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ボブ特集:あせらず一歩ずつ前進!①

◇◇One step at a time(一歩ずつあせらないで)(その1)◇◇<改訂版・再掲載>【2001年9月19日に作成した<第182号>に加筆】
★★2001年9月16日(日)日本テレビ「知ってるつもり・腕で歩く」を観て★★

●なおも神の御手に御心に逆らわず、勇気と希望をすこしも捨てぬ。
 私は静かに耐えまっすぐに前進する(ミルトン)
キリスト教は不断の幸福を約束しない。しかし、世に勝つ平和を約束している(ヒルティ)

個人でも民族・国家でも、彼等が嘆き悲しみ、あるいは苦悩にあり、怒り憎しみにある時、彼等自身のために厳しい【試練:神の愛の訓練】にある時、彼等は<本来の自分自身>を見失いやすい危険な時であるといえるでしょう。

周囲の冷静な人間の心で観るならば、彼等が十分に耐えられる【試練】のように見えるのに、特に【試練】の当初は、本人には耐えがたい地獄の苦しみのように思えるものです。

どんなに不条理と思える【試練】でも【神のはからい】であり【神の愛】と受け入れるなら、そこには大いなる【神の祝福】を発見できるのです。

●神は誠実であり、なんびとをもその人の力以上の試練にあわせる事はない(ヒルティ)
●あなた方の会った試練で、世の常でないものはない。神は真実である。
 あなた方を耐えられないような試練に会わせる事はないばかりが、試練と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである(コリント前書10-13)
●どんな幸福な生活にも数多く起こる試練や心労を、堪えがたい重荷だと考えるか、それとも自分の生活原則を実行し修練するために、神から授けられた機会だと見るかは、ものごとの感じ方として大きな相違である。そして、この感じ方次第ですべてが決まるのである(ヒルティ)

現在のアメリカもまた、多発テロに襲われた直後の怒りと憎悪から「報復・差別」に駆り立てられているようです。今こそ、【アメリカの良心】が試されている時だと感じます。

●個人にとっても民族にとっても、試練が必要以上に長く続いたことは決してない(ヒルティ)
●我等に臨む患難は多し、されど主は我等をみなその中から援け出し給う
 (内村鑑三詩篇34‐19)

このメルマガの第108回でもご紹介した「腕で歩く」が日本テレビで紹介されました。

生まれつき丈夫な肉体でスポーツ万能で、大学では野球で活躍し投手として大リーグに
入団が内定していた前途有望な23歳の若者ボブ・ウイーランドさんが経験した【試練】は、1969年にベトナム戦争に駆り出されたことから始まります。

除隊後に大リーグでの活躍を夢見て、彼は自由と正義のための戦いだと信じて勇敢に国家のために挑みます。

ベトナム戦地に来てわずか2ヶ月目に、ボブは地雷で負傷した戦友を助け出そうとして自分が下半身を地雷で吹き飛ばしてしまいました。

彼に突如起こった災難はあまりにも悲劇的でした。しかし、それは彼自身が生まれ変われる【試練:神の導き】そのものであり、絶好のチャンスであったのです。

悲惨な負傷によって、ボブは自分らしい【ミッション:使命・天職】に導かれたからです。

彼が<神の存在>を実感でき、本来の自分に目覚めるまでに、どれだけの憎悪や被害者意識や自暴自棄の苦難の日々を送ったことでしょう。

私たちはボブの体験して見事に克服した【試練:神の愛の訓練】に学ぶ事はたくさんあります。

彼は「自分にとっての幸福とは何か?」を知りませんでした。彼はスポーツの世界でトップを目指すような野心の人でした。

【この世の勢力:富・権威・名声】に誰でも憧れるように、彼もまた素直に挑戦したのです。

下半身を失い不自由な肉体になっても、ただ両足がないだけで何でもできる人間であることを実証するためにも懸命にチャレンジします。

ボブに勇気と希望をもたらした背景には、自信を失いかけた彼をそのまま受け入れてくれて、その後に妻となる女性の理解があったのです。

彼を暖かく支えて<人生の同志>となる彼女との貴重な出会いは、両足を奪われるという
マイナスがあってこそといえるのだと思います。

マイナスをプラスに、悲嘆の【患難】が歓喜の【恩恵】になることを【神の愛】は示しています。

●艱難のための恩恵にあらず、恩恵のための艱難なり。艱難は手段にして恩恵は目的なり
内村鑑三
●患難はすべて身の患難にして霊の幸福である(内村鑑三
●試練と祝福は密接に関連している(ヒルティ) 
●彼が、私を呼び求めれば、私は、彼に答えよう。私は、苦しみのときに彼と共にいて、
 彼を救い彼に誉れを与えよう。私は、彼を長いいのちで満ち足らせ、私の救いを彼に
 見せよう詩篇91-15)

もし、健全な肉体と将来有望な成功者の道を突っ走る彼だったなら、人の痛みや苦しみを
知る事もなく、彼女と出会っても通りすぎて気づく事もなかったはずです。

【神の愛=主イエス】はボブのために最適な家族までも用意してくれたと私は信じます。

●人の歩みは主によって確かにされる。主はその人の道を喜ばれる。
 その人は倒れることあっても全くうちふせられることなし。
 主が彼の手を助け支えたまえばなり(詩篇37‐23~24)

ボブは大学に入りなおして体育の教師となり、自らも肉体を鍛えて、パワー・リフティング競技で
見事に優勝してみせます。

健常者と勝負して栄冠を勝ち得た彼が、自信を取り戻せたように思えた瞬間です。
ところが、優勝直後に協会から悲劇的な通告を受けるのです。

それは競技者は靴をはいていなければならないという規定によって、彼はルール違反として失格にされたのです。

せっかく努力しても何度も失敗に終り、彼は<道>が閉ざされたように思えたことでしょう。
しかし、それはボブが本当に<目指すべき道:使命・天職】>でなかっただけなのです。

【神の愛=主イエス】が、彼を<正しき道:使命・天職】>に導くために【試練】を与えてくれたことは、その後のボブの人生を知っいる私たちは理解できるはずです。

●失敗は方針を転ぜよとの神の命令である。我らは失敗を重ねて神の定め給いし天職に
 つくのである(内村鑑三
●人の道は主の目の前にあり、主は、その道筋のすべてに心を配って、その行いを見守られる(箴言5-21)
●人の歩みは主によって定められる。人間はどうして自分の道を理解できようか(箴言20‐24)
●人は心に自分の道を計画を思い巡らす。
 しかし、その人の歩みを一歩一歩備え確かなものにするのは主である(箴言16-9)

★★【その2】につづく★★