【ビジョン&使命・天職】で<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>に導く【神の愛=主イエス】!!

★AMEN!HALLELUJAH!THANKS JESUS LOVE!★AMEN!HALLELUJAH!GLORY JESUS KINGDOM!★Good luck & God bless you!

【神愛福音道】【聖書価値観:神愛世界観・神愛歴史観・神愛人生観> 【神助道:神助精神・神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】 【<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>創世道】

最善の【相思相愛】の純愛物語!

◇◇【神の愛】に生きる!⇔<相思相愛>の【純愛ストーリー】! ◇◇
【2005年1月2日に作成した<第358回>に加筆】<改訂版・再掲載>

【神の愛=主イエス】に大事にされ大切なる皆さんこんにちは。ご愛読に感謝します!

2004年は日本では【純愛】ブームでした。様々なドラマや映画や音楽で【純愛】の素晴らしさを叫びました。

ホスピスの生みの親とも言われる精神科医キューブラ・ロス女史は死に直面する多くの患者を看取ることで、「人生の最後に『ものを言う』のはお金でも何でもない、愛、【無償の愛】である!」と著述で力説しているそうです。

死に行く者を励まし慰め勇気づけた40年間の彼女の【愛の奉仕】は「聖女」とまで敬意を払われた功績者です。
そんな彼女でも、晩年に脳卒中で下半身マヒとなり、不自由な【受難】に怒り、苦しむ姿が紹介されていました。
自分が看護される側となった3年間の闘病生活の末に、【無償の愛】を捜し求めて昨年に亡くなったそうです。

これは、まさに【聖書】に記される<香油のマリア(マタイ伝26‐6~13、マルコ伝14‐3~9、ヨハネ伝12‐1~8)>のエピソードを思い起こさせます。献身的に朝から晩まで、人々を癒し救いに導き続けた【主イエス】の身体を心配し、心から同情し、いたわる人は、愛弟子でも、救われて信者となった多くの人々でもなく、たった一人の女性だけでした。

素晴らしい功績者である【愛と自由の戦士】は【聖人】扱いされて、近づき難く、悩み苦しみを理解してもらえずに、孤独を感じるのかもしれません。

だからこそ、【無償の愛】を人間の心に、【この世の勢力:富・権威・名声】に求めても、または<創作>の世界に求めても、なおも【魂】の飢え渇きがあって、心に平安がなければ、【神の愛=主イエス】にこそ【愛】を求めることを是非とも推奨します!

●魂の喜びにまさる喜びなし。これによりて枯骨もなお芽をふく。この喜びを我が主は常に我らのために増したもう(ヒルティ)
●主に感謝せよ。主は慈しみ深く、人の子らに驚くべき御業を成し遂げられる。主は渇いた魂を満ち足らせ、飢えた魂を良いもので満たしてくださった(詩篇107-8~9)
キリスト教は不断の幸福を約束しない。しかし、世に勝つ平和を約束している(ヒルティ)
●私は平安をあなた方に残して行く。私の平安をあなた方に与える。
 私が与えるのは、世が与えるようなものとは異なる。あなた方は心を騒がせるな、また、おじけるな(ヨハネ伝14-27)
●主の御告げ~私はあなた方のために立てている計画をよく知っている。 それはわざわいではなくて平安を与える計画であり、あなた方に将来と希望を与えるためのものだ(エレミヤ書29~11)
●神は無秩序な神ではなく、平和の神である(コリント前書15‐33)

私たちは<与えられる愛:愛される>だけでは満足できず、<与える愛:愛する対象>があって充実することを実感しているはずです。愛されたい自分と同時に、自分以外を愛することのできる自分があってこそ、生きることへの感謝と喜びが満ち溢れることを、【神の愛=主イエス】は私たちに教え示しています。

●全て人に為(セ)られんと欲することは、汝等神が汝等に為し給う如くに汝等また人にもその如くせよ(黄金律:マタイ伝7‐12)
●自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい(マタイ伝22‐39、マルコ伝12‐31、ルカ伝10‐27)
●受けるより与えることの方が幸いなり(使徒行伝20‐35)

一方的に与える献身的な【愛の奉仕】を40年間も実践し続けたキューブラ・ロスも、「愛される」ことを求め苦しみました。
一方的に「愛する」ことも、「愛される」ことだけでも、不満足・不完全であることが「人間の本質」ではないでしょうか。

●ある程度は、他人のために心配したり、はたらいたりしなければ、どんな人も精神的に健康を保つ事はできない(ヒルティ)
●あらゆる悪のうちで最大なるものは「悩み」ではなくて【自我中心性】であり、あらゆる善のうちに最大なるものは「悩みからの解放」ではなくて【愛】である(トインビー)

そこで【主イエス】は私たちが喜んで【無償の愛=隣人愛】を実践するためには、先ずは【神の愛】を受け入れて、私たちがどれほどに「愛されている!」ことかを実感し、感謝して喜び、【神の愛=主イエス】に最も信頼する事で、どんな【宿敵】も、自分の【闇・不完全】さえも愛せる【ダイナミック・パワー:信じる力・望む力・愛する力】が与えられることを教えているのです!

●【愛の順序(内村鑑三)】
 第一に神を愛すべし、第二に世界と人類を愛すべし、第三に国と国人を愛すべし
 第四に自己と家族を愛すべし
●人間を全て皆愛することは、キリストへの愛がなければできないのである(ヒルティ)
●いわゆる人間愛は、すべて神に対する強い愛という根底がなければ単なる幻想である(ヒルティ)
●キリストの愛神主義は利他・利己両主義の上に超越して最も多く他を利して最も多く己を利するの道を教えたり(内村鑑三
●愛は重荷を感ぜず、労苦を顧みず、自分の力以上のことを行ないたがる(トマス・ア・ケンピス)
●愛は万事に対する能力をもち、愛しないものならば、力尽きて倒れる場合にも多くの事を成し遂げ功を奏させる(トマス・ア・ケンピス)
●イエスに対する【貴い愛】は人を促して大きな仕事をなしとげさせ、人を励ましいつもいっそう完全な徳を望むように仕向けさせる。愛は常に向上を欲していかなる、いと低い事物によっても引き停められることを望まない(トマス・ア・ケンピス)

【神の愛=主イエス】との<純愛・相思相愛>で、心には【ビジョン:理想・夢・志】を抱き、【神の愛】と共に前進する【愛の蟻】や【愛と自由の戦士】を目指しましょう!

●愛の蟻

ある時、ソロモン王は誰一人いない場所で蟻に出会われた。
無数の蟻が挨拶の言葉を述べに来る中で、
一匹の蟻だけが気をとめず、
目の前の巨大な砂山から砂を一粒ずつ運び続けていた。
ソロモン王はその蟻にこう声をかけられた。

「小さき者よ
 ノアほどに命をながらえ
 ヨブほどに我慢強くとも
 お前がその高い山を消し去ることはできまいに!」

「偉大なる王よ」

蟻は答えて言った。

「私の小さな体よりも
 この激しい思いをこそご覧下さい
 山の向こうには私の愛する御方がいます
 だから、何があろうとも、私は山を切り崩さねばならないのです
 お会いしたいという一心のうちに私が命を落としたとしたら
 その時こそ

 王よ
 どうかこのかよわい蟻から愛の力をお学び下さい
 めしいた者から視覚の秘義を学ぶように」

                  「神の本(アッタール)」より


皆さんも今年は昨年よりも、さらに【無償の愛】【神の愛=隣人愛】が求められ、叫ばれる一年だと実感できるはずです。
私は【神の愛=主イエス】との<相思相愛>こそが【純愛ストーリー】である!という【福音】を、昨年にもまして今年はさらに高らかに【ラブ・ソング:新しい歌】として讃美し続けます!ハレルヤ!栄光を主に帰します!

●私は切なる思いで耐え忍び主を待ち望んだ
 主は耳を傾け、身を傾けて私の叫びを聞かれた
 主は私を滅びの穴から、泥沼から引き上げてくださった
 そして、私の足を岩の上に置き、私の歩みを確かにされた
 主は私の口に新しい歌、我らの神への讃美を授けられた
 多くの者はこれを見て、そして恐れ、主に信頼するであろう(詩篇40‐1~3)
●主に従う人よ、主によって喜び歌え
 主を讃美することは心の直ぐな人たちにふさわしく
 立琴をもって主に感謝せよ
 十弦の琴を奏でてほめ歌を歌え
 新しい歌を主に向かって歌え
 美しい調べと共に喜びの叫びをあげよ(詩篇33-1~3)
●新しい歌を主に向かって歌え
 主は驚くべき御業を成し遂げられた
 右の御手、聖なる御腕によって、
 主は救いの御業を果たし勝利をもたらした
 主は救いを示し恵みの御業を諸国の民の目に現された
 主はイスラエルの家に恵みと真実を覚えておられる
 地の果てまでも、みな、我らの神の救いの御業を見ている(詩篇98‐1~3)
●全地よ、主に向かって喜びの声を上げよ
 喜びをもって主に仕えよ
 喜び歌いつつ御前に来たれ
 知れ、主こそ神
 主が私たちを造られた
 私たちは主のもの、主の民
 主の牧場の羊である(詩篇100-1~3)
●感謝の歌を歌って主の門に進み、讃美の歌をもって主の大庭に入れ
 感謝をささげ、主の御名をほめたたえよ
 主はいつくしみ深く、主の恵みはとこしえまで
 主の真実は代々に及ぶ(詩篇100‐4~5)
●主の栄光がとこしえに続くようにありますように
 主が御自分の御業を喜び祝われるように
 命ある限り、私は主に向かって歌い
 永らえる限り、私の神にほめ歌を歌おう
 どうか、私の心の思いの歌が御心にかないますように
 私は主によって喜び祝う(詩篇104‐31・33~34)
●言葉と讃美と霊的な歌とをもって語り合い、
 主に向かって心から讃美の歌を歌いなさい
 そして、いつも、あらゆることについて、
 私たちの主イエス・キリストの御名によって
 父なる神に感謝しなさい(エペソ書5‐19~20)
●この地上には、永遠の都はない
 来たらんとする都こそ、私たちの求めているものである
 だからこそ、私たちはイエスによって、賛美のいけにえ、すなわち、
 彼の御名をたたえる唇の実を、絶えず神にささげようではないか
 (ヘブル書13-14~15)
●恐れるな、語りつづけよ、黙っているな。
 あなたには私が共にいるからだ。
 誰もあなたを襲って危害を加えるようなことはない。
 この町には私の民が大勢いるからだ(使徒行伝18-9~10)
●我はただ語る。人が聴いても語る。聴かないでも語る。
 我は我が歓喜を語らずにはいられない。我はヒバリがさえずるごとく
 人が聴く聴かざるに関せず語る。我は黙するにはあまりに嬉しくある。
 それであるから語るのである(内村鑑三)

今年は皆さんが【神の愛=主イエス】との【相思相愛】の【純愛ストーリー】の主人公となって活躍して、心には<相愛互助・互助友愛>の【ビジョン:理想・夢・志】で光り輝くことを心より応援しています!

●主によりて歓喜をなせ、主は汝の心の願いを汝に与え給わん(詩篇37-4)
●汝の道を主にゆだねよ、主に信頼せよ、主はそれをなしとげ、光のごとく汝の義をあきらかにし、真昼のごとく汝の訴えをあきらかにし給わん(詩篇37-5~6)
●神がひとたび人間の意志を所有されるならば、神はその人の中でみずから全てのことを行ない彼を完全へと導き給う(聖女カタリナ)
●一切の仕事が、神を離れては困難であり、神と共にあれば一切が可能である(ヒルティ)
●我等は悪を避けんとするよりは、むしろ神と共にあらんことを努むべし(内村鑑三
●キリストは我が教師にあらず、我が救い主なり、我が生命なり、また我が復活なり(内村鑑三

ハレルヤ!栄光を主に帰します。
主に感謝します!アーメン

それでは今日も明日も素晴らしい人生をお過ごし下さい。
May grace and peace be with your spirit.
Good luck & God bless you!
 
メイル歓迎します!
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田中 聡(さとし)