【ビジョン&使命・天職】で<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>に導く【神の愛=主イエス】!!

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【神愛福音道】【聖書価値観:神愛世界観・神愛歴史観・神愛人生観> 【神助道:神助精神・神助主義・神助本願・神助努力・神助本位】 【<御国:千年王国・メシア的王国・神愛王国>創世道】

私には【ビジョン:理想・夢・志】がある!

友よ、私は今日皆さんに申し上げたい。 
今日も明日もいろいろな困難や挫折に直面しているがそれでもなお 
私には夢がある。

それはアメリカの夢に深く根ざした夢なのである。
私には夢がある。いつの日かこの国が立ち上がり、わが国の信条の次の言葉の
真の意味を貫くようになるだろう。

『私たちはこれらの真理を自明のことと考える。
 すなわち、全ての人間は平等に造られている』

私には夢がある。
いつの日か ジョージア州の赤土の丘の上で かつての奴隷の子孫たちと かつての 奴隷主の子孫たちとが 、共に兄弟愛のテーブルに着くことができるようになるだろう。

私には夢がある。
いつの日か このミシシッピ州も、 このような不正義の 暑さにうだっており、   .
このような抑圧の暑さにうだっているこの地域でさえもいつの日か自由と正義の
オアシスに変えられることであろう。

私には夢がある。
いつの日か私の幼い四人の子どもたちが、彼らの肌の色によって評価される のではなく
彼らの人格の深さによって 評価される国に住めるようになることであろう。

私には夢がある。いつの日かこのアラバマでも、目下のところ悪意に満ちた民族主義者に牛耳られており、連邦の決定に対して 知事の口から 「干渉」とか「取消し」という
言葉しか出てこない

このアラバマ州においても、 いつの日か幼い黒人の少年たち・少女たちが、
幼い白人の少年たち・少女たちと手をつなぎ、兄弟姉妹として歩けるようになることであろう。     

私には今日、夢がある!
いつの日か「谷はすべて身を起こし、山と丘は身を低くせよ。険しい道は平ら、狭い道は広い谷となれ。主の栄光がこうして現れるのを、肉なる者は共に見る(イザヤ書40-4~5)」

これが私たちの希望なのである。
こういう信仰を持って、私は南部に帰る。こういう信仰があれば、私たちは絶望の山から 希望の石を切り出すことが出来る。

こういう信仰があれば、私たちはこの国の騒々しい不協和音を、兄弟愛の美しいシンフォニーに変えることが出来る。.

こういう信仰があれば、私たちは共に働くことができる。共に祈ることができる。共に闘うことができる。

共に監獄へ行くことができる。共に自由のために立ち上がることができる。いつかは自由になると信じることができるのだ。

その日こそ、神のすべての子どもたちが、あの歌を新しい意味を込めて歌うことができる日となるであろう。

「わが国、それは汝のもの、麗しき自由の国。われは汝を讃える。わが父祖たちの死せる国、巡礼父祖の誇れる国、すべての山腹から自由の鐘を鳴り響かせよ」

もしアメリカが偉大な国に なるべきなのであれば、このことが実現しなければならない。

だから、自由の鐘を鳴らそう ニュー・ハンプシャーの大きな丘の上から。 自由の鐘を鳴らそう、ニューヨークのそびえ立つ山々から。

自由の鐘を鳴らそう! ペンシルヴァニアのひときわ高いアレゲニー山脈から!
自由の鐘を鳴らそう! コロラドの雪を頂くロッキー山脈から!  
自由の鐘を鳴らそう!カリフォルニアの曲がりくねった坂道から!

それだけではない。自由の鐘を鳴らそう!ジョージアのストーン・マウンテンから!

自由の鐘を鳴らそう!テネシーのルックアウトマウンテンから!自由の鐘を鳴らそう!
ミシシッピのすべての丘やモグラ塚からも自由の鐘を鳴らそう!! 山腹のいたるところで
自由の鐘を鳴らそうではないか!

私たちが自由の鐘を鳴らせば、その時にはすべての村という村で、すべての集落という集落で、すべての州という州、街という街において、神の子どもたちとなったすべての者らが、黒人も白人も、ユダヤ人も異邦人も、プロテスタントカトリックも、すべての者らが手に手を取って、あの古い黒人霊歌を口ずさむようになることであろう。

「自由だ!自由だ! 全能の神に感謝すべきかな。私たちはついに自由になった!」
                                                   (1963.8.28.『ワシントン大行進』の際のスピーチ)
★★★
                                        
友よ、私は今日あなたがたに言いたい。
 われわれは、今日も、明日も、多くの困難に直面するだろうが、
 それでも、私には夢がある。
 
 私には夢がある。それは、いつの日か、
 この国が立ち上がり、
 <われわれは、すべての人びとは平等につくられていることを、
 自明の真理と信じる>という信条を、真の意味で実現させることだ。
 
 私には夢がある。それは、いつの日か、
 ジョージアの赤土の丘の上で、
 かつての奴隷の息子と、かつての奴隷所有者の息子が、
 兄弟として同じテーブルに腰をおろすことだ。
 
 私には夢がある。それは、いつの日か、
 不正と抑圧のために熱く蒸しかえるミシシッピ州でさえも、
 自由と正義のオアシスへと変わることだ。
 
 私には夢がある。それは、いつの日か、
 私の四人の小さな子どもたちが、
 肌の色によってではなく、
 人格そのものによって評価される国に生きられるようになることだ。
 
私には夢があるのだ!
 われわれが、すべての村や集落で、
すべての州や町で自由の鐘を鳴り響かせるとき、
そのときこそ、われわれは、黒人も白人も、
 ユダヤ教徒も異教徒も、プロテスタントカトリックも、
 すべての神の子たちが手を取り合って、
 あの古い黒人霊歌を口ずさむことができる日が来るのを、
 早めることができるのだ。
 
 ついに自由だ!ついに自由だ!
 全能の神に感謝せん、
 われわれはついに自由になったのだ!
           (1963.8.28.『ワシントン大行進』の際のスピーチ)
 <辻内鏡人、中條 献 著 : 「キング牧師」より> 


★★★

キング牧師のように、私たちも心に抱く<最愛の我が子・我が分身>である【ビジョン:理想・夢・志】を<旗印>に高く掲げて、語り伝えながら、日々前進しましょう!
皆さんの活躍を心より応援しています!

●恐れるな、語りつづけよ、黙っているな。
 あなたには私が共にいるからだ。
 誰もあなたを襲って危害を加えるようなことはない。
 この町には私の民が大勢いるからだ(使徒行伝18-9~10)
●我はただ語る。人が聴いても語る。聴かないでも語る。
 我は我が歓喜を語らずにはいられない。我はヒバリがさえずるごとく
 人が聴く聴かざるに関せず語る。我は黙するにはあまりに嬉しくある。
 それであるから語るのである(内村鑑三)

今日も明日も素晴らしい人生をお過ごし下さい!
May grace and peace be with your spirit.
Good luck & God bless you!