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<律法の奴隷>からの自由解放!

◇◇ 何故、人を殺してはいけないのか? ◇◇
【2001年1月4日に作成した<第52回>に加筆】
★★<律法の奴隷・罪の呪縛>からの自由解放!★★
      
皆さんこんにちは!ご愛読に感謝します1

日本でも世界中でも【隣人・社会】では惨殺事件が絶えず起きています。

以前、筑紫哲也のニュース23の番組の中で、ある若者が質問しました。

「何故、人を殺してはいけないの?」

その時出席していたコメンテータや司会者の中に、この質問をした若者を納得させるように明確に答える人はいませんでした。

その後、この質問は反響を呼び、大江健三郎氏までがその質問には明確な答えはないという意見を紙面で
語っています。

「人を殺す」という問題を社会的秩序の中で考えるだけでなく【神の正義】として【十戒】の観点からも、考えてみることを質問した若者や皆さんにもお奨めします。【聖書】を通じた【キリスト精神】の立場であれば、1つの明確な答えがあります。

 「私たち全ては、もう既に自分が知らないうちにでも誰か人間を殺している!」

とうことです。【神の愛=主イエス】から見れば、人を殺していけない理由を知る段階でなく全員が<殺人者>なのです。

「汝、殺すなかれ」とは「うそをつくな」「盗むな」「姦淫するな」などと並び【モーゼの十戒】に示される律法の一つです。

 1.汝、我が面(カオ)の前に我の外(ホカ)何物をも神とするべからず
 2.汝、自己(オノレ)の為に何の偶像をも彫(キザ)むべからず
 3.汝の神エホバの名をみだりに口にするべからず
 4.安息日を憶(オボ)えて之を聖潔(キヨ)く守るべし
 5.汝の父と母とを敬うべし
 6.汝、殺すなかれ
 7.汝、姦淫するなかれ 
 8.汝、盗むなかれ
 9.汝、その隣人に対して虚妄(イツワリ)の証拠(アカシ)を立つるなかれ
10.汝、その隣人の家を貪(ムサボ)るなかれ、又汝の隣人の妻及び
   その僕婢(シモベシモネ)、牛、ロバ並びに全て汝の隣人の所有(モノ)を貪るなかれ

ご存知かもしれませんが【モーゼの十戒】とは、この世に生きる限り全ての人間が完全遵守できない事を悟り、罪深さを自覚するために、<罪>をあぶりだして、【神の愛=主イエス】の前に立てる<義人>は存在しないことを示すのです。

●義人なし、一人だになし(ロマ書3-10)
●律法は怒りを招くものであって、律法のないところには違反なるものはない(ロマ書4‐15)

十戒】の「人を殺すな!」「嘘をつくな!」「盗むな!」とは、「もうこれ以上~」を付け加えて考えるべきでしょう。
そして、【十戒】が日々絶対に守れない私は、【神の愛=主イエス】に近づいて救われるのです!ハレルヤ!

●律法は人を救えない。しかし、人を救う準備をする(内村鑑三

「汝、殺すなかれ」には単なる【人命】だけを禁じているのではなく、精神的に「取り返しのつかない」修復困難な断絶も含み意味すると理解するべきでしょう。

「汝、盗むな」「汝、姦淫するな」も同様に単なる物質的・肉体的な範疇を超えていて、
「殺すな!姦淫するな!盗むな!偽証するな!貪る(想像)するな!」は個別にとらえるだけでなく、【十戒】一体的に考えてみるべきでしょう。

自己の【霊性:魂[勇気]・善意・良心】に反する行為も<偽証>であり、人の喜びやチャンスを奪う事も<盗み>です。
自分の都合で神よりも人に頼り、理想よりも現実を選び、恩義を忘れて自己保身に走る行為も<姦淫>です。

実際の言動だけでなく、TVで殺戮・戦闘シーンを観て興奮したり、想像したり心に抱く事だけでも、【十戒】に反する【殺人罪】に定められることになります。

そして、自殺を考えることも、人を見捨てたり、魂を汚し堕落に誘惑する事も、心で殺意を抱く事も、精神的に虐待することも、相手の大切な名誉・プライドをふみにじる事も、見て見ぬふりをして見殺しにする事も、直接手をかけなくても間接的にも関わっているのであれば、それもまた<殺人行為>となるのです。結局、そのように自分自身の人生を省みれば、どこかで間違いなく何らかの<殺人>を見出せるはずです。

●兄弟を憎む者は皆、人殺しです。あなたがたの知っているとおり、すべて人殺しには永遠の命がとどまっていません(ヨハネ第1書3-15)

当然ながら私自身は【破戒者】の先頭に立つ【罪人】であるわけですが、果たして【この世】で生き続けよう!と思った人間で【十戒】を完全遵守できる【義人】は存在できるのでしょうか?

そうです!【神の正義】として定められた【十戒】は遵守は不可能であるのです!【十戒】は人間の目指す直接的な【人生目的】というよりも自己の無力を自覚し【神の愛】に対して忘恩・傲慢・高慢な私自身を戒める【手段】といえるでしょう。

安息日(律法)は人の為にあるのであって人が安息日(律法)の為にあるのではない(マルコ伝2-27)

それでは「(もうこれ以上)殺すなかれ!」という<神の正義>を遵守するためには何を為すべきかを、イエス・キリストは【新約:新たな神との契約】によって明確に示してくれました。

●律法によっては、罪の自覚が生じるのみである。しかし、今や神の義が律法とは別に、しかも律法と預言者とによって証しされて現われた。それはイエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、すべて信じる人に与えられるものである。そこには何らの差別もない(ロマ書3-21~23)

それは、【イエスの生涯と教え】を通じて神に信頼して愛する事で知恵と力をを得て、どんな【隣人・社会】であっても、彼等の【霊性:魂[勇気]・善意・良心】を自分と同じように信頼し望み愛するという【隣人愛】の実践を目指すことです。

●私は新しいいましめをあなた方に与える、互いに愛し合いなさい。私があなた方を愛したように、あなた方も互いに愛し合いなさい(ヨハネ伝13-34)
●愛は隣人を害する事はない。愛は律法を全(マットウ)する(ロマ書13‐10)
●信仰のゆえに、私たちは律法を無効にするのであるか、断じてそうではない。かえって、それによって律法を確立させるのである(ロマ書3-31)

律法を完全遵守できなくても、【神の愛=隣人愛】を実践しようとする信仰によって、律法まで完成させるということを【神の愛=主イエス】は無償ギフトの【福音】として世に与えてくれ、<律法の奴隷・罪の呪縛>から自由解放させてくれたのです!

●キリストは、すべて信じる者に義を得させるために、律法の終り(目標)となられたのである(ロマ書10‐4)
●貧しい者に福音を宣(ノ)べ伝え
 霊的な囚人を釈放し
 霊的な盲人の目を開かせ
 虐げられ打ちひしがれた者に自由を得させる(ルカ伝4-18)

【神の愛=主イエス】に信愛しても、私は今日も<神の正義>に反する「殺人・姦淫・盗み・偽証・想像」だらけです。
それでも、以前の<罪の奴隷>とは異なり、【神の愛=主イエス】に罪から自由解放してもらって最悪を原動力にして、罪を忘れ、【ビジョン:理想・夢・志】の最善に向かって前進し続けることができるのです!

●真理はあなた方を自由にさせる(ヨハネ伝8‐32)
●主は霊である、主の霊のあるところに自由がある(コリント後書3‐17)
●私たちは律法から解放され、その結果、古い文字によってではなく、新しい霊によって仕えているのである(ロマ書7‐6)
●後のものを忘れ、前のものに向かって体を伸ばしつつ、目標を目指して走り、キリスト・イエスにおいて上に召して下さる神の賞与(栄光)を得ようと努めている(ピリピ書3-13~14)
●罪を忘れ、疾病を忘れ、失敗を忘れ、怨恨を忘れ、神と生命と成功と愛とに向かって進まんのみ(内村鑑三
●汝ら前に進まんのみ(内村鑑三出エジプト記14-15)

たとえば、現在起きている様々な惨殺事件においても、殺人犯は生まれつきの【モンスター】ではなかったはずです。私と同じような弱き無力な卑怯者なのです。

私でも一歩まちがえれば彼のような殺人行為をしかねません。私でも皆さんでも、身近に愛情深い人、勇気ある人、希望ある人、正義感ある人など信頼できる人が一人でも存在するから、殺害者の彼らのようにしなくてすんでいるだけだと思います。

もし、自分の周りに【霊性:魂[勇気]・善意・良心】のある人が独りも存在しなければ、どれほど恐ろしい人生か想像してみて下さい。

だからこそ、私たちは少しでも身近な【隣人・社会】の<善き隣人>として、時には希望を語り合い、勇気や励ましを与え、愛と自由を分かち合い、理想を語り合う必要があると考えます。

●私たち一人びとりは、隣り人の徳を高めるために、その益を図って彼等を喜ばすべきである(ロマ書15-2)

アメリカのCBSドキュメンタリーには考えさせられるシーンがありました。
それは91年頃に百名近くの女性を性的欲望から殺害した米国最大の連続殺人者の判決から死刑までの内容です。
彼はハンサムで才能もあり表向きには何の問題もない市民でした。彼は自分自身の弁護までしてみせるほどの才能がありました。

死刑判決を下した後に、裁判官は最後に彼に優しく語りかけたそうです。

 「体を大切にしなさい。貴方は本来なら弁護士としてこの場にいてもよかった人だ。」

まさに、罪を憎んで人を憎まずと言えるでしょう。

電気イスによる死刑執行の2時間前に彼はテレビ番組のインタビューに次のように語ります。

 「私はマスコミの番組によって性的影響をうけてしまった。私は自分自身の罪深さを認めているが、
  私のように影響を受けて間違いを犯す可能性のある人間がいることを知っていて欲しい。」

【キリスト精神】において【神の愛=隣人愛】を目指すならば、既に起きた犯罪者を他人事のように無関心であったり、または単に責めたり怖がるのでなく、それよりも、これからのことを考えて、少しでも新た犠牲者(加害者・被害者)を生み出さぬための<改善策>があります。

【この世】の【隣人・社会】において【霊性:魂[勇気]・善意・良心】を呼び覚ませるように【光:愛・希望・可能性】をを発することで活躍しましょう!私たちの<内なる光>である【ビジョン:理想・夢・志】に【ミッション:使命・天職】を発見して、<律法の奴隷・罪の呪縛>で闇深き世に向けて、【神の愛=主イエス】の【光】を放ちましょう! 

●起きよ、光を放てよ、汝の光来たり、エホバの栄光汝の上に照出たり。視よ暗きは全地をおおい、闇は諸々の民をおおわん。されど汝の上にはエホバ照出たまいて、その栄光汝の上に顕わるべし(イザヤ書60-1~2)

多くの人が<律法の奴隷・罪の呪縛>から自由解放されるように、【光】を放つ皆さんの活躍を心より応援しています!

●なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、 神がキリスト・イエスによって上へ召してお与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることである((ピリピ書3-13~14)
●あなた方は、以前は闇であったが、今は主にあって光となっている。
 光の子らしく歩きなさい。光はあらゆる善意と正義と真実との実を結ばせるものである(エペソ書5-8~9)

ハレルヤ!栄光を主に帰します!
主の恵みに感謝します!アーメン!

今日も明日も素晴らしい人生をお過ごし下さい!
May grace and peace be with your spirit.
Good luck & God bless you!

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田中 聡(さとし)