【ビジョン&使命・天職】で<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>に導く【神の愛=主イエス】!!

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≪自己本位≫の我が道を目指そう!

◇◇ 個人の良心を発揮させ、少数意見を尊重できるには? ◇◇
【2002年2月8日に作成した<第216回>に加筆】 
2002年2月7日(木)朝日新聞天声人語」を読んで
★★他人本位から自己本位へ★★

●おのれの罪、他人の罪に曇った良心はあなたの言葉を激しすぎると思うだろう。
 しかし、あらゆる虚偽をすてて、見たままをのべるがよい・・・
 傷あとをかゆがるものには、かかせるがいい。
 あなたの声は初めは味わい苦くとも、のちに消化(コナ)されると、みなの命の営養(ヤシナイ)となる(神曲 天国篇 第17歌124行以下)

神に大事にされ大切なる皆さんこんにちは、ご愛読に感謝します。

朝日新聞の「天声人語」で問題提起されていることに、最近起きている組織的不正や不祥事では何故、
不正に反対する<少数意見>が尊重されず、個人の<良心>が発揮されなかったのかという問題提起
が記されていました。

雪印の不正事件や農水省BSE(狂牛病)対策として肉骨粉禁止の遅れや外務省の一連の不祥事などが
自粛されなかったのは組織の不正に疑問を持つ少数意見を無視して、個人の<良心>が尊重されなかった
からであり、間違った愛社精神、愛省精神のせいではなかったかと書かれています。

本当の愛社精神や愛省精神があったならば、現在のような事態を起こす前に不正・不祥事を自ら暴き速やかに正常化に努めるはずだからです。

【愛】には大別して【自己愛】と【隣人愛】に分ける考え方があります。間違った【愛】とは【自己愛:我執・利己心・保身・自己防衛】に囚われるからだといえるでしょう。

【自己愛】が強まると【霊性:魂[勇気]・善意・良心】を見失わせて社会的正義感や【隣人愛】や自由のために立ちあがる勇気を弱めてしまうという想定です。

私も「【自己愛】は悪くて、【隣人愛=神の愛】は善い」という世間的常識である<定説>に納得してきました。
従って、【自己愛】を棄てて【隣人愛=神の愛】に進もう!と【自己愛】を悪玉として完全否定してきました。

しかし、信仰生活を過ごすうちに、最近では【自己愛】を完全否定する考え方に疑問を感じるようになったのです。
【自己愛】と【隣人愛=神の愛】は対極の正反対にあるのではなく、<愛>としては目指す地点が異なるだけだと考えるようになりました。

登山でたとえるならば、【自己愛】は<理想の愛>の五合目であり、頂上を目指すために避けて通れない通過点であり、頂上に輝く【隣人愛=神の愛】は人生の目標でもあり、直ぐに到達できない雲の上の存在といえるでしょう。

従って、自己の【霊性:魂[勇気]・善意・良心】が発揮されにくく、少数意見が尊重されにくいのは【自己愛】が主な原因ではないように思えます。

そこで私が思いついたのは、自己決定において<自己本位>か<他人本位>かの問題ではないかということです。<自己本位>なら、自分の【霊性:魂[勇気]・善意・良心】を基準に決定しようとするでしょうが、<他人本位>だと、<組織の論理>に任せたり、少数派より多数派、亜流よりも主流に、非常識より世間体に合わせることが安心感があるということになります。

つまり、日本の多くの組織・社会で、個人の<良心>が発揮されなかったり、少数意見が尊重されにくいのは【愛】の問題ではなくて、各人の自己決定の基準が<自己本位>よりも<他人本位>の方が多いからだと思えるのです。

個人が<他人本位>では社会主義的価値観を生みやすく、お任せ政治や無責任社会を形成しやすいと思います。
道徳倫理観が社会的に健全な<戒律遵守社会>なら、個人が<他人本位>でも問題ないかもしれません。
しかし、いったん組織や社会の堕落腐敗が主流・多数派になってしまったら、他人任せの<他人本位>は無力です。

現代の日本社会においては、多数派の堕落腐敗への誘惑は盛んであり、抵抗する少数派に留まることは孤立する恐怖心に満ちているのではないでしょうか?

●お前を悩ますのは誘惑だ、またお前をひどく脅かすのは恐怖心である(トマス・ア・ケンピス)

個人の自由意志と決断を尊重する自由主義・民主主義社会であるなら、自己責任を重んじる<自己本位>である方が、たとえ社会全体が堕落腐敗に悪化しても、自ら健全になる再生復活能力があると思います。

<自己本位>は<他人本位>よりも、【自己愛】を【神の愛=隣人愛】へと成長させる精神的土壌だからです。

●愛の中に恐れあることなし、全き愛(神の愛・隣人愛)は恐れを除く(ヨハネ第1書4‐18)

【神の愛=主イエス】は<他人本位>よりも、個人の自由意志と決断にある<自己本位>の方を尊重すると思うからです。

●人間生活は意志の自由に基づいており、それに、神は自由な人間と、みずから進んで働く僕とを欲していられるからである(ヒルティ)

私たちが【自己愛】と【隣人愛=神の愛】をコントロールすることは困難ですが、自己決定としての<自己本位>と<他人本位>の選択は自分の意志次第であり、いつでも可能です。

日本社会が個人の<良心>を発揮させ、少数意見を尊重できる精神的自由な健全に立ち帰る<第一歩>は、<自己本位>の自己決定基準を私たち個人個人が選択することだと思います。

「有名な~が言っているから」「~で評価されているから」「売れてる、流行だから、有名だから、」と言うような<他人本位>だけで決めるのではなく、他人や世間が何と言おうとも、批判を恐れず、孤立を恐れず、「私が好きだから!」「私が納得できるから!」「私がj感動したから!」と言えるように<自己本位>で決定しましょう!

●義を見てせざるは勇なきなり、身を殺してもって仁を成すあり(孔子
●汝の道を進め、人々をしてその言うにまかせよ(ダンテ)

【神の愛=主イエス】は<自己本位>の個人的決断を【神の愛=隣人愛】に導いてくれることを信じて前進しましょう!

●各自は惜しむ心からでなく、また、強いられてでもなく、自ら心で決めたとおりにすべきである。神は喜んで施す人を愛してくださるのである(コリント後書9-7)
●私は自分を強くして下さった私たちの主キリスト・イエスに感謝する。主は私を忠実な者と見てこの務めに任じて下さったのである(テモテ前書1-12)

皆さんが、<自己本位>の自由意志と決断で<我が道>を進み、たとえ世間的に少数派にされ無視されようとも、無理解に批判されようとも、常に自己の【霊性:魂[勇気]・善意・良心】に従って活躍されることを心より応援しています!

●しいられてするのではなく、神に従って自ら進んでなし、恥ずべき利得のためでなく、本心からそれをなしなさい(ペテロ第1書5-2)
●キリストは少数である。福音は少数の意見である(内村鑑三
●君がもし、それをしなければならないと確固たる信念をもってある事をなす時、たとえ多数者(大衆)はそれについて違って考えようとも公然とそれをするのにはばかる事はない。君がもし正しく行動しないのなら、その行動をこそはばかるべきで、もし正しく行動するのなら、きみを不当に非難する人々に対して何のはばかるところがあろうか(エピクテトス

ハレルヤ!栄光を主に帰します!
主の恵みに感謝します!アーメン!

それでは今日も明日も素晴らしい人生をお過ごし下さい。
May grace and peace be with your spirit.
Good luck & God bless you!

メイル歓迎します!
cforum@tanaka.name
田中 聡(さとし)

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皆さんこんにちは!
私は東京の中野に【チャレンジ・フォーラム】という【キリスト精神】啓蒙施設を運営しながら、個人的【福音伝道】事業を行っています。
ここに紹介する記事は、基本的にはメルマが(e-magazine)で2000年11月から2006年6月までに不定期発行してきた約400号から抜粋して掲載しています。(http://www.emaga.com/info/cforum.html)もし、皆さんの中で、過去のメルマガにも興味があるならば、まとめてメイル送信しますので御気軽に御連絡ください!

★ウェブを参照ください!http://www.geocities.jp/cforum2000/

★★★皆さんの【ビジョン】【願い事】のために【礼拝:祈りと感謝】致します!★★★
 あなたの【ビジョン:理想・夢・志】・【願い事】を御気軽に御連絡下さい!
<心を一つ思いを一つ>の【チーム・スピリット&チーム・ワーク】に私が協力します!
あなたと共に【主の御名】によって【神の愛=主イエス】に【礼拝:祈りと感謝】いたします!
●あなた方のうちの二人が、どんな願い事についても地上で心を合わせるなら、
 天にいます私の父はそれをかなえて下さるであろう。
 二人、三人が私の名によって集まっているところには私(主イエス)もその中にいる(マタイ伝18-19~20)
★★皆さんからの御連絡お待ちしています!★★