◇◇何を与えるかよりも、どう与えるか◇◇【2001年4月12日に作成した<第99回>に加筆】
●受けるよりも与える方が幸いである(使徒行伝20-35)
●何を与えるかということよりも、大切なのはどう与えるかということだ(ゲーテ)
それは狂牛病や洪水災害で打撃や被害を受けた英国ヨークシャーに対して、世界最貧国のひとつであるアフリカのモザンピークから日本円で献金7000円が送金されたというニュースです。モザンピークにしてみれば、その金額は大金です。
実は、モザンピークも洪水によって被害を受けるという辛い体験があったのです。そのため英国の苦難に共感できて、自発的に起こった【隣人愛】の行為だそうです。
●苦しむ隣人を見捨てない人だけが、自らの試練に耐えられるのですスウェーデンの詩人リューネベリー)
●善き境遇の中にありて、善き人となるにあらず、善き心を賜りて善き人となるなり(内村鑑三)
ヨークシャーにはもっと巨額献金が多くあったにもかかわらず、ヨークシャー住民にとって最も勇気と励ましになった献金は、この貴重なモザンピークからの献金だそうです。
彼等の<善意の行為>は世界中に知れ渡り、この話を聞いた世界中の人々の心に【福音】として刻まれたことと思います。
●天国とはどこのことでもない、人が人を愛するところである(内村鑑三)
私には、モザンピークは勿論のこと、ヨークシャー市民の<心意気>にも感服します。辛い被害の真っ只中にあるヨークシャーには、モザンピークからの贈り物(7000円)は、物質的にそれほどの効果はないかもしれませんが、【神の愛=隣人愛】を理解する市民には、貧しい中で支援してくれた<贈り手の愛>に大いに励まされたことでしょう!
●賢い思慮のある愛者は、愛する人の贈物よりも、贈り手の愛を大切に思う(トマス・ア・ケンピス)
このように【神の愛=隣人愛】は、与える人も、与えられる人も、それを見聞きする人にも素晴らしい感動と勇気と励ましと希望を与えてくれることを改めて実感できます。
●人に与えるということも、多くの偉大な事柄と同じように、ただ実地の練習を通じて学ぶものである。しかし、一旦学んでしまえば、それは人生の最も大きな喜びの一つとなる(ヒルティ)
【神の愛=隣人愛】の<功績>は難解な神学や哲学よりも、私たちを賢明にして徳を高めて精神的に豊かに成長させ、正義感や使命感を育ててくれる<善き教師>だと思います。
●愛にあって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるイエスに達するのである(エペソ書4-15)
●学問の上に学問がある、しかして深き学問は常に信仰と一致する(内村鑑三)
●知識は人を誇らせ、愛は人の徳を高める(コリント前書8-1)
●愛は、他のいかなるものにまして、人を賢明にする(ヒルティ)
私たちも、モザンピークの<与える心意気>とヨークシャーの<受け止める心意気>に学びましょう!
●大切なのはどれだけたくさんのことをしたかではなく、どれだけ心をこめたかです(マザー・テレサ)
【神の愛=隣人愛】は【霊性:魂[勇気]・善意・良心】を最善発揮させて、自分らしい人生を歩むために最も貴重なものであり、人生において<最善・最強の必需品>であることを学ぶ事ができるはずです。
●いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうち最も大いなるものは、愛である(コリント前書13‐13)
●【最も貴きもの】
富と糧とに優って貴きものは知識なり
知識に優って貴きものは道徳なり
道徳に優って貴きものは信仰なり
信仰に優って貴きものは愛心なり(内村鑑三)
●【最大の能力(内村鑑三)】
確信と称する活動力ではない、信仰と称する一種の依頼心である。これが世界を動かした力である。
先ず我の無能を覚って、しかる後に神の大能に頼る、かくて自己は死して 神、我にありて生きるに及んで、我は真個の勇者となる。
●【世界最大の者(内村鑑三)】
知識をもって腕力に克つべし
信仰をもって知識に克つべし
愛をもって信仰に克つべし
愛は進化の終局なり、最大の能力なり。
愛に達して我らは世界最大の者となるなり。
そして、【神の愛=隣人愛】に動かされた<功績>を社会の中に見出して、世に紹介し広めましょう!
【神の愛=隣人愛】に従った<功績>は【福音のパワー】があり、個人も社会も善循環に導くからです!
●【福音の勢力】(内村鑑三)
福音は政治にあらず、しかれども国家を潔む
福音は美術にあらず、しかれども美感を喚起す
福音は哲学にあらず、しかれども思惟を刺激す
福音は産業にあらず、しかれども富を増進す
福音はこの世のことにあらず、しかれども人をその中心において
活かすゆえに活動の全ての方面においてこの世を啓発す。
この世以外の福音こそ、この世を救う唯一の勢力なれ。
●福音は社会のためにあらずして、社会は福音のためなり
福音は顕れたる神の聖旨を実顕せんがために世を造り給いしなり。
福音は目的にして社会は手段なり(内村鑑三)
●【キリスト教の真意(内村鑑三)】
活動思索の全ての方面においてエホバの神を崇め奉る、
これキリスト教の真実となす。
-天体に神の栄光を探る
-地層に神の御手の工(ワザ)を求む
-詩歌に神の無限の愛をたたえる
-美術に神の美妙の理想を現わす
-農は神と共に神の地を耕すこと
-工は神と共に造化の上に、さらに造化を加えること
-商は神と共に神の物産を広く四方に分かつこと
●世に惨事多きや、福音を説くべし
世に罪悪多きや、福音を説くべし
国家を救わんと欲するや、福音を説くべし
社会を改良せんと欲するや、福音を説くべし
福音は世を救うための神の能(チカラ)なり(内村鑑三)
たとえ【この世の勢力:富・権威・名声】と無縁の無名・無力でも私たちには<愛する心>があります!
肉体的・経済的・精神的に不自由に追い込まれても、最後の最後まで<愛する自由>は存在します!
●人が天から心を授かったのは愛するためにのみである(ボワロー)
●我等は愛せられんと欲するも愛せられず、しかれども愛するは我等の自由なり(内村鑑三)
人生に悩み疲れ果てて時には心が萎縮して愛に冷めてしまっても、失望することなく、心配ご無用です!
私たちの萎縮した冷たい心に火をつけて、【隣人愛】で熱く燃やしてくれるのは、自力では不可能でしょうが、<愛の本源>である【神の愛=主イエス】がいてくれるので安心です!ハレルヤ!
●愛は神より出づ。愛さぬ者は神を知らない、神は愛なればなり(ヨハネ第1書4-7~8)
●神はキリスト(愛)を目的に、キリストに在りて、キリストをして、宇宙万物を造り給へり(内村鑑三)
●神は愛なり、宇宙は愛の機関なり(内村鑑三)
●愛は神の霊としてこの世界に満ち満ちている(ヒルティ)
私たち人間が体験するあらゆる【苦難】を共に受けてくれた【主イエス】だからこそ、私たちを助け出せるのです!
●主ご自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練の中にある者たちを助けることができるのである
(ヘブル書2‐18)
●真心からの感謝を神にささげよ。あなたの誓いをいと高き方に果たせ。苦難の日には私を呼び求めよ。私はあなたを助け出そう。あなたは私をあがめ、私の栄光を輝かすであろう(詩篇50-15)<ロビンソン・クルーソー救霊の聖句>
●苦しみ悩みのうちから、私の主を呼び求めた
主は私に応えて、私を広いところに置かれた(Set me free)
主は私の味方、私は恐れない
人は私に何ができようか(詩篇118-5~6)
●彼が、私を呼び求めれば、私は、彼に答えよう。私は、苦しみのときに彼と共にいて、
彼を救い彼に誉れを与えよう。
私は、彼を長いいのちで満ち足らせ、私の救いを彼に見せよう(詩篇91-15)
●神は、いかなる患難の中にいる時でも、私たちを慰めて下さり、また、私たち自身も、
神に慰めていいただくその慰めをもって、あらゆる苦難の中にある人々を
慰めることができるようにして下さるのである(コリント後書1-4)
●主は助けを求める人の叫びを聞き、苦難から常に彼らを助け出される(詩篇34-18)
私には悲しみ苦しみを共感し慰め励ましてくれる<親友>はいなくても【主イエス】という【真の友】があります!しかも、私の相思相愛の【霊的兄弟】となってくれます!!ハレルヤ!栄光を主に帰します!
●真の友はどんな時も愛し続けるものであり、苦難の時のために生まれた兄弟である(箴言17-17)
●世には友の振りをする、みせかけの友もある。しかし、兄弟よりも愛し、頼もしく親密なる友もある
(箴言18-24)
●私の命じることを行うならば、あなた方は私の友である(ヨハネ伝15-14)
●もはや、私はあなた方を僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。
私はあなた方を友と呼ぶ。父から聞いたことを全て、あなた方に知らせたからである(ヨハネ伝15-15)
●【友人としての神】
神は善き友人である。第一等の友人である。彼に祈祷を聞くの耳がある。恩恵を施すの手がある。
神は名ではなく実である。道理ではなく性格である。帝王ではない友人である(内村鑑三)
●【幸福の途】(内村鑑三)
人として生まれし最大名誉、最大幸福は、イエスを知り、彼に知られて、彼の友人となることである。
【神の愛=主イエス】を心に迎え入れるなら、<愛されたい!>欲求は満腹となり、<愛したい!>欲求が増し加わります。
たとえ、素直に<隣人・社会>を愛せなくても、心に抱く【ビジョン:理想・夢・志】を愛することはできます。【ビジョン:理想・夢・志】を<最愛の我が子・分身>として守り育てることも<神の愛の事業>です!
●他を進めて、また自身をも進めるの事業、神の事業とは実にかくのごときものなり(内村鑑三)
●人に少しも頼ることなくして、神にのみ頼ってなすことのできる事業のみが神の命じ給うた事業である。かかる事業に従事するを得て我等ははじめて独立の人となるのである(内村鑑三)
●意(オモイ)を事業に注いで事業は成らず、眼を神に注いで事業はおのずから成る。
神は事業の神なれば、我らは神を信じて無為の生涯を送らんと欲するも得ず(内村鑑三)
皆さんの熱き思い燃える心に抱く【ビジョン:理想・夢・志】を世間に示せば、【神の愛=隣人愛】の<功績>であり、個人も社会も善循環に導く【福音の勢力】であることを実感できるはずです!
●汝のパンを水の上に投げよ、多くの日ののちに、汝再びこれを得ん(伝道の書11‐1)
●汝の真理を社会の中に投ぜよ、年を経て汝はその偉大な結果を見るを得ん(内村鑑三)
社会のそれぞれの立場で、皆さんが<愛する自由>を思う存分に発揮して、この世界を【神の愛=隣人愛】で明るく光り輝かせて、個人も社会も、善循環に導くことに活躍される事を心より応援しています!
●自由人にふさわしく行動しなさい。ただし、自由をば悪を行う口実として用いず神の僕にふさわしく
行動しなさい(ペテロ第1書2‐16)
●汝は王者なれば ただ一人征(ゆ)け 自由の大道を自在なる英知もて進め。
その尊き偉業の報いを欲せず 自らが愛する思想の実をば結びゆけ(人プーシキン)
●われわれの力がどんなに小さくとも、また、われわれが世界のどの一隅に属していようと、
われわれ個人は全人類を理解する意識の力を増大させるよう自分自身に要求する(タゴール)
●暗いと不平を言うよりもすすんであかりをつけましょう!