【ビジョン&使命・天職】で<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>に導く【神の愛=主イエス】!!

AMEN!HALLELUJAH!THANKS JESUS KINGDOM! Good luck & God bless you!

【神愛福音道】【聖書価値観】<神愛価値観:神愛世界観・神愛歴史観・神愛人生観> 【神助道:神助精神・神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】

≪崖っぷち人生≫を目指そう!①

◇◇≪崖っぷち人生≫を目指そう!(その1)◇◇
【2006年12月22日に作成した<第421回>に加筆】 

神に大事にされ大切なる皆さんこんにちは。ご愛読に感謝します!

今日現在、様々な【苦難】にあっても、【再起・復活】のために、【神の愛】が慰め励ましてくれます!
明日こそ、【ビジョン:理想・夢・志】の実現を目指すために【神の愛】が勇気と希望を与えてくれます!

TV報道で話題となった≪崖っぷち犬≫の救出劇には皆様においても感動した人が多いかと思います。
木の上で鼻水をたらしながら、何日も寒さに耐え忍んだ野良猫が救出されるという感動話も続きました。
ご存知のように、犬は全国から殺到している飼い主希望者から選定して里親になってもらう予定であり、
≪鼻水ネコちゃん≫の方は既に猫好きの家で暮らしているそうです。

名も無き無価値の犬・猫を、行政が多額の費用と多くの人員の手間をかけてでも助けようとしたのには、
全国からの「助けて!」「可哀そうだから何とかして!」という叫び声・嘆願・要求があったからだと思います。

●辛抱すればこそ、成功が得られる。長い間、大声で扉を叩き続ければ、必ず、だれかが目をさまして
 開けてくれる(ロングフェロー
 
一方で、毎日数多くの捨て犬・捨て猫・野生クマが、注目もされず人間の都合で駆除され続けています。
≪崖っぷち犬≫が発見された場所には、あの救出劇の後にも、多くの子犬が捨て去られていると聞きます。

このエピソードの背後にも【神の救助方法】≪【神の愛】の摂理≫が示されていると私には感じられます。
神の似姿として造られた人間だからこそ、【神の愛=主イエス】に共通した行動が現れると思うからです。

●【神の救済法】(内村鑑三
死に勝つに生をもってし、暗(ヤミ)に逐つに光をもってし、怨を滅ぼすに愛をもってす、これ神の救済法なり
●悪に負けてはいけない。かえって善をもって悪に勝ちなさい(ロマ書12‐20)

私たち人間は誰でも【フロンティア精神:★チャレンジ精神★ポジティブ/プラス思考★オープン・マインド】が大好きです。それこそ、【神の愛=主イエス】がこよなく愛される≪人間理想像≫でもあると思います。

≪崖っぷち犬≫も≪鼻水ネコちゃん≫でも、彼らは現状の境遇に怒ったり、悲観したり、絶望することなく、前向きに「いつかは助かる!」と未来に希望を抱き、耐え忍んでいるように、私たちに映ったのではないでしょうか。

不平不満も言わずに、静かに【患難辛苦】に耐え忍んでいる姿こそ、【神の愛=主イエス】もまた、同じように可哀そうに思い「何とか助けてあげよう!」と【神愛の手】を差し伸べてくれることを私は確信できたのです!

●主はおのれを待ち望む者と、おのれを尋ね求める者に向かって恵み深い
 主を救いを静かに待ち望むことは、善いことである(エレミヤ哀歌3-25~26)
●汝等、立ち帰りて静かにすれば救いを得、穏やかに依り頼まば力を得べし(イザヤ書30-15:ルター特愛の聖句)
モーセは民に答えた。「恐れてはならない。しっかり立って、落ち着いて、今日、あなた方のために行われる主の救いを見なさい。あなた方は今日、エジプト人を見ているが、もう二度と、永久に彼らを見ることはない。主があなた方のために戦われる。あなた方は静かにしていなさい。」(出エジプト記14-13~14)

それでは、他の捨てられた犬・猫のように、人知られずに檻の中で静かに無抵抗に死を待っている姿はどうでしょうか。
どうやら同じように≪現状の境遇≫を静かに耐え忍ぶのであっても、死を待つのと、生に挑むのとでは異なるようです。

収容所に運ばれる動物、農作物を荒らしたり、人間に危害を加えるクマが殺されるのは止む終えないことと思うのは、その数が余りにも多いため、迷惑をかけるし、全員を救える方法がないのだから仕方ないと思うのではないでしょうか。

一方で、一匹でも、自分勝手に≪崖っぷち≫に迷ってしまったり、木の上に逃げ込んだり、《自業自得の失態》により≪死の危険≫の【どん底】状態に耐え忍んでいる場合は、興味深いことに人間の理性において立場が変わります。

つまり、具体的な「目の前の【一匹(一人)】を救い出そう!」という新たな≪命題≫が生まれることになるからです。
私たちの行動も、【主イエス】自身が全人類を救出するために、先ず実践されたことに通じているのではいでしょうか。

●目の前の一人を救える者が世界をも救える(ユダヤの格言)
●これらの小さな者を一人でも軽んじないように気をつけなさい(マタイ伝18‐10)
●これらの小さな者が一人でも滅びることは、あなた方の天の父の御心ではない(マタイ伝18‐14)

人間でもそうであるのですから、私たちが世間的に無謀と思われる【ビジョン:理想・夢・志】に向かって冒険をした結果、自業自得の失態で人生の【どん底】に陥っても、≪【神の愛】の摂理≫が働いて、【神の愛の奇蹟】が起きる!ことを私は改めて確信できました!ハレルヤ!栄光を主に帰します!

【ビジョン:理想・夢・志】を目指す≪崖っぷち人生≫の≪冒険旅行≫といえば「タラント(ムナ)のたとえ」を思い出します。

私たちが日頃使っている【タレント:個性・才能・可能性】の語源は、【聖書】に記されている「タラント(ムナ)のたとえ話」から由来していることは有名です。(マタイ伝25-14~30、ルカ伝19-11~27)

主人が旅行に出かける時に、主人の財産「タラント(ムナ)」を、自分の僕たちそれぞれの【力】に応じて預けるという話です。

ご存知のように、主人は【主イエス】であり、【主イエス=神の愛】は、僕である私たち全てに、それぞれ各自の生来に応じて【財産】である【タレント:個性・才能・可能性】を託されたのです。

【主イエス】はある僕には5タラント、ある者には2タラント、ある者には1タラントを預けると示されていることは興味深いことです。
つまり生まれつき【多才】な人と、私のように【無芸】な人がいることを明示していることは、ある意味では安心させられるのです。

歴史に残るベートーベンやガウディになれずとも、クロムエルやリンカーンになれずとも、マザー・テレサや殉教者になれなくても、たとえ【1タラント】であっても、私にしかできない特別な【タレント:個性・才能・可能性】が預けられていることは感謝です!

「たとえ話」によれば、【主人】から各自に託された【タレント:個性・才能・可能性】を使った【責務】をも与えられているのです。
旅立った【主イエス】が帰ってくる【再臨】までに「事業をしなさい(Do businness!)」という【ミッション:使命・天職】です。

5タラントや2タラントの【多才】な者は、【タレント:個性・才能・可能性】を発揮させ上手な【商売(事業)】で倍増できました。
しかし、1タラントの者は、商売が失敗して【主人】に怒られないようにと、使わないで土に埋めて隠してしまったというのです。

なるほど、私自身の体験でも納得できます。私のように才能がないと、どうしても失敗を考えてケチになって出し惜しみします。
万全の準備が出来てから・・・と先送りして、【タレント:個性・才能・可能性】を最善発揮させないままに終わってしまうような危険があることは予測できるのです。

●なすべきことを欲しはするが、それを成し得ない
 なすべきことを成し得るが、それを欲しない
 欲しかつ為し得るが、何を為すべきかを知らない(ゲーテ
●人の生活はすべて次の二つから成り立っている。したいけれど、できない。できるけれど、したくない(ゲーテ
●先ず最初に一切を理解して、その後にそれに従って初めて実行しようという人は、結局、始めないことになる(ヒルティ)

【主人】が帰ってきて清算する時になって、2タラント、5タラントの者は、【タレント:個性・才能・可能性】を最善発揮したのでほめられて、さらに豊かに与えられるのですが、失敗を恐れ何もせず出し惜しみした1タラントの者は、【主人】から酷く怒られて初めに持っていた、わずかな【タレント:個性・才能・可能性】までも取り上げられるのです。恐るべき結果です。

●誰でも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる(マタイ伝25-29)

では、無芸平凡な1タラントの者はどうすれば善いのでしょうか?先ず無芸平凡を【神の愛】に感謝して喜ぶことから始まるのです!

●それをもてる者は与えられて、なお余りあり。もたぬ者はその持てる物をも奪わるるなり(マタイ伝13-12)感謝は「もてる」を証明す(内村鑑三

≪崖っぷち犬≫も≪鼻水ネコちゃん≫も勇敢と忍耐と前向きな【タレント:個性・才能・可能性】を最善発揮させたからこそ、それまでの野宿生活から脱出できるだけでなく、新しい【主人】が現われ、誉められ、≪愛される対象≫にまで昇格したのです!

まさに、私たち万物に約束されている【アメージング・グレイス(驚くばかりの余りある恵み)】の存在証明ではありませんか!

●神は、さらに豊かな恵みを与えたまう。であるから、「神は高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みを賜う(箴言3-34)」とある(ヤコブ書4-6)
●私たちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた(ヨハネ伝1-16)
●神は、あなた方を常にすべての点で、すべてのものに十分に満ち足らせ、あらゆる善い業に富ませ満ちあふれるようにあらゆる恵みをあなた方に満ちあふれるばかりに与えることができる方である(コリント後書9-8)
●神は、キリスト・イエスにおいて私たちが賜わった慈愛による、限りなく優れた豊かな、神の御恵みの絶大なる富を、来るべき世々に現そうとされた。事実、あなた方は、恵みにより、信仰によって救われた。このことは、自らの力によるのではなく神の賜物である(エペソ書2-7~8)
●私たちの主の恵みが、キリスト・イエスによる信仰と愛と共に、あふれるほど与えられました(テモテ前書1-14)。
●あらゆる恵みの源である神、すなわち、キリスト・イエスを通してあなた方を
 永遠の栄光へ招き入れて下さったあふるる恵みの神御自身が、しばらくの苦しみの後、あなたがたを癒し、完全な者とし、強め、力づけ、堅く立たせ、揺らぐことがない不動の者にしてくださる(ペテロ前書5-10)
●神は驚くべき御声をとどろかせ、私たちの知りえない大きな業を成し遂げられる(ヨブ記37-5)
●これは神の導きによって巡り回り、命じられるままに、ことごとく世界の地の表で事を行う。
 神がこれを起こさせるのは、懲らしめのためにも、大地のためにも、そして恵みを施し与えるためである(ヨブ記37-13)
●彼は貧しい人々に惜しみなく分け与え、彼の義(善い業)は永遠に堅く立つ。彼の角は高く上げられて、栄光に輝く(詩篇112-9)


★★【その2】につづく★★