◇◇大喜び!大絶賛!歓喜の【讃美:讃歌・賛美歌】でほめ称えよう!(その2)◇◇
【2007年2月9日に作成した<第424回>に加筆】
★★【その1】のつづき★★
ご存知のように、【神の愛=主イエス】は私たちを理由もなく、酷く苦しめたり悲しめたり恐怖のままに見捨てることはありません。
しかし、頭で考え理性で解っていても、目の前に起きている苦しみ痛み悩み恐怖を乗り越えることは私のような弱虫には困難です。
そこで、そんな私のような弱い小さき信仰者のために、【神の愛=主イエス】が考えられたのが他者による【礼拝:讃美と祈りと感謝】の支援があり、身代わりの<とりなし>があるのだと、私は確信するのです。
マザー・テレサと出会う人々が、「何か私がお手伝いすることはありますか?」「私にできることはありませんか?」と尋ねられると、決まって応えていたといわれる有名な発言を思い出されます。「私のために祈っていてください!」
聖路加病院の日野原院長は、これからは従来の「Pay back」という考え方より、新しく「Pay Forward」の態度で社会参加することを提唱しています。
これは自分が受けた恩義に対する「恩返し」の考え方です。「Pay back」とは従来の伝統的日本にある義理・人情の考え方であり、育ててくれた両親へは恩返しの「親孝行」に始まり、お世話になった人へは、お歳暮やお中元などで「お返し(Pay back)」することが美徳といわれてきましたが、一方で「Pay Forward」という日本ではまだ珍しい「恩返し」の考え方があることを紹介しているのです。
つまり、自分が受けた恩義を、直接の当事者に返すのではなく、自分と同じような立場の【隣人・社会】に向けて恩返しするのです。
まさに【主イエス】が提唱している【隣人愛】そのものであり、【黄金律】の実践といえるでしょう。
●すべて人に為(セ)られん欲(オモ)うことは、汝等、神が汝等に為し給うごとくに、人に為すべし(黄金律:マタイ伝7‐12)
ある日本女性が米国での慣れない大学生活中に、学生街のパン屋さんの女店主に、いつも優しく親切に面倒を見てもらったそうです。
学生で何もお礼ができないことを申し訳ないと伝えると、店主は当時の彼女にとって生涯忘れない<強烈なメッセージ>をくれたのです。
「私がしたことへのお礼など必要ありませんよ。それよりも,あなたが社会に出たら社会に恩返ししてくださいね!」(Give it back to the community!)
私の見ず知らぬ、身に覚えも無い、他者の【礼拝:讃美と祈りと感謝】から受けた恩義も同じように、まさに「Pay Forward」の世界です。
今回の我が身に降りかかった突然の出来事で、肉体的に健康に新しく生まれ変えさせてくれたことへ、私自身が<恩返し>をするには、今日現在、私と同じように病苦の痛み・悲しみ・不安・恐怖に心がとらわれ、絶望のどん底で悩み苦しんでいる世界中の人々のために、彼らの身代わりになって、【神の愛=主イエス】に歓喜の祝福の【礼拝:讃美と祈りと感謝】を思い切りすることだと実感できたのです!
ご存知のように、恵み深く慈愛に満ち溢れた【神の愛=主イエス】は、同時に厳格・厳正な【天然の摂理】と<正義>を重んじます。
さらに、万事万物の中で、【神の愛=主イエス】に似せられた人間だからこそ、個人の<自由意志>を尊重していることも事実です。
従って、【神の愛=主イエス】は、むやみやたらに過保護過ぎるように、甘やかすように【御手:神助】を差し出すわけではありません。
そこで、人間から自発的で確信と歓喜に満ち溢れた【礼拝:讃美と祈りと感謝】による要求が起きた時には、【神の愛=主イエス】は喜んで惜しみなく余りあるほどの恵みを伴った【御手】を動かしてくれるのだと私は納得できました。
●人間生活は意志の自由に基づいており、それに、神は自由な人間と、みずから進んで働く僕とを欲していられるからである(ヒルティ)
●真心からの感謝を神にささげよ。あなたの誓いをいと高き方に果たせ。
苦難の日には私を呼び求めよ。私はあなたを助け出そう。
あなたは私をあがめ、私の栄光を輝かすであろう(詩篇50-15)<ロビンソン・クルーソー救霊の聖句>
歓喜の中で<神の愛の栄光>を称え【神の愛の奇蹟】を絶賛する【礼拝:讃美と祈りと感謝】があれば、どんな異教徒・異邦人であろうと本人の信仰とは全く無関係に、代理人の行う歓喜の【礼拝:讃美と祈りと感謝】に免じて、【神の愛=主イエス】が常に働かれることこそが、本当の【福音】の証明です。私は自分の信仰に破れ、死にかけ、命拾いしてこそ発見できたのです!ハレルヤ!栄光を主に帰します!
●神は、すべての人々が救われて真理を悟るに至ることを望んでおられる(テモテ前書2-4)
●愛する人たち、このことだけは忘れてはならない。主のもとでは、一日は千年のようで、千年は一日のようである。ある人たちは、遅いと考えているようですが、主は約束の実現を遅らせておられるのではありません。そうではなく、一人も滅びないで皆が悔い改めるようにと、あなたがたのために忍耐しておられるのです(ペテロ後書3-8~9)
●これらの小さい者の一人が滅びることは、天に在ますあなた方の父の御心ではない(マタイ伝18‐14)
●神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである(ヨハネ伝3-16)
そうです!まさに【礼拝:讃美と祈りと感謝】は【神の愛=主イエス】の存在への疑いや不安や、悲しみ怒りを伴ったり、形式的な義務感では、聞き届けられにくいのです。【神の愛=主イエス】は私たちがどんな時でも無邪気に喜び楽しむ<幼な子>の姿だけを望まれているからです。
どんな境遇にあろうとも、希望に満ち溢れた【フロンティア精神:★チャレンジ精神★ポジティブ/プラス思考★オープン・マインド】を望むのです。
●代々とこしえに喜び楽しみ、喜び躍れ。私は創造する。見よ、私はエルサレムを喜び躍るものとして、その民を喜び楽しむものとして、創造する。私はエルサレムを喜びとし、私の民を楽しみとする。泣く声、叫ぶ声は、再びその中に響くことがない(イザヤ書65-18~19)
●希望の源である神が、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、
聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださるように(ロマ書15-13)
●神の国は、飲み食いではなく、聖霊によって与えられる義と平和と喜びなのです。このようにしてキリストに仕える人は、神に喜ばれ、人々に信頼されます。だから、平和や互いの徳を高め、霊的成長に役立つことを、追い求めようではありませんか(ロマ書14-17~19)
恵み深き【神の愛=主イエス】は確かに存在し、私たちをいつも<最善>に導いてくださる!という確信に満ちた喜び感謝の中であってこそ私たちの【礼拝:讃美と祈りと感謝】は【神の愛=主イエス】を喜ばせ、即座に惜しみなく聞き届けられることを信じましょう!
【常時歓喜!不断祈念!万事感謝!】
●いつも喜んでいなさい、絶えず祈りなさい、全ての事に感謝しなさい。
これがキリスト・イエスにあって神があなた方に求めておられることである(テサロニケ前書5‐16~18)
●望みて喜び、患難に耐え、常に祈れ(ロマ書12-12)
●私は主をたたえます。主は私の思いを励まし、私の心を夜ごと諭してくださいます。
私は絶えず主に相対しています。主は右にいまし、私は揺らぐことがありません。
私の心は喜び、魂は躍ります。からだは安心して憩います。
あなたは私の魂を陰府に渡すことなく、あなたの慈しみに生きる者に墓穴を見させず
命の道を教えてくださいます。私は御顔を仰いで満ち足り、喜び祝い、右の御手から永遠の喜びをいただきます(詩篇16-7~11)
●主は私の力、私の盾、私の心は主に依り頼みます。主の助けを得て私の心は喜び躍ります。歌をささげて感謝いたします(詩篇28-7)
●私を広い所に導き出し、助けとなり、喜び迎えてくださる(詩篇18-20)
★★【その3】につづく★★