【ビジョン&使命・天職】で<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>に導く【神の愛=主イエス】!!

★AMEN!HALLELUJAH!THANKS JESUS LOVE!★AMEN!HALLELUJAH!GLORY JESUS KINGDOM!★Good luck & God bless you!

【神愛福音道】【聖書価値観:神愛世界観・神愛歴史観・神愛人生観> 【神助道:神助精神・神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】 【<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>創世道】

【神の愛】は≪朽ちない栄冠≫!①

◇◇未来に約束された【朽ちない栄冠】を目指そう!(その1)◇◇<改訂版・再掲載>
【2004年8月19日に作成した<第342回>に加筆】 

●今や、義の栄冠を待っているばかりである。公平な審判者である主が、かの日にそれを私に授けて下さるであろう。私だけでなく主の顕現を心から待ち望む人は誰にでも授けて下さるであろう(第2テモテ書4‐8)
●大牧者がお見えになる時、あなた方はしぼむことのない栄冠を受ける(第1ペテロ書5‐4)

オリンピックや世界を舞台とするスポーツが開催されると、日本の報道は栄冠を得た日本人選手のことを喝采する話題で騒然となります。

日本の競技連盟に認められた選手は、種目ごとの決められた規定に従って競争して得られる「栄冠・メダル」を目標に日々努力した結果の【成果報酬】と思えます。

オリンピック選手と同じように、私たちにも生涯を賭け献身できる【最適な種目】が【神の愛=主イエス】によって準備されていて【神の愛】の【試練:オーディション&リハーサル】で召命され【愛と自由の選手】として活躍できる【ビッグ・チャンス】に感謝します!

●試練を耐え忍ぶ者は幸いなり。その人は適格者と認められ、神を愛する人々に約束された命の冠をいただく(ヤコブ書1‐12)
●競技をするにしても、規定に従って競技をしなければ栄光は得られない(テモテ後書2-5)
●私たちはこのように多くの証人に雲のように囲まれているのであるから、一切の重荷とからみつく罪とをかなぐり捨てて、私たちの参加すべき競争を耐え忍んで走りぬこうではないか。信仰の導き手であり、また、その完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか(ヘブル書12‐1~2)
●後のものを忘れ、前のものに向かって体を伸ばしつつ、目標を目指して走りキリスト・イエスにおいて上に召して下さる神の賞与(栄光)を得ようと努めている(ピリピ書3-13~14)
●あなた方は知らないのか、競技場で走る者は、みな走りはするが、賞を得る者はひとりである。あなた方も賞を得るように走りなさい(コリント前書9‐24)

目指す【究極の目標】は全ての生命が平和に暮らせる【この世の天国再建】です。食物となる植物を再生・復活させて、この世から≪肉食文明≫を終わらせると同時に、人間社会では《戦争》が必要なくなるほど食生活を豊かにすることです。

≪【神の愛】の競技≫では≪共存共栄・WinWin≫のためには「現実に敗けて理想に勝つ!」ことが<規定>であり、、世間の常識では敗北・失敗を前提として<不屈の楽天主義・楽観論>の【パッション:受難覚悟の情熱・熱望・気迫】が《出場資格》といえるでしょう。

●負けて勝ち、踏みつけられて立ち、殺されて活くるのがキリスト信者の生涯である(内村鑑三
●善をなすことのみ善事にあらず、困難に耐ゆること、これまた大なる善事なり(内村鑑三
●教会のキリスト教は成功において神の恩恵を認む。これに反してキリストの福音は失敗において神の愛を示す(内村鑑三
●不義は勝ちて滅ぶ、正義は敗けて興る(内村鑑三
●戦いに勝って勝つのではない。真理に従って勝つのである。戦いに負けて負けるのではに。真理に反して負けるのである(内村鑑三
●人の計画は成りて敗れ、神の計画は敗れて成る(内村鑑三
●【世界最大の者(内村鑑三)】
 知識をもって腕力に克つべし
 信仰をもって知識に克つべし
 愛をもって信仰に克つべし
 愛は進化の終局なり、最大の能力なり。
 愛に達して我らは世界最大の者となるなり。

私たちの参加できる【競技種目】は【神の愛=隣人愛】の【新たな視点】を最善発揮させるいことで「悪に善を再発見する!」
「不可能を可能にさせる!」といった【神の愛の奇蹟】で、《この世》を満ち溢れさせて光り輝かせる<愛と自由の競争>です。

●神はどんな悪も行われないようにするよりも、むしろ悪から善を生じさせるようにする方がよいと考えられたのである(アウグスティヌス
●悪いことの中にも、なにほどかの善の魂がまじっている。人が注意ぶかくそれをさがし出すならば(シェークスピア
●ひとが本当に神を信じ、それが単に口先だけのことでないなら、唯物論的世界秩序においては、ただ不可能としか思えない多くの事が当然のことになってくる(ヒルティ)
●不可能を口にしないのは万事が自分にとり可能であり、許されていると考えるからである(トマス・ア・ケンピス)
●一切の仕事が、神をはなれては困難であり、神とともにあれば一切が可能である(ヒルティ)

【神の愛】による【新たな視点】を持てるようになるには【霊性:魂[勇気]・善意・良心】が【神の愛=聖霊】に満たされるように、いつも守り育てるためには【神の愛=主イエス】へ【礼拝:★讃美★祈り★感謝】して<我が心>に招き迎えることが有効です。

●神が人に命じ人が神に応える所に良心がある。良心とは人の神覚である。人を離れて人が独り神と相対して立つ時に良心がある(内村鑑三
●神の御心にかなうことを求めて行う以上に快い気分を覚えさせ、喜びを与えるものはない(トマス・ア・ケンピス)
●自分の心のままを行うためでなく、私を仕わされた方の御心を行うためである(ヨハネ伝6‐38)
●私自身の考えでするのではなく、私を仕わされた方の御旨を求めているからである(ヨハネ伝5‐30)
●善を為すは難し、しかれどもキリストにありてこれを為すは易し(内村鑑三
●我は我に力を与え強くして下さるキリストにありて、すべてを為し得る(ピリピ書4‐13)

【神の愛=隣人愛】で導かれる【新たな視点】は無限の【ダイナミック・パワー:信じる力・望む力・愛する力】に満ち溢れた【新思想】を産み育ててくれます。

●新思想とは;
  ★新鮮なる思想
  ★人に新希望を供する思想
  ★人に新生命を供する思想
  ★人に新計画を供する思想
  ★羽翼を張りて中天に翔(アガ}らんとする意欲を興す思想(内村鑑三

たとえば、日本の毎年8月は長崎・広島を中心に原爆被害の悲惨と世界の原爆撤廃を訴える<平和運動>が行われています。

興味深い事は悲惨を実体験した日本人が「不可能」と思い込んでいた事に、その「不可能」に挑むのは日本人でありませんでした。

ニュージーランドのある主婦が日本の原爆被害を初めて知った時にショックを受けます。彼女は米国の戦争犯罪が正式に問われた事も明らかにされたこともないことも知ります。

彼女は疑問を明らかにするべく独り立ち上がるのです。たった独りの【無名の主婦】の勇気と決断があったからこそ、先ずは地元のニュージランド市民が協力し、話題になり、世界の人権組織をも動かして、その後ハーグ国際法廷で「原爆問題」が取り上げられて
初めて戦争犯罪が一部認められたことはご存知だと思います。

原爆被害を裁く単なる批判精神でなく、「何故?」という素朴な疑問を明確にするため【神の愛=隣人愛】の【衝動】で起ち上がる一人の問題提起に、世界が真剣に受けとめた歴史的事実は、無力で卑小な私にも「やればできる!」勇気と希望を与えてくれます!

●偉大な事を成し遂げるのはそれ以外に為すことのできない人のみである(ヒルティ)
●情熱は世界を動かす(ベンツCM)
●大事業の端緒はまず目前の義務を果たすことなり(内村鑑三
●キリスト信者たる栄誉の一つは、よわき取るに足らざるこの身をもって、なおも大望を抱いて、その一部分を遂行しうるにあり(内村鑑三
●大いなる事業が完成されるためには、ひとつの精神があれば足りる。千の手を動かすために(ゲーテ
●すべて偉大なことは、小規模に少人数から始まるものだ。あなたはそれを覚悟しなければならない。そして、子供たちを教育するにも彼等が少数派に属することを平気なように導かねばならない(ヒルティ)
●人数が少ないからといって世界を変える力はないと侮るなかれ。 世界を変えてきたのはまさしく少数の力なのである(マーガレット・ミード)

【神の愛=隣人愛】ゆえに「不可能」を「可能」にさせる!【神の愛の奇蹟】を世界が経験できるのは【神の愛の摂理】の存在証明です!

●理想主義なるものは一つのの信仰、一つの内的確信にほかならない(ヒルティ)

ニュージーランドの愛と勇気ある女性の氏名が報道で語られるのを私は見聞きしませんが、【神の愛】から【栄冠】を勝ち得た証明だと信じます!ハレルヤ!主に栄光を帰します!

●一人の正しい者の持つわずかなものは、多くの悪者の豊かさにまさる(詩篇37‐16)
●もし、人が何か役に立つことを知り、かつ学びたいと願うならば、他の人から知られずにおり、人から何ものでもないと思われることを愛さなければならない(トマス・ア・ケンピス)
●もし、あなたが何事かの知識や学問を役立つように修得したいと欲するならば自分が世に知られず、つまらぬ者と評されるのを喜びなさい(トマス・ア・ケンピス)
●最善の労働者とは最も多くの仕事をする者でなくして最も貴重な動機をもって仕事をする者である(二宮尊徳内村鑑三の言葉より)

「原爆」を単に忌み嫌い、邪悪で無用だと決めつけたり、妄信的に完全否定することもまた危険だと感じます。

この世で世間的に【悪徳・闇・不完全】と決めつけられる【悪の存在】であろうとも、存在が許されている限りは、必ず【善循環】できる【神の愛】の可能性に満ちていると私は確信しています。何故なら、私自身も≪悪徳・邪悪≫で≪罪人のかしら≫であるからです。

以前にも紹介したように「原爆」が開発され、未だに完全廃絶されずに存在しているのは、【天空の水】(創世記1-6~7)復活や「大彗星爆破」のために準備されているのだと私は信じ望む者です。

●主はすべてのものを、おのおのその用のために造り、悪者をも悪しき日のために造られた(箴言16‐4)

社会問題だけでなく、体内の世界でも同様に【悪の存在】として嫌われ駆除されてきた口内細菌も、実は自然治癒力を高めたり、虫歯からの再生に役立っていることが、ようやく近年になって判明してきたことは【アメージング・グレース(驚くべき余りある恵み)】であり、【神の愛】は何と深く崇高であることでしょう!

●神のなされることは全てその時にかなって美しい(伝道の書3-11)
●我(主)が為すことを汝今は知らず、後に悟るべし(ヨハネ伝13-7)
●あなたはまことに、大いなる方、奇しいわざを行なわれる方です(詩篇86‐10)

ダニもネズミも都会では嫌われ者で【害悪の象徴】です。しかし、森林に生きるならばダニは日夜休むことなく土壌を耕し豊かにしてくれる【貴重な存在】であり、ネズミは木の実を貯蔵することで大地に種蒔きしてくれる【働き者】であり【ヒーロー】です!

●事物の光明的半面に着眼する者、これ信者なり。
 暗黒的半面に注目する者、これ不信者なり。
 信者は  常に健康を祝し、成功を讃え、 聖徳をよろこぶ
 不信者は 常に疾病を語り、失敗をなげき、悪徳・罪悪を憤る(内村鑑三
●神は善きを視るに敏くして、悪魔は悪を探るに巧みなり。神は奨励する者にして、悪魔は失望せしむる者なり
 (内村鑑三
●神の神たるは人の善きを思うて悪しきを思わざるにあり。悪魔たるは人の悪しきをのみ思いえて人の善きを思いえざるにあり
 (内村鑑三
●私は言う。「闇の中でも主は私を見ておられる。夜も光が私を照らし出す。」
 あなたには、闇も暗くなく、夜も昼も共に光を放ち、夜は昼のように明るく輝く。
 あなたには、闇も光も同じで異なることはない(詩篇139-11~12)

★★【その2】につづく★★