持っており、それに従うことが人間の尊厳であり、また、人間はそれによってさばかれる。
 【良心】は人間の最奥であり、聖所であって、そこでは、人間はただひとり神と共にあり、神の声が人間の深奥で響く
 (カトリック要理:ロマ書2-15~16)
●神が命じ人が神に応える所に【良心】がある。【良心】は人の神覚である、人を離れて人が独り神と相対して立つ時に【良心】がある。
 (内村鑑三
●道徳は人の道であり、【良心】は神の生命である。(内村鑑三
●他のいかなる自由よりも、先ず第一に良心に従って知り、考え、信じ、かつ言うことの自由を我に与えよ(ミルトン)

霊性:魂〈勇気〉・善意・良心】が発する【内なる声】を素直に認めら決断と実行に導いてくれるのには【キリスト精神】が最適です。
【神の愛=主イエス】を理解し、信愛するならば、世間では自分勝手の【自己本位】でありながら、【神の愛=隣人愛】のための
【神の愛本位】に至り、世のため人のための【ビジョン:理想・夢・志】を抱き【ミッション:使命・天職】を発見することができるはずです!

●完全なる職業とは他人を喜ばして我もまた喜ぶの職なり(内村鑑三
●野心からも、単なる義務感からも、本当に価値あるものは生まれてきません。
 本当に価値あるものは、むしろ、人や事物を深く愛する心から生まれてくるのです(アインシュタイン
●人間のうちに善をのばしてやり、彼らの心に善に対する愛好心を注ぎ込むことが必要である(ヒルティ)
●しいられてするのではなく、神に従って自ら進んでなし、恥ずべき利得のためでなく、
 本心からそれをなしなさい(ペテロ第1書5-2)
●各自は惜しむ心からでなく、また、強いられてでもなく、自ら心で決めたとおりにすべきである。
  神は喜んで施す人を愛してくださるのである(コリント後書9-7)
●自由人にふさわしく行動しなさい。ただし、自由をば悪を行う口実として用いず
 神の僕にふさわしく行動しなさい(ペテロ第1書2‐16)
●主によりて歓喜をなせ、主は汝の心の願いを汝に与え給わん(詩篇37-4)
●汝の道を主にゆだねよ、主に信頼せよ、主はそれをなしとげ、光のごとく汝の義をあきらかにし、
 真昼のごとく汝の訴えをあきらかにし給わん(詩篇37-5~6)
●神がひとたび人間の意志を所有されるならば、神はその人の中でみずから全てのことを行ない
 彼を完全へと導き給う(聖女カタリナ)
●一切の仕事が、神を離れては困難であり、神と共にあれば一切が可能である(ヒルティ)
●我等は悪を避けんとするよりは、むしろ神と共にあらんことを努むべし(内村鑑三
●キリストは我が教師にあらず、我が救い主なり、我が生命なり、また我が復活なり(内村鑑三

★★【その2】につづく★★