◇◇ 十字架の教え:<贖罪の死>と<栄光の復活> ◇◇
【2000年8月9日に作成した<第168回>に加筆】
★★『靖国神社参拝問題』に思うこと★★
●【十字架の教え】
悪に抗せざることなり
敵の罪を赦すことなり
死に至る最後まで愛することなり(内村鑑三)
【神の愛=主イエス】に大事にされ大切なる皆さんこんにちは、ご愛読に感謝します。
ご存知のように、日本では小泉首相の靖国神社参拝の発言をきっかけにして改めて大東亜戦争の様々な問題について考えるよい機会となっています。私自身も今まであまり深刻に考えたことはありませんでした。
しかし、今回の社会での問題提起によって、そこにも【神の愛(真理)】が明確に示されていると私は感じました。
●もしもあなたがあらゆるものにイエスを求めるならば、必ず(そこに)イエスを見出し得よう(トマス・ア・ケンピス)
民主化の先進国として珍しく、日本ではキリスト教が思うほどに普及されずに公称では国民のわずか1%前後を推移しているクリスチャン人口であると言われています。私自身も教会公認のクリスチャンではありません。
何故、そこまで【イエス・キリスト】は日本では受け入れられないのでしょうか。
その理由には天皇制や伝統的な宗教観もあるでしょうが、もっと大きな理由は別にあると私は思います。
それは、『特攻隊』や『原爆被害者』『沖縄ひめゆり部隊』の存在です。彼等は日本人にとってはイエス自身が示された<贖罪のいけにえ>としての象徴そのものであるからです。
私たち戦後を生きてきた日本人にとっては、民族の過去の罪深さを清めてくれる英霊であり殉教者であり聖者ですらあるからです。私たちは2000年前の【イエスの十字架】による贖罪には心から気持ちよく感謝できなくても、英霊や戦争犠牲者には素直に感謝できるはずです。
●苦しみが正しく作用するには、感謝の気持ちがなくてはならない(ヒルティ)
もし、彼等のように無謀や敗北を覚悟の上で、国家・家族のために静かに物言わずに犠牲となってくれた人々が存在しなかったなら、我々日本民族は耐え難き無力感と敗北感に苦しんだのではないでしょうか。彼等は日本の将来の平和を願って【イエスの十字架】を背負ってくれているのです。
だから、私たちは彼等の崇高な自己犠牲に素直に敬意を払い感謝したくなるのではないでしょうか。英霊や戦没者の精神は【キリスト精神】における崇高なる【隣人愛】にも通じるのではないでしょうか。
●人がその友のために命を捨てること、これよりも大きな愛はない(ヨハネ伝15-13)
●正しい人のために死ぬ者はほとんどいない、情をかけてくれた人の為に進んで死ぬ者もあるいはいよう、しかし、罪人のために死ぬ者はイエスしかいない(ロマ書5-7)
あの戦争は正しかったとか、東京裁判が違法であるとか、原爆投下こそ人道の罪だとか、様々な言い分で日本の正当性を主張したり、靖国神社と政治家連中が【英霊】を政治的に利用したりすることは【イエスの十字架】の裁判・処刑に通じます。
【主イエス】が裁かれた法廷が不当であったとか、当時のローマ帝国の方が間違っていたとか、ユダの裏切りが問題であったとか論じて、悪でも不義でも、私たちを救わんがための【神の愛=隣人愛】である【イエスの十字架】に目を向けないことと同じだからです。
●神とは何ぞや、人間にとっては神とは神とは同胞を助けることである(大プリニクス・作者不明)
私たち残された国民全体がまさに【イエスの十字架】の<身代わり(贖罪)>で救われた罪人【バラバ】であるように思います。
彼等『特攻隊』や『ひめゆり部隊』『原爆被害者』に代表される国家存続のための殉教者がいてくれたからこそ『東京裁判』で処刑が実行されたからこそ、本当なら壊滅かまたはドイツや朝鮮半島のように米ソ両国によって国家の分割統治が行われないで済んだと思うからです。
現在でも、隣国の中国・台湾、朝鮮半島、ロシア、アジア全域のほとんどの国々では戦争状態であり内乱が続いています。
そして、世界中で『特攻隊』や『ひめゆり部隊』のような青少年たちが大人の政治家や指導者に洗脳され、そそのかされて最前線に駆り出されているのが現状です。
先日もアフガニスタンのイスラム原理主義ゲリラのタリバンが、ドイツ・米国のNGOを捕えたという報道を見ました。
タリバンによれば、アフガニスタンの恵まれない子供たちに物資支援している欧米NGO組織が援助と同時に子供たちにキリスト教を布教しているからだそうです。タリバンにとって彼等が提唱するイスラム教以外への改宗は死刑に値するそうです。
子供たちを軍事教育から精神的に解放させようとした欧米NGOの勇敢なる【ミッション:使命・天職】による【福音】の種まきは、当初は不毛の地への空しき行為に思えても、必ず成功することが約束されています!
●汝のパンを水の上に投げよ、多くの日ののちに、汝再びこれを得ん(伝道の書11‐1)
●汝の真理を社会の中に投ぜよ、年を経て汝はその偉大な結果を見るを得ん(内村鑑三)
●少ししか蒔かない者は、少ししか刈取らず、豊かに蒔く者は豊かに刈取ることになる(コリント後書9-6)
●涙と共に種まく人は喜びの歌と共に刈り取る
種入れをかかえ泣きながら出てゆく者は、束をかかえ喜びの声をあげながら帰ってくる(詩篇126-5~6)
何年か後には彼等が伝道したアフガンの少年の中からたった独りからでも【キリスト精神】に目覚めた青年が登場して【自主独立:自由・独立】に立ち上がるからです。そうやって、あらゆる民族国家でも自由・独立の平和を勝ち取る歴史は作られてきたのです。
●あなたの若い日にあなたの創造主を覚えよ、災いの日が来ないうちに、また、何の喜びもないという年月が近づく前に(伝道の書12-1)
●大いなる事業が完成されるためには一つの精神があれば足りる。千の手を動かすために(ゲーテ)
●単独の勢力:世界改造の実力は一人の霊(内村鑑三)
●すべて偉大なことは、小規模に少人数から始まるものだ。あなたはそれを覚悟しなければならない。そして、子供たちを教育するにも彼等が少数派に属することを平気なように導かねばならない(ヒルティ)
●人数が少ないからといって世界を変える力はないと侮るなかれ。 世界を変えてきたのはまさしく少数の力なのである(マーガレット・ミード)
アフガニスタンでも日本でも【福音の勢力】は<少数派>である時にこそ最善発揮されることを楽しみにしています!
●キリストは少数である。福音は少数の意見である(内村鑑三)
●神は大事を為すにあたって多数の勢力をもってせずして単独の勢力をもってし給うた(内村鑑三)
●小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる(ルカ伝12-32)
私たちは国家的にはキリスト教国ではありませんが、歴史的にいつも様々な<殉教者>によって救われてきたことを考えれば、【キリスト精神】の【身代りの受難】の<心意気>だけでも理解しているのではないでしょうか。
●キリスト受難の記事は、身自ら悲哀を味わいし者が悲哀の聖殿に在りてのみ、これを解することができる(ゲーテ)
●キリストが心がけた事は民衆自身のことと一致する(ヒルティ)
しかし、【贖罪の死】は共感し理解できても、【栄光の復活】は【主イエス】を受け入れなくては困難だと思います。
【栄光の復活】があるからこそ、私たちは過去の失敗・挫折・闇に支配される<罪の呪縛・律法の奴隷>から自由解放されるだけでなく、<一日一生!>の日々新たに何度でも【ビジョン:理想・夢・志】を目指して挑戦できるのです!
●イエスは言われた。「私は復活であり、命である。私を信じる者は、死んでも生きる(ヨハネ伝11-25)
●キリストは我が教師にあらず、我が救い主なり、我が生命なり、また我が復活なり(内村鑑三)
●悪の克服、その後の罪のつぐない、悪からの脱出、新生、これが表現の天分を解放するのである(ヒルティ)
●悪を恐れよ、しかし常に悪に打ち勝つことのできる神に信頼せよ(ヒルティ)
●我等は悪を避けんとするよりは、むしろ神と共にあらんことを努むべし(内村鑑三)
21世紀の私たち日本国と日本人は【贖罪の死】を卒業して、いよいよ【主イエス】を通じて【栄光の復活】を受け入れて、各自が【ビジョン:理想・夢・志】を目指し【ミッション:使命・天職】に生きる<個人の時代>に突入することを私は楽しみにしています!
●死して不朽(ふきゅう)の見込みあらばいつでも死ぬべし。生きて大業の見込みあらばいつでも生くべし(吉田松陰 《死刑の年に、江戸の獄中から弟子の高杉晋作にあてた手紙の中で》)
●我々は、希望がひとかけらでも残っている限り、繰り返し、繰り返し挑戦して、絶対に、へこたれない
(フィリピン独立の英雄ホセ・リサール)
●さあ、元気を出して行動に打って出よう
どのような運命にも立ち向かう勇気を持って。
いよいよ励み、いよいよ求め、
労苦し、時を待つことを学ぶのだ(ロングフェロー)
●不屈の意志の星、
かれは私の胸のなかに昇る、
穏やかに、決然と、そして静々(しずしず)と、
そして平然と、おちついて、
おお、このような世の中で恐れるな、
そうすればやがて君はかならず知るだろう、
苦しみに耐えて強くあることが
どんなに崇高なことであるかを(ロングフェロー)
【主イエス】の【贖罪の死】にくわえて、【神の愛の奇蹟】である【栄光の復活】を心に受け入れて、自己の【ビジョン:理想・夢・志】に示される【ミッション:使命・天職】のために何度でも挑戦し続ける【パッション:受難覚悟の情熱・熱望・気骨】に満ち溢れて、世界を舞台に大活躍されることを心より応援しています!
●真理に逆らっては能力(チカラ)なく、真理に従えば能力あり(コリント後書13‐8)
●キリスト教は信を先にして、行いを後にするものなり。天の地よりも高きがごとく、神の意は人の意より高し(内村鑑三)
ハレルヤ!栄光を主に帰します!
主の恵みに感謝します!アーメン!
それでは今日も明日も素晴らしい人生をお過ごし下さい。
May grace and peace be with your spirit.
Good luck & God bless you!
メイル歓迎します!
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田中 聡(さとし)