◇◇パウロ的回心:「嫌いなもの」が好きになる(その1)◇◇
【2002年11月21日に作成した<第279回>に加筆】
2002年9月25日(水)テレビ朝日「徹子の部屋:宮脇 昭」
11月8日(金)深夜4:00NHKラジオ「心の時代:土に触れよ・宮脇 昭 」
11月18日(月)深夜2:00NHK「体験エコ・ツアー!フィヨルド」を観て
●誰でもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。
古い者は過ぎ去った、見よ、全てが新しくなったのである (コリント後書5‐17)
神に大事にされ大切なる皆さんこんにちは。ご愛読に感謝します。
私たちがこの世に生まれたのは神の意志と計画による創造によってであり、私たち各自には特別な【ミッション:使命・天職】があることを発見し自覚するためにパウロ自身と同じ【試練:導き】を経験する人はたくさんいると思います。
【パウロの回心(使徒行伝9‐1~19、22‐6~16、26‐12~18)】に示される【ミッション:使命・天職】に導かれる経験とは、それまでの生き方・価値観とは180度逆転させられ、人生行路はコペルニクス的大転換を行う事と言えるでしょう。
皆さんもご存知のように、パウロの出身はユダヤ教徒の原理主義ともいえる生粋のパリサイ派として誉れ高く、当初はキリスト信者を迫害する先鋒として大活躍していました。主イエスは疑い憎悪する≪大嫌いな存在≫であったのです。
パウロが【神の愛=主イエス】を嫌悪する価値観とは、生まれた時からの境遇と教育によって培われた誤解と先入観のためでしかなかったのです。
パウロは【神愛の導き】によって、生まれ変わるように心の目を開かされて、宿敵の立場から大逆転して【神の愛=主イエス】と≪相思相愛の愛弟子≫の立場となるのです。
パウロの回心があったからこそ、中東のユダヤ民族のための教えが全世界の人類の救済のための【福音】として永遠に光り輝く存在になったといえるでしょう。
●彼らの目を開き、彼らを闇から光へ、悪魔の支配から神のもとへ帰らせ、また、彼らが罪の赦しを得、
私(主)を信じる信仰によって聖別された人々に加わるためである(使徒行伝26‐18)
≪パウロ的回心≫によって人生を軌道修正させられた者は、後に続く人々の為の道先案内人として、大改革の先駆者として、和解への仲保者として活躍できる名誉ある【ミッション:使命・天職】に導かれるのです。
自分自身が選び歩んできた過去の生き方が《間違った生き方》として自覚できるからこそ、自分の過去と同じ道を歩む後続の人々を目覚めさせ救うことができるのです。
例えば、森永ヒ素ミルク事件で活躍した中坊公平弁護士にしても、40歳代迄は法人側の弁護で活躍していて社会的弱者の弁護とは敵対する側にいたそうです。中坊さんは森永事件を担当すれば、それまでの苦労して築いてきた社会的地位が危うくなると心配して、父親に断るための相談を持ちかけたそうです。
彼の人生を大転換させたのは、父親からの遺言ともなった《愛の助言》でした。
「お前をそんな情けない子供に育てた覚えはないぞ!社会のために役に立て!」
親の過度な期待に苦しんで道を見失いヤクザの情夫になったところから見事に生まれ変わって、今では非行少年・少女たちを救うために活躍する大平弁護士にしても、元ヤクザの親分がミッション・バラバとして宣教組織で活躍しているのも、彼らは周囲の《隣人愛の助言》によって目を開かされ人生の大転換が実現できたのだと思います。
人生最悪のマイナスこそを最善のプラスに、悪を善に闇を光に大転換できる力が【神の愛=隣人愛】であるという証明です。
●死に勝つに生をもってし、闇を逐うに光をもってし、怨を滅するに愛をもってす、これ神の救済法なり(内村鑑三)
●神はどんな悪も行われないようにするよりも、むしろ悪から善を生じさせるようにする方が善いと考えられたのである(アウグスティヌス「エンギリオン」)
●悪に負けてはいけない。かえって善をもって悪に勝ちなさい(ロマ書12‐20)
毎日のように≪パウロ的回心≫で自分の【ミッション:使命・天職】に導かれた人々の活躍がテレビ・ラジオで紹介され続けています。
例えば、ニュージーランドのフィヨルド海岸沿の島々を環境破壊から元の楽園に復活させようとするランスさんの活躍も感動しました。彼は元々は伊勢エビ漁で金儲けをしようと2年間働いていたそうです。
しかし、伊勢エビを捕獲する方法が海岸を破壊していることに気づいたそうです。本来海を愛する人間であったランスさんは、愛に目覚めて仕事を辞めて、今度は環境保護省に10年間勤めて、環境保護と楽園復活のために活躍するのです。
現在は独立して自前の船を使って「エコ・ツアー」を企画運営して、世界中の人々に環境問題に目覚めさせ自然愛好精神を育成するために大活躍しています。
彼は【神の愛=主イエス】から与えられた天来のの【タレント:個性・才能・可能性】を最善発揮する道を発見したのです。それは≪自然からのサイン=神の愛のメッセージ≫を誰よりも早く見出せる≪洞察能力≫だったのだと私は理解します。
彼は人間が持ち込んだネズミや鹿の繁殖によって、野鳥の生息していた楽園が破壊されたことを知り、ある島からは薬を使ってネズミの一掃を行なったそうです。
ニュージランド市民の多くは反対したり、無意味だと決めつけました。しかし、彼の勇気ある決断と実行のおかげで、今では多くの野鳥が生息する楽園が見事に復活できたのです。
彼は【神の愛=主イエス】からの<神愛メッセージ>を伝える道先案内人であり、楽園復活を目指す改革者であり、先駆者であり、【神の愛=主イエス】や自然との和解をもたらす仲保者といえるでしょう。
日本の宮脇昭さんの活躍にも感動させられます。宮脇さんは岡山の農家出身で地元の土地は荒れていたので苦労の多い農作業を見続けて育ったそうです。
彼は「農地改良のために貢献しよう!」と【ビジョン:理想・夢・志】を抱き、農業高校を経て地元に一番近い広島の大学に進学します。
大学で専攻したのは、「雑草生態学」だったそうです。彼の故郷の農地にとって最も≪嫌悪すべき宿敵≫は雑草だったからです。
彼が心に抱いた【ビジョン:理想・夢・志】実現のためにと選んだ研究テーマは、戦後復興に明け暮れる1940年代当時の日本では地味な分野だったそうです。指導教授からも「君の研究テーマは将来誰からも認められない分野だぞ」とまで助言されるほどです。
しかし、日本の学者からは相手にされなくても、彼の地道な研究論文を発見して、高く評価してくれた人がいたのです!それはドイツのチクセン教授でした。
「君のやっていることは将来とても大事なことだ!雑草は人間と自然との接点だからだ。私のところに来なさい!」
当時の宮脇さんは講師でわずかな給料だったので、ドイツまでの渡航費用さえ用意できませんでした。彼の事情を知って、チクセン教授は航空チケットまで手配してくれたそうです。1958年から2年半客員研究員としてチクセン教授の下で研究できるチャンスを得た事が、彼の人生を大転換させたのです。
着任後直ぐに、チクセン教授は宮脇さんを塩田荒地など現地にばかり連れ出す調査の毎日でした。宮脇さんは1ヶ月もすると我慢できず反論したそうです。
「先生、私は戦災の荒廃にもめげなかった不屈のゲルマン魂でもある、ドイツの実験室での科学的研究に憧れて来たのです。私にも経験させてください!」
恩師チクセン教授は宮脇さんの目を開かせてくれる貴重な【愛の助言】をします。
「君にとっての科学的研究とは何か?君はまだ人の論文・話しを聞きたいのか!?
先ず本物の命の存在する現場である自然から学べ!いくら金銭・人知を投じても学べないものがそこにある!」
チクセン教授は手でさわり、口でなめるなど自分の五感全てを《実験器具》として最善活用する事を習得しながら、自然からの「かすかな情報=神の愛ののメッセージ」を発見する研究手法だったのです。
「見えないものを見い出す努力をせよ!」という彼の哲学は【神の愛=主イエス】の【第2の聖書】である天然を敬愛する【信仰精神】そのものであるといえるでしょう。
●信仰とは望んでいる事柄を確信し、まだ見ていない事実を確認することである(ヘブル書11‐1)
●神を捜し神を見出せ(使徒行伝17‐27)
●神はキリスト(愛)を目的に、キリストに在りて、キリストをして、宇宙万物を造り給へり(内村鑑三)
●神は愛なり、宇宙は愛の機関なり(内村鑑三)
●愛は神の霊としてこの世界に満ち満ちている(ヒルティ)
●神は時おり、自然の出来事や自然の事物を通して、私たちに話しかけることもある(ヒルティ)
●世界が造られた天地創造の時から、目に見えない神の性質、すなわち神の永遠の力と神性とは、被造物に現われており、これを通して神を知ることができる(ロマ書1-20)
●万物は、 神より出で、神によって成り、 神に帰する。
(すべては 神から、 神によって、 神のために存在する)
(すべてのものは、神から出て、神によって保たれ、神に向かっている)
栄光がとこしえに神にあるように。アーメン (ロマ書11-36)
●もしもあなたがあらゆるものにイエスを求めるならば、必ず(そこに)イエスを見出し得よう(トマス・ア・ケンピス)
●人々が熱心に追い求めて捜しさえすれば、神を見出せるようにして下さった。
事実、神は我々のひとり一人から遠く離れておいでになるのではない。
我々は神の内に生き、働き、存在しているからである(使徒行伝17-27~28)
★★【その2】につづく★★