【ビジョン&使命・天職】で<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>に導く【神の愛=主イエス】!!

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【神愛福音道】【聖書価値観:神愛世界観・神愛歴史観・神愛人生観> 【神助道:神助精神・神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】 【<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>創世道】

【愛の戦士】⇔世界最大の者!①

◇◇ 世界最大の者(その1) ◇◇
【2002年4月27日に作成した<第242号>に加筆】<改訂版・再掲載>
2002年4月25日(木)NHK「にんげんドキュメント:桜のいのち木のこころ」
           NHK教育「ETV2002:デザインで世界を変える」を観て

●【世界最大の者】
 知識をもって腕力に克つべし、
 信仰をもって知識に克つべし
 愛をもって信仰に克つべし、
 愛は進化の終局なり、最大の能力なり。
 愛に達して我等は世界最大の者となるなり(内村鑑三

【神の愛=主イエス】に大事にされ大切なる皆さんこんにちは、ご愛読に感謝します。

小泉首相は自分の政治的活動の行動規範について『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で有名なマックス・ウエーバーの言葉を借りて、「情熱・使命感・先見性」を重視する事を、ある取材で答えたと聞きました。

しかし、「情熱・使命感・先見性」は大切ですが、先ずは前提条件があると私は考えます。それは、常に【隣人愛】で心を満たしてくれる【神の愛】を信じ望み愛する信仰であり、宗教観でもある【信・望・愛精神】という基盤です。

●愛が愛として存する間は信仰はいらない。信仰のための愛ではない。愛のための信仰である(内村鑑三
●信仰とは神に対する従順を本体とする、理想的生活への勇気である(ヒルティ)

自己保身の為だけの情熱や身内組織防衛のための正義感や使命感からでは、いかに先見性があったとしても、【主イエス】が自らの生涯と教えで示された【自由・平等・寛容・博愛】の理想的な道には通じないと思います。

たとえどんなに堅き信念や強き信仰があったとしても、そこに【神の愛】を受け入れるならば容易に実践できる【隣人愛】が伴わなくては、【神の愛=主イエス】が望まれる【ミッション:使命・天職】に通じないと思うからです。

●あらゆる奥義と知識に通じていても、山をも移す強い信仰があっても、もし、愛がなければ無に等しい。自分の全財産を人に施しても、自分の体を焼かれるために渡しても、もし、愛がなければ、一切は無益である(コリント前書13-1~2)

まさに【神の愛=隣人愛】の心に動かされて「情熱・使命感・先見性」で自己の【タレント:個性・才能・可能性】を最善発揮した【ミッション:使命・天職】を発見してチャレンジしている人々がテレビで紹介されていました。

彼等は自己の職業に「情熱・使命感・先見性」があるだけではありません。
世間が忘れ、見落としがちな、目立たない<小さき弱き存在>に【隣人愛】により、自己の【タレント:個性・才能・可能性】を出し惜しみせずに最善発揮させることに喜びを感じる人々であり、【主イエス】が愛される人々だと思います。

●私(主)の兄弟であるこれらの最も小さい者の一人にしたのは、すなわち私にしたのである(マタイ伝25‐40)
●彼(二宮尊徳)にとって、最善の労働者とは最も多くの仕事をする者でなくして、最も貴重な動機をもって仕事をする者である。(二宮尊徳内村鑑三の言葉より)

紹介したい一人目は、日本にある樹齢数百年の桜の木を見守る樹木医という職人として三代目の佐野さんです。佐野さんの活躍するドキュメントを観て感動し励まされました。

現在74歳になる佐野さんは造園業を営みながら53歳の時に父親の死を契機に父親の志を継承して「桜守(サクラモリ)」になることを決意したそうです。父親の死と共に、大事にしていた「しだれ桜」が追うように枯れたからです。

現在の佐野さんは造園業経営は長男に任せきりで、日本全国を飛び回って、桜の危機を救うために全精力を捧げています。

長男にとっては、父親が金儲けにもならず、手間ばかりの仕事に懸命である気持ちが理解できないそうです。
それは佐野さん自身の若い頃と同じです。佐野さんはテレビで語ってくれます。

 「何でこうなったかは解らない。桜の魅力というよりも魔力のようのもの。
  桜は毎年違う営みを示してくれる未知の世界。わからないから面白い。」

佐野さんの敷地には2ヘクタールの広さの5万本の「桜の園」があります。
桜の園」には佐野さん含め三代が持ち帰った、全国の貴重で珍しい百種の銘木の苗木や種から育てられて、未来に向けて桜の木が守られているのです。

先代が世間で有名になったのは、京都円山公園の樹齢220年になる祇園の桜が戦後1947年に枯れてしまった時のことです。

日本中のあらゆる高名な学者や職人が結集しても、誰も治せられずにいた時、佐野さんの父親が祇園の桜と同じ「しだれ桜」の苗木を持ち込んだのです。

佐野さんが将来の危機を予見して、祇園の桜の苗木を保管し守っていたから、1947年の危機を植替えにより見事に解決して、21世紀の今も「祇園の桜」は元気で活き続けていられるのです。

まさに【隣人愛】に従った「情熱・使命感・先見性」の勝利です!

父親の崇高な【ビジョン:理想・志・夢】を継承して、佐野さん自身もまた、将来の有事の為に「桜の園」を守り、日本のどこかで、弱りかけた桜の木々があれば、「助け手」として駆けつけて大いに活躍しています。

例えば、テレビ取材では長野県の樹齢300年になる「桜の異変」に地元住民が気づいて、助けを求めて佐野さんの所に連絡すると、直ぐにかけつける姿がTVドキュメントで紹介されました。

佐野さんの精神は桜自身の再生・復活の可能性を信じ、【自主独立】を尊重することです。

 「『子守り』と『子育て』とが違うように、私の『桜の守』とは育て世話をするつもりではない。いつもそばにいて見守っていたいだけ。桜が必要な時だけ手助けすることが私の役割。」

いつも桜の木の周りの草刈りや手入れし、子育てのように懸命に世話をする地元住民であっても、突然に一番高い所の枝先だけが枯れ始めている原因が解らずに困ってしまいました。このままでは桜全体が枯れてしまうのではと心配したのです。

佐野さんは早速つぼみを解剖したり、弟子を木に登らせて、木を叩いて音を聞いて木の状況を調べます。桜自体はどこも問題ないことが解りました。

そこで、人間が何か変わったことをしなかったかを地元住民に尋ねました。
彼等は花見見物人が集まり易いようにと、傾斜していた桜の根元付近に土を盛ったことを思い出しました。原因は人間の身勝手な都合だと判明しました。

 「人間に都合で楽なように変えてしまったら、元に戻してやれば、この桜もまだまだ長生きするはずだ」

原因が解っても桜の都合を配慮して、直ぐには対処せず、春が来るまで待つことを地元住民に説明します。桜の木の身になって「桜守り」ならではの決断といえます。

桜の時がかなって、佐野さんは再び訪問して桜の根元に盛られた土を取り去ることを地元住民の協力で行なう時のことです。
地元住民は運搬車を持ち込んで作業を始めようとしました。すると、佐野さんは「もう帰る!」と怒ります。
何故なら、弱りきった桜の木の気持ちにならず、人間の勝手な合理的な都合で土を取り去ろうとしたからです。

地元住民は佐野さんの怒りによって、初めて自分たちの都合で動いている事を反省して、桜の木の身になり、手作業で時間をかけ優しく土を取り去るのです。

佐野さんの予想通りに、土をかぶせたために、カビが生えて根の先から腐っていたのです。佐野さんは大掛かりな手当てをすること無く、カビを焼くだけで春の開花の様子を見る事にします。

桜の木自身の再生・復活の可能性を確信している佐野さんならではの処置だといえるでしょう。

春の開花時に佐野さんが再び訪問してみると、木々の先は花が咲かず、枯れていました。それでも、佐野さんは満足でした。
咲いた花を解剖してしてみると、しっかりと生命力があったからです。

 「去年、つきの悪かった部分はすでに枯れていても、切ってはならないのです。
  桜自身が『体を作り変える』まで待つことが大切。枯れているのも立派に一部なのです。」

佐野さんは帰りがけに新芽を発見し、「もう安心だ!」と自信をもって語ります。

樹齢300年の桜の木を守ろうとして、地元住民にも「情熱・使命感・先見性」はあったはずです。しかし、桜の木を本当に救えたのは、佐野さんの抱いていた桜への愛情深さゆえに生まれる「情熱・使命感・先見性」からといえるでしょう。

●いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうち最も大いなるものは、愛である(コリント前書13‐13)
●魂の喜びにまさる喜びなし。これによりて枯骨もなお芽をふく。この喜びを我が主は常に我らのために増したもう(ヒルティ)
●善を行うに臆するなかれ。何故ならもしうむことなければ、我等時に至りて収穫できるから(ガラテヤ書6-9)

★★【その2】につづく★★