◇◇パウロ的回心:「嫌いなもの」が好きになる(その2)◇◇
【2002年11月21日に作成した<第279回>に加筆】
2002年9月25日(水)テレビ朝日「徹子の部屋:宮脇 昭」
11月8日(金)深夜4:00NHKラジオ「心の時代:土に触れよ・宮脇 昭 」
11月18日(月)深夜2:00NHK「体験エコ・ツアー!フィヨルド」を観て
★★【その1】のつづき★★
宮脇さんの研究テーマは一転します。それまで「雑草」を宿敵として見なしていたのですが、実は《最大の宿敵》とは人間の勝手都合な開墾と植林にあったことをチクセンく教授の指導で理解できるようになったからです。
ドイツ留学のある日、彼は幼年時代の故郷の《鎮守の森》で遊んだ風景を夢で見たそうです。宮脇さんは神様から【神助・導き】を与えられたと私は信じます。
彼は教授に相談して、《鎮守の森》研究をすることを相談します。チクセン教授も喜んで彼の研究を理解し支援してくれたのです。
「西洋には神聖な存在として十字架がある、同じ様に日本には神聖な《鎮守の森》がある。行って研究したまえ!」
実はチクセン教授は日本にも何度も訪れて、以前から《鎮守の森》の存在意義を日本の学者以上に高く評価していたのだそうです。
「Naitive Forest by Native Tree(ふるさとの木によるふるさとの森作り)」を提唱していたチクセン教授には《鎮守の森》こそが理想であり、日本が自然と共生してきた数千年の魂の結晶であり、日本の精神の原点として心から敬愛していたからです。
早速、宮脇さんは人生大転換と共に得られた新たな【ミッション:使命・天職】を抱き直ぐに帰国したそうです。
チクセン教授に学んだことにより、現在の地球上に生息する森林は本来の形ではなく、人間の都合で作られた「偽物」であることが解るようになったのです。「本物」とは厳しい土地本来の気候に根ざすもので、災害・地震・火事にも存続できる存在であることは、日本の《鎮守の森》が証明しているそうです。
現在では数少なくなってしまった《鎮守の森》は阪神大震災の時も、焼ける事無く、倒れる事無く、周辺の防災のために役立ってくれたのです。
宮脇教授の現在進めている世界的活動とは、本物の森林復活という大事業なのです。
日本では、土地本来に根ざす本物の「主役」とは「ブナ・樫・タブ」だそうです。しかし、これらの「主役(ライト・スタッフ)」は深根性で直根性で扱いにくくて、植木職人が嫌うために、次第に植林されなくなって行ったそうです。それと同時に扱いやすい木々ばかりが植林されたために、やがて雑木林は姿を消して行きます。
外来種の人工的な森林には外来の下草が繁るようになり、それが「雑草」として嫌われる存在として目立つようになります。抜けば抜くほど「雑草」は育つので悪循環になっているのが現状の姿といえます。
ドイツでは「森の下に森がある」というほどに低木・下草もまた生態系を担う貴重な存在であり、本来「雑草」として抜取るような無駄な物は何一つないのです。
規格品でなく、自然の掟に従って混植・密植させ競争・共生させることで、植物の潜在エネルギーを発揮させようとする「植物社会学」を提唱する宮脇さんは世界各地で大事業を成功させています。
例えば,全長2500キロの万里の長城に森を取戻す巨大プロジェクトでは2000年前の「主役」を見つけ出すことから始めなくてはいけませんでした。
長い年月の間にレンガ製造用や防寒用の薪として伐採してしまったために、本物の「主役」は姿を消していたからです。
宮脇さんは自分の五感を駆使して【自然の情報=神の愛のメッセージ】を読み取ります。「見えないもの」を見分けることに成功するのです。
それは、今では秘境の奥地にしか生息しない「蒙古ナラ」こそが本来の「主役(ライト・スタッフ)」である事を発見したのです。
しかし、地元の学者や専門家は懐疑的でした。「そんな木はもうとっくに消えて無くなっている。植えても育つわけがないのでは?」
彼らの偏見と思惑に反して、それまで何を植えても成功しなかった万里の長城なのに、「蒙古ナラ」の40万本の植樹は見事に根付き成功しました。
宮脇さんのチャレンジはアジア各地やアマゾン低地帯など世界中に渡っています。
雑草を駆除して「貧しい農地を豊かにしたい!」という彼の青年の心に描いていた当初の【ビジョン:理想・夢・志】は本来の≪正しい道≫に導かれて、見事に花開いて世界中の地表を豊かな森に戻すという【楽園復活の大事業=神の愛の事業】となったのだと私は確信します!ハレルヤ!栄光を主に帰します!
●私はあなた方に悟りを与え、行くべき道を教えよう。私はあなた方に目を留めて助言を与えよう(詩篇32-8)
●主に自らをゆだね、おのれの喜びとなせ。主はあなたの心の願いをかなえられる。(詩篇37-4)
●主に感謝せよ。主は慈しみ深く、人の子らに驚くべき御業を成し遂げられる。主は渇いた魂を満ち足らせ、飢えた魂を良いもので満たしてくださった(詩篇107-8~9)
宮脇さんは番組の中で次のことを強調していました。
「生き物は人の顔ほど、それぞれ能力が違うのです。思い通りに始め行くものは偽物です。本物は始めは扱いにくいが試練に耐えられる。本物は人為的に除かれてしまう。偽物は植樹しやすいので見誤る。人間の教育も同じです!」
彼の発言は【聖書】に示されることに通じます。本物の「主役(ライト・スタッフ)」ほどに、世間的には扱い難い<捨てられた石>でありがちです。
しかし、【神の愛=主イエス】から見れば、貴重な【コーナー・ストーン】であることを心に留めて、人間を見抜き育てて適材適所に導き出すことを目指すべきでしょう。
●家造りらの捨てた石が隅のかしら石になった。これは主のなされたことで、私たちの目には不思議に見える(詩篇118‐22、マタイ伝21‐42、マルコ伝12‐10、ルカ伝20‐17、使徒行伝4‐11、エペソ書2‐20、ペテロ第1書2‐7)
●もし、人が何か役に立つことを知り、かつ学びたいと願うならば、他の人から知られずにおり、人から何ものでもないと思われることを愛さなければならない(トマス・ア・ケンピス)
●もし、あなたが何事かの知識や学問を役立つように修得したいと欲する ならば自分が世に知られず、つまらぬ者と評されるのを喜びなさい(トマス・ア・ケンピス)
今までの人生では「嫌いなもの・無縁なもの・敵対関係」と思われていた対象・事柄が、実は自分自身の【敬愛すべき対象=神の愛】であることを私たちは学ぶべきでしょう。
そして、私たちが本来目指すべき【ミッション:使命・天職】もまた、≪パウロ的回心≫のように人生大転換という【試練:神の愛の導き】を経験して時には過酷な苦難を克服してこそ素晴らしい祝福に預かることを信じましょう。
●我々にとって試練にともなう大きな祝福は、それによって我々がより広い視野を もつことができ、また、どのような永続的な宝のために生きるのが価値あるものかを 判別する力を養うためにある(ドラモンド)
●どんな幸福な生活にも数多く起こる試練や心労を、堪えがたい重荷だと考えるか、それとも自分の生活原則を実行し修練するために、神から授けられた機会だと見るかは、ものごとの感じ方として大きな相違である。そして、この感じ方次第ですべてが決まるのである(ヒルティ)
皆さんの人生にも≪パウロ的回心≫のような【アメージング・グレース(驚くほどの身に余る恵み)】が与えられて、素晴らしい【ミッション:使命・天職】に導かれて【光】の中を歩まれることを楽しみにしています!皆さんの活躍を心より応援しています!
●これは私たちの神の憐れみ深い御心による。また、そのあわれみによって、日の光が上から私たちに臨み、暗黒と死の陰とに住む者を照らし、私たちの足を平和の道へ導くであろう(ルカ伝1-78~79、詩篇107‐10、イザヤ書9‐2・59-8)
●驚くべき導きの、神の側からみた目的と直接の狙いは我々を普通の卑近な意味で幸福にすることではない。むしろ、恐れを知らず、あらゆる良き行いをすすんでしようとする人、一言でいえば、英雄的な人にするためである(ヒルティ)
●あなた方は、以前は闇であったが、今は主にあって光となっている。光の子らしく歩きなさい。
光はあらゆる善意と正義と真実との実を結ばせるものである(エペソ書5-8~9)
●一体に計画を立てるということは、なんの役にも立たないことが多いものだ。待つこと、そして神のさずけ給う機会に注意を怠らず与えられたその機会をすばやく、すすんで十分の心構えをもってつかむ事、これが成功をおさめる道である(ヒルティ)
●束縛があるからこそ
私は飛べるのだ
悲しみがあるからこそ
高く舞い上がれるのだ
逆境があるからこそ
私は走れるのだ
涙があるからこそ
私は前に進めるのだ(ガンジーの遺言となった詩)
●ともかく、あなたは屈服してはならない
忍び寄る恐怖の闇に
闇の暗い顔の前で、ドアを閉めよ
そして、あなたの心から追放するのだ
私は、私の勇気を萎(な)えさせない
そして、あなたの中、あなたの心の奥にある希望の灯を
過ぎる風に吹き消させはしない
あなたは、あなたが思っているよりも尊貴なのだ
あなたが感じているよりも、はるかに勇敢なのだ
あなたの中には、まだ発見されない力がある
やがてそれは勢いよく、命の上に、ほとばしるに違いない(マハトマ・ガンジーの直弟子ラマチャンドラン博士)
ハレルヤ!主に感謝します。
栄光を主に帰します。アーメン
それでは今日も明日も素晴らしい人生をお過ごし下さい。
May grace and peace be with your spirit.
Good luck & God bless you!
メイル歓迎します!
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田中 聡(さとし)