【ビジョン&使命・天職】で<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>に導く【神の愛=主イエス】!!

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【神愛福音道】【聖書価値観:神愛世界観・神愛歴史観・神愛人生観> 【神助道:神助精神・神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】 【<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>創世道】

【神の愛】と共にゴールを目指せ!

◇◇ サッカー競技に観る【キリスト精神】◇◇【2002年6月3日に作成した<第251回>に加筆】2002年日韓ワールドカップ・サッカー大会に思うこと
●競技をするにしても、規定に従って競技をしなければ栄光は得られない(テモテ後書2-5)

世界情勢も日本社会も混沌腐敗の【闇】の中にあっても、【神の愛】である【光:自由・平等・寛容・博愛】を見出すのが【光の子】であると思います。

●神は光であって、神には少しの暗いところもない(ヨハネ第1書1‐5)
●私(主イエス)は世の光である。私に従って来る者は、闇の内を歩くことがなく、命の光をもつであろう(ヨハネ伝8‐12)
●光のある間に、光の子となるために、光を信じなさい(ヨハネ伝12‐36)
●光の子として歩みなさい(エペソ書5‐8、イザヤ書2‐5)
●光はあらゆる善意と正義と真実との実を結ばせる(エペソ書5‐9)

現在日本ではワールドカップ・サッカー大会がテレビ・新聞の話題の中心です。世界中で最も愛されているスポーツとされるサッカーにも【神の愛:光】を見出してみましょう。
サッカー競技は見方によっては、【隣人愛】を実践する競技であると思います。ルールはとてもシンプルですが、心を一つに思いを一つにしたチーム・ワークが必要不可欠です。

●喜ぶの者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい(ロマ書12‐15)
●キリストの名によって、あなた方勧める。みな語ることを一つにし、お互いの間に
分争がないようにし、同じ心、同じ思いになって、堅く結び合って欲しい (コリント第1書1-10)
●同じ思いとなり、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、一つの思いになって私の喜びを満たして欲しい(ピリピ書2-2)

サッカーを実際にやってみた方ならご存知とは思いますが、手を使わず足だけでドリブルして敵をかわして、キックで味方にパスをすることは簡単ではありません。実際に90分間の試合で、ゴールキーパー含めて1チーム11名の中で、たとえどんなスーパー・スターでも自分独りでボールを扱える時間は合計してもわずか数分でしかありません。

そして、わずか数秒の瞬時で、あの広いグランドのどこに誰がいるかを把握しながら、どこをドリブルで走りぬけて、誰にパスをするかを決定し実行するには、味方選手と連携が不可欠であり、対戦相手の動きを読む想像力を必要とします。

そのためには【信じる心】が根底にあると思います。多くの選手が《十字》を切って祈りを込めて試合に出場し、得点すれば《十字》を切って神に感謝するのは何故かと言えば、彼等にとって【信じる心】こそが重要な力であるからだと思います。

スーパー・スターほど【祈りと感謝】の態度を示し、謙虚な信頼の心があるので、どんな時でも自己の【タレント:個性・才能・可能性】を信じて最善発揮させて感動的なスーパー・プレイができるのだと思います。

●神様は(お前)をあざむくことはない。あまり自信の強すぎる者が失敗するのだ。神は素直な人々の道連れとなり、身をへりくだる者に、自身をお現わしになる(トマス・ア・ケンピス)
●私は自分を強くして下さった私たちの主キリスト・イエスに感謝する。主は私を忠実な者と見て、この務めに任じてくださったのである(テモテ第1書1-12)

実力のあるチームは選手の動きを観ているとよくわかります。彼等は一丸となって相手のゴールに向かって一斉に前に向かって走ります。後ろからパスをもらう時も後ろを振り返らずにパスがきっと来る事を信じて走り出すのです。

自分が《おとり(犠牲)》になることもあれば、無駄骨となる動きとなるのも覚悟の上で各自が味方を信じて得点する共通の目的に向かって自分ができるサポートとは何かを考えて出し惜しみせず後悔しないために常に最善を尽くそうとするチームが栄冠を勝ちとると言えます。

●おのおの自分のことばかりでなく、他人のことを考えなさい(ピりピ書2‐4)
●今の時を活かして用い、外に人に対して賢く行動しなさい(コロサイ書4‐5)
●各自は惜しむ心からでなく、また、強いられてでもなく、自ら心で決めたとおりにすべきである。 神は喜んで施す人を愛してくださるのである(コリント後書9-7)

そして、サッカーにおける勝利とは、必ずしも試合結果の得点数が多い事だけではありません。それはどのスポーツに共通する事でもありますが、フェア・プレーで、いかに最善を尽くすべくチーム一丸となってチャレンジしたかという紳士的行為で勝利を勝ち取る道もあるのです。

《記録》でなく《記憶》として心に残るような感動させてくれる本当に魅力あるチームとは敵を打ち負かすことでなく、味方がチーム一丸となって同じ目的(ゴール)に向かい失敗を恐れず、最後まであきらめず何度でもチャレンジする信頼関係にこそあると思います。

●戦いに勝って勝つのではない、真理に従って勝つのである。戦いに負けて負けるのではない。真理に反して負けるのである(内村鑑三

70年代の西ドイツの名プレイヤーのベッケンバウアーは「皇帝」と称されましたが彼は技術と得点能力があるからでなく、常にフェア・プレーを重視して、相手からどんな厳しいタックルを受けようとも倒れること無く、恐れることなく前に向かう勇気と気品に満ちていました。だから今でも「皇帝」と称され愛されています。

●人を信じさせるものは経験である。自分も経験してみたいと言う願望と気分とを起こさせるものは、その経験をした人たちの証明である(ヒルティ)

各国のサッカーには極端に言えば民族性や社会構成の縮図が観ることができます。防御主体であるか、攻撃主体であるか、個人技に頼るか、組織力で突破するかは社会的正義や精神的価値観を反映しているともいえるからです。

たかがスポーツとみなすこともできますが、【霊性:魂[勇気]・善意・良心】を揺さぶる力を
見せてくれる競技でもあると思います。

それは、信じ望み愛する心でチーム全体が一つになる【チーム・スピリット&チーム・ワーク】に
感動する時といえます。

ワールド・カップでは優勝候補が優勝せず、予想に反したチームが活躍する事が常です。例えば前回98年大会では、まだ建国したばかりの初出場のクロアチアが予想に反して活躍して見事に3位になりました。

長い民族紛争の時代を乗り越えて、新たな国家再建を目指す為の愛国心と使命感が彼等が自己を信じチームを信じる【ダイナミック・パワー】となったからといえるかもしれません。

今年はアフリカ勢の活躍が期待されています。初出場のセネガルはご存知のように前大会の王者で今大会でも優勝候補のフランスと戦って見事に初戦で勝利しました。

セネガルを栄冠に導いたのは、彼等は汚いファウルをせずフェア・プレー重視して得点後も時間稼ぎをせずに最後までゴールを目指して最善のチャレンジをし続けた結果であったと思います。

私たち個人個人が【ビジョン:理想・夢・志】というゴール(目的)を目指す時でも同じことがいえるのではないでしょうか。目的を達成するために手段を選ばないで損得や利害だけで勝利を目指す道もあるでしょう。

私たちが【ビジョン:理想・夢・志】を目指す時の<フェア・プレー>とは何でしょうか?

それは、【礼拝:★讃美★祈り★感謝】を主体として、自分は<アシスト>であって、ゴールを決めるのは【神の愛=主イエス】であることを忠実に守ることだと思います。

●神の側に立とうと決心するがよい。次にはあなたの力と個性に合わせてあなたに個人的に下される神の命令に従え(ヒルティ)

そうです!私たちの心に抱く【ビジョン:理想・夢・志】を実現させる<競技>とは、【神の愛=主イエス】との【チーム・スピリット&チーム・ワーク】が必要不可欠であり、【礼拝:★讃美★祈り★感謝】を通じて緊密な<コミュニケーション>をとりながら【神の愛=主イエス】による【神の愛の奇蹟】を起こさせることがファイン・プレーです! ★★ハレルヤ!栄光を【主イエス】に帰します!★★

●強いられてするのでなく、神に従って自ら進んで為し、恥ずべき利得の為でなく本心からそれをしなさい(ペテロ第1書5‐2)
●神の約束は、ことごとく主イエスにおいて「然り」となった。だから、私たちは神をたたえるため、主イエスを通して「アーメン」と唱えて神に栄光を帰するのである(コリント後書1-20)

<人間業>ならば不可能なことも<神業>ならばどんなことでも可能となります!
私たちが抱く【ビジョン:理想・夢・志】は【神の愛=主イエス】にゴールを決めてもらう<神の愛の事業>を目指そうではありませんか!

●人に少しも頼ることなくして、神にのみ頼ってなすことのできる事業のみが神の命じ給うた事業である。かかる事業に従事するを得て我等ははじめて独立の人となるのである(内村鑑三
●意(オモイ)を事業に注いで事業は成らず、眼を神に注いで事業はおのずから成る。
 神は事業の神なれば、我らは神を信じて無為の生涯を送らんと欲するも得ず(内村鑑三
●おまえの不幸に打ち負かされるな。神に頼れ、そうすれば勝つだろう。洪水が襲ってきても、おまえは上にあって、溺れないだろう。苦し過ぎる重荷を負わされたならば、主なる神が既にお前の願いを聞き給うたのだ(パウル・ゲルハルト)

人生の【ゴール】を目指して【神の愛=主イエス】と共に、果敢に挑み、前進し続けましょう!

●私たちはこのように多くの証人に雲のように囲まれているのであるから、一切の重荷とからみつく罪とをかなぐり捨てて、私たちの参加すべき競争を耐え忍んで走りぬこうではないか。信仰の導き手であり、また、その完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか(ヘブル書12‐1~2)
●前に進まんのみ、餓死を恐れず、単独を恐れず、失敗を恐れず、破滅を恐れず、前に進まんのみ(内村鑑三:シ出エジプト記14‐15)
●後のものを忘れ、前のものに向かって体を伸ばしつつ、目標を目指して走り、キリスト・イエスにおいて上に召して下さる神の賞与(栄光)を得ようと努めている(ピリピ書3-13~14)
●罪を忘れ、疾病を忘れ、失敗を忘れ、怨恨を忘れ、神と生命と成功と愛とに向かって進まんのみ内村鑑三
●なおも神の御手に御心に逆らわず、勇気と希望をすこしも捨てぬ。私は静かに耐えまっすぐに前進する(ミルトン)

皆さんが人生の《目的(ゴール)》を目指して、壮大な【ビジョン:理想・夢・志】を抱き【神の愛=主イエス】に信頼する素晴らしい<アシスト(神の僕・神の器・兵卒>となって、【神の愛=主イエス】に《超ファインプレー:【神の愛の奇蹟】》のゴールを決めてもらうような《フェアプレー》で栄光を勝ち取ることを心より応援しています!Good luck & God bless you!

●あなた方はあわてて出なくてもよい。逃げるようにして去らなくてもよい。主があなた方の前に進み
 イスラエルの神があなた方のしんがりとなられるからだ(イザヤ書52‐12)
●正義と誠実(憐れみ)を追い求める者はいのちと正義と誉れ(尊貴)とを得る(箴言21-21)
●キリスト・イエスの善い兵卒として私と苦しみを共にしてほしい。兵卒に服している者は、日常生活の事にわずらわされてはいない。ただ、兵を募った司令官を喜ばせようと努める(テモテ後書2‐3~4)
●人間の力の秘密は、神の道具であるという性質にある。何故なら、全ての永続的な真実の力は神のものであって、人間のものではないからである(ヒルティ)
●我等は神に造られたる者にして、神のあらかじめ備え給いし善き業に歩むべくキリスト・イエスの中に造られたるなり(エペソ書2‐10)