【ビジョン&使命・天職】で<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>に導く【神の愛=主イエス】!!

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【神愛福音道】【聖書価値観】<神愛価値観:神愛世界観・神愛歴史観・神愛人生観> 【神助道:神助精神・神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】

<最善の支援者・理解者>①

◇◇ 最善の支援者・理解者の態度(その1)◇◇
【2002年4月8日に作成した<第237号>に加筆】             <
「香油のマリア(マタイ伝26‐6~13、マルコ伝14‐3~9、ヨハネ伝12‐1~8)」
「マルタとマリア(ルカ伝10‐38~42)」に学ぶ
2002年3月25日(日)フジTV「ノンフィックス:ラーメンより大切なもの」を観て

●最も重要な掟
 ★心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくし、主なるあなたの神を愛せよ。
 ★自分を愛するように、あなたの隣人を愛せよ。
  (マタイ伝22‐37~39、マルコ伝12‐30~31、ルカ伝10~27、申命記6‐5)

【神の愛=主イエス】に大事にされ大切なる皆さんこんにちは、ご愛読に感謝します。

隣人・社会の【ビジョン:理想・夢・志】を実現してあげたいと、私たちが心から支援しようと思うときに、どんな態度が<最善な支援・理解>であるかについて【主イエス】は明確に示されています。

それは、皆さんご存知のように、「香油のマリア」に記されている態度だと思います。

【主イエス】は毎日朝から夕刻まで多くの人々を癒し救い福音宣教していました。
聖書の記事は、夕食と宿泊のために立ち寄った家で起こった事です。
一日中歩き回り、【主イエス】は砂まみれで足も泥だらけであった事でしょう。

誰もが【主イエス】に救いと教えを求めることはしますが、疲れた【主イエス】の事を、いたわり慰め疲れを癒そうなど、いつも一緒に活動していた12弟子たちでさえ全く気づきませんでした。

しかし、そんな【主イエス】を憐れんで、当時身分が低く扱われていた女性の中で、たった独りだけが【主イエス】の足を自らの涙と髪で洗い上げ、高価な香油によって体を清めたのです。

12弟子の多くは、選ばれた弟子でもない身分の低い女性の分際で、しかも高価な香油ならば、貧しい人々のために役立てるべきで、【主イエス】のために使うのは、まるで無駄使いをしているかのように女性を責めようとまでします。

【主イエス】はこの女性の態度こそ世界中で【主の福音】と共に永遠に語り継がれる記念すべきことであると賞賛します。

●全世界のどこででも、この福音が宣べ伝えられる所ではこの女のした事も記念として語られるであろう(マタイ伝26‐13、マルコ伝14‐9)

この記事は、私たちの日常においても見落としがちな事で有意義な教えだと私は思います。

本人が信じ望み愛する【ビジョン:理想・夢・志】を目指す【ミッション:使命・天職】に生きている人々を見た時に、私たちは立派だと尊敬しても、彼等が<苦難>にあることをあまり考えようとしないのではないでしょうか。

彼等の偉業や功績に感動し勇気は得られても、彼等の孤独や悲哀に共感することは困難かもしれません。
強い信念と大きな慈愛を持っている人ならば、彼なら出来て当たり前、無力な私など近づくことも恐れ多いことと思い込み、感謝はしても、偉人を慰めて励ましたりする事はないのではないでしょうか。

しかし、慈悲深く勇気ある彼等もまた慰めや励ましを必要としてるのだと【主イエス】が証明したと私は考えます。

●全て人に為(セ)られんと欲することは、汝ら主イエスが汝らに為し給う如くに人に為すべし(黄金律:マタイ伝7‐12、ルカ伝6-31)

子供なら素直に恐れずに、どんなに世間的に偉大な人にでも近づけられます。
そして、疲れているように見えれば、自分ができる限りの事によって励まし、慰めることもできるのです。
私たちは誰に対しても<幼な子>のような態度であるべきだと思います。

●私たちは幼な子であった時には、幼な子らしく語り、幼な子らしく感じ、幼な子らしく考えていた。しかし、おとなになった今は、 幼な子らしい事を捨て去った(コリント前書13-11)
●幼な子をそのままにしておきなさい。わたしのところに来るのを止めてはならない。天国はこのような者の国である(マタイ伝19~14)
●有限の我等が無限の神に対して幼な心を懐くにいたって救われる。すなわち、幼な子となりて救われる(内村鑑三

また、【聖書】には「マルタとマリア」という有名な記事があります。

姉妹のマルタとマリアと【主イエス】との交流は多くの個所で紹介されています。
ある日、マルタの招きでこの姉妹の家に立ち寄った時のことです。マルタはおもてなしをすべく、食事や食卓の準備で忙しく立ちまわります。一方でマリアは【主イエス】のそばに座り静かに【主イエス】の話に聞き入っています。

【主イエス】をもてなすためにと準備に忙しくしていた姉マルタは、妹マリアの手伝わない態度を目撃すると、【主イエス】に向かって苦情を訴えます。

「主よ、私の妹は私だけにもてなしをさせているのを何とも思いませんか?」
 手伝ってくれるように言ってください(ルカ伝10‐40)」
 
【主イエス】は静かに答えられます。

●マルタよマルタ、あなたは多くの事に思い悩み心を乱している(ルカ伝10‐41)
●しかし、無くてはならぬものは多くはない、いや一つだけである。マリアはその善い方を選んだのだ。そして、それは彼女から取り去ってはならない(ルカ伝10~42)

この話もまた<最善の支援者・理解者>の態度が示されていると思います。

私たちが【ビジョン:理想・夢・志】を受け入れる時の必要不可欠な態度とは、わき目も振らずに真っ直ぐに【ビジョン:理想・夢・志】だけを見つめるということではないでしょうか。

【ビジョン:理想・夢・志】を目指すには、先ずは世間的条件や体裁を整え用意周到に準備してからと考える態度が「マルタの態度」だと思います。それは、完全主義であり結果重視の実践派の態度であるともいえるでしょう。

●先ず最初に一切を理解して、その後にそれに従って初めて実行しようという人は、結局、始めないことになる(ヒルティ)

一方で、「マリアの態度」には<現在ありのまま>で世間的体裁や事前準備などは一切構いません。
先ずは、【主イエス】の前にひざまずく態度とは【ビジョン:理想・夢・志】にだけに忠誠をつくす態度であり、最優先する意志と決断を固めることであり、迷うことなく強い信念で道を譲らない覚悟であると思います。

●たえず偉大な思想に生き、ささいなことを顧みないように努めなさい(ヒルティ)

また、隣人・社会の【ビジョン:理想・夢・志】の実現のための<最善の理解者・支援者>になりたいのであれば、実現手段のために奔走するだけでなく、先ずは彼等の【ビジョン:理想・夢・志】が揺らがないように、初心を思い出させて信念を強くさせるために、【霊性:魂[勇気]・善意・良心】との<霊的交流>を深めることだと思います。
そして、【ビジョン:理想・夢・志】に<心を一つ思いを一つ>にした【チーム・スピリット&チーム・ワーク】を築きましょう!

●人間の無私の献身によって隣人たちの幸福を生み出したり、それを固めたり、または増進したりするためにはたらく時、初めて真の人間、つまり神の似姿になり始める。ただ自分のために存在するならば、人間とはいったい何であろうか(ヒルシェ)
●喜ぶの者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい(ロマ書12‐15)
●キリストの名によって、あなた方勧める。みな語ることを一つにし、お互いの間に分争がないようにし、同じ心、同じ思いになって、堅く結び合って欲しい (コリント第1書1-10)
●同じ思いとなり、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、一つの思いになって私の喜びを満たして欲しい(ピリピ書2-2)
●兄弟たちよ、互いに励まし合いなさい。思いを一つにしなさい。平和に過ごしなさい。そうすれば、愛と平和の神があなたと共にいて下さるであろう(コリント後書13‐11)

★★【その2】につづく★★