◇◇Providence(神の愛の摂理:神助・導き)【その2】◇◇<改訂版・再掲載>【2002年7月25日に作成した<第264回>に加筆】
★★2002年7月23日(火)21:15NHK「プロジェクトX:救急救命ER誕生」を観て★★
★★【その1】のつづき★★
例えば、医療現場にも絶えず犠牲者が生まれ続けています。
現在の日本ではERはテレビのトレンディ・ドラマにも扱われるほどに、救急救命の最前線として社会的にも不可欠の存在として認知されていますが、35年前の日本では救急救命の体制すら存在していなかったことをテレビ番組で初めて知りました。
昭和41(1966)年、万国博覧会を4年後に控えた活況の大阪では、<交通戦争>と呼ばれるほど交通事故が7万件まで多発して、多くの重体者は病院の「たらい回し」で止む無く死亡してしまうという悲劇に直面して、住民からは避難が殺到したそうです。
そこで、大阪大学付属病院にもちかけたところ、病院側は救急救命医療については消極的な反応を示します。大学病院側にもそれなりの言い分があったからです。
「我々の病院は研究の場所であり、数百万人を救う仕事をしているのだ!」
まさに、目の前の一匹の<さまよえる子羊(重傷者)>を救うよりも、残り99匹の羊(一般市民)を守る事の方が有意義で重要だ!
という論理です。
この一見すると、99匹を残して1匹の【迷える子羊】を助け出す【神の愛=主イエス】に対極にある論理にも、【神の愛の摂理】は示されています。私たちは人類救済のために、たった独りの【神の子イエス】を見殺しにして、<十字架の犠牲>にしたからです。
まさに植物の復活劇ように、この二手に分かれた<論理>があるからこそ、【神の愛の奇蹟】が生まれるのだと私は理解します。
「目の前の命を救いたい!あきらめるのは恥だ!」と大阪大学病院の34歳の若き杉本医師が、たった独りから起ち上がります。
彼は日本で具体的に行動した<先駆者>といえるでしょう。全て始まりは【単独の勢力】の【霊性:魂[勇気]・善意・良心】の目覚めといえます。
●大いなる事業が完成されるためには一つの精神があれば足りる。千の手を動かすために(ゲーテ)
●偉大なことを成し遂げるのは、それ以外になすことの出来ない人のみである(ヒルティ)
●個人をもって始まらざる事業にして偉大なる事業あるなし(内村鑑三)
杉本医師が救急救命(ER)の必要性を主張したのには訳がありました。
彼が神戸の病院を手伝っていた時、港湾労働者が作業中の事故で瀕死の状態で運ばれた来ます。しかし、既に手遅れで助ける手だてがなく見守るしかなかった杉本医師に、患者が最後に「子供を頼む」という言葉を残して逝った事が「心の傷」になったからです。
彼の捨て身の申し出で、大阪大学付属病院に日本初の24時間体制の救急救命部ができたのです。リーダーの杉本医師とわずか3名のスタッフの少数精鋭部隊です。しかし、杉本医師の心には確信に満ちた【ビジョン:理想・夢・志】がありました。
「目の前の命を守る砦となって、1パーセントでも助かる可能性があれば、最後までチャレンジする!」という信念の実現です。
この少数派の【ビジョン:理想・夢・志】こそが、その後全国にERが普及して行く<根本精神>となり、原動力となったのだと思います。
●人数が少ないからといって世界を変える力はないと侮るなかれ。世界を変えてきたのはまさしく少数の力なのである(マーガレット・ミード)
●自分がそうであって欲しいと思う世界に向かう変化を自ら後押ししなさい(ガンジー)
●すべて偉大なことは、小規模で少人数から始まるものだ。あなたはそれを覚悟しなければならない。そして、子供たちを教育するにも、彼等が少数派に属する事を平気なように導かねばならない(ヒルティ)
そして、【神の愛=隣人愛】の実現を目指す【先駆者】には【神の愛=主イエス】の《神の愛の訓練》である【試練】が与えられるのです。
●我が子よ、
主の訓練を軽んじてはならない
主の叱責をいとうな
父がかわいがる子をしかるように
主は愛する者をしかる(箴言3‐11~12、ヘブル書12‐5~6)
●あなた方は訓練として耐え忍びなさい。神はあなた方を、子として扱っておられるのである。いったい父に訓練されない子があろうか
(ヘブル書12‐7)
彼らが最初に救った患者は暴力団員でした。「人殺しを助けるのか?」と周囲は冷ややかな反応を示して来ました。
杉本医師はそのような周囲に対して応えます。
「我々は《猟犬》のようなものだ。そこに救うべき命があれば誰でも構わない!」
その後の2ヶ月間は軽傷者ばかりでした。そしてようやく運ばれてきた重傷者は、何と第一号患者の暴力団員の再来でした。
今回は相手を殺していました。
せっかく捨て身で起ち上がって開設できたERなのに、杉本医師にとって虚しさの連続でした。さらに杉本医師に【試練】は続きました。
このような<突破口>が見えないほどの長き険しき【試練】から、私たちが学ぶべきは、【神の愛=主イエス】は見捨てることなく、私たちの<切なる思い・祈り願い>を<最善>に実現させるために「産みの苦しみ」を与えていることを覚悟して耐え忍びましょう!
●真の祈りはただの祈りではない。一種の預言である。即ち必ず成就すべき事を前もって語に表することである(内村鑑三)
●わが祈祷が聴かれないと言う時に、祈祷以上が聴かるるのである。祈祷が聴かれないのではない。我等が祈求むるところ、思惟うとろこよりもいたく過(マサ)りて聴かるるのである(内村鑑三)
●私(神)の思いはあなた方の思いと異なり、私の道はあなた方の道と異なる。
天の地よりも高いように、私の道はあなた方の道より高く、私の思いはあなた方の思いよりも高い(イザヤ書55-8~9)
●私(主)がしていることは、今あなたにはわからないが、あとでわかるようになるであろう(ヨハネ伝13‐7)
●愛する兄弟たちよ、思い違いしてはならない。 あらゆる善い贈り物は、あらゆる完全な賜物は、上から、光の父から下ってくる(ヤコブ書1-16~17)
4ヶ月後に運ばれてきた「ひき逃げ事故」の重傷者は内臓や脳挫傷など「多発外傷」の患者でした。杉本医師は手早く一度に数カ所の外科的手術を施して救われたように思いました。しかし、手術は成功したのに原因不明で亡くなってしまったのです。
そこで、世界中の文献をさぐってみたところ、ベトナム戦争の医療記録によって心臓や内臓が万全でも突然死んでしまう<謎の症状>が示されている事を発見します。
戦争で亡くなった多くの犠牲者が【無駄な死傷】でなかった証明を日本人の独りの医師が発見し証明してくれたのです!ハレルヤ!
人体の60%は水分が占め、その体液のわずか10%でも流出すると死に至るために、戦争や交通事故などで起きる「多発外傷」には、常に体液を補充しなくてはなりません。
杉本医師は「多発外傷」から患者の命を救うには、流出する体液を供給するための「輸液処理」を解決しなくてはならないことに気づきます。
脳を損傷した患者は輸液すると、かえって脳をさらに損傷させて死に至ることを発見したからです。
しかし、その時点では原因は判っても具体的な処理方法は考えつきませんでした。
3年後の昭和45(1970)年には社会にも認知されて交通事故や労災の多くの重傷者が救急救命患者として運ばれて来るようになりました。
多くの命が救われたのです。
杉本医師の勇気ある先駆的チャレンジに共感する若き医師も集まって来ました。
スタッフは7名になり、その中には、当時返還前の沖縄からの留学生もいました。
32歳の真喜屋医師は、昭和20(1945)年の戦火で、目の前で出血多量で死んで行く兄を何とか救いたいとと思っても救えなかった無念の気持から自分が医者になり、人の命を救う事を目指したそうです。
杉本医師は真喜屋医師に交通事故の場合には、ハンドルでダメージを受ける事が多く、しかも「触れてはならない臓器」とまで言われる手ごわい肝臓の処理を担当させます。
彼は肝臓と格闘の末に、翌年画期的な処置方法を生み出します。傷の程度によって自然治癒に任せるか、縫合するか、切除するか、三つに分ける処置方法は、その後「肝臓処置」の【外科医のバイブル】となったそうです。
スタッフに飛びきり明るい27歳の島崎医師も加わります。
彼が担当したのは、小学校3年生で9歳の女の子でした、彼女は遊んでいて熱湯の風呂場に落ちて全身60%の大ヤケドになって運ばれて来ました。勝気な女の子は、いたがらず懸命に治療に耐えてくれました。
しかし、ここでも輸液処置の問題が起きるのです。ヤケドした場合も大量の体液が流出するので輸液しなくてはなりません。しかし、大量に輸液すると激痛を伴う「水ぶくれ」を起こし、やがて感染症の原因となってしまいます。
女の子は輸液を受けながら、6週間耐え抜きましたが、島崎医師にささやきます。
「長い間ありがとう。私は痛いのに疲れたよ」そして、彼女は亡くなります。
とびきり明るいはずの島崎医師も、厳しい現実を目の前にして無力感と虚無感にすっかり落ち込んだそうです。そんな彼を戒めるかのように杉本医師は励まし目指すべき道を示したのです。
「悲しんでいては何も解決にならない!次の人の為に起ち上がれ!」
島崎医師は再び起ち上がります。彼女が捧げてくれた【命】によって、彼は自分が目指すべき【ミッション:使命・天職】を発見できたのです。
彼は決心します。
「ヤケドの患者を何とか救いたい!」
●ある人の生涯における最大の日とは、その人の歴史的使命、すなわち神がこの世で彼を用いようとするその目的が明かにわかり、また、これまで彼が導かれてきたすべての道がそこに通じているのを悟った日のことである(ヒルティ)
ヤケドも「多発外傷」も体液補充の輸液処置が解決のカギであることを知り、もう一度世界中の文献を探します。
そして、1919年の第1次大戦中の記録にまでさかのぼるのです。あまりに古過ぎると誰もが見逃していた米陸軍研究所のルイス・ウイードの研究報告には驚くべき事実が示されていたのです。
常にどんなに暗黒で地獄の戦争であっても、古臭い見捨てられた存在であっても、捜せばそこにも<希望の光明>はあることの証明ですね。
●悪い事の中にもなにほどかの善の魂がまじっている。人が注意ぶかくそれをさがし出すならば(シェークスピア)
●善の勝利についての絶望は常に個人的勇気の欠乏である(ヒルティ)
それは、通常0.9%濃度の体液を2倍の1.8%の濃度にする試みでした。そうすれば少量の輸液によってでも、大きな効果を引き出せる事を実証していたのです。この報告は長き間学会で黙殺されていたのでした。
しかし、この黙殺もまた【神の愛の摂理】であったと私は信じます。おかげで、21世紀の一般の私たちにまでも感動と勇気が与えられたからです。
●天の下では、何事にも定まった時期あり、すべての営みには時がある。
生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。
植えるのに時があり、植えたものを抜くのに時がある。
殺すのに時があり、癒すのに時がある。
崩すのに時があり、建てるのに時がある。
泣くのに時があり、微笑むのに時がある。
嘆くのに時があり、躍るのに時がある。(伝道の書3-1~5)
●神のなされることは全てその時にかなって美しい(伝道の書3-11)
★★【その3】につづく★★