【ビジョン&使命・天職】で<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>に導く【神の愛=主イエス】!!

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【神愛福音道】【聖書価値観:神愛世界観・神愛歴史観・神愛人生観> 【神助道:神助精神・神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】 【<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>創世道】

【復活・再起】に導く【神の愛】①

◇◇ 【復活・再起・再生】に導く【神の愛=キリスト精神】(その1)◇◇
【2003年4月11日に作成した<第298回>に加筆】 

●キリストは我が教師にあらず、我が救い主なり、我が生命なり、また我が復活なり(内村鑑三
●不義は勝ちて滅ぶ、正義は敗けて興る(内村鑑三
●戦いに勝って勝つのではない。真理に従って勝つののである。
  戦いに負けて負けるのではに。真理に反して負けるのである(内村鑑三
●人の計画は成りて敗れ、神の計画は敗れて成る(内村鑑三

【神の愛=主イエス】に大事にされ大切なる皆さんこんにちは。ご愛読に感謝します。

【神の愛=主イエス】がただの人間でなく神の子であり、人類の救世主である最大の証拠は
【最悪の十字架の死】を受けて【栄光の復活】を体現してくれたことだと思います。

【聖書】に記される【復活】をそのまま受け入れられない歴史学者も、【主イエス】が存在して実際に十字架で処刑されたという事実と、愛弟子たちの不可思議で興味深い行動があったことは認めているようです。それは、死を恐れ隠れていた愛弟子たちが、突然人間が変わったように、勇気ある福音伝道活動に起ち上がったという事実です。

【主イエス】が処刑される時に、ペテロやヨハネなど全ての愛弟子たちは、自分も処刑されることを恐れて逃げ隠れしました。愛と勇気を持って最後まで処刑を見守り最初に【復活】を知る栄誉を与えられたのは当時差別されていた女性たちでした。

いつも【主イエス】のそばにいた愛弟子たちでも、【神の子・救世主】である事を心から信じきる事ができなかった事実は彼らが私たちの仲間である証明だと思います。

【主イエス=神の愛】と共に生活して伝道活動していた時には、大いなる知恵と勇気を体得できたように誇っていた彼等も、【主イエス】が処刑されると、たちまちのうちに【主イエス=神の愛】に招かれる前の、無教養で粗雑で臆病で裏切り者の自分に戻ってしまったのです。

そんな情け無い彼等でも再び【チャンス】を与えられたと私は信じます。ハレルヤ!栄光を主に帰します!

【主イエス】を最後に見捨てて裏切ってしまったことへの自己不信と将来への絶望で【神の愛=隣人愛】の心がすっかり冷めきった【どん底】状態になって、処罰を恐れ身を隠していた愛弟子たちが、人間が変わったように最後には後世の私たちのために苛酷な殉教までを受け入れるような【栄光の十二使徒】になれたのは何故でしょうか?

私は【聖書】に記されるように一度だけでなく何度でも【復活のイエス】を目撃して教え導かれたおかげだと確信します。
従って、彼等より出来損ないの私でも、きっと何度でも丁寧に教え導いてくれる【チャンス】が与えられると信じるのです。

●貧しい者に福音を宣(ノ)べ伝え
 霊的な囚人を釈放し
 霊的な盲人の目を開かせ
 虐げられ打ちひしがれた者に自由を得させる(ルカ伝4-18)
●ああ神よ、我が為に清き心を造り、ゆるがない霊を私のうちに新たに興したまえ(詩篇51‐10)
●誰でも新しく生まれ変わらなければ、神の国を見ることはできない(ヨハネ伝3‐3)

十二使徒が我が身を投じて勇気と信念に満ちた福音伝道が行なえたのは、彼等自身が罪深く躓き続ける者であっても、
【神の愛=主イエス】は見捨てることなく、何度でも丁寧に【神の愛】が望む彼等自身の本来の生き方である【ミッション:使命・天職】に教え導かれました。

弱き小さき自分を自覚でき謙虚さと素直さを学び、ようやく自分らしさに立ち帰られる【復活・再起・再生】に導いてくれた【神の愛=主イエス】への限りなき信頼と報恩感謝の気持を抱けるようになれたのだと思います。

●ただ苦しみのみが真の意味において人を謙虚にさせる(ヒルティ:イザヤ書38‐15)
●あなた方はキリストのためにただ彼を信じることだけでなく、彼のために苦しむ事も賜っている(ピリピ書1‐29)
●【神に試みられ福音を委ねられるに足る資格】(内村鑑三
★信頼の心
★罪に泣く心
★自己の無力を認める心
★神意のままに自己を使用せられんと欲する心
★自説なるものは全く絶えて、自己を通じて神の福音を世に鳴り渡しめんとする心
                               
【キリスト精神:自由・平等・寛容・博愛】は私たち個人であっても民族であっても、常に原点回帰への【ビジョン:理想・夢・志】に立ち帰らせて【復活・再起・再生】へと導いてくれる【ダイナミック・パワー:信じる力・望む力・愛する力】と【バイタリティ:生活力=生命力+活力】を与えてくれます!

ヤコブヨハネなど愛弟子たちは、天国で【主イエス】の臨席である右大臣・左大臣のポストを強く望んでいたことが【聖書】には記述されています。(マルコ伝10‐35~45)
彼等が心に望む【ビジョン:理想・夢・志】を【神の愛】によって実現させたのです。

●あなた方の間で偉くなりたいと思う者は、仕える者となり、あなた方の間でかしらになりたいと思う者は、全ての人の僕とならねばならない。人の子(救世主)が来たのも、仕えられるためでなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためである(マルコ伝10‐44~45)

ユダヤ民族もまた何度も見事な【復活・再起・再生】を実現してきたことは有名です。ユダヤ民族は忘恩で傲慢になって【神の愛】に反するたびに、せっかくの約束の地から飢饉の為に脱出してエジプトの奴隷になるも、やがてモーゼによって40年後の放浪の末、立ち帰ります。しかし、再び傲慢となり国家は分裂して、民族全体が拉致されてしまうバビロン捕囚されて、聖地を何度も追放され民族精神の拠り所であった神殿を破壊され、西暦200年頃には遂には母国語であったヘブライ語まで奪われてしまったと聞きます。

さらにヒトラーの時代は、ご存知のように、この世から民族全体が抹殺される危機にまで追い込まれます。

しかし、祖国を失い散らばってしまった少数民族として世界中で差別迫害されながらも、ユダヤ民族は【旧約聖書】だけは最後の最後まで死守し続けて後世に継承したのです。

彼等が3000年以上も長き間【旧約聖書の言葉】を原初のまま、ほぼ完璧に写本し続けてきた偉業が1940年代に発見された「死海写本」によって証明されたことは有名です。

【神との契約】であり民族の原点回帰に通じる【ビジョン:理想・夢・志】でもある【旧約聖書】の精神を守り続けたからこそ、つまりは【神の義】への全幅の信頼感と未来への復活の希望があったからこそ、常に【復活・再生・再起】できたのだと私は信じます。

●たとえ困難がどんなであっても、我々は神の力によって、これに対抗することはできるであろう。私は神のおかげで困難になれてきた。神に信頼してまだ裏切られたことがない(クロムウエル)
●患難を避けんとするなかれ、これに勝たんとせよ。独り自らこれに勝たんとするなかれ。神により勝たんとせよ(内村鑑三)
●沈黙せよ、苦しめ、耐えよ、おまえの苦しみは誰にも訴えるな、決して神に絶望するな、おまえの助けは日毎に来るのだ(ルター)
●我等に臨む患難は多し、されど主は我等をみなその中から援け出し給う(内村鑑三詩篇34‐19)

それは【信仰の祖】である【アブラハムの信仰精神】が見事に勝利した証明です。

●これらの人はみな、信仰を抱いて死んだ。まだ約束のものを受けていなかったがはるかにそれを望み見て喜び、そして、地上では旅人であり寄留者であることを自ら言い表した(ヘブル書11‐13)
アブラハムは忍耐強く待ったので、約束のものを得たのである(ヘブル書6‐15)
●彼(アブラハム)は神の約束を不信仰のゆえに疑うようなことはせず、かえって信仰によって強められ、栄光を神に帰し、神はその約束されたことを、また成就することができると確信した(ロマ書4‐20~21)
●偉人の生涯は我々に教える
 我々もまた高貴に生き得ることを
 そして彼亡きあとには 時の砂上に足跡を残すことを。
 別の弱い、よるべなき兄弟は人生の荒海を渡りつつ
 おそらく、それを目に留めて新たに勇気と奮い起こすであろう足跡を(ヒルティ)

1700年代になって、ようやく聖地(約束の地)に帰ろうとする【シオニズム】が起こり、ベン・イフェダというたった独りの決意と彼の家族から母国語であったヘブライ語の【復活・再生・再起】が始まったそうです。

そして、1948年のイスラエル建国の直前に母国語はイスラエル公用語として1700年を超えて【復活・再生・再起】できたのです。

彼等がイスラエル国を再建して世界の隅々に散らばされたユダヤ民族が帰ってくる事は旧約の預言書に明記されていますが、世界の誰も実現できるとは思っていませんでした。しかし、【神の約束】は時に応じて確実に実現され【神の愛】には不可能はありません。

●主は、国々のために旗を揚げ、イスラエルの散らされた者を取り集めユダの追い散らされた者を地の四隅から集められる(イザヤ書11‐12)
●私のしもべ、イスラエルよ、私の選んだヤコブ、私の友、アブラハムのすえよ、私は、あなたを地の果てから連れだし、地のはるかな所からあなたを呼び出して言った。「あなたはわたしのしもべ。私はあなたを選んで、捨てなかった(イザヤ書41-8~9)
●神の賜物と召しは変わる(取り消される)ことがない(ロマ書11‐29)
●神には何もできないことはない(ルカ伝1‐37)
●お前の不幸に打ち負かされるな。神に頼れ、そうすれば勝つだろう。洪水が襲ってきても、お前は上にあって溺れないだろう。苦し過ぎる重荷を負わされたならば、主なる神がずでにお前の願いを聞き給うたのだ(パウルゲルハルト)

日本では地方分権を推し進めるために市町村合併を加速しています。そのため旧称が棄てられカタカナやひらがなの判りやすい新名称にドンドン変更されているようです。

一方で、現在のイスラエルでは旧跡地を掘り返して再建したり【旧約時代】の地名に名称を復活させているそうです。

やがて、来るべき聖地エルサレムに【復活・再生・再起】の平和が訪れる【主の時:再臨】に向けての準備が着々と始まっているのです!

●もうしばらくすれば、来るべき方がお見えになる。遅くなる事はない(ヘブル書10‐37)
●荒野に呼ばわる者の声がする、「主の道を整えよ。荒地で私たちの神のために大路を平らかにせよ」(イザヤ書40‐3)
●私は私のしもべの言葉を成就させ、私の使者たちの計画を成し遂げさせる。エルサレムに向かっては『人が住むようになる』と言い、ユダの町々に向かっては『町々は再建され、その廃墟は私が復興させる』と言う。・・・エルサレムに向かっては、『再建される。神殿は、その基が据えられる』と言う(イザヤ書44‐26、28)

★★【その2】につづく★★