【ビジョン&使命・天職】で<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>に導く【神の愛=主イエス】!!

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【神愛福音道】【聖書価値観:神愛世界観・神愛歴史観・神愛人生観> 【神助道:神助精神・神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】 【<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>創世道】

【神の愛】は一番大切!①

◇◇この世で【一番:最善・最上】は? 【主イエス様=神の愛】!(その1)◇◇
【2004年12月15日に作成した<第355回>に加筆】<改訂版・再掲載>

●独立を説くなかれ、キリストを説くべし(内村鑑三
●「キリスト・イエスは罪人を救うためにこの世に来て下さった」という言葉は、確実で、そのまま受け入れるに値するものである(テモテ第1書1-15)
●イエスは答えて言われた。「医者を必要とするのは健康な人ではなく、病人である。 私が来たのは義人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである」(ルカ伝5-31~32)
●この方(主イエス)こそ、私たちの罪のため、いやそればかりでなく、全世界の罪のためのあがない(身代わり)の供え物である(ヨハネ第1書2-2)
●神はキリストによって、私たちをご自分に和解させ、かつ和解の務めを私たちに授けて下さった。すなわち、神はキリストにおいて世をご自分と和解させ、人々の罪過の責任を問うことなく、和解の福音を私たちに委ねられたのである(コリント後書5-19)
●私がこの世に来たのは、さばくためである。すなわち見えない人たちが見えるようになり、見える人たちが見えないようにするためである(ヨハネ伝9‐39)
●人の子(救世主)が来たのは、失われたものを尋ね出して救うためである(ルカ伝19‐10)
●私は失われたものを捜し、迷い出た者を連れ出し、傷ついた者を包み、病気の者を力づける。私は肥えた者と強い者を滅ぼす。私は正しい裁きを持って彼等を養う(エゼキエル書34‐16)
●父がその子に対してするように、あなた方の一人一人に呼びかけて、神の御心にそって歩むように励まし、慰め、強く諭し勧めたのである。御自身の御国と栄光に預からせるようと、神はあなた方を招いておられる(テサロニケ前書2‐11~12)

【神の愛=主イエス】に大事にされ大切なる皆さんこんにちは。ご愛読に感謝します!

【救世主イエス】は【神の愛】そのものであり、私たちにとって道標であり、最善最強の【人生理想】であり、この世で、どんな境遇・環境・条件でも、老若男女誰でも、永遠不変で完全にそのまま受け入れられる!それだからこそ【福音】であり、安心して信頼できる【真理】といえるのではないでしょうか。

●私は道であり、真理であり、命である。誰でも私によらないでは父のみもとに行くことはできない(ヨハネ伝14-6)
●私は真理について証しをするために生まれ、また、そのためにこの世に来たのである。誰でも真理につく者は、私の声に耳を傾ける(ヨハネ伝18-37)
キリスト教は生命である(内村鑑三)
●キリストは我らの生命である(コロサイ書3-4)
●福音は生命の道である(ヨハネ第1書1-1)
●最初に言葉(道)があった。言葉(道)は神と共にあった。
 言葉(道)は神である。この言葉(道)は初めに神と共にあった。
 全てのものは言葉(道)によってできた。できたもののうち、一つとして言葉(道)によらないものはない。この言葉(道)に光があった。そして、この命は人の光であった。
 光は闇の中に輝いている。そして、闇はこれに勝たなかった(ヨハネ伝1‐1~5)
●そして、言葉(道)は肉体となり、私たちの内に宿った。私たちはその栄光を見た。
 それは、父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた(ヨハネ伝1‐14)

私たちは誰でも、何にでも、どんな分野にでも、「一番は何?」と答えを探し求めるのではないでしょうか。
この世で生きるにおいて【一番大切なもの】を見つけられたならば、私たちは【精神的自由】を得られると想像できるはずです。

だから、【主イエス=神の愛】が一番大切!と理解して信頼するならば、誰でも【自由】になれるのです!

●真理はあなた方を自由にさせる(ヨハネ伝8‐32)
●主は霊である、主の霊のあるところに自由がある(コリント後書3‐17)
●あなた方が召されたのは、実に、自由を得るためである。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい(ガラテヤ書5‐13)
●自由を得させるためにキリストは私たちを解放して下さったのである(ガラテヤ書5-1)
●自由は己を治むるの意なり。自由は己を神に委ね、しかれども強いられて委ねるにあらず、自ら求めて委ねるなり(内村鑑三
●キリストによりてのみ真正の自由と独立とあり。そは彼は霊魂の自由を与える者なればなり(内村鑑三

「【主イエス=神の愛】が一番大切!」として与えられる【心の自由】は快楽・享楽的な幸福感と異なります。

キリスト教は不断の幸福を約束しない。しかし、世に勝つ平和を約束している(ヒルティ)
●私は平安をあなた方に残して行く。私の平安をあなた方に与える。
 私が与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなた方は心を騒がせるな、また、おじけるな(ヨハネ伝14-27)

人間が考えた「自由制度」にも示されているように、【自由】には【責任と義務】が伴うことを知っています。
【主イエス=神の愛】の与えてくれる【自由】もまた「快楽」ではなく【責任と義務】があるのは当然でしょう。

私たちが守るべき【義務:重要な掟】は単純明快です。【神の愛=主イエス】を愛し、自己と【隣人】を愛することです。

●主は何をあなたに求めておられるのか?それはただ公義を行ない、慈しみ・誠実を愛し、へりくだって、あなたの神と共に歩む事ではないか!(ミカ書6‐8)
●【最も重要な掟】(内村鑑三
 ★心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくし、主なるあなたの神を愛せよ。
 ★自分を愛するように、あなたの隣人を愛せよ。
  (マタイ伝22‐37~39、マルコ伝12‐30~31、ルカ伝10~27、申命記6‐5)
●イエスは言われた、
 『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、主なるあなたの神を愛せよ』
 これが一番大切な、第一の戒めである。第二もこれと同様である。
 『自分を愛するように、あなたの隣人を愛せよ』
 これらの二つの戒めに、律法全体と預言者とが、かかっているこの二つの戒めに優る掟はない
 (マタイ伝22‐37~40、マルコ伝12‐29‐31、ルカ伝10‐26~28)
●心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くし、主なる汝の神を愛せよ(申命記6‐5)

【神の愛=主イエス】が与える<精神的自由>は自己の【闇】をも愛せる【愛敵精神】を育ててくれます!ハレルヤ!

●自由のあるところにのみ道徳は行われる(内村鑑三
●汝の敵を愛せよ、汝を迫害する者のために祈れ、汝を憎むに善をなせ(ルカ伝6‐35、マタイ伝5‐44)
●【愛敵の教え】(内村鑑三
 ~善をもって悪に対するのが悪に戦って勝つことである~
 ◇【怨】に酬ゆるに【徳】をもってし
 ◇【憎】に対するに【愛】をもってし
 ◇【悪】に対するに【善】をもってすること
 ◆我を憎む者を愛し、呪う者を祝し、苦しめる者に幸福の至らんことを祈れ!
キリスト教は完全なる道徳と同時にこれに達するの途を示しこれを行うの力を供するものである(内村鑑三

★★【その2】につづく★★