【ビジョン&使命・天職】で<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>に導く【神の愛=主イエス】!!

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【神愛福音道】【聖書価値観:神愛世界観・神愛歴史観・神愛人生観> 【神助道:神助精神・神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】 【<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>創世道】

【試練】⇔【神の愛】の訓練学校!

◇◇ 苦悩を突き抜けて歓喜に至れ!(ベートーベン)~試練は神様の訓練学校~ ◇◇
【2000年12月11日に作成した<第35回>に加筆】2000年12月10日(日)NHK教育「こころの時代」

「やすらぎのピアニスト」といわれるピアニスト遠藤郁子さんを知っていますか?
私は今日はじめて彼女の【ミッション:使命・天職】に導かれた【試練】を知り感動しました。

人生の苦難にみえる【試練】は<栄冠>の【ミッション:使命・天職】に通じ、神様が与えてくれる
誉れ高き名門の<訓練学校>であります。

●命と信心とにかかわるすべてのことは、主イエスの神聖の力によって、私たちに与えられている。それは、御自身の栄光と力ある業と徳とによって私たちを召し出してくださった主イエスを認識させることによる(ペテロ後書1ー3)
●試練を耐え忍ぶ者は幸いなり。その人は適格者と認められ、神を愛する人々に約束された命の冠を
 いただく(ヤコブ書1‐12)
●競技をするにしても、規定に従って競技をしなければ栄光は得られない(テモテ後書2-5)

【試練】を乗り越えた卒業生はみんな各自の【タレント:個性・才能・可能性】を最善発揮して
歓喜と感謝に満ちた素晴らしい【ミッション:使命・天職】を実践しているからです。

●失敗は方針を転ぜよとの神の命である。我等は失敗を重ねて神の定め給いにし天職につくのである
 (内村鑑三
●私は自分が何を欲しいないかを知っている。しかし、何を欲するかはまだ知らない。それは必要になった時に初めて分かるだろう(クロムウエル)

遠藤さんはクラシックのピアニストとして英才教育を受けて、あの有名なショパン・コンクールでも特別賞を受賞します。さらに、ポーランド審査員にも高く評価され、その後、彼女の恩師となって個人的指導を受けます。

彼女は38歳年上の日本の音楽教授と結婚しますが、そこから様々な【試練】がはじまります。
家族や周囲の反対を乗り越えて結婚しますが、夫とその先妻の子供との生活はマスコミからは
華やかで優雅な音楽家の夫婦生活として描かれます。

しかし、実際の彼女の生活は多忙すぎました。夫は心臓発作に苦しむ病弱であり、家事と音楽活動を
両立させて、世間的には決してつらさや困難さをみせまいとして我執と自力に頼りすぎた、寝るひま無い
ほどのハードスケジュールをこなす日々を送り続けていました。

自分の本来の音楽性をも見失いかけていた多忙なある日、偶然にも自分の体調の異常を発見します。

今(2000年)から10年前の45歳の時でした。彼女は多忙ゆえに乳がんになっていたのです。
当時はガンいえば死の宣告を意味する病気であり、彼女はようやく死んで休めるとほっとしたほどに、
疲れきっていたようです。

そこから、彼女の<本来の人生>が始まるのです。彼女は自分の人生にとって何が最も必要なことかを
改めて考えます。そして、「本来無一物」である事を自覚して、夫とは離婚して、残された人生を「ピアノ演奏」に捧げる事を決意します。彼女にとっての<本来の自分:本領・本分>を再発見したのです。

●一切を捨てよ、そうすれば一切を見出す(トマス・ア・ケンピス)
●人は自己を失わなければ、どんな生活を営んでもよい。自分の本領に留まるなら、一切を失っても
 かまわない。(ゲーテ

遠藤さんにとっては、もはや優雅な生活は無くなり、ピアノ演奏が生計の手段となります。
そのため手術に踏み切る事も大変なチャレンジでありました。手術は成功しますが一般的な演奏方法では
もはや演奏できない身体となります。

彼女によれば、西欧人の演奏スタイルは上半身で鍵盤をたたくのですが、彼女にはそれだけの体力を
失います。

しかし、彼女にとっては、そのおかげで、それまでの我執と傲慢さが取り除かれる素晴らしい演奏スタイルを生み出す【試練:訓練学習】となっていたのです。ハレルヤ!栄光を主に帰します!

●患難はすべて身の患難にして、霊の幸福なり(内村鑑三
●神様は(お前)を欺くことはない。あまり自信の強過ぎるものが失敗するのだ。神は素直な人々の道連れ
 となり、身をへりくだる者に自身をお現しになる(トマス・ア・ケンピス)
●私は初めから、以上のことを確信し、思い巡らした後、こう書き残した。「主の御業はすべて良く、時が来れば、主は必要なことをすべて満たされる。」「これはあれよりも悪い」と言ってはならない。どんなものも時が来ればその良さが証明される。さあ、心から、声高らかに賛美の歌をうたえ。主の御名をほめたたえよ(シラ書〔集会の書〕39-32~35)
●幸福の扉の一つが閉じるときは、別の一つが開きます。けれど私たちは閉じたほうばかりながめていて、こちらに向かって開かれているもう一つのほうに気付かないことが多いのです(ヘレン・ケラー

それまでは《ピアノ》を支配する立場でしたが、生かされている今の自分に感謝して、《ピアノ》にも感謝して、《ピアノ》に音を出してもらうように演奏前に、手を合わせるようになれたそうです。

彼女は下腹の丹田と足の指先に力を入れて演奏する新たな奏法を完成させるのです。
後日、ポーランドの彼女の恩師は彼女自身が生み出したスタイルを個性ある演奏として高く評価して
くれました。

また、彼女には入院中に【天の啓示】と思われる出来事が起こったそうです。
それは、真夜中に突然「ショパンノクターン」の調べにのって壁の中から足袋の姿が現れて能樂のすり足で自分に近づいてくるのでした。それが一週間くらい続いたそうです。

彼女はその時にはじめて、ショパンの音楽性を理解できたそうです。自分自身も死を意識する体験の中で、常に結核に苦しんでいたショパンの生涯を実感できたからです。

そして、自分にとっては、<能の精神>との融合を目指す事が【ミッション:使命・天職】であると悟ったようです。彼女は能楽ショパンを融合させた世界唯一のオリジナルのリサイタルを実現します。

ご存知かもしれませんが、エイズ被害者のために演奏したり、多くの【癒しのリサイタル】を実現するなど、まさに自分でなくてはできない、自分だからこそできる!<ピアノ演奏>を今も実践し続けています。彼女の演奏は現在様々な問題で苦しんでいる人々に癒しとなる、素晴らしい【福音伝道】といえるでしょう。

●★貧しい者に福音を宣(ノ)べ伝え★霊的な囚人を釈放し★霊的な盲人の目を開かせ★虐げられ打ちひしがれた者に自由を得させる(ルカ伝4-18)

肉体的・精神的・経済的の三重苦の【試練】という【神の愛=主イエス】の【訓練学校】を耐え忍び、見事に卒業できたことによって、遠藤さんは、人の痛みを知る優しくて強い人格に、生まれ変わったといえるでしょう!

●【患難とその結果】(内村鑑三:ロマ書5‐3)
 ★患難によりて壊(コボ)たれ、忍耐によりて支え★練達(実行)によりて再築し、美わしき義の実を結ぶに至る。★練達は希望を生ず。
●患難は忍耐を生み、忍耐は練達(練られた品性)を生み出し、練達は希望を生み出す(ロマ書5-3)
●悲しみと苦痛は、やがて「人のために尽くす心」という、美しい花を咲かせる土壌だと考えましょう。
 心を優しく持ち、耐え抜くことを学びましょう。強い心で生きるために(ヘレン・ケラー
●誰でも新しく生まれ変わらなければ、神の国を見ることはできない(ヨハネ伝3‐3)

私たちも、遠藤さんが体験したように、【神の愛=主イエス】の【訓練学校】に入学させられる時が、突然やってくるかもしれません。だから今のうちに、厳しい【試練:訓練学校】は、<最悪のピンチ>ではなく<人生最高のビッグ・チャンス!>と楽しみに待ち望みましょう!

●あなたの身の上に最善のことが、定められてあると堅く信じなさい。あなたの心がいと安らかであれば、すべての悩みを免れよう。その時がやって来るならば、力強い助けが突然現れて、あなたの愚かな悲しみを思いがけなく恥じ入らせよう(ヒルティ)
●人生の経験を積んだ人なら誰でも知っているように、他のいかなる時よりも、また、どんな方法でよりも、深い悲しみの時に我々は神に一層近づくからである<神曲・天国篇第7歌58=60行>(ヒルティ)

日頃から、「自分の本分を知りたい!」「【ミッション:使命・天職】を発見したい!」「自分らしくありたい!」などを願い求める者には、【神の愛=主イエス】は喜んで【試練:訓練学校】に無試験で特別招待してくれるはずです。

●(キリストの声)信心を得るという聖い恵みを切に要(モト)め、願いに満ちて追求し、辛抱づよく信依しながら待望し、感謝して受け、つつましく保持し、つとめてこれによって働いて、天上の恵みの来る時と、その様相とは、それが来るまで神に委ねまつるべきである(トマス・ア・ケンピス)
●我々は人生を立派なものにすることができる。というのは、およそ人間の想像力が描きうる最も素晴らしいものは、全く自由な、芯から気高い性質の人間だからである。そこまで到達することが明らかに人生の目的である。そのほかの全ては、ただそのみすぼらしい代用物にすぎない。そして、この目標に本当に到達したいと念願する人にとってはどんな運命も必ず、その目的に役立つものである(ヒルティ)
●人間の無私の献身によって隣人たちの幸福を生み出したり、それを固めたり、また増進したりするために働く時、初めて真の人間、つまり神の似姿になり始める。ただ自分のために存在するならば、人間とは一体何であろうか(イスラエルの祈り:ヒルシェ)

私たちが【神の愛=主イエス】を<いつも一緒>の身近な存在と受け入れるなら、遠藤さんのような過酷な遠回りをしなくても、自分の望み喜べる道が、常に【神の愛=主イエス】の喜ぶ道に通じるという素晴らしい<善循環>となることを素直に信じましょう!そうすれば、同じ【試練:訓練学校】でも楽しいひと時となるからです!

●神と完全に友となった人にとっては、それ以降の人生において、もはや幸福な出来事しか起こらない(ヒルティ)
●神の導きは、まことにかすかな、かつ微妙な多くの暗示から成り立っており、人が即座にそれに聞き従うならば、非常におだやかな導きである。だが、すぐに従わなければ、警告はいくぶん厳しいものとなってくる(ヒルティ)

皆さんが、【神の愛=主イエス】の【試練:訓練学校】に、自らの志願で挑まれて鍛えなおされて見事に卒業されて、自分でなければできない、自分だからこそできる!存在価値であり、自己の本分である、【ミッション:使命・天職】に至る道で、【神の愛=主イエス】に喜ばれ、助けられながら、活躍されることを心より応援しています!

●人生において何よりもまず知らなければならないことは、自分が何を本当に成し遂げたいのかである。そして、遂にそれを知り得たなら(それは通常、生涯の半ばを費やす)この目標と共に手段をも得ようとしなければならない(ヒルティ)
●偉大なことを成し遂げるのはそれ以外に為す事のできない人のみである(ヒルティ)
●「あなたを必要とする何か」がどこかにあり、「あなたを必要としている誰か」がどこかにいるはずです。そしてその「何か」や「誰か」は、あなたに発見されるのを待っているのです(フランクル
●神は我らの避けどころ、私たちの砦また力。苦難のとき、そこにある助け。
 それゆえ我らは恐れない、たとい地は変わり、山々が海の真中に移ろうとも
 たとい、海の水が立ち騒ぎ、あわ立っても、その水かさが増して山々が揺れ動いても
 一つの川がある、その流れは神の都を喜ばせ、いと高き方の聖なる住まいを喜ばせる
 神はその真中にいまし、都は揺らぐことがない。神は夜明けとともに助けられる(詩篇46-2~5)