【ビジョン&使命・天職】で<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>に導く【神の愛=主イエス】!!

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【神愛福音道】【聖書価値観:神愛世界観・神愛歴史観・神愛人生観> 【神助道:神助精神・神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】 【<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>創世道】

【神の愛の方程式=摂理】②

◇◇映画ストーリーに学ぶ【神の愛の方程式=摂理】(その2)◇◇<改訂版・再掲載>
「【2005年7月19日に作成した<第381回>に加筆】
いつも心に太陽を」(1967年:主演シドニーポワチエ、製作・監督・脚本ジェームス・グラヴェル
★「カッコーの巣の上で」(1975年:主演ジャック・ニコルソン、製作マイケル・ダグラス、監督ミロス・フォアマン

★★【その1】のつづき★★

もう一つの作品「カッコーの巣の上」は、知らず知らずのうちに【自主独立:自由・独立】を放棄している現代社会の私たちに向けて、問題提起している映画です。

舞台は「精神病棟」です。完全看護で厳しい管理規則に従わざるを得ない光景は、まさに、ある種の独裁国家のごとき環境です。

そんな無抵抗で従順な患者ばかりの病棟に、社会に順応できず、度々刑務所に入っても、強制肉体労働でも問題を起すほどにあまりにも日常行動が不適格であるために、精神的異常があるかを診断するように司法から依頼されて、検査入院してくるのです。

ここでも【神の愛の方程式=摂理】が示されていることを改めて発見したのです。つまり、私たちは何の【不自由】を感じないままに日常を生きているかもしれないということです。

「いつか(Someday)は・・・」と思いながら、いつの間にか麻痺してしまい、日常の管理社会・組織規則を守り、素直に従うことが【人生目的】となってしまい、【自主独立:自由・独立】は先延ばし、後回しとなってしまっている人々が多いということです。

【神の愛】から観る【自主独立:自由・独立】とは、自分の熱き【青年の心】に抱く【ビジョン:理想・夢・志】を直視し最優先に考えて、そのために自己の【タレント:個性・才能・可能性】を最善発揮させる決断と実行であると私は理解します。

●独立とは必ずしも他の援助を絶つということではなく、自己の有する全ての実力を活用する事をいうのである(内村鑑三
●真理はあなた方を自由にさせる(ヨハネ伝8‐32)
●主は霊である、主の霊のあるところに自由がある(コリント後書3‐17)
●あなた方が召されたのは、実に、自由を得るためである。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい(ガラテヤ書5‐13)
●自由を得させるためにキリストは私たちを解放して下さったのである(ガラテヤ書5-1)
●自由は己を治むるの意なり。自由は己を神に委ね、しかれども強いられて委ねるにあらず、 自ら求めて委ねるなり(内村鑑三
●キリストによりてのみ真正の自由と独立とあり。そは彼は霊魂の自由を与える者なればなり (内村鑑三
●しいられてするのではなく、神に従って自ら進んでなし、恥ずべき利得のためでなく、本心からそれをなしなさい(ペテロ第1書5-2)
●各自は惜しむ心からでなく、また、強いられてでもなく、自ら心で決めたとおりにすべきである。 神は喜んで施す人を愛してくださる(コリント後書9-7)

この映画の興味深いことは、初めは孫悟空のように、常に管理・規則に従わないことが自己の存在意義で誇りであり、人生目的の如く暴れ回ってきた主人公のジャック・ニコルソンが、精神病棟に来て、【不自由】に無抵抗に甘んじている人々の姿を見て、気の毒に思い
初めて自分の為ではなくて、彼らのために【心の自由】の素晴らしさを思い出させることに懸命になって行くのです。

彼は、やる前からあきらめてしまう病棟患者の前で、失敗覚悟で様々な反抗・問題提起に挑み続けます。彼が何度か繰り返すうちに患者たちも徐々に、自分で考えて、自分の意見を訴えることに目覚め、冷め切っていた人々の心が熱くなって行くのです!

しかし、この映画の本当の主人公はジャック・ニコルソンではなく、病棟の中では耳も口も不自由と思われていて、誰からも知られずに世間での差別迫害を恐れて、精神病棟に隠れ住んでいた「ネイティブ・アメリカン(インディアン)の男性」こそが【本当の主人公】であり、彼こそが【私たち自身】であるのではないかと思えるのです。

ジャック・ニコルソンが普通の患者と違う【愛と自由の戦士】であることに触発されて、次第に心を開いて行く【本当の主人公】との交流も最後には悲劇が起こりますが、これもまた【神の愛の方程式=摂理】であると私は理解できます。

現実世界の私たちにとっては、ジャック・ニコルソン扮する【愛と自由の戦士】が、実は【救世主・イエス・キリスト】その方です!ハレルヤ!

●独立を説くなかれ、キリストを説くべし(内村鑑三

【本当の主人公(ネイティブ・アメリカン)】は、勝手に恐れていた世間を目指して安全な病棟を脱出して本当の【自由】を目指します!

彼もまた、世間への恐れの中でもあきらめずに、いつかはきっと道が開ける!と心の中では【ビジョン:理想・夢・志】を抱いていたからこそ、世間から見ればアウトローで有害無益なジャック・ニコルソン扮する人格に、正しく【救世主】を見出せたのだと、私には理解できます。

キリスト教は世をあきらめずして、世に勝たしむるものなり(内村鑑三
●真っ先に人間に慰めを求めないで、神にそれを求めなければならない(ヒルティ)
●神に従う生活をしない者は、ただ怖れにばかり支配される(ツィンツィンドルフ・同胞教会設立者)
●我れ神に依頼(ヨリタノ)みたればおそれなし。人、我に何をなし得ようか(詩篇56-11)

この二つの作品に再会できて、この時期に皆さんにも紹介できることは、私たちが互いに助け合って【愛と自由の戦士】となって、世間で活躍することを【神の愛=主イエス】が導いてくれているからだと信じます!ハレルヤ!主に栄光を帰します!

●【幸福と十字架(内村鑑三)】
 人類の幸福は 学術の進歩を要す
  学術の進歩は 思想の自由を要す
   思想の自由は 政治の改善を要す
    政治の改善は 人心の洗浄を要す
     人心の洗浄は 霊魂の釈放を要す
      霊魂の釈放は キリストの十字架を要す
●イエスと共にある者は;
  ◆青春の詩的理想を持続することができる
  ◆単純にして一貫せる生涯を完全に遂行できる
  ★平民の友★自由の主張者★理想の追求者 
   にしてその
  ★実行者★大革命家★大詩人★大預言者
●あらゆる存在は、その特性に従って自己を発展させ自己を実現する生まれつきの衝動を自分のうちに持っている(ヒルティ)
●【独立の確信(中江藤樹)】
 知らざりし 外に求むる いろいろの ちから我が身の うちにありとは

皆さんが社会の様々な分野で、時には【自主独立:自由・独立】を実現させるための、先導者、先駆者、冒険者となって、【神の愛の方程式=摂理】に信頼して、成り行きは任せて、自分の【ビジョン:理想・夢・志】を目指す【愛と自由の戦士】として活躍されることを心より応援しています!

●もし最初の確信を最後までしっかりと持ち続けるならば、私たちはキリストにあずかる者となる(ヘブル書3-14)
●我等は神に造られたる者にして、神のあらかじめ備え給いし善き業に歩むべくキリスト・イエスの中に造られたるなり(エペソ書2‐10)
●私たちはこの宝を土の器の中に持っている。その測り知れない力は神のものであって、私たちから出たものでないことが、あらわれるためである(コリント後書4‐7)
●人間の力の秘密は、神の道具であるという性質にある。何故なら、全ての永続的な真実の力は神のものであって、人間のものではないからである(ヒルティ)
●神がひとたび人間の意志を所有されるならば、神はその人の中でみずから全てのことを行ない、彼を完全へと導き給う(聖女カタリナ)
●主は何をあなたに求めておられるのか?それはただ公義を行ない、慈しみ・誠実を愛しへりくだって、あなたの神と共に歩む事ではないか!(ミカ書6‐8)
●あなたの神、主は、あなたの内にいまし、救いの勇士であって勝利を与えられる。主は喜びをもってあなたのことを楽しみ、その愛によってあなたを新たにし安らぎを与える。祭りの日のように主は高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる(ゼパニヤ書3-17)
●神に感謝します。神は、私たちをいつもキリストの勝利の行進に連ならせ、私たちを通じて至るところに、キリストを知るという知識の香りを漂わせてくださいます。救いの道をたどる者にとっても、滅びの道をたどる者にとっても、私たちはキリストによって神に献げられる善い香りです(コリント後書2-14~15)

ハレルヤ!栄光を主に帰します。
主に感謝します!アーメン

それでは今日も明日も素晴らしい人生をお過ごし下さい。
May grace and peace be with your spirit.
Good luck & God bless you!
 
メイル歓迎します!
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田中 聡