【ビジョン&使命・天職】で<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>に導く【神の愛=主イエス】!!

★AMEN!HALLELUJAH!THANKS JESUS LOVE!★AMEN!HALLELUJAH!GLORY JESUS KINGDOM!★Good luck & God bless you!

【神愛福音道】【聖書価値観:神愛世界観・神愛歴史観・神愛人生観> 【神助道:神助精神・神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】 【<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>創世道】

【感謝と祈願】は必ずかなう!①

◇◇祈りは常に通じ、願いは必ずかなう!(その1)◇◇
【2001年11月6日に作成した<第192号>に加筆】<改訂・再掲載>
2001年11月1・2日深夜NHK・FMラジオ「深夜便『心の時代・私は死の影を見た』」を聞いて
●祈りの時、信じて求めるものは、みな与えられるであろう(マタイ伝21‐22)
●何でも祈り求めることは既にかなえられたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになるであろう(マルコ伝11‐24)
●聖書は祈りの歴史であり、祈りが答えられた記録(賀川豊彦

【キリスト精神】の根本は【礼拝:★讃美★祈り★感謝】の精神であり、【神愛の導き】に信頼して委ねることによって、自己の【タレント:個性・才能・可能性】を最大最善に能力発揮させることだと思います。

●【最大の能力(内村鑑三)】
 確信と称する活動力ではない、信仰と称する一種の依頼心である。
 これが世界を動かした力である。
 先ず我の無能を覚って、しかる後に神の大能に頼る、かくて自己は死して
 神、我にありて生きるに及んで、我は真個の勇者となる。

【神の愛=主イエス】に対する【礼拝:★讃美★祈り★感謝】があれば、もはやどんな時にも孤独ではなくなります。たとえ人生において様々な苦難や不安と恐怖に襲われても、人生の再起・復活の道は自らで発見したようにして与えられるからです。
個人的な【試練:神愛の導き】と<奇跡的救済>の体験であっても、【神の愛】による人類全体の<祝福>として【福音】として受けとめることができます。

ご存知のように【聖書】には、たった一人の悪霊にとりつかれた人を救いに【主イエス】自身が異教の地に救いに行く話があります。(マタイ伝8-28~39、マルコ伝5-1~20、ルカ伝8-26~39)

悪霊にとりつかれた男は町から恐れられ、誰からも愛されず墓場に見捨てられて死を待つだけの孤独にありました。【主イエス】は悪霊と同時に異教の儀式に利用される<いけにえの豚>をも退治する【神愛の奇蹟】を起こして、<男の魂>を救済し見事に復活させます。

しかし、その光景を見ていた町中の人々は男が救われた<神愛の恵み>を喜ばず、大切にしていた豚が退治されたことの方を怒って、【主イエス】に早く出て行くようにお願いします。

魂を救われた男だけは喜んで、【主イエス】に従って来ようとしますが、【主イエス】は男にその不信仰の町に留まらせて多くの人に【神愛の福音】を伝道するように命じられるのです。男はその町で立派な【伝道者】として【神愛の福音】をひろく語り伝えるのです。

●「汝の家に帰りて、神がいかに大いなる事をなし給いしかを、つぶさに告げよ」彼行きて、イエスのいかに大いなる事を、己れになし給いしかを、あまねくその町に言いひろめたり(ルカ伝8-39、マルコ伝5-20)

男が救われたのは、彼自身が自分の中に<本来の自分>の【霊性:魂[勇気]・善意・良心】と異なる<悪霊>が棲みついているという、自己の罪悪を自覚していたからだといえるでしょう。

男は孤独の中、もはや自力では退治できない【悪】からの救いを心から祈り願っていたのです。

●信仰による祈りは病んでいる人を救い、そして主はその人を立ち上がらせて下さる。かつ、その人が罪を犯していたなら、それも許される(ヤコブ書5‐15)

祈りは聞き届けられ【主イエス】はたった一人のために異教の地に救出に出向きます。そして、その悪名高い男こそが、その町に最初に【神愛の福音】を伝道する宗教改革者として【聖書】に記される名誉ある先駆者として選ばれたのです!

私たちの時代にも、同じような【神愛の奇蹟】はいくらでも存在します。先日ラジオ放送で再放送されていた安西さんの体験もその一つです。

彼は古井戸に転落して、8日間何も飲まず食わずで過ごして、死の間際で救われるという体験をしたのですが、そこにも【神愛の奇蹟】による救済があったと確信できます。

1994年当時、60歳を過ぎた定年後の安西さんは、二人の娘も結婚して趣味の狩猟と囲碁に明け暮れる快適な生活を送っていたそうです。

2月7日いつものように、二人暮らしの妻に行き先も言わずに、きじバトの狩猟に出かけます。午後1時ごろに最後の猟場に出向くために車を止めて林の中に踏み込んだところで古井戸に転落してしまいます。

入り口の直径が1.2mで、深さ6.5m、底の直径1.9mの古井戸に落ちた彼は、垂れ下がる細いロープを使って直ぐに脱出を試みます。しかし、何度も挑んでいる内に右腕の筋を痛めて腕が上がらなくなってしまいます。

所持品は鉄砲と実弾24発とタバコぐらいで、水も食糧もなく、その日は朝食しかとっていませんでした。結局、彼はその日から8日間も水も飲むことなく、じっと孤独に耐え続けなくてはならなくなるのです。

しかし、安西さんの<個人的苦難>こそが私たち全てに祝福となる【試練:神愛の導き】であったです!

●諸民族を、その間違った道から神の信仰へ連れ戻すために苦難の時代がやって来なければならない場合に、普通神は先ず幾人かの個人に苦難をなめさせ、そのあとでこれらの人たちが、その他の人々に向かって自分達の経験に基づくゆえに確信をもって教え説くことができるように導き給う。そうすれば、この先駆者たちは一般の人々の苦難の時にも勇気を失う事なく、なお救われる見込みのある者を励ますにちがいない(ヒルティ)

安西さんがどのような体験をして救われたかが公的に報じられたのは2年後に「心の時代」で紹介され、それから7年後の今日の混迷の21世紀にも【神愛の福音】として再放送されたのです!ハレルヤ!

先ず彼は食べる欲求についての変化を教えてくれました。最初は肉や魚など日頃好きな物が思い浮かぶのですが、やがて野菜や穀物が欲しくなり、次には柔らかめのご飯や粟やひえのぞうすいで充分となり、最後にはトマトやフルーツなどジューシーな青果物だけが欲しくなり3日目になると何も欲しくなくなり水への執着とノドの渇きだけが残るようになったそうです。

ここにも【聖書】の啓示があると感じます。<エデンの薗>の時代には人間も動物も食肉の習慣はなく、フルーツなど果実だけで食欲は充たされてたことが証明されているのではないでしょうか。

近い将来、<エデンの園>を取り戻すために人間自身から食肉の習慣を止めることを祈り願います。

安西さんは冷静に生き延びる事を考えて、無駄な水分を出さぬよう体温を下げぬため<深い眠り>を避けます。まるで修道士のように規則正しい生活を守り続けたのです。

やがてキレイな水のある峡谷や湖の蜃気楼を、寝ても覚めても見るようになったそうです。今度は本物かと、近づいてみると井戸の土壁があるだけで失望を繰返すだけだったそうです。

そして、8日目には頭を締め付ける痛みに苦しめられ、意識が薄らいで行く中で、別世界(来世)の幻をはっきりと目にするです。安西さんは詳しく語ってくれました。

 「いぶし銀の壁とドアが目の前にあった。ドアにはカギがかかっていたが簡単に開ける事ができた。ドアの向こうに行くと、そこは光り輝く金でいっぱいだった。あたりは心地よい光に満ちていた。遠くの方にはたくさんの美しい赤や黄色の花におおわれた野原が見える。右手の方に小道があってそっちに行けば、現在の苦痛から解放されるような気持ちがした。しかし、誰も見えず、ずっと向こう側に何があるかも判らず前に歩むのに不安になった。そして、自分を育ててくれた親や家族のことを思い出して、このまま家族を棄てて行くのはいけないと考え直して、後ろを振返らずに真っ直ぐに、ドロドロとした苦痛の現実の世界に戻る事にした。」

その頃、安西さんの安否を気づかって妻と娘たちは警察や隣り近所の助けを求めていたのです。妻はどんなことがあっても、安西さんは死ぬようなことはないと信じてあきらめていなかったとラジオで語ってくれました。家族の<祈り>もまた神様には聞き届けられていたのだと信じます。

さて、いよいよ頭痛と意識がもうろうとする中で、安西さんは死の準備をするべく覚悟し始めたそうです。

そこで、最初で最後の<天の神様>への<祈り>をすることを決心するのです。
もともと、どこの宗教の専門的知識もなかった安西さんが声を出して天に向かって祈った事は次のようなことでした。

 「天の神様、私がこの世で、まだ世の為人の為に役立てることがあるならば、どうか生かして下さるようお願い致します!」

謙虚で素晴らしい<神への祈り>を終えると、夕方4時ごろであり、安西さんは残った弾丸2発を全部発砲しました。その時に初めて心に本当の平安がやってきたそうです。

それまでは、先祖や家族に申し訳ないから、絶対に自殺だけはしないと堅く決心していても、万が一のために弾丸を最後まで残しておこうと思っていたのに、その最後の望みも放棄したことで、かえって心が晴れ晴れしたのだそうです。

彼には、もはや万策尽きて自力では何もできない状態に陥り、あとは【神様のはからい】に委ねた瞬間といえるでしょう。

まさに神様に全てを託したその時です!! 意識が薄らぐ中で古井戸の中がパッと明るくなるのを感じます。井戸の上の方を見上げると懐中電灯の光と人影が見えるではありませんか!「大丈夫ですか!?」

声をかけてくれたのは72歳の福田さんでした。彼は犬の散歩の途中に立ち寄ってくれたのです。8日前から車が近くに止められていたのを目撃していたのですが、その日は福田さんが5年前に井戸を掘ったことをフト思い出したので、のぞいてみようと思ったのが発見できた理由だったのです。

私にはこれは単なる偶然だとは考えられません。まさに神様がこの世に存在していて下さり、いつでも私たちを見守っていてくださる証明だと私は信じます!ハレルヤ!栄光を主に帰します!

さて、その後の安西さんは人間として生まれ変わったのです。普通の生活に戻るのに一年間もかかったそうですが、その後は高齢者・障害者施設などを訪れるボランティア活動をしています。

そして、好きだった狩猟はやめたそうです。彼にはこの世に生きている全てがいとおしくて、あわれみと慈悲の心でいっぱいだそうです。

そして、家庭で見かけるゴキブリやクモに対しても、「もうここにいてはいけません」と話聞かせて殺さずに放すそうです。そうすると彼等は理解したように姿を消すのだそうです。その時とても心地よい気持ちになれると安西さんはうれしそうに語ってくれました。

彼が古井戸の中にいた時に、彼の周りには一匹のコオロギのような虫と一匹のイモムシだけががいたそうです。夜になるとコオロギのような虫は彼の肩や首の周りを飛び回ったそうです。安西さんはそれらの虫を殺そうとは一度も思わなかったそうです。それどころか、そんな苛酷な場所でも、たくましく生きぬいている彼等に驚嘆し勇気と励ましを与えられたのだそうです。

面白い事に、後になって図書館の図鑑などでいくら調べてもそれと同じような昆虫は見あたらないそうです。【愛の天使】だったのかもしれませんね。

安西さんは厳しい【試練】という<神愛の恵み>によって新たに生まれ変えられて、世のため人のために役立つ人としての【使命・天職】に導かれたのだと確信します!

●あなた方は耐え忍ぶことによって、自分の魂を勝ち取りなさい(ルカ伝21‐19)
●患難はすべて身の患難にして霊の幸福である(内村鑑三
●ある人の生涯における最大の日とは、その人の歴史的使命、すなわち神がこの世で彼を用いようとするその目的が明かにわかり、また、これまで彼が導かれてきたすべての道がそこに通じているのを悟った日のことである(ヒルティ)

★★【その2】につづく★★