【ビジョン&使命・天職】で<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>に導く【神の愛=主イエス】!!

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【神愛福音道】【聖書価値観:神愛世界観・神愛歴史観・神愛人生観> 【神助道:神助精神・神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】 【<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>創世道】

<十字架>=【使命・天職】!①

◇◇十字架を背負う者 ⇔ 使命・天職を目指す者(その1)◇◇
【2002年11月29日に作成した<第280回>に加筆】 
2002年11月20日(水)早朝4:00NHKラジオ「心の時代」
     11月28日(木)15:30NTV「ザ・ワイド:アニマル・ヘルパー警官」を見聞きして

●誰でも私について来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、私に従って来なさい
(マタイ伝16-24)
 
神に大事にされ大切なる皆さんこんにちは。ご愛読に感謝します。

【キリスト精神:イエスの生涯と教え】の象徴は【十字架】といえます。それでは【十字架】とは何を
示しているのでしょうか?

【十字架】とは人生の段階において人それぞれで異なるかもしれません。

私自身は最近になって【十字架】とは、各自に与えられた【ミッション:使命・天職】であると思えるようになりました。

日本語で示される「悔い改める」とは、本来ギリシャ語の「メタノイア」に由来する言葉であって、【神の愛=主イエス】を受入れなかった心が【神の愛=主イエス】に立ち帰る180度方向転換の決断をする「神へ廻れ右!」を意味するそうです。

●真の悔改は神と人とに対する愛情(真実)の復興である(内村鑑三
●キリストの愛神主義は利他・利己両主義の上に超越し、最も多く他を利して最も多く己を利する道を我に教えたり(内村鑑三

【神の愛=主イエス】に目覚め「悔い改め」を決断した者は何を目指すのでしょうか?

私は自分の青年の心に抱いた【ビジョン:理想・夢・志】に立ち帰って自己の【タレント:個性・才能・可能性】を最善発揮できる道を発見し目指す事でした。それこそが【神の愛=主イエス】が望み命じ定める【ミッション:使命・天職】に通じる道だと信じます。

●人の歩みは主によって定められる。人間はどうして自分の道を理解できようか(箴言20-24)
●人の歩みは主によって確かにされる。主はその人の道を喜ばれる。その人は倒れても全く打ち伏せられることなく、主はその人の手を支え助けられるからだ(詩篇37-23~24)

【神の愛=主イエス】に側に立つということは、それまでの自分自身の境遇や条件では到底不可能と思われる事柄でも、いつのまにか挑んでいる自分になっていて、それは【神の愛のパワー:聖霊】が注がれた証明だと信じます。

聖霊、汝等の上に臨む時、汝等能力(チカラ)を受けん(使徒行伝1-8)
●神は神を愛される者と共に働いて万事を益となるようにして下さる(ロマ書8-28)

例えば、私事で恐縮ですが、私は幼少の頃から「人を笑わせる事」が好きでした。小学生の頃になるとテレビ映画でたくさん観た米国映画に魅了させられて行きます。

そこに描かれる《ヒーロー像》は聖人君子や《スーパー・ヒーロー》ではなくて、どちらかと言えば私のようなどこにでもいる民衆の独りが、突然愛と正義に目覚め、起ち上がる《Accidental Hiro(思いがけないヒーロー)》が多かったからです。

「僕だっていつか活躍できる!」映画はまさに≪アメリカの良心≫を現わしており、今思えば根底に【キリスト精神】が示されていたと実感できます。

●キリストが心がけた事は民衆自身の事と一致する(クロムウエル)

私は米国映画のように「多くの人に愛と勇気と希望と感動を提供したい!」と望むようになりました。そして、映画やテレビに関係するマスコミ業界を目指すようになりましたが、就職では望みとおりになりません。

それでも映画やテレビ番組を制作したりそれに関連する業界への憧れや夢を捨てきれずに社会人生活を続けます。

そんな【迷える子羊】の私が【聖書:イエスの生涯と教え】に導かれた事によって、私が本当に目指したかった【道:使命・天職】が初めて明確になったのです! ハレルヤ!栄光を主に帰します!

【キリスト精神:イエスの生涯と教え】を【福音伝道】することが、私が望む「隣人・社会の多くの人々に愛と勇気と希望と感動を提供できる」≪最善の道≫であることを発見できたからです。【聖書】【神の愛=主イエス】ほど愛と勇気と希望と感動をいつでもどこでも自由に手軽に与えてくれる【ダイナミック・パワー:信じる力・望む力・愛する力】も【バイタリティ:生活力=生命力+活力】など他には考えつきません。

●我は福音を恥じとせず、福音はすべて信じる者に救いを得させる神の力である(ロマ書1-16)

映画やテレビという具現化手段を捜し求めるのでなく、生涯を投じられる目的として、何を伝えるべきかを発見できたので、私の心はようやく定まったのです。今日の私があるのは【神の愛=主イエス】による導きのおかげであり、私にとっては【神の愛の奇蹟】そのものです!
 
●心の定まるのはまことによいことである(ヘブル書13-9)
●この世にある安らぎはただ一つ、大いなる目標への確信だけである(ヒルティ)
●神が私たちに求め給うのは、私たちと共にいますこと、神に心を寄せる者を見出して、その心を神みずからの霊によってさらに育て、かつ、生き生きとさせること、これ以外の何ものでもない(ヒルティ)
 
私独りからでも、皆さんに少しでも「愛と勇気と希望と感動」を提供できる!この場所は私にとって何よりも貴重な【ミッション:使命・天職】の実現の場所となっています。皆さんが心暖かく愛読継続されている事を改めて心より感謝いたします。

●Nature without check,with original energy.:
 元始の精力をもって、さまたげられることなく、天真のままに語れよ(ホイットマン

先日のラジオ番組では、たった独りからの決断と実行が世界を改良させた感動話が紹介されていました。それは盲人のための「点字」の誕生に関するエピソードです。ラジオで紹介してくださったのは、アサ・ヒロシ元筑波大教諭です。

大正11(1922)年生まれのアサさんは5歳の時ケガのために失明してしまったそうです。大学退職後も、「日本点字委員会」の会長として今年の2002年6月まで文法研究で貢献してきた人です。

盲人のための言語伝達手段についての研究はローマ時代から研究されてきたほどに長い長い歴史があるそうです。
しかし、現代の縦3点横2列の6点で表示するという世界共通の文法が完成されたのは、わずか150年前のことだったのです。

きっかけはフランス軍人のシャルル・バルビユが考案した命令伝達方法でした。彼は夜間の暗闇でも手で触って把握できる「暗号」を「点字」で考案したのです。

そして、フランスの盲学校で役立つのではと持ち込んだそうです。彼の先見性も世界的功績に必要不可欠な【タレント:個性・才能・可能性】であったのでしょう。残念ながら校長先生はあまり関心を示さなかったようです。バルビユの「点字」では、文法が確立しておらず「点」の数も多過ぎたからです。

しかし、当時11歳の生徒だったルイ・ブライユ少年だけは違いました。彼は馬具師の家庭で育ち3歳の時に父親の馬具作りの道具で遊んでいて失明してしまったのです。

「よし!この『点字技法』を何とかして使おう!」と少年ブライユは決断します。そして、16歳の時に現在の「6点字」の文法によってアルファベットと楽譜をおこすことに成功したのです。

ローマ時代から2000年以上の人類の歴史上で、どんな天才偉人でも発明できなかった画期的進歩を実現させたのは、たった独りの少年の【ビジョン:理想・夢・志】からだったことに私は大いなる勇気と感動を与えられました。「やればできる!」

●ためしてみること、着手することによってのみ最も偉大な事柄も成就するものだ(ヒルティ)
●大いなる事業が完成されるためには、ひとつの精神があれば足りる。千の手を動かすために(ゲーテ
●すべて偉大なことは、小規模に少人数から始まるものだ。あなたはそれを覚悟しなければならない。そして、子供たちを教育するにも彼等が少数派に属することを平気なように導かねばならない(ヒルティ)
●人数が少ないからといって世界を変える力はないと侮るなかれ。 世界を変えてきたのはまさしく少数の力なのである(マーガレット・ミード)
●キリストは少数である。福音は少数の意見である(内村鑑三

ところが、当時のフランス当局ではその偉業を理解できませんでした。教育専門家は「点字」よりも字の形を手でなぞる「凸(トツ)字」を奨励して指導していたからです。ブライユ少年は【ミッション:使命・天職】を終え、1852年にわずか43歳でこの世を去ったのです。

結局、彼の「点字」がフランスで初めて認められたのは、没後2年後の1854年だったそうです。ご存知のように、その後あっという間に欧米や世界に広まって行きます。盲人の近代的教育が確立されたのは「点字」のおかげであり、今でも「点字」の事を「ブライユ点字」とまで呼ばれるそうです。

そして、フランスでは1952年にブライユの没後100年祭として、彼の偉業を後世にまで語り伝えるフランスの誇りである事を認めて、偉人だけが眠る「パン手オン寺院」にお墓が移されたそうです。彼の墓の隣りは世界の文豪として有名なビクトル・ユーゴが眠っているそうです。彼の生家は記念館として大切に残されており、アサさんもまた彼の生家を訪れて勇気と感動を得たそうです。

彼の偉業が【神の愛=主イエス】に祝福されている証明だと信じます。死後も尚、私のような人間の心の目までも開かせてくれるからです!

●彼は死んだが信仰によって今もなお語っている(ヘブル書11-4)
●神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて万事を益となるようにして下さる、と私たちは知っている(ロマ書8‐28)
●神への信頼を失わずに、その試練を切り抜けるならば、他のいかなる道でも達せられないほど、神に近づく事ができる(ヒルティ)
●すべて彼(主イエス)を信じる者は失望に終わることがない(ロマ書10―11)

★★【その2】につづく★★