◇◇可能性は無限大!お楽しみはこれからだ!(その1)◇◇
【2006年10月24日に作成した<第417回>に加筆】
●一切の仕事が、神をはなれては困難であり、神とともにあれば一切が可能である(ヒルティ)
●不可能を口にしないのは万事が自分にとり可能であり、許されていると考えるからである
(トマス・ア・ケンピス)
●老いゆけよ、我と共に!
最善は これからだ。
人生の最後、そのために最初も造られたのだ。
我らの時は 聖手の中にあり
神言い給う「全てを私が計画した。
青年はただ その半ばを示すのみ。
神に委ねよ。全てを見よ しかして恐れるな!」と。(ブラウニング)
神に大事にされ大切なる皆さんこんにちは。ご愛読に感謝します!
今日現在、様々な【苦難】にあっても、【再起・復活】のために、【神の愛】が慰め励ましてくれます!
明日こそ、【ビジョン:理想・夢・志】の実現を目指すために【神の愛】が勇気と希望を与えてくれます!
皆様の心に【神の愛】が宿り、存在を実感できますように【主イエス】の御名によって祈ります!アーメン
私たちが生きている(生かされている)【この世】の万事万物は<無限の可能性>で満ち溢れています!
だからこそ、日々感動させられる出会いや発見がある【ワンダフル(不思議で一杯)・ワールド】なのです!
最近の遺伝子分野の研究では、人間の遺伝子のうち97パーセントは眠っている(off)状態であることが判明したといわれています。
つまり、私たち人間が生まれつき持っている<能力>の、わずか3パーセントたらずしか発揮していないともいえます。
さらに、世界的に文明発展したともいえる21世紀になっても、国家・民族によっては30~40パーセントはまだまだ無学・文盲の状況にあるともいわれています。
小さなバクテリアから様々な動植物の生態にしても、生命の未知分野のほうが圧倒的に多いのだといいます。
宇宙の誕生も宇宙の果ても、分子の構造にしても、それどころか自己の性格にしても、私たちを取り巻く何もかもが解らないことだらけであるということは、<無限の可能性>に満ち溢れている証明だといえるでしょう。
神様がいるなら、「どうして世界は悪徳腐敗に満ちて、平和がやって来ないのか?」という挑戦的な反論への回答をするならば、【神の愛=主イエス】は私たち全人類が【神の愛=主イエス】の存在を認める知識・教養を身につけて、各自の自由意志と決断で一致団結する【チーム・スピリット&チーム・ワーク】を望んでいるからだと私は応えるでしょう。【神の愛=主イエス】は独裁者でなく、私たちはもはや<罪の奴隷>ではないからです!
●神はその恵みを私たちの上に増し加えあふれさせ、あらゆる知恵と悟りとを私たちに賜わり、
御心の奥義を、自らあらかじめ定められた秘められた計画に従って、私たちに示して下さった。
それは、時の満ちるに及んで、救いの業が完成される御計画にほかならない。それによって、
神は天にあるもの地にあるものを、ことごとくキリストに帰させ、キリストのもとに一つにまとめられるのである(エペソ書1-8~10))
●人間生活は意志の自由に基づいており、それに、神は自由な人間と、みずから進んで働く僕とを欲して
いられるからである(ヒルティ)
最近のTV番組で、<雑草>駆除の立場であった研究者が、<雑草>こそが世界の砂漠化を防ぎ乾燥地を
緑化するためには<最善のパワー>を持っていることを再発見してくれたエピソードが紹介されました。
今までは<最悪の存在>とみなされていた名も無き雑草が、実は世界の砂漠化の<救世主>だったのです!
天然世界の万事万物に<最善の可能性>を見出すこともまた、【神の愛=主イエス】の知識・教養だといえます。
●神は時おり、自然の出来事や自然の事物を通して、私たちに話しかけることもある(ヒルティ)
●世界が造られた天地創造の時から、目に見えない神の性質、すなわち神の永遠の力と神性とは、
被造物に現われており、これを通して神を知ることができる(ロマ書1-20)
つまり、私たちの世間的常識に基づいた<善悪の判断>で<悪・不完全・闇・マイナス>とみなされてきたものが実は、これからの<世界平和>や<エデンの園>再建においては、最善の光満ちた<救世主>となるのです!
●神はどんな悪も行われないようにするよりも、むしろ悪から善を生じさせるようにする方がよいと考えられたのである(アウグスティヌス「エンキリディオン」)
●悪いことの中にも、なにほどかの善の魂がまじっている。人が注意ぶかくそれをさがし出すならば(シェークスピア)
●事物の光明的半面に着眼する者、これ信者なり。
暗黒的半面に注目する者、これ不信者なり。
信者は 常に健康を祝し、成功を讃え、 聖徳をよろこぶ
不信者は 常に疾病を語り、失敗をなげき、悪徳・罪悪を憤る(内村鑑三)
【この世】は【闇:悪・不完全・マイナス】が深い暗いと嘆くのではなく、深い【闇】の中にこそ【光】を見出すことによって【この世】を善循環させることが、【神の愛=主イエス】の【聖意・聖旨】であるのではないでしょうか。私は信じます!
●彼らの目を開いて、闇から光に、サタンの支配から神の御もとに立ち帰らせ、こうして彼らが私(主)への信仰によって、罪の赦しを得、聖なる者とされた人々と共に恵みの分け前にあずかるようになるためである。(使徒行伝26-18)
●暗闇の中に歩んでいた民は大いなる光を見た。死の陰の地に住んでいた人々の上に光が輝いた(イザヤ書9-2)
●私(主)は光を造り出し、闇を創造し、平和と繁栄をもたらし、災いを創造する。私は主、これら全てを造る者である(イザヤ書45-7)
●私は言う。「闇の中でも主は私を見ておられる。夜も光が私を照らし出す。」
あなたには、闇も暗くなく、夜も昼も共に光を放ち、夜は昼のように明るく輝く。
あなたには、闇も光も同じで異なることはない(詩篇139-11~12)
●神は暗黒の深い底をあらわにし、闇の中から秘密をあらわし、死の闇を光に引き出される(ヨブ記12-22)
<天地創造>において【主イエス】は万事万物を【神の愛】の<最善の状態>で造られたと記されているからです。
●【万物ことごとく可なり(内村鑑三)】
神その創り給える全ての物を視給いけるに、はなはだ善かりき(創世記1‐31)
●一切のものは神より出づ(神の無限の愛:内村鑑三)
●愛は神より出づ。愛さぬ者は神を知らない、神は愛なればなり(ヨハネ第1書4-7~8)
●神はキリスト(愛)を目的に、キリストに在りて、キリストをして、宇宙万物を造り給へり(内村鑑三)
●神は愛なり、宇宙は愛の機関なり(内村鑑三)
●愛は神の霊としてこの世界に満ち満ちている(ヒルティ)
そうです!私たち個人個人の人生も、全世界の将来においても、<可能性無限大!>でお楽しみはこれからです!
●The Best is yet to come!<最善の時はこれからだ!>(ブラウニング)
●【最善の最後(内村鑑三)】
信者の生涯は始めは悪くして、終わりは善くある。
終わりに近づくほど、ますます善くある。
最後(ラスト)が最善(ベスト)である。
【神の愛=主イエス】と共に歩むならば、【闇】にも【光】を見出せる<新たな視点・価値観>が与えられることによって私たちは、たとえ【この世】で最悪の<どん底>にあろうとも【神の愛=主イエス】の<勝利の栄冠>を得られるのです!
●神は善を視るに敏くして、悪魔は悪を採るに巧みなり。
神は奨励する者にして、 悪魔は失望せしむる者なり(内村鑑三)
●キリスト教は世をあきらめずして、世に勝たしむるものなり(内村鑑三)
●世に勝つ者はだれか、イエスを神の子と信じる者ではないか(ヨハネ第一書5-5)
●万事をその最善をもって解せよ、最悪において解するなかれ(内村鑑三)
●辛いことの背後(ウシロ)には最も歓ばしいことが隠れている。我らは何事にかかわらず勇んで主の命に従うべきである (内村鑑三)
●希望は時々刻々この世に臨みつつあり、腐敗の累積はあえて恐るるに足らざるなり(内村鑑三)
●お前の意図に反しても、それは全くもう駄目というわけではない。目前の感じによって物事を判断するのは間違いである(トマス・ア・ケンピス)
★★【その2】につづく★★