【ビジョン&使命・天職】で<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>に導く【神の愛=主イエス】!!

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【神愛福音道】【聖書価値観:神愛世界観・神愛歴史観・神愛人生観> 【神助道:神助精神・神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】 【<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>創世道】

【神の愛】は<不思議な力>!①

◇◇≪汝:主イエス≫の不思議な力(その1)◇◇<改訂版・再掲載>
【2002年12月30日<第284回>に加筆】 
★★ベートーベンの第九「歓喜の歌」と「赤穂浪士忠臣蔵」を考える★★

●汝の不思議な力は 時流が 厳しく引き離したものを再び結び合わせる
 すべての人々は兄弟となる 汝のやわらかな翼がとどまるところにて

 ひとりの友を真の友とするという 大きな難事を成し遂げたもの
 また優しき妻を得ることができた者 そのような人々は歓声をあげよ!
 
 そうだ この地上で 一つの魂でも自分のものと呼び得る者も!
 しかしこれをできなかった者は 涙を流しながらこの集いから立ち去れ
          (フリードリッヒ・シラー/平野 昭 訳  構成 小川伊作)

【神の愛=主イエス】に大事にされ大切なる皆さん、こんにちは!ご愛読に感謝します!

日本の年末と言えば、ベートーベンの第九の合唱「歓喜の歌」と「忠臣蔵」が愛好されるのではないでしょうか。

私は「歓喜の歌」は【救世主】を呼び求める心の顕れであり、「忠臣蔵」は目指すべき人生の【大義:使命・天職】を捜し求める心の顕れだと思います。

そして、その答えは【聖書・イエスの生涯と教え】に明確に示されている事を私は発見できたのです。

ベートーベンは23歳の時に、「歓喜の歌」の原典であるシラーの詩に出会います。
彼は「歓喜の歌」に沿った音楽を創る事を決意しますが、それから30年後になって、ようやく「第九」は完成したのです。

30年の間、彼は【自由・平等・寛容・博愛の精神】を【人間の理想】に求めて、ナポレオンに期待します。
しかし、自ら皇帝となったことに激怒して、【人間の理想】を実現することに失望します。

そこで、ナポレオンの失脚後のウイーン会議で約束された決議に期待しますが、またも裏切られ絶望します。
やがて、ベートーベン自身が国家権力から監視される不自由な立場に追い込まれます。
さらに、肉体的にも難聴が進んで音楽生命の危機にまで追いこまれるのです。

だからこそ、ベートーベンは自力にのみ頼ることなく、【人間の理想】を盲信することなく、【神の愛:汝の不思議な力】を受け入れることができたのだと私は理解します。

●理想の実現は(不可能と見えるのは)人間の力や制度によるのではない!
 「万軍の主の熱心これ成し給うべし(イザヤ書9-7)」(内村鑑三
●神には何もできないことはありません(ルカ伝1-37)

天才ベートーベンでも【神の器】として【ミッション:使命・天職】に導かれるためには、30年間という長く厳しき【試練:神の訓練】が必要だったのだと思います。

●我が子よ、
 主の訓練を軽んじてはならない
 主の叱責をいとうな
 父がかわいがる子をしかるように
 主は愛する者をしかる(箴言3‐11~12、ヘブル書12‐5~6)
●あなた方は訓練として耐え忍びなさい。神はあなた方を、子として扱って
 おられるのである。いったい父に訓練されない子があろうか(ヘブル書12‐7)

革新的で挑戦的で永遠の勇気と希望を与えてくれる「合唱付き交響曲第九番」とは、単なる人間賛歌ではなくて、【神の栄光】をたたえる【讃美歌】であり、【神の愛】の【不思議(ワンダフル!)な力】に信愛すれば、私たちは誰でも【自由・平等・寛容・博愛】の
<人生理想>の歓喜に至ることを高らかに宣言してくれたのです!

●キリストの言葉をあなた方のうちに豊かに宿らせなさい。そして、知恵をつくして互いに教え、また訓戒し詩と賛美と霊の歌とによって、感謝して心から神をほめたたえなさい (コロサイ書3‐16)
●私の心の思いなる歌が神の御心にかないますように(詩篇104‐34)
●あなた方が召されたのは、実に、自由を得るためである。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい(ガラテヤ書5‐13)
●自由を得させるためにキリストは私たちを解放して下さったのである(ガラリヤ書5-1)
●主は霊である。主の霊のあるところに自由がある(コリント後書3‐17)
●真理はあなた方を自由にさせる(ヨハネ伝8‐32)
●絶対の自由は、ただ神にのみ仕えて他の一切のものには仕えないことである(ヒルティ)
●神(愛)に仕えることを自由という(ヒルティ)

ベートーベンが自らの30年間の年月を通して、実体験に基づく確信によって、作品に現された「合唱付き交響曲第九番」には、明確な【神の愛のメッセージ】が示されています。

それは≪苦難:神の愛の試練≫を乗り越えてこそ得られる≪歓喜:神の愛の祝福≫です!

●悩みを突き抜けて歓喜に至れ!(ベートーベン)
●我等に臨む患難は多し、されど主は我らを皆その中より援(タス)け出し給う(詩篇34‐19)
●たとえ困難がどんなであっても、我々は神の力によって、 これに対抗することはできるであろう。私は神のおかげで困難になれてきた。 神に信頼してまだ裏切られたことがない(クロムウエル)
●神があなたを遠ざける喜びよりも、あなたを神(愛)へと駆り立てる苦難のほうを好むようになるならば、あなたは正しい道にいるのである(ヒルティ)

忠臣蔵から今年で300周年を迎えるそうです。何故、これほどまでに、赤穂浪士は多くの日本人から共感を得られるのでしょうか?

不当と思われる裁定に対して沈黙を守って、潔く処刑(切腹)に応じた主君は、さぞ無念であったろうと思いながらも、時とともに多くの藩士が家族や自己保身の為に【大義】を捨てて行きました。

一方で、決して<恩義>を忘れる事なく、<忠誠心>から起ち上がった志士たちの姿とは、【キリスト精神】に導かれた【使命・天職】に生きる人々にも通じるのではないでしょうか。

しかし、身分制度が存在した封建社会で武士階級として守り尊重できた【大義】と、【神の愛】に従う【キリスト精神】における【大義】では、目指すべき<ゴール>が大きく異なっています。

それは、旧約の【モーゼの十戒】のように遵守困難な【律法】を正義とするか、又は新約に示される【愛の十戒(ロマ書9‐12~21)】のような【神の愛=隣人愛】を正義とするかの違いともいえます。

●正義の温暖なるもの、これを愛という(内村鑑三
●【愛の十戒(ロマ書12章9~21節)】
 ◆愛は偽りがあってはならない。
 ◆悪を憎み退け、善には親しみ結び、兄弟の愛を持って互いにいつくしみ、進んで互いに尊敬し合いなさい。
 ◆熱心でうむことなく、霊に燃え、主に仕え、望みを抱いて喜び、患難に耐え、常に祈りなさい。
 ◆貧しい聖徒を助け、努めて旅人をもてなしなさい。
 ◆あなた方を迫害する者を祝福しなさい。祝福して呪ってはいけない。
 ◆喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣きなさい。
 ◆互いに思うことを一つにし、高ぶった思いを抱かず、かえって低い者たちと交わるがよい。自分が知者だと思いあがってはならない。
 ◆誰に対しても悪をもって悪に報いず、全ての人に対して善を図りなさい。
 ◆あなた方はできる限り全ての人と平和に過ごしなさい。
 ◆愛するたちよ、自分で復讐しないで、むしろ神の怒りに任せなさい。何故なら、
  「主が言われる;復讐するは我にあり。私自身が報復する」と書いてあるからである。
  むしろ「もしあなたの敵が飢えるなら、彼に食わせ、かわくなら、彼に飲ませなさい。そうすることによって、あなたは彼の頭に燃え盛る炭を積む事になるのである」
 ◆悪に負けてはいけない。かえって善をもって悪に勝ちなさい。

★★【その2】につづく★★