【ビジョン&使命・天職】で<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>に導く【神の愛=主イエス】!!

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【神愛福音道】【聖書価値観:神愛世界観・神愛歴史観・神愛人生観> 【神助道:神助精神・神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】 【<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>創世道】

【神の愛】の教育・訓練方法①

◇◇【神の愛】の教育・訓練⇔やってみせ、自由にさせて、ほめて、光り輝くように導く!(その1)◇◇【2007年3月11日に作成した<第426回>に加筆】 

●やって見せ 言って聞かせて させてみて ほめてやらねば 人は動かぬ(山本五十六

【神の愛=主イエス】に大事にされ大切なる皆さんこんにちは。ご愛読に感謝します!

今日現在、様々な【苦難】にあっても、【再起・復活】のために、【神の愛】が慰め励ましてくれます!
明日に向かって、【ビジョン:理想・夢・志】実現のために、【神の愛】が勇気と希望を与えてくれます!

先日、自動車免許の更新手続きに行ってきました。皆さんも自動車免許証の更新手続きの経験があると思いますがコンピュータ化されて、以前よりは処理手続きはかなり迅速になっていたので感動しました。やればできる!

ところが、ご存知のように、講習会だけは従来のままです。私は無事故・無違反(ペーパー・ドライバーなので)だったので30分コースで済みましたが、それでも20分間見せるビデオの内容は悲惨な話ばかりです。覚えている話を紹介すると;

★携帯をかけながら運転していて、わずか2秒間目を離したことで人身事故を起こしてしまう話。
★飲酒運転の人身事故で実刑判決。残された家族(妻)が被害者の病院見舞いに疲れ、訴訟・弁護費用に1億円かかると聞いて、心労から自殺してしまう話。

他にも様々な≪最悪な状況≫を見せられて、「絶対に違反するなよ!恐ろしい目に遭うぞ!気をつけろ!」と脅しまくられたいえるでしょう。あまりに事故が多発するので、私たち免許取得者の≪人格≫は、あまり信頼されていないことの証明ですね。

この教育的指導は、私たちの免許という大切な≪特権・資格≫が失われないようにと、私たちのために善かれと思っての事であり、感謝すべきことかもしれませんが、私はほめられたい人間なので、せっかく無事故・無違反の人々には他の方法があると思います。

たとえば、マナーを守ったからこそ、「こんな活躍ができた!」「人や動物・植物・自然を救助できた!」「愛の奇蹟が起きた!」など≪善循環≫の話も紹介したら、「よし!俺もこれからもマナーを守って、役に立とう!」と勇気づけられ励まされると思うのです。

よくヒーロー者の映画ストーリーを観た後に、励まされて自分もやるぞ!と感じ、映画館を出る時に味わう≪爽快感≫や感動が欲しいものですね。皆さんはどう思いますか?

現状のビデオのような、ルールへの服従を強制する≪教育的指導≫といえば、日米のTV伝道などで見られる「教会の説教」が思い浮かびます。ただし、教会ではいつもこのような脅してばかりいないことは充分理解していますので、どうかご容赦下さい。

「地獄に落ちないように気をつけなさい!」「悪魔・サタンの誘惑に気をつけなさい!「~しないように!・・・に気をつけなさい!」

以前メルマガで紹介したように、盲導犬クイールを調教した多和田悟さんは、それまでの日本の調教方法を大転換させた先駆者です。

日本では≪Obedience(服従)≫という≪強制的訓練≫が常識でした。この方法は、盲導犬の世界だけでなく、日本の子供に対する一般的な「しつけ」にも通じるといえるでしょう。そして、免許更新時の教育的指導も同じ≪考え方≫のように感じました。

日本の服従させる方法では、先ず「No/ダメ」で教え込むそうです。「いけないこと」「禁止事項」「怒られる事」を先ずは叩き込む考え方です。

一方で興味深いことに、多和田さんが学んだ欧米で常識の≪DogEducation:盲導犬教育≫では、日本とは全く逆の発想だったのです。
つまり、欧米の教育方針では、先ず「Good!/良くできました!」で教え込み、それから後に「No/ダメ」なことを本人に理解させ悟らせます。
それが、それまでの日本に無い≪DogEducation:盲導犬教育≫の考え方だったのです。

この発想の大転換こそが、それまでの日本の盲導犬訓練にどれほど大きく貢献したかは盲導犬クイールによって証明されたのです。

盲導犬に向く犬とは、先ず人と一緒でも苦にならず楽しめる【タレント:素質】が必要であり「角・段差・障害物」の三つを理解し伝えられる才能が不可欠だそうです。そして、それは強制的訓練ではなくて、自分の臨機応変の判断で教え導けなくてはならないのです。

従来の日本の訓練方法では、例えば目の前に「障害物」があると、自動的に右側にリードするように教え込むそうです。しかし、もし障害物の右側よりも左側の方がより広く安全であっても、盲導犬自身が勝手に判断することはできませんでした。

一方で、欧米では違います。常に犬自身の判断を重視するように教育できるのです。それが日本に無い「DogEducation:盲導犬教育」の考え方だったのです。

このような「ほめて、喜びを感じさせる」調教だと、自発性と臨機応変の即応判断能力が生まれるということは人間教育にも通じるはずです!
そして私はひらめきました!この二つの異なる教育・訓練の考え方は、【旧約聖書】と【新約聖書】のそれぞれの【根本精神】ではありませんか!?

旧約聖書】の【義の神】は≪十戒・戒律重視≫に≪Obedience(服従)≫させる≪強制的訓練≫と【神罰】で、私たちを人間を導きました。

一方【新約聖書】の【神の愛=主イエス】は、ご存知のように、厳しき【戒律】と恐ろしき【神罰】で脅しながら、強制服従させるのではありません。
先ず【主イエス】ご自身の生涯によって、誰もが魅了させられる≪真・善・美≫の生き様・死に様を、模範的に見事に「やって見せて」くれました。

●キリストは、神の御姿で神の身分でありながら、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、かえって、おのれを無にして僕の身分である仕える者の姿となり、人間と同じ姿になられた。おのれを低くして、へりくだり、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた(ピリピ書2-6~8)
キリスト教は完全なる道徳と同時にこれに達するの途を示しこれを行うの力を供するものである(内村鑑三
●私が来たのは、いのちを、あふれるほど豊かに与えるためです(ヨハネ伝10-10)
●Beautiful is that beautiful does.(美を為す者、すなわち美なり)(内村鑑三の紹介)

そうです!禁止事項や違反事例を失敗例を見せて警告するのでなく、≪人間の最高・最善理想≫を具体的に実践して見せてくれたのです!
だからこそ、私たちは自発的に喜んで【主イエス】に近づき【キリスト精神:自由・平等・寛容・博愛】に憧れ目指すことができるのだと実感できます。

●私たちはこのように多くの証人に雲のように囲まれているのであるから、一切の重荷とからみつく罪とをかなぐり捨てて、私たちの参加すべき競争を耐え忍んで走りぬこうではないか。信仰の導き手であり、また、その完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか(ヘブル書12‐1~2)
●なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、 神がキリスト・イエスによって上へ召してお与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることである((ピリピ書3-13~14)
●偉人の生涯は我々に教える
 我々もまた高貴に生き得ることを
 そして彼亡きあとには 時の砂上に足跡を残すことを。
 別の弱い、よるべなき兄弟は人生の荒海を渡りつつ
 おそらく、それを目に留めて新たに勇気と奮い起こすであろう足跡を(ヒルティ)
●人を信じさせるものは経験である。自分も経験してみたいという願望と気分とを 起こさせるものは、その経験をした人たちの証言である(ヒルティ)
●強いられてするのでなく、神に従って自ら進んでなし、恥ずべき利得のためでなく、本心からそれをしなさい(ペテロ前書5-2)
●各自は惜しむ心からでなく、また、強いられてでもなく、自ら心で決めたとおりにすべきである。神は喜んで施す人を愛してくださるのである(コリント後書9-7)
●人間生活は意志の自由に基づいており、それに、神は自由な人間と、みずから進んで働く僕とを欲していられるからである(ヒルティ)

「私もあなたのようになりたい!」「あなたならできる!やってみなさい!いつも応援しているからね!」という、単なる主従関係・師弟関係ではなく、
【真の友・霊的兄弟】として、身近で親密な素晴らしき聖愛と絶対的信頼関係にあることの証明です!

●【幸福の途】(内村鑑三
 人として生まれし最大名誉、最大幸福は、イエスを知り、彼に知られて、彼の友人となることである。

●【友人としての神】
 神は善き友人である。第一等の友人である。彼に祈祷を聞くの耳がある。恩恵を施すの手がある。神は名ではなく実である。道理ではなく性格である。帝王ではない友人である(内村鑑三
●世には友の振りをする、みせかけの友もある。しかし、兄弟よりも愛し、頼もしく親密なる友もある(箴言18-24)
●真の友はどんな時も愛し続けるものであり、苦難の時のために生まれた兄弟である(箴言17-17)
●私の命じることを行うならば、あなた方は私の友である(ヨハネ伝15-14)
●もはや、私はあなた方を僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。私はあなた方を友と呼ぶ。父から聞いたことをすべて、あなた方に知らせたからである(ヨハネ伝15-15)

このメルマガの冒頭に掲載している山本五十六の簡潔な≪愛のメッセージ≫は、【神の愛=主イエス】の≪教育訓練・導き≫そのものですね。

●やって見せ 言って聞かせて させてみて ほめてやらねば 人は動かぬ(山本五十六

さらに【神の愛=主イエス】は、私たち誰もが≪圧倒的勝利≫の光り輝ける≪最善の道≫を歩めるまで、忍耐強く何度でも【恵み・チャンス】を与え続けてくれます!【主イエス聖霊】は私たちと≪いつも一緒≫の一心同体になって、内から外から、助け導き支えてくれるのです。

●力を与え強めて下さるキリストに助けられて、私は、何事も成し遂げることができる((ピリピ書4-13)
●誰が、キリストの愛から私たちを引き離すことができようか。患難か、苦悩か、迫害か、飢えか、裸か、危難か、剣か。
 「神様のためには、いつでも死ねる心がまえでいなければならない。私たちは殺されるのを待つ羊のようだ(詩篇44-22)」 と書いてある通りである。しかし、私たちは、私たちを(命を投げ出してまで)愛して下さったキリストによって、これらすべてのことの中にあっても、輝かしい圧倒的な勝利者となるのです(ロマ書8-35~37)
●私は確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力ある者も、高い者も深い者も、その他どんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにおける神の愛から私たちを引き離すことはできないのである (ロマ書8‐38~39)

★★【その2】につづく★★