【ビジョン&使命・天職】で<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>に導く【神の愛=主イエス】!!

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【神愛福音道】【聖書価値観:神愛世界観・神愛歴史観・神愛人生観> 【神助道:神助精神・神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】 【<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>創世道】

<最善>に導く【神の愛の摂理】①

◇◇Providence(神の愛の摂理:神助・導き)【その1】◇◇<改訂版・再掲載>
【2002年7月25日に作成した<第264回>に加筆】
★★2002年7月23日(火)21:15NHK「プロジェクトX救急救命ER誕生」を観て★★

●【神助】(内村鑑三
◆神を信ぜよ、さらば神は汝の必要に応じてすべての善き物をもって
  汝を恵まん。
⇔ ★天来の思想
★外来の友人
★意(オモ)わほざる汝に臨む全ての恩恵の手段(テダテ)
◆汝の目下の境遇をもって汝の力を量るなかれ。汝は信仰をもって神の力を汝の力となすをうべし。
●我に糧あり、聖書なり。我に力あり、祈祷に存在す。我は単独にして世界を相手に戦いを得るなり(内村鑑三

【神の愛=主イエス】に大事にされ大切なる皆さん、こんにちは!ご愛読に感謝します!

この世に【Providence:神の愛の摂理】があることは常に実感させられます。

特に、先駆的なチャレンジとは、常に【単独の勢力】の【霊性:魂[勇気]・善意・良心】が目覚めることから始まり、少数精鋭が多くの【試練】を【隣人愛=神の愛】の力によって克服して、根をはり、芽を出し、花を咲かせ、実を結び、後世への【道】を切り拓くのだと思います。

●キリストは少数である。福音は少数の意見である(内村鑑三
●神は大事を為すにあたって多数の勢力をもってせずして単独の勢力をもってし給うた(内村鑑三
●小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる(ルカ伝12-32)
●詩人ダンテいわく、「余は余一人にて一党派を樹立せん」吾人は神と結ぶべし、人と同胞すべからず、神我と共にありて我はひとり全世界と相対して立つを得べし(内村鑑三
●諸民族を、その間違った道から神の信仰へ連れ戻すために苦難の時代がやって来なければならない場合に、普通神は先ず幾人かの個人に苦難をなめさせ、そのあとでこれらの人たちが、その他の人々に向かって自分達の経験に基づくゆえに確信をもって教え説くことができるように導き給う。そうすれば、この先駆者たちは一般の人々の苦難の時にも勇気を失う事なく、なお救われる見込みのある者を励ますにちがいない(ヒルティ)

このような【単独の勢力】から始まる先駆的チャレンジの【Providence:神の愛の摂理】は植物の成長に示されています。

私の育てていた観葉植物が生活環境を変えために、全ての枝葉を落として幹だけになってしまいました。長い間生活を共にしてたので、気の毒で可哀想なことをしたと後悔しました。

しかし、根さえ生きていれば必ず復活できることを信じ望んで、毎日、幹にも手でなでるように水で濡らしてあげました。

そのまま3ヵ月すると、それまで何の変化も無い様に思われていたのに、何と幹から新しい枝が伸び始めたではありませんか。
そこから二つの葉が現われます。彼らはまさに<先駆者>でした。安全な環境であるかを確認するために勇気ある行動に出たのです。

そして、常に二手に分かれて、やがて一方が自ら犠牲となるかの様に枯れて行きます。その<先駆者>のおかげで、それから3年もたった現在では、何十倍もの葉を繁らせてくれています。<先駆者>の献身的チャレンジのおかげといえるでしょう。

同じような事が3メートル近くあった近所のモチノキの木でも起きました。近所の都合で突然わずか数センチの切り株だけが残された無残な姿になっていて私はショックを受けました。

事前に知っていれば何か助ける方法がなかったかと無力感と罪悪感があるだけでした。それでも切り株に水をかけ続けました。

ところが、【神の愛=主イエス】は【神の愛の奇蹟】を起こしてくれたのです!ハレルヤ!栄光を主に帰します!
1年後の今年5月になると、わずか数センチの切り株から二つのかわいい新芽が生えているではありませんか!

人間の都合で片づけようとしても、【神の愛=主イエス】の定めた《死すべき時》ではなかったのです。
それから2ヶ月たった現在では切り株の端に20センチの高さにまで成長しています。
しかし、初めに2本で登場したものの、2ヶ月後には1本だけが生き残り、一方は任務を終えたように枝を落としたのです。

★追記:あれから5年後の2007年10月現在では、以前にもまして3メートル以上にまで元気に発育しています!

植物における<先駆者>は二手に分かれて登場し、安全確認できると限られた栄養を一点集中させるためなのでしょうか、丈夫な方が生き残っているように思われます。

この感動的な《奇蹟の復活劇》も、一見すると弱肉強食の苛酷な生存競争のようにも映るかもしれません。

しかし私は、この世の<万事万物>の背後には、必ず<最善>に導かれるという【神の愛の摂理】を感じずにはいられません。

●辛いことの背後(ウシロ)には最も歓ばしいことが隠れている。我らは何事にかかわらず勇んで主の命に従うべきである(内村鑑三
●You are good and do good!
 あなたは善なる方、いつくしみ深くあられ、すべてを善とする方で慈しみを施されます(詩篇119-68)

【神の愛の摂理】には【無駄な死滅:完全な敗北】は存在せず、最後の最後まで<最善>に導いて<ハッピー・エンド>だけを望み愛されることが【御心:聖意・聖旨】と確信します!

●これらの小さい者にひとりが滅びることは、天にいますあなたがたの父の御心ではない(マタイ伝18-14)
●The Best is yet to come!<最善の時はこれからだ!>(ブラウニング)
●【最善の最後(内村鑑三)】
 信者の生涯は始めは悪くして、終わりは善くある。
 終わりに近づくほど、ますます善くある。
 最後(ラスト)が最善(ベスト)である。

植物の<復活>にしても、もし二手に分かれて生まれたからこそ、環境に順応できて、【神の愛の奇蹟】は起こったのだと理解します。
そして、生き残れなかった方は単なる不運で不幸なる【無駄な死:完全敗者】ではなく、その《殉死》が未来の繁栄を保証させるという崇高な【ミッション:使命・天職】に選ばれたのだと思うのです。

●魂の喜びにまさる喜びなし。これによりて枯骨もなお芽をふく。この喜びを我が主は常に我らのために増したもう(ヒルティ)
●木には望みがある。たとい切られてもまた芽をだし、その若枝は絶えることがない。たといその根が地の中で老い、その幹が朽ちて、根株が土の中に枯れても、水気にあえば芽をふき、苗木のように枝を出す(ヨブ記14-7~9)

人間の世界でも、同じように社会の仕組みの犠牲となって不条理な悲劇の犠牲者が日々続々と生まれ続けているように映ります。
彼らは単なる不運で不幸なだけの<未完成の人生>だったのでしょうか?どんな境遇でも、それは本人の望みの結果だと信じます。

私は彼らこそ【神の愛=主イエス】に特別に選ばれた<恵まれた人々>だと信じます。彼らの<献身的生命>のおかげで、後に続く多くの生命を救うことができたなら、【神の愛=主イエス】が最も望み愛される【道】だからです。

●人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない(ヨハネ伝15-13)

★★【その2】につづく★★