◇◇【ビジョン&使命・天職】実現の三原則:求めよ!捜せ(尋ねよ)!門をたたけ!(その1)◇◇<改訂版・再掲載>
【2005年9月6日に作成した<第386回>に加筆】
●求めよ、さらば与えられん。尋ねよ、さらば見出さん。門をたたけ、さらば開かれん(マタイ伝7-7)
●誰でも求める者は得て、捜す者は見出し、門をたたく者には開かれる(マタイ伝7-7~8、ルカ伝11-9~10)
【神の愛=主イエス】に大事にされ大切なる皆さんこんにちは!ご愛読に感謝します!
【主イエス】が直接私たちに教え伝えてくれた【★求めよ!★捜せ(尋ねよ)!★門をたたけ!】という【三原則】には、私たちが【神の愛=主イエス】と共に目指すべき【生き方】が簡潔に示されていると思います。
★求めよ! ⇔ ★【ビジョン:理想・夢・志】
【神の愛=主イエス】は我らの【心の希求】に必ず応えてくれて、【賜物:無償ギフト・神恵】として【ビジョン:理想・夢・志】を与えてくれる!
★捜せ(尋ねよ)! ⇔ ★【ミッション:使命・天職】
【神の愛=主イエス】に尋ね、自分の描く【ビジョン:理想・夢・志】の中に再発見しよう!
★門をたたけ! ⇔ ★【パッション:受難覚悟の情熱・熱望・気骨】
【神の愛=隣人愛】と共に【門:現実の苦難・境遇・世間体・常識・自己の弱さ】を打破しよう!
私たちが自分の【存在意義】を強く求めれば求めるほどに、心に浮かぶ【ビジョン:理想・夢・志】もまた明確となるはずです!
私たちが自分の【人生目的】を捜し見出したければ、【青い鳥】は自分の【ビジョン:理想・夢・志】の中に発見できるはずです!
私たちが【ビジョン:理想・夢・志】に【ミッション:使命・天職】を発見しても、実現への道に至るには【狭き門】で険しく思えます。
現実的不可能と思われ、目の前の堅く閉ざされた【門:現実的問題】を打破する【パッション:受難覚悟の情熱・熱望・気骨】こそ必要不可欠です。
【パッション:受難覚悟の情熱・熱望・気骨】は自力から生まれるのではなく、無限の【ダイナミック・パワー:信じる力・望む力・愛する力】と日々新たな【バイタリティ:生活力=生命力+活力】として、【神の愛】から与えられるので心配ご無用です!
●【神の力】(内村鑑三)
神はただ愛と生命と精力とあるのみ。
「これゆえに、我ら臆せず、我らが外なる人は壊(こぼ)たるとも、内なる人は日々に新たなり(コリント後書4‐16)」
神にありて我が失敗は失敗にあらず、我が弱きは弱きならず!
「(弱った者には力を与え、勢いのない者には強きを増し加えられる。年若い者も弱り、かつ疲れ、壮年の者も疲れ果てて倒れる。しかし、)
我が神にありて新たなる力を獲、ワシの如く翼を張りて昇り、走れども疲れず、歩めども倦まざるなり(内村鑑三:イザヤ40‐31)」
◎【神の生命=神の愛の力⇔新生命力・新活力・新思想】(内村鑑三より)
◆霊魂を復活させ、愚かなる者を智からしむる能力ある事実(詩篇19)
◆すべて信じる者を救わんとする神の大なる能力(ロマ書1-16)
◆神の国は言葉にあらず、能力に在り(コリント前書4-20)
◆大能をもって我が内に働くもの(コロサイ書1-29)
◆【神の生命】は心の内に【光】となって【新生命力】と【新活力】を加える【生活力(バイタリティ)】を提供する!
◆信仰により救われるのは、信仰により【この能力=生活力】を我らの能力とすることができるからであり、死は【生活力】が欠乏してやって来る。
◆【キリスト教(キリスト精神)】は【神の大なる能力=神の生命=生活力】を豊かに供給して人を永遠にまで救わんとする、キリストなる【神の生命】をもって【不朽の生命】を与えんとするものである!
最近のTV番組に紹介されていた坪倉優介さんの「人生体験」には【神の愛】が示され、私たちい勇気と希望を与えてくれます。
坪倉さんは絵を描くことが人生の一部であると語るほどの情熱があり、自分の思いとおりに大阪芸術大学に進学したそうです。
彼には【自分の色】を表現したい!という【ビジョン:理想・夢・志】があったからです。
しかし、夢の実現に近づいた大学一年(18歳)の時に、交通事故を起こして脳を損傷してまいます。命だけは助かったものの18年間の記憶を一切失います。
字を書くくことも、さらにモノの道理から、歯を磨く生活習慣に至るまで、すっかり忘れてしまうのです。
そんな彼を支えて、記憶を取り戻させようと懸命に献身する母親がいてくれたので、彼は18年間の自分をほとんど失いますが、【第二の人生】を白紙から再出発することができたのです。
彼はモノの道理が理解できず、朝から深夜まで素朴な疑問が起きるたびに、質問攻めで周囲を困らせるほどに好奇心に満ちた【子供の心<幼な心>】に立ち帰ったのです。
事故に出会う頃の彼は【熱き思い】はあっても人生をもてあましヤンキー的にぐれかけていたそうです。
そんな自分を一切忘れさせて、世間体や常識にとらわれず、素直な<幼な心>で、自然の出来事や、特に【色彩】の美しさに魅了されて行くようになります。
事故のおかげで、彼の天性の【タレント:個性・才能・可能性】であった<感性>を、<幼な心>と共に取り戻せたのですね。
●私たちは幼な子であった時には、幼な子らしく語り、幼な子らしく感じ、幼な子らしく考えていた。しかし、おとなになった今は、幼な子らしい事を捨て去った(コリント前書13-11)
彼は大学に復学して、苦労の末に、【染色】に魅了されます。まさに【神の愛の奇蹟】によって導かれた道だと私は確信します!
●驚くべき導きの、神の側からみた目的と直接の狙いは我々を普通の卑近な意味で幸福にすることではない。むしろ、恐れを知らず、あらゆる良き行いをすすんでしようとする人、一言でいえば、英雄的な人にするためである(ヒルティ)
京都の染色工房の心ある師匠に出会い、そこで修行して、事故から12年後には【自分の色】を見出して草木染作家として独立にも成功します。
現在は日本中の染色家に学んで、将来は【世界の色】を自分なりに染め上げたい!と語っていました。
彼には熱き【ビジョン:理想・夢・志】がありました。しかし、自分の【ミッション:使命・天職】を発見するためには【試練】がありました。
「自分の過去(18年間)」だけでなく、過去に学び築いた価値観や世間的常識までも捨て去っての【人生再出発】の体験です。
おかげで、彼は草木染作家という【ミッション:使命・天職】に導かれたのだと私は信じます!ハレルヤ!栄光を主に帰します!
●ある人の生涯における最大の日とは、その人の歴史的使命、すなわち神がこの世で彼を用いようとするその目的が明かにわかり、また、これまで彼が導かれてきたすべての道がそこに通じているのを悟った日のことである(ヒルティ)
彼の【パッション:受難覚悟の情熱・熱望・気骨】は世間的常識にとらわれない【探究心・好奇心・愛好精神】と共に生まれました。
もし、18年間の人生の延長を歩んでいたとしたら、同じように「自分の色」を見出せたでしょうか?
彼が心から求めていた【本来の道】は【神の愛=主イエス】の厳しい【特訓:オーディション&リハーサル】に選ばれ手に入れたと確信します!
●人間は生涯中にいくたびとなく、この世における自分の使命に迷いを生じたり、気落ちしたり後戻りしたくなる時期が訪れるものだ。
そのような時に最も確かな慰めは、もともと我々が神を選んだのでなく、神が我々を選んでその所有とされたいという思いである(ヒルティ)
●あなた方が私を選んだのではない、私があなた方を選んだのである(ヨハネ伝15-16)
●主よ私は知っています。人間の道はその人によるのでなく、歩くこともその歩みを確かにすることも、人によるのではないことを(エレミヤ書10‐23)
★★【その2】につづく★★