【ビジョン&使命・天職】で<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>に導く【神の愛=主イエス】!!

★AMEN!HALLELUJAH!THANKS JESUS LOVE!★AMEN!HALLELUJAH!GLORY JESUS KINGDOM!★Good luck & God bless you!

【神愛福音道】【聖書価値観:神愛世界観・神愛歴史観・神愛人生観> 【神助道:神助精神・神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】 【<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>創世道】

【神の愛】は【先回りの愛】!③

◇◇【神の愛=主イエス】⇔【先回りの愛】(その3)◇◇<改訂版・再掲載>
【2003年11月1日に作成した<第321回>に加筆】

★★【その2】のつづき★★

もし現代の「勇気ある預言者」の警告のように、不幸にも【天変地異】が起きたら、それは【最悪】でなく【最善】に導くためであり、私たち日本国民全体が学ぶ【試練:神愛の導き】と私は信じます。

●万事をその最善をもって解せよ、最悪において解するなかれ(内村鑑三
●私はあなた方のために立てている計画を知っているからだ。
 ‐主の御告げ‐それは災いではなくて、平安を与える計画であり、あなた方に将来と希望を与えるためのものである(エレミヤ書29‐11)
●【患難とその結果】(内村鑑三:ロマ書5‐3)
 患難によりて壊(コボ)たれ、忍耐によりて支え
 練達(実行)によりて再築し、美わしき義の実を結ぶに至る。
 練達は希望を生ず。

私は【天変地異】や【病苦】から、何が何でも生き残ることが最大幸福であるとは思えません。【来世の天国】と【永遠の生命】と【肉体の復活】を信じられるならば、誰もが一度は必ず経験する【人生最大事業】である【この世の死】を満足に悔いることなく【来世の天国】を楽しみに期待して、【神の愛=主イエス】に出会えることを望み迎えられるかが一番大切だと思っています。

この世で生きるということは【神の愛=隣人愛】を深く学び素直に受け入れるために、個人的【自由意志と決断】が守られながら「生かされている」のではないでしょうか。

●後のものを忘れ、前のものに向かって体を伸ばしつつ、目標を目指して走り、キリスト・イエスにおいて上に召して下さる神の賞与(栄光)を得ようと努めている(ピリピ書3-13~14)
●私は確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、高いものも深いものも、その他のどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにおける神の愛から私たちを引き離すことはできないのである(ロマ書8‐38~39)

先日のテレビ報道でペット・ショップ経営者が数十頭の犬を小さいおリに閉じ込めて、ほとんど飲まず食わずのまま放置して餓死させた恐るべき【ホロコースト】の惨事が紹介されていました。

始めは憤りと、自分の無力と死への悲しみの感情だけが先走りしてしまい【神の愛=主イエス】を見失うところでした。

しかし、二度目の報道で冷静に観察すると、そこにも【神の愛=主イエス】による<愛のメッセージ>が示されていたのです。

●世界が造られた天地創造の時から、目に見えない神の性質、すなわち神の永遠の力と神性とは、被造物に現われており、これを通して神を知ることができる(ロマ書1-20)

動物虐待と放置の実態が暴露されたのは、従業員が初めて現場を訪ずれた時に撮影したホームビデオの映像を、内部告発として動物保護団体に届けらたことで、急きょ救助に駆けつけたのだそうです。

当初のビデオでは、まだ多くの生存者がいましたが状況を知り救助隊が駆けつけた時は生存はわずか3頭だけになっていました。
残念ながら他の数十頭は既に餓死状態でした。

診断した獣医も今までに一度も見た事も聞いた事も無いほどに、やせ細った姿であり、恐らくあと一日でも遅れていれば、他の仲間と同じように間違い無く餓死していたと語っていました。

では何故彼らは生き残れたのでしょうか?それは救われた時の映像に示されていました。

生死をさまよっている瀕死の状態にもかかわらず、無事助かった犬は救助隊に向かって、これ以上無いほどの喜びを表現するかのように大きくシッポをふり続けるているのです!

彼らはどんなに苛酷な状況にあっても、最後の最後まで助けに来てくれる<希望>を棄てずに人間の【隣人愛】を堅く信じて待っていてくれたのだと信じます。

それはあたかも私たちに「【神の愛=主イエス】をいつでも信じ待ち望みなさい!」と教えています。

●志の堅固な者を主(神)は全き平安のうちに守られます。その人が主(神)を信頼しているからです。(イザヤ書26-3) 
●我れ神に依頼(ヨリタノ)みたればおそれなし。人、我に何をなし得ようか(詩篇56-11)
●神はあなた方をかえりみて下さるのであるから、自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい(ペテロ前書5-7)
●あなたの重荷を主にゆだねよ、主はあなたのことを心配してくださる。(詩篇55-22)
●私は人に用いる索(ツナ)、すなわち愛のきずなで彼らを引いた。私は彼らにとっては、そのあごの「くびき」をはずす者のようになり、
 やさしくこれに食べさせてきた(ホセア書11-4)
●あなたが右に行くにも左に行くにも、あなたの耳は後ろから『これが道だ、これに歩め』という言葉を聞く(イザヤ書30-21)
●たとえ困難がどんなであっても、我々は神の力によって、 これに対抗することはできるであろう。私は神のおかげで困難になれてきた。神に信頼してまだ裏切られたことがない(クロムウエル)
●神があなたを遠ざける喜びよりもあなたを神(愛)へと駆り立てる苦難のほうを好むようになるならば、あなたは正しい道にいるのである(ヒルティ)
●お前の意図に反しても、それは全くもう駄目というわけではない。目前の感じによって 物事を判断するのは間違いである(トマス・ア・ケンピス)
●神その童子の声をききたまう(創世記21-17)
●我等に必要なものは必ず与えらるべし。しかも前もって与えれられず、必要の時に与えらるべし。ゆえに我等は要なき物を要なき時に祈求(モト)めて主たる我等の神を試むべからず(内村鑑三:マタイ伝4-7詩篇46-1)
●私の神は、ご自身の栄光の富みの中からあなたの一切の必要を、 キリスト・イエスにあって満たしてくださる(ピリピ書4-19)
●起こるかもしれない不幸に対する心配は是非とも忍ばねばならない現実の不幸よりも一層ひどく人の力を消耗させる。実際の不幸は、しばしば外的な手段や努力によって打ち克つこともできるが、心配は神への強い信頼によってしか徹底的に打ち克つ事ができない(ヒルティ)

私たちの今日が【患難辛苦】の【最悪の人生】にあろうとも【神の愛=主イエス】からみるならば、常に誰でも【ハッピー・エンド】を迎えられる【最善のシナリオ】であることを信じて【先回りの愛】を発見して【希望】を抱き勇気を与えられて、前進し続けることを心より応援しています!

●どんな幸福な生活にも数多く起こる試練や心労を、堪えがたい重荷だと考えるか、それとも自分の生活原則を実行し修練するために神から授けられた機会だと見るかは、ものごとの感じ方として大きな相違である。そして、この感じ方次第ですべてが決まるのである(ヒルティ)
●「すべてを神に」(ヒルティ)
 ときおり勇気がくじけようとも
 かたく、かたく神に頼れ、わが心よ
 自分の勇気でなしとげたものは何一つない
 おのが勇気をたのむな
 そうすれば、おまえの一生の道は転じて
 みめぐみが注ぎはじめる
 そうすれば、主の力はいやまさり
 もはや古きおまえではない
 おまえの姿の中で、主がはたらかれ
 闇と光
 人間とキリストとが
 ぶっつかり合うことはない 
●希望(ヒルティ)
 十字架は重いが、ふしぎなことに
 おまえがそれを担うやいなや。それがおまえを担ってくれる
 初めは闇夜だが、行く手は真昼の明るさ
 その道を進む者は「勇者」よ呼ばれる
 おまえの力は小さくとも
 おまえが帰依した主の力は偉大だ
 おまえの星は暗い夜空に輝きわたり
 今日は死に、明日はいのちによみがえる

ハレルヤ!栄光を主に帰します。
主に感謝します!アーメン

それでは今日も明日も素晴らしい人生をお過ごし下さい。
May grace and peace be with your spirit.
Good luck & God bless you!
 
メイル歓迎します!
cforum@tanaka.name
田中 聡(さとし)