◇◇一発勝負でない【多発勝負】を目指そう!(その1)◇◇
【2003年12月20日に作成した<第323回>に加筆】
【神の力⇔チャンス】に導かれる生き方を考える
●【神の力】(内村鑑三)
神はただ愛と生命と精力とあるのみ。
「これゆえに、我ら臆せず、我らが外なる人は壊(こぼ)たるとも、内なる人は日々に新たなり
(コリント後書4‐16)」
神にありて我が失敗は失敗にあらず、我が弱きは弱きならず!
「(弱った者には力を与え、勢いのない者には強きを増し加えられる。
年若い者も弱り、かつ疲れ、壮年の者も疲れ果てて倒れる。しかし、)
我が神にありて新たなる力を獲、ワシの如く翼を張りて昇り、走れども疲れず、
歩めども倦まざるなり(内村鑑三:イザヤ40‐31)」
神に大事にされ大切なる皆さん、ご愛読に感謝します。
先日のテレビ番組で多摩大学のグレゴリ―名誉学長が興味深い言葉を紹介していました。
採用試験において学力テストだけの一面的評価である「一発勝負」ではなく、多面的に個人の適性を
評価できる【多発勝負】を社会全体が認めるべきだという意見です。
人や物事を多面的に評価する【多発勝負】とはまさに【キリスト精神】そのものであると私は共感します。
聖書に登場する多くの有名人も一発勝負に強いような人格的に完全無欠ではありません。
たとえば、人類を代表する家族の家父長として神から選ばれたノアにしても大酒飲みで日頃は周辺から
尊敬もされないような「変わり者」でした。
人類を代表する【信仰の祖】であるアブラハムは常に「望み得ないものを信じる」という信仰心においては、他の誰よりも勝る【タレント:個性・才能・可能性】の持ち主です。
【神の声=神の愛】にだけ忠実に従って、誰も見聞きした事もない【約束の地】を目指して未知への旅に
挑んだり、【神の声=神の愛】を疑うことなく最愛の独り子イサクをも捧げる覚悟まであったアブラハムにしても、生き残るためには平気で偽証しました。
私が主張したいのは堕落しても構わないというのではなく、たとえ世間的に失格者で哀れな存在の私自身であっても、多面的な【多発勝負】ならば、【チャンス】は必ず与えられる!という確信なのです。
何故なら、【神の愛】は常に肯定的で何度でもやり直す【チャンス】を与えてくれることを私たちは知っているからです!ハレルヤ!神に感謝します!
●キリスト教の神は是(しかり)[yea/yes〕である。
否(いな)[nay/no〕ではない。彼は建つる神であって壊す神ではない。
奨励する者であって、批難するものではない(内村鑑三)
1ヶ月以上前に夕方のニュース番組で小さく報道された出来事が、その後社会に大きな果実を実らせた
感動的な話があります。
妻子がいて定職についていた不法滞在(オーバー・ステイ)の中国人が、川で溺れ助けを求めている9歳の少年を目撃したので、濁流の中に飛び込み子供を救出します。しかし、本人は疲れ果てて、そのまま川で溺れ死んでしまった話です。
彼は世間的に目立つことを怖れていたのかもしれません。不法滞在(オーバー・ステイ)は強制送還されるからです。
世間的には失格者であっても、彼には見知らぬ<兄弟>を助けようとする見事な【愛と勇気】がありました!
事件直後の報道はわずかで詳細は伝えられないままに、1ヶ月くらいが過ぎたころになって、ようやくワイドショーや新聞誌面にその後の話などが徐々に紹介され出したのです。
報道によれば葬式も挙げられず大変だったそうですが、たとえ彼が不法滞在であろうとも、彼の「偉業」には変わりがない事を認めて、行政が動いて家族には特例の配慮を行なって補償金などを支給したそうです。
そして、彼の偉業を讃えて、川辺には彼のために花が絶えることはないそうです。
移民・難民や不法滞在者(オーバー・ステイ)には厳格で例外を許さず徹底して法律の遵守とする日本の行政を動かしたのはデモや人権主張や法廷闘争やマスコミの過剰報道などの世間的・集団的勢力ではありませんでした。
多くの市民の【霊性:魂[勇気]・善意・良心】を動かすには彼の個人的で献身的な【隣人愛・勇気】だけで十分だったのです。
●人がその友のために命を捨てること、これよりも大きな愛はない(ヨハネ伝15-13)
一緒にいた彼の妻は最後まで「神さま(夫を)助けてください!」と泣き叫んでいたそうです。
神様は願いを聞き届けられないほどに【残酷無情】な存在だとは私は到底信じられません。
日頃ビクビクと怖れながら暮らす生活ではなく、まさに彼自身の【真骨頂・真価】であった【献身的隣人愛・勇気】を見事に実現させた事こそが【霊性:魂[勇気]・善意・良心】が解放され救われた証明であり、残された家族もまた願い通りに精神的に救われたことを、私は確信する者です。
【神の愛=主イエス】は私の心にも働きかけて、不法滞在者(オーバー・ステイ)への偏見や差別や誤解を取り除くためにと、彼こそは【和解の掛け橋】となり【平和の戦士】となってくれたことを私は信じ、感謝します!
●あなた方が、私から学んだこと、受けた事、聞いた事、見たことはこれを実行しなさい。
そうすれば、平和の神があなた方と共にいますであろう(ピりピ4-9)
最近TVで話題になっている「ハルウララ」という競馬の馬は、一度も優勝したことがなく百連敗を迎えた馬として人々の勇気と感動を与え続けて有名になったそうです。
しかし、このエピソードにも【神の愛】である【チャンス】が示されていると感じます。
ハルウララは難産で苦労し、生まれつき小柄でとても神経質で臆病が生来の性格でした。
そのため中央競馬では採用されず、高知県の地方競馬でようやく採用されたそうです。
ハルウララの調教師は16歳で競馬の騎手に憧れて、念願果たすものの才能に恵まれずに好成績は残せなかったけれども、「騎乗一万回」という見事な記録だけが誇りだそうです。
騎手引退後に馬と関わりたいために調教師になった彼にはハルウララと自分が同じように感じて【同志】のような存在です。
「勝てないのは時の運と、持っている能力によるからそれで良い。
あきらめずに一生(一所)懸命なところが大事であり好きなんです。」
皆さんもご存知だと思いますが、ハルウララの懸命に走り続ける姿が【神の愛=隣人愛】の善循環となっています。
本来なら優勝できない年長の馬は処分されても不思議ではない「世間的失格」であるのに、連敗が話題となり、万策尽きて廃業しかかった高知競馬までも救い、全国の人々に愛と勇気と希望を与え続けているのです。
【神の愛=隣人愛】こそは最大最強であり、最も尊き存在である証拠です!ハレルヤ!
●【最も貴きもの】
富と糧とに優って貴きものは知識なり
知識に優って貴きものは道徳なり
道徳に優って貴きものは信仰なり
信仰に優って貴きものは愛心なり(内村鑑三)
●【最大の能力(内村鑑三)】
確信と称する活動力ではない、信仰と称する一種の依頼心である。
これが世界を動かした力である。
先ず我の無能を覚って、しかる後に神の大能に頼る、かくて自己は死して
神、我にありて生きるに及んで、我は真個の勇者となる。
●【世界最大の者(内村鑑三)】
知識をもって腕力に克つべし
信仰をもって知識に克つべし
愛をもって信仰に克つべし
愛は進化の終局なり、最大の能力なり。
愛に達して我らは世界最大の者となるなり。
★★【その2】につづく★★