【ビジョン&使命・天職】で<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>に導く【神の愛=主イエス】!!

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【神愛福音道】【聖書価値観:神愛世界観・神愛歴史観・神愛人生観> 【神助道:神助精神・神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】 【<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>創世道】

泥んこが【使命・天職】に導く!①

◇◇ 泥だらけの人生が【ミッション:使命・天職】に導く(その1) ◇◇
【2001年6月20日に作成した<第151回>に加筆】

●私は、この世にいる間は、世の光である。
 イエスはそう言って、地につばきをし、そのつばきで、泥をつくり
 その泥を盲人の目にぬって言われた。
 「シロアム(<つかわされた者>の意)の池に行って洗いなさい。」
 そこで彼は行って洗った。そして見えるようになって、帰っていった。
 (ヨハネ伝9-5~7)

神に大事にされ大切なる皆さんこんにちは、ご愛読に感謝します。

【神の導き】は多くの場合は奇妙です。たまたまの偶然のようにも思われます。
それは、非科学的であったり、理性では到底理解しがたい現象である事もあるでしょう。

しかし、【神の愛=主イエス】を信愛する者が、その時は不思議でも、後になって顧みると、
絶妙のタイミングであり、何と美しい出来事であったか、まさに【神の愛の奇蹟】であったことが
実感できます。

●天の下では、何事にも定まった時期あり、すべての営みには時がある。
 生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。
 植えるのに時があり、植えたものを抜くのに時がある。
 殺すのに時があり、癒すのに時がある。
 崩すのに時があり、建てるのに時がある。
 泣くのに時があり、微笑むのに時がある。
 嘆くのに時があり、躍るのに時がある。(伝道の書3-1~5)
●神のなされることは全てその時にかなって美しい(伝道の書3-11)
●我(主)が為すことを汝今は知らず、後に悟るべし(ヨハネ伝13-7)

上述にあるように盲人が見えるようになったという有名な話が【聖書】に示されています。
エスは盲人の目に御自身のつばきで<泥>を作って、それを目に塗って、その目を特別な池で
洗い流すように命じます。盲人はその言葉を信じて実行して見事に目が開かれます。

この話は現在の私たちにも通じる<神の善きはからい>の真理であると思います。
神の診断と処方箋は、人間の判断と解決策と全く異なります。まるで子供じみていて、
信仰のない者には迷信のような奇妙な<はからい>です。世間から見れば<狭き門>です。

●私の思いは、あなた方の思いと異なり
  私の道は、あなた方の道と異なる
 主の御告げ
  「天が地よりも高いように
  私の道は、あなた方の道よりも高い
  私の思いは、あなた方の思いよりも高い」(イザヤ書55-8~9)
●狭き門より入れ!滅びに至る門は大きく、その道は広い。そして、そこから入って行く者は多い。
 命に至る門は狭く、その道は狭い。そして、それを見出す者は少ない
 (マタイ伝7-13~14、ルカ伝13-24)

<盲人>とは誰でしょうか?それは人生の道を見失った者、将来の希望が見えない者、さ迷う者です。
【神の愛=主イエス】が与える<泥>とは何でしょうか?それは、世間的に恥辱的・非常識な【試練】です。
<シロアム(つかわされた者)>の特別な池とは何でしょうか?それは、<泥>の【試練】から助け出して
本来の人生へ導いてくれる【神助】であり、それに伴う<支援者・理解者・同労者>だと思います。

●【神助】(内村鑑三
◆神を信ぜよ、さらば神は汝の必要に応じてすべての善き物をもって 汝を恵まん。
⇔ ★天来の思想
★外来の友人
★意(オモ)わほざる汝に臨む全ての恩恵の手段(テダテ)
◆汝の目下の境遇をもって汝の力を量るなかれ。汝は信仰をもって神の力を汝の力となすをうべし。

人生の目的や存在意義を見失った<盲人>は、<泥>の【試練】で「泥だらけの人生」を経験してこそ
本来の自分らしい<本道>に導いてくれる【神の愛=主イエス】の【御心:聖意・聖旨】だと思います。

●我々は神の命じ給う道を歩いていれば日々その務めと力とが自ずから与えられる。特にそれを得ようと
 思い煩うことはいらない。ただ、それを受け入れて実行すれば善い(ヒルティ)

例えば、少年犯罪者の弁護や更正のために尽くし、ある時は家族関係の改善のためにと
現在活躍している女性弁護子の大平光代さんに起きた出来事は単なる偶然で起きたような
話ではないと私は信じます。

何故なら、現在の彼女があるのは、本人が想像もしていなかったような「泥だらけの人生」を経験して
見事に克服したからこそ実現できた大逆転の人生だからです。

そこに<神の善きはからい>があったと私は信じます!ハレルヤ!栄光を主に帰します!

TV報道によれば、大平さんは世間体を大切にする両親の下に、ひとり娘として生まれ育ちます。
勉強もできて何の面倒もかけず親を喜ばしていたのに、中学生の頃に転校した転校先で陰湿な
「いじめ」を受けるようになります。親に心配をかけず良い子でいようとして、誰にも相談せずに、
耐えていたのも限界となって、いじめる生徒への「腹いせ・報復」に割腹自殺を試みますが、命は
助かります。

その結果、事態はさらに最悪な悪循環に陥ります。新聞沙汰となりマスコミで話題となり、
本人は登校したくないのに、最も味方となってくれるはずの両親が世間体を気にして、
「恥かしいから学校に行って」と命じられるのです。彼女にとっては自分よりも世間体を大切に
している事を気づかされたショックな瞬間です。

その後も「いじめ」は続き、やがて彼女は不良仲間だけが友達となり、挙句の果てには
暴力団の妻となってしまいます。そして、スナックで働かされていた時に、彼女にとって
<救いの手>である<神の善きはからい>が訪れます。

●個人にとっても民族にとっても試練が必要以上に長く続くことは決してない(ヒルティ)
●実際、これまでも多くの試練は初め予期したよりも速く、しかも奇跡的な仕方ですべて
 終ってしまったのである(ヒルティ)

それは客人として店に来た彼女の叔父さんでした。彼は変わり果てた彼女に気づきます。
そして、「泥だらけの人生」から足を洗うよう彼女を説得します。初めて彼女の人生を
否定してくれて、本当の彼女らしさに立ち返させるようにと導いてくれた人です。

●先ずは人間を改造せよ、そうすれば人間の環境はおのずから変化する(ヒルティ)

ご存知のように通常の受験生でも平均4~5回かかる超難関である「司法試験」に、一回で見事に
合格できたことは、叔父さんが大平さんの根性と奮起と意欲を駆り立てさせ、励ましたからもあるので
しょうが、何よりも本人が「人生を変えたい!」という強い【ビジョン:理想・夢・志】があったからであり、
「人を助けたい!」という【ミッション:使命・天職】が明確であったからこそできたのだと私は理解します。

まさに【神の愛=主イエス】は<ライトスタッフ(適任者)>を召命した証拠であると私は信じます!
そして、叔父さんこそは【心の目】を開かせた【シロアム:つかわされた/送られた人】ということになります。

●私はあなたを選んで、捨てなかった。
 恐れるな。私はあなたとともにいる。たじろぐな。
 私があなたの神だから。私はあなたを強め、あなたを助け、
 私の義の右の手で、あなたを守る(イザヤ書41-9~10)
●人間は生涯中にいくたびとなく、この世における自分の使命に迷いを生じたり、気落ちしたり後戻りしたく
 なる時期が訪れるものだ。そのような時に最も確かな慰めは、もともと我々が神を選んだのでなく、神が
 我々を選んでその所有とされたいという思いである(ヒルティ)
 ⇔●あなた方が私を選んだのではない、私があなた方を選んだのである(ヨハネ伝15-16)
   ●主よ私は知っています。人間の道はその人によるのでなく、歩くこともその歩みを確かにすることも、
    人によるのではないことを(エレミヤ書10‐23)

彼が送り届けられたのには、彼女自身が心のどこかで人生の再出発をやり直しを願っていたからに
違いありません。そして、おそらく彼女の両親もまた心から愛する娘の<救い>を求めていたはずです。

両親の言葉にもならない、心からの切なる<祈り>が【神の愛=主イエス】に聞き届けられた証明だと
私は信じます。

●御霊もまた同じように、弱い私たちを助けてくださる。なぜなら、私たちはどう祈ったらよいかわからないが、
 御霊自ら言葉にあらわせない切なるうめきをもって、私たちのためにとりなし祈ってくださる(ロマ書8-26)

考えて見て下さい。もし、彼女自身は望んでいないのに、親の望むような人生を歩まされていたら、
自分自身も非行に走ったり、暴走族や暴力団に関わって、「泥だらけの人生」を体験しなかったら、
きっと少年犯罪者を本心から弁護できる日本で【オンリー・ワン】の弁護士はこの世に誕生しなかったと
私は断言できます。見事な【神の愛の意思と計画】がここに示されているではありませんか!ハレルヤ!

●ある人の生涯における最大の日とは、その人の歴史的使命、すなわち神がこの世で彼を用いようと
 するその目的が明かにわかり、また、これまで彼が導かれてきたすべての道がそこに通じているのを悟った
 日のことである(ヒルティ)

彼女は一時的に親から遠ざけられたからこそ、本当に心から望める<道>を発見できたのです。
入り口は狭く険しく危険であっても、時に私たちはあえて、その<狭き門>より入らなくては、自分だから
こそできる!【ミッション:使命・天職】を選び取る事はできないことを覚悟するべきでしょう。

●どんな良い事も、最初に一番良い顔を見せはしない(ヒルティ)
●幸福は『行く手の道に横たわる獅子』である(ヒルティ)
●地獄への道はきれいに舗装されている(ダンテ)
●多くの人が沢山の涙と大変な労苦を重ねて、やっと得たものを、お前はすぐに得ようと欲するのか。
 主を待ち望みなさい、雄々しく振る舞い、勇気をしっかり持っていなさい。
 孤疑せずに、逃げ出さずに、心身をいつも変わらず神の栄光へとささげなさい(トマス・ア・ケンピス)

しかし、【神の愛=主イエス】への信頼があれば恐れる事はありません。必ずその先には<希望の光>を
見出せるからです。そして、いつでもどこでも【神の愛=主イエス】による<神の導き>があるからです!

●驚くべき導きの、神の側からみた目的と直接の狙いは我々を普通の卑近な意味で幸福にすることでは
 ない。むしろ、恐れを知らず、あらゆる良き行いをすすんでしようとする人、一言でいえば、英雄的な人に
 するためである(ヒルティ)
●主は、私の光、私の救い。誰を私は恐れよう。主は、私のいのちのとりで。だれを私はこわがろう(詩篇27-1)
●主よ、あなたは私の灯りを輝かし、神よ、あなたは私の闇を照らしてくださる(イザヤ書42-16)
●主よ。あなたは私を探り、私を知っておられます。
 あなたこそは私のすわるのも、立つのも知っておられ、私の思いを遠くから読み取られます。
 あなたは私の歩みと私の伏すのを見守り、私の道をことごとく知っておられます。
 (ことばが私の舌にのぼる前に、なんと主よ、あなたはそれをことごとく知っておられます。)
 あなたは前からうしろから私を取り囲み、御手を私の上に置かれました。
 そのような知識は私にとってあまりにも不思議、あまりにも高くて、及びもつきません(詩篇139-1~6)


★★【その2】につづく★★