◇◇ 不可能を可能にする【神の愛のパワー】(その1)◇◇
【2002年10月3日に作成した<第274回>に加筆】
2002年9月24日(水)NHK深夜1:22「地球の街角:オランダ~アザラシとの共生を目指して」
9月27日(金)NHK教育14:00「ForYou:求められる医者になりたい・金平永ニ」を観て
●愛は万事に対する能力をもち、愛しないものならば、力尽きて倒れる場合にも多くの事を成し遂げ功を奏させる(トマス・ア・ケンピス)
●不可能を口にしないのは万事が自分にとり可能であり、許されていると考えるからである(トマス・ア・ケンピス)
●「なすべき」がキリスト教ではない、「なしうる」がキリスト教である(内村鑑三)
●愛は重荷を感ぜず、労苦を顧みず、自分の力以上のことを行ないたがる(トマス・ア・ケンピス)
【神の愛=主イエス】に大事にされ大切なる皆さんこんにちは、ご愛読に感謝します。
【聖書】には「愛とは何か?」「正義とは?」「真理とは?」「生きるとは?」などの人生においての様々な疑問への明確な回答が示されており、しかも具体的な実践と苦難の克服方法まで丁寧に教えている人生訓であり、処世術であり、成功哲学など全てを含んだ具体的行動規範ともいえるでしょう。
●聖書はみな神の霊感(息吹・感動)を受けて書かれたものであって、人を戒め、正しくし、義に導くのに
有益である(テモテ後書3‐16)
例えば、テレビ伝道「ハーベスト・タイム」の中川牧師がTVで教え説いてくれた「十字架のイエス」に関わった人々のエピソードは新たなチャレンジをする時に私たちに勇気と希望を与えてくれる【福音】といえるでしょう。
◆必ず自分の【出番】が与えられる!(It's my turn!)
イエスが十字架の処刑となった後に、死体を引き取って葬ったのは誰だったか、明確に聖書では示されています。それは、愛弟子たちではありませんでした。アリマタヤのヨセフという金持ちで、地位の高い議員であり、密かにイエスを信愛していた「隠れキリシタン」でした。(マタイ伝27‐57、マルコ伝15‐42、ルカ伝23‐50、ヨハネ伝19‐38)
2年間寝食を共にして多くの【神の愛の奇蹟】を目の前で体験した使徒や愛弟子たちは自分にも危害が加わる事を恐れて逃げ去ったのを知って、ヨセフは自分の<出番>を確信したのだと思います。彼は勇敢にも自分の社会的立場を失う危険を顧みずにピラトに申し出て【イエスのからだ】を引き取る事を願ったのです。
ヨセフは、【主イエス】が【栄光の復活】するためには、【救世主の預言】に示されている通りに、誰も葬られたことのない「富める階級の新しい墓」を提供するという、彼でなくては他の誰も替わりができない重大な【ミッション:使命・天職】を見事に果たしたのです。
●彼は不法を働かず、その口に偽りもなかったのに、その墓は神に逆らう者と共にされ、富める者と共に葬られた(イザヤ書53-9)
ヨセフは【イエスの生涯と教え】を心より信愛している弟子でしたが、現実生活は【この世の勢力:富・権威・名声】に従った日常を送っていました。最初に選ばれた12使徒たちや多くの弟子たちのように、自分の築いてきた日常生活を一切捨てて、【主イエス】と共に苦難の伝道活動に参列する勇気はありませんでした。
しかし最後の最後に【神の愛=主イエス】への信仰心に動かされてヨセフは最も勇敢で大胆な決断と実行をしたのです!
私たちも日頃は役に立たずとも、信じ望み願い続ければ、必ず<道>は拓け、自分でなければ他の誰もできないような【出番・使命】が必ずやって与えられる事を信じましょう。
◆ 【ネバー・ギブ・アップ】信愛をもって最後までやり遂げよ!
【主イエス】が十字架に架けられた時に逃げずに最後まで見届けた人々は誰だったか?
それは当時では社会的立場が低く無力な女性たちでした。多くの使徒や愛弟子は恐れて姿を隠したのに【主イエス】への愛と信仰心とに動かされた女性たちは墓に葬られる最後まで、逃げ去ることなく見届けたのです。
そして、彼女たちはいつまでも【主イエス】への信愛を抱き続けて<主イエスの身体>を香油で清めるために墓に参ることを忘れず実践していたおかげで、3日目の【栄光の復活】にも最初に立ち会えるという人類最高の栄誉を【神の祝福】として与えられたのです!
【神の子】である【主イエス】から直接に<3日目の復活>を聞かされていたにも関わらず、頭で理解し信じた愛弟子たちは【主イエス】を失ってしまった絶望と迫害の恐怖から隠れ家に閉じこもってしまいました。
一方で【主イエス】を心から愛していた彼女たちは【主イエス】のために自分が為すべき事を知っていたのだと思います。おかげで、【栄光の復活】の第一発見者であり、証言者という彼女たち以外の他の誰も替わりのできない名誉ある貴重な【ミッション:使命・天職】を果たせたのです。
この【聖書】の記録に示されることは、私たちの人生においても貴重な<神の愛の啓示>であると思います。【神の愛=主イエス】に信愛して、自分が<できない事>を考えて無力に絶望するのでなく、自分なら<できる事>を、先ずは決断して実行して、【神の愛=隣人愛】に従って、進んでやり遂げるなら、必ず【神の愛=主イエス】は喜ばれ祝福して<最善>に導いてくれるという証明です。
●ためしてみること、着手することによってのみ、最も偉大な事柄も成就するものだ(ヒルティ)
●為せば成る、為さねば成らぬ 成るわざを 成らぬと捨つる 人のはかなき(武田信玄)
●為せば成る 為さねば成らぬ なにごとも 成らぬは人の 為さぬなりけり(上杉鷹山)
●力に応じたことをしなさい。そうすれば神はあなたの善い意図を援(タス)けられるであろう(トマス・ア・ケンピス)
●神の無限の力に頼りて我等は我等の信じるがごとくに全ての事をなすを得るなり(ピリピ書4‐13)
●Rニーバーの祈り
神様
私に変えることのできないものは
それを素直に受け入れるだけの
心の平安を与えて下さい
変えることのできるものは
それを変える勇気を与えてください
そして何が変えられるものであり
何が変えられないものかを
見分ける知恵を
この私にお与えください (新生宣教団「恵みの雨 1998.11月号 祈りは必ず聞かれる」より)
★★【その2】につづく★★