【ビジョン&使命・天職】で<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>に導く【神の愛=主イエス】!!

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【神愛福音道】【聖書価値観:神愛世界観・神愛歴史観・神愛人生観> 【神助道:神助精神・神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】 【<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>創世道】

<いつも一緒>の【神の愛】!

◇◇ ≪いつも一緒!≫の【神の愛=主イエス】! ◇◇<改訂版・再掲載>
【2002年9月18日に作成した<第272回>に加筆】
★★2002年9月、「NYテロ事件1周年関連報道」を観て★★

●視よ、我は世の終わりまで常に汝等と共に在るなり≪With You Always≫(マタイ伝28‐20)
●神は我等の避け所、また力なり。悩める時の最もちかき助けなり(詩篇46-1)
●私が神に信頼していた時には、神は決して私を見捨てられなかった(クロムウエル)

【神の愛=主イエス】に大事にされ大切なる皆さん、こんにちは!ご愛読に感謝します!

NYテロ事件では多くの消防士が犠牲となりました。彼らの勇姿が撮影されたビデオが一年ぶりにようやく封印を解かれてTV公開されました。

当日に貴重な撮影ができたのはフランス人兄弟でした。
彼らは事件の数ヶ月前から、ある消防署を密着取材してドキュメントを製作する予定だったからです。おかげで、消防士達の感動的な活躍が記録となったのです。

そこに描かれていたことで、大きな発見がありました。
消防士の世界にも<専属牧師・神父(チャプレン)>がいるということです。
消防士たちを身近で見守り、<祈り>で励ますために、災害の最前線で活躍する高齢の神父が映されていました。

ビル崩壊が始まった時のことです。何が起きたか解らず不安で一杯の現場で、神父は祈るためにヘルメットを取った瞬間に落下物と衝突して死亡(昇天)してしまいます。神父が救命隊の犠牲者の第一号となりました。

その後に、粉塵で真暗の中を、数人の消防士が遺体の神父を抱きかかえて運び出すシーンが映されていました。
消防士は真っ先に教会まで運んで行ったそうです。

軍隊には《従軍牧師(Chaplain)》がいることは、映画やテレビで見聞きした事がありますが、消防士の世界にもチャプレンが存在していたのは驚きでした。

消防士が勇敢に行動できる背景には、【神の愛=主イエス】を思い出させてくれて、どんな危険な時も《いつも一緒》にいてくれる<牧師・神父>がいるからだと、私は確信できました。

●恐れるな、私はあなたと共にいる。たじろぐな、私があなたの神だから。
 私はあなたを強め、あなたを助け私の義の右の手であなたを守る(イザヤ書33‐15)
●しっかりするのだ、私である。恐れることはない(マタイ伝14‐27)
●我等に臨む患難は多し、されど主は我等をみなその中より助けだし給う(詩篇34‐19)
●愛の中に恐怖(オソレ)あることなし、全き愛は恐怖を除く(ヨハネ第1書4‐18)
●もうあなたは泣くことはない。あなたの叫び声に応じて、主は必ずあなたに恵み、それを聞かれるとすぐ、あなたに応えてくださる(イザヤ書30‐19)

そば近くで見守り続ける≪いつも一緒≫の精神は【キリスト精神】そのものですね。

例えば、大リーグ野球においても感動するシーンがありました。日本の石井投手がピッチングの最中に頭部に打球を受けて入院したのは皆さんもご存知だと思います。

バッターの打った《ピッチャー返し》を顔面に受けて、マウンドの上で倒れたままでいると、直ぐにグラウンド内に救急車が入って来ました。

倒れた石井投手を担架に乗せて、車まで運ぶのだろうと思って観ていると、救急車をマウンドの横まで移動させたのです。
それは、恐らく日本では考えられない驚くばかりの光景です。

素直に考えてみれば、選手の生命を最優先した当然の配慮であり、≪いつも一緒≫の【キリスト精神】を感じました。

いつも観戦して感じることは、大リーグ野球と日本の野球との大きな違いの1つは《外野守備のプレー》にあると思います。
大リーグではダイビング・キャッチや壁際にまで走り突っ込み、飛びつくダイナミックなプレーが、日本よりも多く見られるのが特徴ではないでしょうか。

しかし、それができるのは多くのグランドが天然芝であり、壁には柔らかいクッションが取りつけて、選手の《安全第一》を考慮してくれているからだと思います。

一方で日本の多くの球場は経営優先のために人工芝が中心であり、壁にも配慮が為されていないようです。

人工芝で勇気あるダイビングをして、大怪我をして選手生命の危機から何とか復活した桑田選手のエピソードは有名だと思います。

たとえ強い信念があっても、どんなに真剣で勇敢であっても、せっかくの優れた【タレント:個性・才能・可能性】があっても、それらを最善発揮できる環境を提供しなくては無駄に終ってしまうと思います。

その環境を提供するためには、≪いつも一緒≫の精神である【神の愛=主イエス】の【キリスト精神】が有効だと思います。

●あらゆる奥義と知識に通じていても、山をも移す強い信仰があっても、もし、愛がなければ無に等しい。自分の全財産を人に施しても、自分の体を焼かれるために渡しても、もし、愛がなければ、一切は無益である(コリント前書13-1~2)

私は≪十字架のイエス≫を肌身離さずに常に身につけています。それは≪いつも一緒≫の【神の愛=主イエス】を忘れずに最優先したい為であり、【神の愛=主イエス】と共に生きる実感であり、≪信・望・愛≫の証明といえます。

田中康夫長野県知事のエピソードで感動したことがあります。
皆さんもご存知の通り、田中知事の胸に、いつも、ぬいぐるみの「ヤッシー」というブローチを付けて活動しています。

多くのジャーナリストや有識者やコメンテータがTVにおいて、その姿について「幼児趣味」だと批判的な発言をしているようです。

しかし、この「ヤッシー」には、大きな【メッセージ】が公示されていることを田中知事本人が就任当時にテレビで話してくれたことを私自身は記憶しています。

ヤッシー」とは、熱烈な支援者である、独りのチャレンジド(身体受難者)の女性が手作りで創った作品なのです。

彼女が支持する≪田中県知事≫で在りつづける限りは、「はずさない」という約束をしているそうです。
つまり「ヤッシー」とは公約を守っているか、守っていないかを、≪公的≫に示してくれるバロメータそのものなのです。

私には聖職者が首にぶら下げている大きな≪ロザリオ≫のように美しく見えます。それは権威者から頂戴するバッチや勲章よりも【神の愛=隣人愛】のパワーを感じます。

ヤッシー」は田中知事が小さき弱き者たちの声を大切にして≪いつも一緒≫の精神で在り続ける証明であり、私利私欲を捨てる覚悟をいつも宣言しているのだと思います。

●私(主イエス)の兄弟であるこれらの最も小さい者の一人にしたのは、すなわち、私にしたのである(マタイ伝25‐40)
●あなた方はこれらの小さい者の一人をも軽んじないように気をつけなさい (マタイ伝18‐10)

私たちは勇気の支えを何かに求める必要があります。人によっては、【この世の勢力:富・権威・名声】を支えとするかもしれません。

しかし、私は【神の愛=主イエス】こそが勇気と希望と慰めと励ましを与えてくれる最善・最強の【無限の源泉】であることを自信を持って、皆さんにお奨めします。

●いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛と、この三つである。このうち最も大いなるものは、愛である(コリント前書13‐13)
●ある者は車を頼み、ある者は馬を頼み、ある者は学問を頼み、ある者は多数を頼む。しかれども我は我が主の神を頼まん(詩篇20‐7)
●汝の能力(チカラ)は汝が日々求むるところに従わん(申命記33‐25)
●たとえ困難がどんなであっても、我々は神の力によって、これに対抗することはできるであろう。私は神のおかげで困難になれてきた。神に信頼してまだ裏切られたことがない(クロムウエル)

皆さんが【神の愛=主イエス】に信愛して、自分に対しても【隣人・社会】に対しても、≪いつも一緒!≫の【神の愛=主イエス】の【キリスト精神】でチャレンジされることを心より応援しています!

●我等は悪を避けんとするよりも、むしろ神と共にあらんことを努むべし(内村鑑三
●もしもあなたがあらゆるものにイエスを求めるならば、必ずそこにイエスを見出しえよう(トマス・ア・ケンピス)
●神の無限の力に頼りて、我等は我等の信じるがごとくにすべての事をなすをうるなり(ピリピ書4‐13) 
 ⇔私を強くして下さる方によって何事もすることができる

ハレルヤ!栄光を主に帰します!
主の恵みに感謝します!アーメン!

それでは今日も明日も素晴らしい人生をお過ごし下さい。
May grace and peace be with your spirit.
Good luck & God bless you!
 
メイル歓迎します!
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田中 聡(さとし)